フラム号(1)
★ノールウェイ

フリチョフ・ナンセン
1888&1895
グリーンランド&北極探検

大航海物語★
ナンセンは1861年にノルウェーで生まれ、1888年にノルウェーからグリーンランドまで大航海をなし、グリーンランド横断の探検をしました。1895年にはフラム号で北極点を目指しましたが北緯86度14分で引き返しました。南極探検は第1次大戦の余波のため実現しませんでした。その後、国際連盟で平和追求と難民救済に貢献して「難民の父」と呼ばれ、1922年度ノーベル平和賞を受賞し、69才でノールウェイで亡くなりました。
NORGE Australian Antarctic Territory
ナンセン

1861 ナンセン生誕100年記念 1961
ノールウェイ 1961/10/10 発行
フラム号 S.S.Fram

オーストラリア南極地方 1974-81 発行

CANADA ISLAND
中央がハドソン湾

カナダ 1981 発行
←ケーン水路
グリーンランド島
←パフィン湾
←パフィン島
←ハドソン海峡
←ラプラドル湾
←ラプラドル半島


 →白グいリ所|がン
 ラ
 ン
 ド
 島

アイスランド 発行

←ノールウェイ

フリチョフ・ナンセン (1861〜1930)
 Friditjof Nansen

ナンセンはフラム号で12人の乗員と共に北極のチェスリュスキン岬の北東・北緯77度43分の海上で氷原に閉じ込められ、スキーで北極点を目指しましたが1895年4月8日に北緯86度14分に達したところで氷原の状態が悪く引き返しました。

ノールウエイに帰ってから南極探検の計画を立てましたが、第1次大戦の余波のため実現には至りませんでした。ノールウエイはアメリカからの食料輸入に依存していましたので、1917年・アメリカが大戦に参戦し、食料の禁輸を宣言した事で、食糧危機に直面しました。ナンセンは食料輸出の再開を求める使節団長として米国に派遣され、1918年5月の協定でその目的を果たしました。

ナンセンは国際連盟で平和追求と難民救済に努め「難民の父」と呼ばれ、1922年度ノーベル平和賞を受賞。ノールウェイの自宅で69才で亡くなりました。

フラム号の装備:〜
  SS Fram
、1892
船 型 石炭蒸気式帆船、スクナー(Schooner フラム号、1893
帆 柱 3本マスト
全 長 39m
全 幅 10m
深 さ 4.6m
重 量 402屯、(220馬力(hp)蒸気機関搭載)
速 度 7knts(蒸気式=7ノット(13km/h)
乗組員 16人
進 水 1892年、ノールウェイ(Larvik, Norway)
最 後 1912年引退後、ノールウェイで保存、博物館船(Fram Museum, Oslo)

参考HP:〜
 ・フラム号の航海地図
   (赤:フラム号の航海、青:フラム号の漂流、黄:フラム号の1896年の航海、
    緑:ナンセンの進路、紫:ナンセンの帰路)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       2010/6/23記

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