大航海物語
中国・古代の4大発明
指南針・造紙術・印刷術・火薬
参考資料
中国人民郵票
指南針

中国 1954 発行
中国香港
指南針 印刷術
火 薬    中国香港 2005 発行    造紙術

D’HAITI
・指南針(方位磁針、羅針盤):
方位磁針 11世紀の中国の沈括の『夢渓筆談』、正確には「真貝日誌送」にその記述が現れるのが最初だとされる。沈括の記述した方位磁針は24方位であったが、後に現在と同じ32方位に改められた。西アジア及びヨーロッパには、双方と交易を行っていたペルシャ人によって伝えられたと考えられている。方位磁針とは、方位磁針は磁石を自由に回転できるようにしたものである。これにより、地磁気に反応して、N極が北(磁北)を、S極が南(磁南)を向く。最もシンプルなタイプのそれとしては、非常に軽く作った磁石を針の上に乗せただけで実現する。上記の原理からも判るように、方位磁針は厳密に見れば真北を指しているわけではない。真北と、方位磁針が示している北、それら二つの差は「コンパスエラー」「コンパス誤差」などと呼ばれる。
参考HP:〜国土地理院地磁気測量

・造紙術(紙):
2世紀ごろ中国で紙が発明された。中国の史書には105年に後漢の蔡倫が発明したと伝えられ、長く信じられてきたが、前漢時代(紀元前206-8年)と推測される遺跡から紙が見つかったためこの説は覆った。蔡倫は発明者というよりは改良者だったらしい。紀元前2世紀から紙が存在していたとする研究もあるが確認はされていない。751年にタラス河畔の戦いでアッバース朝軍に捕えられた唐側の捕虜に紙職人がおり、製法が中国からイスラム世界に伝わったとされ、8世紀の半ばに中央アジアのサマルカンドで紙が生産されたことが確認されている。イスラム世界ではそれまでのパピルスや羊皮紙に比べて安価・軽量であったことから広まり、12世紀までにイベリア半島のアンダルス地方でも生産されていた。ヨーロッパへはここから伝わったようである。

・印刷術(印刷):
東アジアでは、2世紀ごろ中国で紙が発明され、7世紀ごろには木版印刷が行なわれていたといわれ、また11世紀には陶器による活字を使った印刷が行なわれていた。金属活字による印刷は13-14世紀の朝鮮(高麗)にあらわれている。現存する印刷物で製作年代がはっきりと判明している世界最古のものとして、日本の「百万塔陀羅尼」(宝亀元年、770年)がある。ヨーロッパでは、1450年頃のヨハン・グーテンベルクによる金属活字を用いた活版印刷技術の発明で、印刷が急速に広まった。グーテンベルクの発明から1500年以前までに印刷された書物はインキュナブラ(揺籃期本、初期刊本)と呼ばれ、どれも貴重書であるため莫大な古書価がつくこともままある。当時の印刷物は、聖書をはじめとする宗教書が半数近くを占めており、活版印刷による聖書の普及は、マルティン・ルターらによる宗教革命につながっていく。その後、欧米においては長らく活版による文字、凹版による絵画、挿絵の印刷が行われた。

・火 薬:
中国の唐代(618年-907年)に書かれた「真元妙道要路」には硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には黒色火薬が発明されていた可能性がある。日本人が初めて火薬を用いた兵器に遭遇したのは13世紀後半の元寇においてである。当時の様子を描いた『蒙古襲来絵詞』には、元軍が用いた「てつはう」と呼ばれる兵器が描かれている。「てつはう」は鉄球に火薬をつめた炸裂弾で、強力な弓の先端につけて発射された。ヨーロッパで初めて火薬を製造したのは13世紀イギリスのスコラ学者であるロジャー・ベーコンとされていたが、その火薬の製法の写本は偽書とされており現在は疑問視されている。14世紀には、イングランドやドイツに火薬工場があったとの史実が残されている。エリザベス1世(1558年 - 1603年)の時代、火薬製造はイングランド王室の専売事業であった。19世紀までは火薬といえば黒色火薬のことを指したが、1886年にフランス人科学者ポール・ヴィエイユ(Paul Vieille)が無煙火薬を発明すると、火薬の主流は黒色火薬から無煙火薬へと急速に移り変わっていく。日本における火薬は、1543年に種子島に漂着したポルトガル人が、東南アジアで改良された、今日マラッカ式火縄銃と呼ばれる形式の鉄砲と共に、日本に火薬を伝えた。当時の日本は高い製鉄技術と鍛鉄技術を有しており、鉄砲製造は急速に普及し、大量生産が行われた。1575年の長篠の戦いでは、織田信長が大量の鉄砲を用いることで武田勝頼に大勝している。当時の火薬は黒色火薬。原料の硝石(硝酸カリウム)は湿潤気候の日本国内では天然に産出しないため、南蛮貿易で硝石を輸入して火薬を製造していた。当時硝石はヨーロッパでは家畜小屋の土壁の中で生成したものを、東南アジアでは高床式住居の床下で、鶏や豚の糞を積んで発酵させて生成したものを煮出して製造していたが、南蛮貿易で日本に持ち込まれた硝石の起源がどちらだったのかはまだ研究が進んでおらず明らかになっていない。

ハイチ 1999/12/20 発行

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       
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