★アメリカ 北極海探検航海
ヴィルジャルマー・ステファンソン
1915
北極で大陸棚の北端を発見

大航海物語★
USA CANADA
北極点

カナダ北部









ステファンソン、
探検地図 と ソリを引く人
アメリカ 1986 発行
  .
カナダ 1981 発行

←ケーン水路
←グリーンランド

←パフィン島
←ハドソン海峡
←ラプラドル湾
←ラプラドル半島
←ニューファオウンドランド

北極洋
ウランゲリ島

アイスランド島
    ↓
ロシア
アラスカ・カナダ→


 
ニューファウンドランド

ベーリング海峡
ノーフォーク 1978/8/29 発行
アイスランド 発行

カナダ人の民族学者ステファンソンはアイスランドやカナダ北極海からアラスカ北部海岸の民俗学の学術探検を行った後、1915年にカナダ北極海で大陸棚の北端を発見しました。その探検中、船が氷に閉ざされて破壊された時に避難したウランゲリ島の領有を主張し、移住者を送り込みましたが、ソ連により強制退去させられました。
・ヴィルジャルマー・ステファンソン (1879/11/3〜1962/8/26)
 Vilhjalmur Stefanson

ステファンソンはアイスランド移民の両親のもとで、カナダ・マニトバ州ギムリ(Gimli, Manitoba)で生まれました。アメリカのノースダコタ州やアイオワ州で勉学し、1903年にハーバード大学の大学院で民族学(Ethnology)を専攻。そこで2年間、教鞭をとりました。1904年からは民俗学の学術探検に従事し、主としてカナダ北部の北極海を探検し、極地探検家として知られるようになりました。62才の時に28才の秘書エヴリン(Mrs. Evelyn Schwartz Baird)とテネシー州エルスヴィルで結婚し、83才で亡くなりました。

ステファンソンの探検航海:〜
・1904〜05:アイスランド島の民俗学の学術探査
・1906〜07:冬期にカナダ北極のマッケンジーデルタの民俗学の学術探査
・1908〜12:アメリカ北極海岸の民俗学学術探査、金髪碧眼エスキモー部族を発見
・1913〜16:クイーンエリザベス諸島パリー海(Parry Archipelago)探検、
         帆船カールック号が氷に閉じ込められ
         徒歩で凍結したチュクチ海を渡りウランゲリ島に到達。
・1921年:ウランゲリ島へ探検隊を送るが、1人だけ救出。
・1923年:ウランゲリ島へ移住者を送るも、翌年ソ連が強制退去。

1904〜05年に大西洋を越えてアイスランドに渡り、民俗学学術探査を行いました。1906年から1907年の冬期間はマッケンジー・デルタのエスキモー(Eskimos、現在カナダでイヌイット Inuit と呼ばれている)と暮らして民俗学学術探査を行い、その後、単独でユーコン河の支流ポークパイン(Porcupine)川を横断して戻りました。

1908〜12年にはニューヨークのアメリカ自然史博物館アンダーソン(Dr. R. M. Anderson)博士の支援のもとで、北アメリカ北岸沿いに中央北極海岸の民族学学術探査を実施しました。1910年に西洋人として始めて、金髪で碧眼(青い目)のエスキモーの一族を発見しました。

1913〜16年にはカナダ政府から西パリー(Parry Archipelago)海地域の探検を要請され、3隻の帆船カールック号(Karluk)、メアリー・サッシュ号(Mary Sachs)、アラスカ号(Alaska)を傭船して探検に出帆しました。ステファンソンは1913年にカールック号に乗船してアラスカから北へと航海し、ボーフォート海(Beaufort Sea)へ出ました。その後の1914/1に、彼の乗船カールック号が氷に閉じ込められたので、ステファンソンはバートレッド船長(Robert Bartlett、1875-1946、ニューファヌンドランド人)たち乗組員を残して船を降りました。船を降りたステファンソンは1台のソリを3人で引いて、1914/4にアラスカのコリンソン・ポイント(Collinson Point, Alaska)から、冬季関は凍結する北極洋のボーフォート海でライフル銃で狩猟をして食料を調達しながら、121kmを踏破して、96日後の1914/9にメアリー・サッシュ号に着き、アイス・パックで生活を始め、大陸棚北端(edge of the continental shelf)を発見し、マックリントック(Francis Leopold McClintock、1819-1907)が発見していた土地(Canadian Arctic Archipelago)をさらに詳しく調査しました。ステファンソンは一度、アメリカとロシアで領有が論争されていた大きな油田地帯のウランゲリ島(Wrangel Island)に着き、1915年に大陸棚の端(the edge of the continental shelf)を発見しました。1915/8/23に北極海の一部とみなせるボーフォート海にあるハーシェル島(Herschel Island、カナダユーコン準州)を後にして戻りました。

カールック号バートレッド船長は結氷した北極海に船を座礁させ、徒歩での脱出を試み、結氷したチュクチ海のヘラルド島(Herald Island)に行く途中で行く手を見失った数人を失い、20人中たった9人がカナダのスクーナー漁船(Canadian fishing schooner)キング号(King)、ウィンゲ号(Winge)とアメリカのカッター船ベア号(U.S. revenue cutter Bear)に救助されて生き延びました。1914/1/11にカールック号はクラッシュ(破壊)されて沈没しました。

1921年にステファンソンはロシアのウランゲル提督に因んで命名されたウランゲリ島をカナダ領とするため、カナダ人1人・アメリカ人3人の4人の若者で構成した探検隊をシベリア北方のウランゲリ島に送り出しました。アラスカのノーマ(Noma)で、隊員が裁縫師アダ(Ada Blackjack、1898-1983)を雇って連れて行っていましたが、2年後の1923年に彼一人だけが救出されました。1923年に、あらためて13人(アメリカ人1人・イヌイット12人)からなる移住グループをこの島に送り込みましだが、翌年にソビエト連邦がステファンソンの送り込んだイヌイット達を国外退去させました。ウランゲリ島のツンドラと自然保護区は、2004年にユネスコの世界遺産に自然遺産として登録されました。

参考:〜
カールック号
  Karluk

カールック号は1913年にステファンソンの北極探検に使用された2本マストの機帆船(brigantine 247 tons)で、船長はニューファウンドド人のバートレッド船長でした。船は数ヵ月間も氷に閉ざされました。ステファンソンと乗船者は船を降りて、別の船で1913-18年の北極探査に行きましたが、カールック号はシベリアへと氷と共に流され、チュクチ海のウランゲリ島(Wrangel)近くで氷に破壊されました。乗組員はバートレッド船長の指揮で島まで氷の上を歩いて渡り、越冬して後の春に、船長がソリで助けを呼びに行きましたが、たくさんの乗組員が犠牲となりました。残りの乗組員は1914年の9月に救助されました。その出来事は救助された生き残りの乗組員の一人のマッキンリー(William Laird McKinlay)が1976年に日記を「カールック号」として出版しました。なお、カールック(Karluk)とはアレウト族語で魚という意味です。

こちらで
バートレッド船長
カールック号
カナダ をお楽しみください。

ステファンソン島
 Stefansson Island

ステファンソン島はカナダのヌナブト準州に属する島で、ビクトリア島の北東端に付け足されるように位置し、ゴールドスミス海峡が間に有。北にはバイカウントメルビル海峡が有。面積4,463km2。最高地点は290m。島の名前はカナダの探検家ステファンソンにちなんで命名されました。

マッケンジー河
  Mackenzie

マッケンジー河はカナダで北極海へ(カナダのノースウェスト準州を流れボーフォート海へ)注ぐ川でカナダ最長の川(1738 km)、ピース川(Peace River、1923 km)とフィンレイ川(Finlay、580 km)をあわせた長さ(4241km)は北アメリカ2番目の長さ。流域にはグレート・ベア湖、グレート・スレーブ湖、アサバスカ湖など大小無数の湖が含まれ、一年のうち5ヶ月程度は航行可能、10月から5月までは凍結。名前は1789年に北西航路を探し求めてアサバスカ湖から上流を探検したアレクサンダー・
マッケンジー河

カナダ 1991/8/20 発行
マッケンジー(Alexander MacKenzie、1764-1820)にちなんで命名されました。なお、ミシシッピ河(Mississippi)は3779km。

参考地図HP〜
 ・チュクチ海(Chukchi Sea)
 ・北極洋(Arctic Ocean)
 ・マッケンジー・デルタの場所地図(MacKenzie Delta)
 ・マッケンジー・デルタの地図(Mackenzie River watershed)
 ・ボーフォート海(Beaufort Sea)
 ・パリー海(Parry Archipelago、ステファンソン島有)日本語
 ・ステファンソン島(Stefansson Island)
 ・カナダの州区分地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   08/1/20、 09/12/30、13/10/13
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