★ポルトガル
ジョアン・F・ヴィエイラ
1620
マデイラから新大陸ブラジルへ大航海

大航海物語★
PORTUGALーMADEIRA
マデイラ生れのブラジル・ペルナンブーコの英雄
ジョアン・F・ヴィエイラ

マデイラ 1981/7/1 発行

Mozambique
17世紀ポルトガル・ガレオン船

Galeao Santa Tereza 1659
モザンビーク 1963/12/1 発行
南米の地図

エクアドル  発行
ブラジル

ジョアン・フェルナンデス・ヴィエイラ (生年没年不詳、1610頃〜1660頃)
 Joao Fernandes Vieira

ジョアン・フェルナンデス・ヴィエイラは1610年頃にマデイラフンシャルで砂糖の農園地主の家に生まれたムラート(mulato、混血)でした。1620年に10才か11才の時に島から逃亡・脱出して、大西洋を越えて新大陸へ行く帆船にもぐりこみ、ブラジルのペルナンブーコ州(Estado de Pernambuco、ポルトガル植民地時代のカピタニア領)オリンダ(Olinda)に渡って砂糖のプランテーションに入りました。1630年2月にオリンダがオランダに占領されるとユダヤ人の商人とのコネつけに成功して、有力な農園主(砂糖のプランテーション地主)となりました。

1640年にポルトガルがスペイン時代(1580〜1640)と決別して分離独立すると、1643年にオランダが介入してきて宗教問題が起こり、プロテスタントのオランダに抵抗する民兵(原住民とムラート)を組織し、ヴィエイラは革命の党首となり、1645年6月に貧弱な武装をした民兵隊で、レシフェのオランダの前哨基地を攻撃しましたが短時間で敗れました。しかし、暴動は全国に広がりました。ヴィエイラはブラジル植民地総督およびポルトガル現地政府の支援に頼らずに補給活動を実施し、私財をはたいて革命軍隊のために兵器及び弾薬を手にいれ、不屈の闘志で劣性の革命軍を励まし続けてオランダ軍を悩ませました。彼と革命軍はカピタニア領総督アンドレ・ヴィダル・ド・ネグレイロス(Andre Vidal de Negreiros、1606-1680)が救援に来るまで、ひどい困窮の中で持ちこたえました。救援が来るとすぐに彼は攻勢をとりました。もしヴィエイラの不退転の決意がなければペルナンブーコ州はふたたび征服されたことでしょう。

ヴィエイラとポルトガル現地混成軍はオランダの総督モウリシオ・デ・ナッソー(Mauricio de Nassau、1604-79)率いるオランダ新大陸遠征軍と決戦し、グアラペスの戦い(Batalha dos Guararapes)が1648/4/18と1649/2/19と2度にわたり勃発した時に、2度目の戦いでオランダ(4000)とポルトガル(3200)が数時間の激戦の後にポルトガル軍が勝利して、レシフェの北方で大砲を置き去りにしてオランダ軍が退却した後で、ポルトガル軍はペルナンブーコへと進軍しペルナンブーコを占領しました。こうしてオランダ西インド会社のブラジル支配は終わりを告げ、1654/1/26にオランダのブラジル支配が終りました。この時に現地混成軍の指揮を執ったのが英雄ヴィエイラなのです。ペルナンブーコ州の暴動の最初の扇動者としてのヴィエイラは民衆と裁判所によって大いに尊敬されました。

戦後はすべての公的職務を断り引退して個人生活に入り、ヴィエイラは1660頃にペルナンブーコで亡くなりました。その地に彼の記念としてモニュメントが建てられました。

参考:〜
・レシフェ (Recife)
レシフェはブラジルの港湾都市、ペルナンブーコ州の州都で、ポルトガル植民地の一部でしたが、1580年にポルトガル本国がスペインに併合(1580-1640、Iberian Union)されると、当時スペインと独立をめぐり争っていたオランダが、1630年にレシフェを占領し、占領は1654年まで続きました。

・ムラート(mulato)
ムラート (Mulatto, Mulato) はムラットともいい、ラテンアメリカでヨーロッパ系とアフリカ系の混血を指す言葉で、元々は、片方の親がヨーロッパ系(特に父親)でもう片方の親がアフリカ系(母親)の子供のことを指していましたが、現在ではある程度両方の血統が混じっている人々のことを指すようになりました。「黒人と白人の混血者」と説明されることも多く、ムラートの多い国は、ドミニカ共和国やキューバなど、カリブ海の国です。 なお、ヨーロッパ系とインディオとの混血はメスティーソといいます。この言葉は、スペイン語でラバを意味するムラ(mula)から来ています。

・クレオール(Creole)
クレオールは黒人と白人が混血した人種のこと。有名なクレオールには三銃士や巌窟王を書いたフランスのアレクサンドル・デュマです。スペイン語圏ではクリオーリョ(criollo)といわれます。フランス語(Creole)やスペイン語(Criollo)においては、「宗主国生まれ」に対する「植民地生まれ」を意味する形容詞で、人と物、両方に用いまする。人に用いる場合は、人種を問わず植民地で生まれた者はクレオールと呼び、フランス植民地においては、フランスに同化し、フランス市民権を取得した植民地出身者のこと。アメリカ合衆国ルイジアナ州の、フランス人、アフリカ人、スペイン人と先住民を先祖に持ち、ルイジアナ買収以前にルイジアナで生まれた人々とその子孫、また彼らと関わりのある事物のこと。また、クレオールはUSAのルイジアナ州ニューオリンズでは伝統料理を「クレオール料理」といわれています。

・メスティーソ (Mestizo)
メスティーソ とは、白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々のことで、原語のスペイン語では混血児全般を表す言葉ですが、特に白人とインディオの混血のことをさすことが多い。

参考HP:〜ブラジルの地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        08/7/20

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