Portugal

国連 1989 発行
切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.2
マデイラ諸島
 Arquipelago da Madeira, Portugal


大航海物語
  地図編

PORTUGAL-MADEIRA
マデイラ諸島のポルトラノ海図
大西洋→ ←イベリア半島

ジブラルタル海峡

アフリカ西岸



マデイラ諸島
マデイラ 1981/7/1 発行


マデイラ諸島
マデイラ島→
ポルト・サント島

マデイラ・ワイン ワインの牛車輸送

ワインの船輸送

マデイラ 1980 発行

KuK MILITA POST
サラエボ事件

1914 夫妻 暗殺3周年 記念 1917
ボスニア・ヘルツェゴビナ 1917/6/28 発行

・マデイラ諸島
 Arquipelago da Madeira
(Madeira Islands)、ポトガル領の諸島。
総面積:約828ku、人口245,806(2006)、 289,000人(2016)、首都フンシャル (Funchal)
マデイラ諸島は北大西洋上のポルトガル領の諸島で、リスボン西南約1,000キロにあって、
・住民が住む
 ・マデイラ島(Madeira Island、741ku)
 ・ポルト・サント島(Porto Santo Island、42.17ku)と
・無人島(保護区)の
 ・デゼルタス諸島(Desertas Islands、14.21ku)、ポルトガルの自然保護区
  ・チャオ島(Chao Islet)
  ・デゼルタ・グランデ島(Deserta Grande Island)
  ・ブギオ島(Bugio Island)
 ・セルヴァジェンス諸島(Selvagens Islands)、ポルトガルの自然保護区
  ・セルヴァジェン・グランデ島(Selvagem Grande Island)
  ・セルヴァジェン・ペケェナ島(Selvagem Pequena Island)、で構成され、
政治的主体としての名称はマデイラ自治地域(Regiao Autonoma da Madeira、英:Autonomous Regions of Portugal)となっています。
1番切手:1980/1/2ポルトガル切手に"MADEIRA"加刷で発行。

1418年にポルトガルのジョアン・ゴンサルベス・ザルコトリスタン・ティシェイラポルト・サント島に漂着し、翌年の1419年にポルトガルから植民が行われました。一時期サトウキビ栽培が黒人奴隷の移入で行われました。現在、ポルトガルの自治州となっており、無人島は鳥の保護区で、マデイラ島の照葉樹林は1999年世界自然遺産に登録されました。
火山群島で玄武岩からなる台地状の島々で、中心都市は首都でもあるマデイラ島のフンシャルで、およそ140,000人の住人がいます。15世紀以来、ブドウが栽培されてワインの生産が盛んで、マデイラ・ワインは特に有名で輸出もされており、漁業も盛んで、観光産業も発展しています。 島のブドウ

マデイラ 1981/7/1 発行
★マデイラ島はヨーロッパで700年間に渡り君臨したハプスブルグ家(House of Habsburg. 11世紀〜18世紀)系最後のオーストリア・ハンガリー帝国(Austro-Hungarian Empire, 1867-1918)皇帝カール1世(Karl I, Franz Joseph Ludwig Hubert Georg Otto Maria, 1887-1922)が第1次世界大戦(World War I、1914/7/28-1918/11/11)に敗れて退位後、マデイラ島へ流され、この島で亡命生活を送り、失意のうちに肺炎で亡くなったことで有名な島です。
フェルディナンド大公夫妻

1914 サラエボ事件3年記念 1917
※オーストリア・ハンガリー帝国政権下のボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia & Herzegovina)は、第1次世界大戦の原因ともなったサラエボ事件(Assassination of Archduke Franz Ferdinand, 1914/6/28)での、皇太子フランツ・フェルディナンド大公(Archduke Franz Ferdinand of Austria, 1863-1914/6/28)とソフィア公爵夫人(Sophie, Duchess of Hohenberg, 1868-1914/6/28)夫妻 暗殺3周年 を記念して、右の切手を発行しました。
※サラエボ事件は、サラエヴォ(Sarajevo、現ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国首都)を訪問中のオーストリア・ハンガリー帝国皇嗣のフェルディナンド大公夫妻がセルビア人民族主義者によって暗殺された事件。このサラエボ事件の後、オーストリア・ハンガリー帝国は報復としてセルビア王国(Kingdom of Serbia, 1882-1918)に宣戦布告し、第一次世界大戦が勃発しました。
1740/10/25、イギリスアンソン艦隊が寄航、
         新鮮な水と食料を補給
1740/11/03、アンソン艦隊が出帆
1831、英フィツロイ艦長ダーウィン博士がビーグル号で寄航
1838、アメリカのウィルクス艦長がヴィンセンス号で寄航。
島の自然
<世界遺産>
・マデイラ島の照葉樹林(ラウリシルヴァ)、自然遺産
 (Laurisilva of Madeira、1999)。

ポルト・サント島
 Porto Santo

ポルト・サント島はポルトガル領・マデイラ諸島の島。諸島の東北端にあり、マデイラ島からは北東へ50kmの所にあり、主な町はポルト・サント。人口は4,474人(2001)、面積は42.17 ku。主要産業は観光業。島の南岸は砂浜海岸となっており、島内の2つのゴルフ場も含めて、主な観光資源となっていて、島には飛行場もあり、船舶および航空機によるアクセスが可能。なお、ポルトサント島は、縦16キロ・横7キロの小島。ホテルが6軒、砂浜も数えるほどしかなく、観光客にもほとんど知られていないという秘境の島となっています。
ポルト・サント島

ポルトサンド島にはペレストレロ船長が1419年から入植をはじめ、定住して総督(正式には1446/11/1)となりました。ペレストレロ船長の娘フェリパ(Filipa Perestrelo e Moniz、1455生)は1479年にポルトサンド島でクリストファー・コロンブスと結婚しました。
1418年、ポルトガルのトリスタン・ティシェイラが漂着、
      ポルトガルのジョアン・ゴンサルベス・ザルコが漂着
1419年、ポルトガルのペレストレロ船長が入植
1446年、ペレストレロ船長が総督となる
1479年、コロンブス船長がペレストレロ船長の娘と結婚。

参考:〜
・マカロネシア(Macaronesia):〜大きく4つの列島が有。北から順に、
(ヨーロッパ)
 ・アゾレス諸島 (ポルトガル領)
(アフリカ)
 ・マデイラ諸島(ポルトガル領)
 ・カナリア諸島(スペイン領)
 ・ベルデ岬諸島(カーボベルデ共和国)
マカロネシアの島々はもともとは火山で、
地学的ホットスポットによって生み出されたと考えられています。

・参考地図HP:〜
 ・マデイラ諸島の地図
 ・マデイラ諸島の場所地図
 ・セルヴァジェンス諸島の場所地図     07/12/29、令和 R.2:2020/8/20








★ポルトガル
フンシャル
1421

マデイラ島に建設
大航海物語
参考資料★
PORTUGALーMADEIRA

マデイラ諸島首都フィンシャル500年記念

マデイラ 1981/7/1 発行
・フンシャル Funchal
 (ポルトガル語でFunchal)

フンシャルは大西洋のポルトガル領マデイラ諸島の首都で、マデイラ島にあり、人口100,847人(1991年)の街で、街並みは15世紀のポルトガル植民地時代の建造物が立ちならび、15世紀に建てられたカテドラルや女子修道院があり、観光が盛んで大勢の観光客が訪れている街です。

フンシャルは1421年にマデイラ島発見者のポルトガル人ジョアン・ゴンサルベス・ザルコ(Joao Goncalves Zarco)が建設。

マデイラ諸島(Arquipelago da Madeira)は北大西洋上のポルトガル領の諸島で、リスボン西南1,000キロにあって、
住民が住む
・マデイラ島
・ポルト・サント島(Porto Santo Island)と
無人の
・デゼルタス諸島(Desertas Islands, 14.2 ku)
   ・デゼルタス・グランデ島(Deserta Grande Island)
   ・ブギオ島(Bugio Island)
   ・イルハ・デ・チャオ島(Ilheu de Chao)
・セルヴァジェンス島(Deserta Grande Island)で、政治的主体としての名称は
 マデイラ自治地域(Regiao Autonoma da Madeira)となっています。

参考HP:〜
 ・マデイラ諸島 (黒い所がポルトサント島)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     08/7/7
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