切手で綴る 太平洋戦争 物語
第2部 <帝国の侵攻>
第6章 フィリッピン攻略

30 <占領地切手>
帝国軍、フィリピンの攻略完了
1942/5/6
暫定切手と正刷切手の占領地切手を発行
帝国占領地フィリッピン
暫定切手
フィリッピンの切手に加刷

バターン・コレヒドール陥落2周年記念

帝国占領地フィリッピン 1944/5/7 発行
フィリッピン ユービン
正刷切手


バターン・コレヒドール陥落1周年記念
帝国占領地フィリッピン 1943/5/7 発行

比島郵便
正刷切手(通常切手)

マヨン山と富士山

田植え

帆掛け舟

ニッパハウス
1943/4/1 発行 帝国占領地フィリッピン 1943〜44 発行

フィリッピンの切手に加刷して帝国占領地で暫定使用
バタ
|ン半島の地図




バターン・コレヒドール陥落2周年記念の初日カバー
帝国占領地フィリッピン 1944/5/7 発行

上の「マヨン山と富士山」を並べて描く切手は、1943/4/1に帝国占領下のフィリピンで発行された5センタボ切手です。

マヨン山はルソン島南部にある成層火山で、高さは2,462m。ほぼ完璧な円錐形をしていることから、「美しい」を意味する「マヨン」の名前が付けられました。なお、19世紀以来、フィリピンには多数の日系移民が渡っていますが、彼らはマヨン山のことを「ルソン富士」と呼んでその美しさをたたえていました。なお、富士山は約300年間も噴火していないのに、マヨン山はこの400年間に約50回も噴火しており、最近では、1993年の突然の大噴火による火砕流で大勢の犠牲者を出したほか、2013年の噴火では登山者5人が落命しました。このため、現地ではハザードマップも作成され、火砕流などの恐れのある場所は土地の利用規制が行われていますが、周辺は貧しい農民が多く、危険地帯として指定された場所でも耕作せざるを得ない現状になっています。

フィリピンのアメリカ軍が降伏し、帝国軍がフィリピンを支配するようになると、夜間外出禁止令、建築物の接収、フィリピン全国の新聞雑誌書籍の発行所と印刷所の接収・統合、映画館の統制、公共の場でのアメリカ国旗の掲揚と国歌の演奏の禁止、町・橋・川・公園の名前を日本風に改名、教育の基本原則の発令、カトリック教会の統制、軍票の流通など、帝国軍は、フィリピンに対する政策を次々と実行して、フィリピン社会はたちまち帝国軍の支配下に組み込まれていきました。ところが、ゲリラ運動と経済政策の失敗による飢餓が起こり、物資調達のための軍票乱発によるインフレーションは食糧不足を加速させ、食糧不足に伴ってフィリピン人の窮乏化と帝国からの離反も進みました。

また、帝国の移民と現地の人々の力関係は逆転することになりました。帝国の軍政は抗日ゲリラ討伐のために隣組制度(DANAS)を組織し、1942年末には既存の政治組織を解散させて新たに新生フィリピン奉仕団(KALIBAPI)が再編されました。

米領フィリピンでは“United States of America”の表示が入った切手が発行されていましたが、帝国が占領すると、まず、その表示を抹消した切手が暫定的に使用されました。次いで、1943/4/1以降、国名表示を「比島郵便」とし、現地の風景・風俗などを描くオリジナル・デザインの切手(正刷切手)が順次発行されました。これらの切手は、日本の内閣印刷局で製造され、現地まで輸送されました。

こちらで
ボルネオ上陸
フィリッピン攻略 をお楽しみください。

参考HP〜
フィリピンの地図
フィリピンの地図(日本語、GoogleMap)
フィリピンの地図(日本語、州別地図)

参考:〜
・帝国の戦艦 陸奥 (むつ)の装備:〜就役:1921/11/22(大正10年)
  (大日本帝国海軍の戦艦、長門型戦艦の2番艦)
  (八八艦隊計画二番艦で、昭和9年(1934/9/5〜1936/9/30)大改装)
四万屯級戦艦 二次近代化改装後 戦艦 陸奥


戦艦陸奥
帝国占領地フィリッピン 1943 発行
建造所 横須賀海軍工廠
全 長 224.94m
全 幅 34.60m
吃 水 9.46m
排水量 基準:39,050t
最大速力 25.28kt
航続距離 8,650海里/16kt
乗 員 1,475人 (1942)
武 装 45口径41cm連装砲4基、50口径14cm単装砲18門、
40口径12.7cm連装高角砲4基、25mm連装機銃10基
搭載機 水偵3機、カタパルト1基
※1943/6/8に広島湾沖柱島泊地で主砲火薬庫から爆発を起こして沈没。
※乗員1,474人の内、助かったのは353人。

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。  15/8/8、15/12/12
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