切手で綴る 太平洋戦争 物語
第3部 アメリカの反攻
第10章 反攻前夜
53 <ウェーキ島空襲>
1942/2/24
アメリカの反撃


ドーントレス急降下爆撃機
帝国の航空機を地上に撃破


5 Oct 1943 Dauntless Dive-Bombers over Wake
パラオ 1993 発行

米軍艦載機の空襲で
帝国航空機を地上に撃破


Air Station Under Attack
帝国の敗戦後に
米海兵隊が上陸

Wake Island Recovered by US Forces
ガンビア 1992/8/3 発行

帝国軍がウェーキ島占領の2ヵ月後の、1942/2/24〜25、には、早くもアメリカ空母エンタープライズ号の艦載機がウェーキ島を反撃・空襲しました。

そして、2/26には大型機がウェーキ島を空襲。1943/10/5には米国機動艦隊から発艦したグラマン・ドーントレス急降下爆撃機が、地上の基地航空隊を破壊しました。

その後、米軍の攻撃で補給物資が到着できず、米軍の攻撃はあるものの上陸はなく、1945/8/15に帝国が降伏・敗戦を迎えました。ウェーク島守備部隊は翌16日夜に終戦を確認し、9/4に残存していたウェーク島守備部隊はアメリカ海兵隊に降伏。飢餓状態の守備部隊は米軍から食糧をもらって体力の回復に努め、米軍施設建設などに協力した後、10/5に復員第一陣700人が病院船 橘丸(東海汽船、1,772トン)で復員。次いで11月に第二陣が復員し、11/17までに陸軍部隊1,093人、海軍部隊897人が復員しました。

1944/4〜5月の時点では陸海軍部隊合わせて約4,000人弱のウェーク島守備部隊は、終戦までに栄養失調による戦病死者1,040人(陸軍834人、海軍506人)、戦死者291人(陸軍87人、海軍204人)を出しましたが、玉砕は無く、約半数(1,990人)が生きて故国へ帰還できました。

守備部隊最高司令官 酒井原繁松大佐(1894-1947/6/19)は、戦犯容疑で関係者17人と共にウェーク島に残され、1943/10月の捕虜虐殺の罪によりグアムで戦犯裁判を受け死刑判決が下され、1947/6月に刑が執行されました。

参考HP〜
ウェーキ島の地図
ウェーキ島の場所地図

こちらで
・帝国のウェーキ島占領
をお楽しみください。

航空母艦エンタープライズ号の装備:〜就役:1938/5/12
 (USS Enterprise, aircraft carrier CV-6)
  アメリカ海軍の正規航空母艦)、退役:1947/2/17
3万屯級空母 ヨークタウン級空母の2番艦 米:空母エンタープライズ号

ガイアナ 1993 発行
建造所 バージニア州ニューポート・ニュズ造船所
全 長 252m
全 幅 34.7m
吃 水 満載8.5m
飛行甲板 244.4mx26.2m
排水量 基準24,128t満32,060t
速 力 33.65kt
航続距離 19,260km/15kt
乗 員 2,217人(艦船1,366人、航空851人)
武 装 5インチ 単装砲8、ボフォース40mm機関砲(連装5、4連装11)
エリコン20mm連装機関砲16基
搭載機 常用84機、補用37機、ダグラスTBDなど
エレベーター3基、カタパルト2基(1943)
※太平洋戦争で米海軍の旗艦として重要な役割を果たし、終戦まで無事に生き残った3隻の航空母艦の内の一隻(他の2隻はサラトガ号とレンジャー号)。

ダグラス TBD デヴァステイター艦上雷撃機の装備:〜初飛行:1936年
  (Douglas TBD Devastator、アメリカ海軍の艦上雷撃機)、就役:1937年
愛 称 TBDデヴァステイター(破壊者) 米:ダグラス・デヴァステイター

セントヴィンセントグレナディーン 1995 発行  
機体略号 Douglas TBD
全 長 10.67m
全 幅 15.24m
全 高 4.6m
自 重 最大離陸重量:4,623 kg
最高速度 時速331km
航続距離 700km(Mk.VIII魚雷搭載時)
乗 員 3人
製造者 ダグラス社
生産数 130機
引 退 1944年
武 装 7.62mm機銃×2、453kg爆弾
雷 装 Mk.VIII魚雷(544kg)
※アメリカ初の艦載単葉金属機で、開戦時には速度が遅く、すでに時代遅れなるも、ミッドウェー海戦では帝国機動部隊の直援任務の零戦に迎撃されて大半が魚雷を投下する前に撃墜された上、魚雷投下に成功した機体も追撃を受けて4機を除き未帰還となり、装備部隊は完膚なきまでの損害を蒙るも、それが囮となり、後続のドーントレス爆撃隊の活躍につながり海戦は勝利となる。も珊瑚海々戦では帝国の空母祥鳳を撃沈。








54 <上陸作戦>
アメリカの反撃
本 格 反 攻 作 戦
太平洋の島々への米軍の上陸・占領作戦


機動部隊の航空母艦から艦載機で空襲

上 陸 支 援

機動部隊の護衛艦隊が上陸支援の艦砲射撃
艦 砲 射 撃 上 陸 支 援

上陸支援母艦から各種上陸用舟艇を発進

|チへ
海上突入

ビーチへ突進・上陸

 陸

 陸

ビーチに上陸・島内へ突撃
突 


上陸・白兵戦から掃討戦へ
白兵戦 掃討戦

全てを破壊・焼き尽くし、占領
火炎放射 米国旗掲揚
掃討戦での火炎放射攻撃 占 領

昭和18年8月7日ソロモン諸島のガダルカナル島に米軍が初めて上陸してから、ガ島決戦が行われて、帝国の奮戦にもかかわらず、ガ島の奪還はなりませんでした。翌年2/1〜2/7、帝国軍のガ島撤退から、米軍はカエル飛び作戦で太平洋の島々を占領してゆきました。その戦法は、まず、機動部隊と呼ばれた航空母艦を中心とする軍艦の集団から、攻撃機を発艦。孤島を徹底的に空襲、爆弾の雨を降らせました。次いで航空母艦を護衛している、戦艦、巡洋艦、駆逐艦などの軍艦から、島の形が変るほどの艦砲射撃をおこないます。そして島からの砲声が沈黙すると、海兵隊を満載した上陸用舟艇や水陸両用戦車など々数百隻を連ねて砂浜へと突進。帝国の生き残りの守備隊が頑強に抵抗してくると、戦車を楯に攻撃しながら上陸しました。上陸すると戦車砲や揚陸した大砲、火炎放射器などで攻撃しながら掃討戦へと進撃し、中には白兵戦も戦いながら、孤島を完全占領しました。ほとんどの帝国軍孤島守備隊は降伏することなく、全滅・玉砕してゆきました。守る帝国軍守備隊は、2〜3千人位(硫黄島のように2万人強の所も有,、生き残って6万人に向って突撃したのは数十人の所も有)に対し、攻める米軍(連合軍)は2万人〜6万人以上だったと記録されています。開戦初期の帝国軍は占領した島に守備隊を配置したので兵力が分散されました。帝国の制空権、制海権が失われると補給も出来なくなって、文字通りの孤島となりました。それに、ひきかえ米軍は十分な補給と支援での数万の兵力で攻撃。占領した島には少数の兵力を残し、それも攻撃用の航空兵力が主だったのです。もはや、攻めて来る敵はいなくなりますからね。

こちらで
・第11章ガダルカナル
をお楽しみください。

戦車揚陸艦(LST)の装備:〜就役:1942/12月
  (Landing Ship, Tank、アメリカ海軍の戦車揚陸艦)
  英ボクサー級LST(1型)の改良型LST(2型)が米国で”LST-1”として量産
略 号 USS LST-1 class (Mk.2) 米:機甲部隊がLSTで上陸

サモア 1995 発行



パラオ 1994 発行
建造所 ペンシルバニア州ピッツバーグ、ドラヴォ・コーポレーションなど
全 長 100m
全 幅 15.3m
吃 水 4.4m
排水量 基準1,625t、満載4,050t
速 力 最大11kt
航続距離 6,000浬(11,000km)
乗 員 約211人 他に兵約150人
生産数 1,052隻
武 装 40mm連装機関砲 2基、
40mm単装機関砲 4基
20mm単装機関砲12基
※車両甲板: 長さ87.8m×幅9.2m、搭載余面594uで、M24軽戦車24両、又はGMCトラック27両を搭載可。両脇は揚陸部隊居住区。上甲板:軽車両甲板が有、搭載余面470uで、GMCトラック14両、又はジープ44両を搭載可。
※1943年のソロモン諸島の戦いへの投入が最初

参考HP〜
太平洋のウェーキ島の場所地図(詳細地図付)
帝国の絶対国防圏の地図(連合軍の反撃日有)

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    2015/9/30、16/3/10

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