大航海物語
参考資料
★スペイン
 トルコ
レパントの海戦
1571/10/7
神聖同盟連合艦隊とオスマン・トルコ艦隊の海戦
海戦物語★

奴隷漕手のスペイン・ガレオン船とオスマン・トルコの軍船の戦闘
ESPANA

スペイン 1971 発行
MONACO

モナコ 1972 発行
IV CENTENARIO de LA BATALLA de LEPANTO
1571 レバントの海戦 400年記念 1971

ΕΛΛΑΣ
ギリシャの地図
コリント湾


コリント湾はペロポネソス半島の
北のイオニア海側パドレ−湾の東
ギリシャ 1977/12/15 発行
REPUBLIQUE FRNCE
マルタ騎士団の旗印

フランス 1956 発行

ESPANA
ドン・ファン・デ・アウストリア

スペイン 1971 発行
神聖同盟諸国(リガ・サンタ)の旗印

スペイン 1971 発行

神聖同盟とイスラムの海戦
(風の無いときは櫂(オール)で漕ぐ
十字の旗印
神聖同盟の軍船
月星の旗印
イスラムの軍船
マルタ騎士団 1971 発行
1571年の「レパントの海戦」までは櫂(オール)付の船だったといわれています

・レパント岬沖の海戦。
  Batalla de Lepanto

1571/10/7にギリシャ・コリント湾(ギリシャ本土とプロポネソス半島の間の細長い湾。西方のイオニア海に面しているパドレ−湾と奥の東側コリント湾に分かれている。)レパント(Lepanto)岬沖でオスマン・トルコと神聖同盟諸国(リガ・サンタ Liga Santa)連合艦隊との海戦。

オスマン・トルコ皇帝セリム2世(1524-1574)はオランダ独立戦争・スペインのイスラム教徒の反乱・フランス宗教戦争などのヨーロッパ情勢にかんがみ、西方への進出を企て、対イタリヤ戦争を決意し、キプロス島を占領しました。このため、東インド航路発見によって衰退へと向かっていたイタリア諸都市は、大いに脅威を感じて、ローマ教皇ピウス5世に訴えました。教皇はスペインとイタリア諸都市に呼びかけて、神聖同盟が結成されました。

神聖同盟諸国のヨーロッパ連合側はジェノヴァやイタリアの諸国家、マルタ騎士団も加わっていて、中心のスペイン・フェリペ2世は庶弟ドン・ファン・デ・アウストリア(1547-1578)を総司令官として、300隻で連合艦隊アルマダ(無敵艦隊)を編成、アリ・パシャ提督(1571没)に率いられた285隻のトルコ艦隊と戦わせました。セルバンテスも参加していた、この海戦は、激しい激戦のすえに神聖同盟の勝利となり、スペインの黄金時代を象徴する一戦となりました。また、この時の「奴隷の漕ぎ手」を主力船(ガレー船)とする大海戦の最後ともなりました。カラベル帆船の開発などで、逆風でも「奴隷漕手」のオールが不要となり、速度も速くなりました。

なお、奴隷漕手は船に鎖で繋がれていましたので、船が沈む時は船と運命を共にしたそうです。チャールトン・へストン主演の米映画「ベン・ハー」に、この船内の状況が詳細に描かれていますね。

参考HP:〜
  ・レパントの海戦の地図
  ・レパントの海戦の図(1:艦隊決戦図)
  ・レパントの海戦の図(2:艦隊配置図)
  ・レパントの海戦の図(3:艦隊対決図)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。      
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