★ロシア
ポポフ提督
1874
円形砲艦を開発・建造

大航海物語★
CCCP
ポポフ提督

ソ連 1989/12/28 発行

ロシア帝国の
軍 艦 旗→
白地に青色線



大 砲→
イカリ→

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BAHAMA
円形砲艦モデル・外輪船バンシー号 ”Banshee”
封鎖艦船 封鎖艦船
アメリカ南北戦争の封鎖作戦でバハマから出撃して活躍
バハマ 1999/3/9 発行

ボスニア湾

            バルト海、フィンランド湾、エストニア国、チュド湖
フィンランド
スウェ|デン

ラドガ湖
←サンクトペテルブルグ
クロンシュタット
ロシア
フィランド 1985/10/15 発行 (古地図の小型組合せシート)

アンドレイ・ポポフ海軍中将 (1821〜1898)
 Vice-Admiral Andrei Popov

1867〜1876年の間にバルチック艦隊(Baltic Fleet)でポポフ提督が艦隊司令官を務めました。マカロフ(Stepan Osipovich Makarov 1849-1904)が副官(flag captain)を務めました。

ポポフ提督は円形砲艦ノブゴロド号を設計して、1874年にサンクト・ペテルブルグで完成させました。
・ノブゴロド号(Novgorod)
種別:円形砲塔艦
分類:沿岸防御砲艦
所属:ロシア帝国海軍・黒海艦隊
建造所:サンクト・ペテルブルグで建造
起工:1872年、進水:1873年、完成:1874年、最終状態:1900年頃退役、解体
排水量:2,491ton
長さ:30.78m・幅:30.78m・吃水:4.11m
主機:円缶8基、ベアード社・水平複合往復動機関:6基6軸、後に4基4軸に改装
出力:石炭蒸気機関、3,360馬力
速力:6〜7not、改装後:2,000馬力、4not
石炭:160ton搭載
乗員:士官15人、下士官・兵136人
装甲:錬鉄:水線装甲帯229〜178mm、バーベット280〜229mm、甲板70mm
兵装:完成時:280mm20口径砲2門(連装1基)、86mm砲2門を搭載。

ロシアでは、ポポフ提督が考案したため「ポポフキ」とも呼ばれている円形砲艦は、港湾や河川の防御用に計画され、サンクト・ペテルブルグで建造したものを分解して輸送し、黒海に注ぐ南ブーフ川とインフール川の合流地点で、黒海から約80 kmの地点にあるムィコラーイウ市(Mykolaiv)の新しい造船所ニコライエフ(Nikolaev)で組み立てられました。6軸にそれぞれ蒸気機関を備えるという非常に変わった配置でしたが、後に外舷側の2軸は撤去・改装されました。船体は約70cm厚の木材で覆われ、さらに銅板で被覆されていました。

なお、2番艦”ヴァイス・アドミラル・ポポフ号”(Vice-Admiral Popov、3,550t、完成:1877)も建造されており、その他に、ポポフ提督は軍艦以外にも、ロマノフ朝第12代ロシア皇帝アレクサンドル2世(Aleksandr II Nikolaevich Romanov, 1818-在位:1855-1881)の要望により、皇帝用の「浮かぶダンスホール」と呼ばれる豪華ヨット”リヴァディア号”(Russian Emperor's Yacht Livadia、1880頃、4,420t、長さ:71.63m、幅:46.63m、吃水:5.49m、ボイラー:8基、往復動機関:3基、速力:16nt)も建造しました。

・参考HP:〜
  ポポフ中将の偉業

・参考地図HP:〜
  サンクト・ペテルブルグとクロンシュタット湾の地図
  ムィコラーイウ市の場所地図              09/8/18

参考:〜
・南北戦争での封鎖突破船・円形砲艦モデル外輪船”バンシー号
アメリカの南北戦争(1861-1865)で北軍が南部連邦の海上封鎖を実施したので、南部諸州は軍需、民需を問わず物資の欠乏に悩んで、南部海軍はイギリスのリバプールに代表部を置き、銃・砲・弾薬・軍装品等の買い付けや封鎖突破船の建造や購入を行って、イギリスの投資家もこの事業に目をつけ、封鎖突破船・外輪式円形砲艦”バンシー号”などを建造した。その目的に沿って建造された船は機関の出力が大きく、視認されにくいように帆柱や煙突は低く、空気抵抗を減らすために後傾して作られていた。それらの貨物は当時イギリス領であったバハマ諸島のニュー・プロビデンス(現ナッソー、Nassau)やバミューダ諸島まで合法的に、したがって北軍
円形砲艦モデル・外輪船バンシー号
に妨げられることなく運ばれた。封鎖突破船は暗夜を選んでこれらの港を出航し、北軍の封鎖艦隊の隙をついて南部連邦の港に入港した。港に近づく前に見つかって追跡を受けた場合、砲台で守られた海岸に乗り上げることができれば、船を失っても積み荷の代価で十分な利益になった。復路も十分快速な船であれば、綿花を積み込み同様に好条件を待ち、北軍の追跡船を振り切ってナッソーへ入港できたが、この帰りの航海の利益は往路の利益とは比べものにならないほど少なかった。出港の際には黒煙で封鎖艦隊の注意を引かぬようにコークスを焚くことも行われた。北部海軍に拿捕される船も少なくなく、これらもナッソーに回航・係留されて競売にかけられた。封鎖突破船は北軍に拿捕されても、イギリス人乗組員は拘束されずに解放された。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        09/10/20追記
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