切手で綴る世界遺産(ギリシャ)
アトス山
13世紀
1988
修道院創建
世界遺産登録

E∧∧АΣ
シモノペトラ修道院の南側

ギリシャ 1942 発行
E∧∧АΣ
山の中腹に建つシモノペトラ修道院


下は海面まで330mの崖
ギリシャ 1963 発行

E∧∧АΣ
アトス山の修道院群
963 アトス山1000年記念 1963
ギリシャ 1963 発行

アトス山
  Mount Athos

  住所:ギリシャ北東部のエーゲ海に突き出たアトス半島先端の標高2,033mの山
      ギリシャ共和国中央マケドニア地方ハルキディキ県アトス山
      (Mount Athos, Chalkidiki, Central Macedonia, Greece)
  世界遺産:ユネスコの文化遺産(1988)
  (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural)
  正式名称:日:アトス山のシモノペトラ修道院
         英:Mount Athos
         仏:Mont Athos
アトス山の周辺は正教会の聖地となっており、「聖山」(Holy Mountain)の名でも呼ばれています。アトス山周辺には現在20もの修道院が所在し、東方正教の一大中心地です。「アトス山」の名は、聖地となっている半島の全域や、修道士たちの共同体についても用いられることが有。ギリシャ共和国の領内ではあるも「聖山の修道院による自治国家」として大幅な自治が認められて、「独立宗教国」ともいえる存在となっています。1988年にユネスコによって世界遺産に認定されました。

シモノペトラ修道院
 (Holy Monastery of Simonopetra)
シモノペトラ修道院の場所は、ギリシャ・アトス山の修道院共同体に有って、ギリシャ正教会の修道院シモノペトラ修道院としても知られています。シモノペトラ修道院はアトス山修道院の階級で第13位の等級が付けられています。

修道院はアトス半島の南岸、ダフニのアトス山港とオシウ・グリゴリウ修道院の間に有。アトス山の南岸は概してごつごつとした、かなり岩だらけの土地で、シモノペトラ修道院が有る場所自体も非常に険しい所で、修道院は単独の巨大な岩の上に建てられており、その下を海まで実に330mの崖になっています。
シモノペトラ修道院

・シモノペトラ修道院小史は、
0963、聖アサナシオスがアトス山にメギスティス・ラヴラ修道院を創立
13世紀、アトス山近くの洞窟で隠遁していたアトスの聖サイモン(Simon the Athonite)が
     女神(生神女(神を生みし女)Theotokos)のご託宣
     「岩壁の頂上に修道院を作りなさい」という夢を見て、創設したと言われる
1364、セルビアの専制君主ヨヴァン・ウグィジェサが、修道院の改装と拡張へ資金を提供
1581、大半のシモノペトラ修道院・修道士が犠牲となった大火事で焼け消失
1626、火事で建物が焼け消失
1891、大きな火災が発生して、その後に現在ある姿へと再建。
それから数世紀中、
修道院の修道士は、伝統的にアナトリア半島にあるイオニア出身の人々でしたが、20世紀中盤に新しい修道士の流入が減少したために、層が薄くなっていました。現在活発に活動する修道士達は、1973年にアトス山共同体が、ほとんど見捨てられた状態であったシモノペトラ修道院に再び人を居住させようとの決定がなされたので、メテオラにある大メテオロン修道院からきた人々が始まりです。

シモノペトラ修道院の建築物は幾つかある多層の建築物から成り、その中心となるものは創設者シモンにより建設された最初の建造物が有る場所で、その中心となる建造物は「半島において最も奇抜な建築物」として描かれています。シモノペトラ修道院僧は代々階層を上から下へ数える伝統があり、このため修道院の階層は最上階が1階で最下階が最終階なのです。修道院はその下に基礎を成す巨大な岩の頂点に建造され、下の方の階では岩が通り抜けています。シモンが建設した最初の建造物の拡張と造成は、過去に起きた修道院の大火災からほぼ常時続けられて、1580年の火災とエヴゲニオス大修道院長の集めた資金を継いで、西側の建物が建設されました。東側の建物は1891年の火災に続いてロシアからの資金援助をもとに建設されました。

<アトス山の修道院群>(The Monasteries)
(01)メギスティス・ラヴラ修道院
   (Great Lavra (Megisti Lavr)
   963年に創建、10世紀後半の三葉型の中央聖堂が有
   アトス山で最初に開かれた正教会の修道院
   修道院内に17の聖堂、
   修道院外に管理する19の聖堂が有
(02)聖パンテレイモン修道院 (St. Panteleimon Monastery)
    ※ロシア正教会、浅緑色の屋根、要塞のような外観
メギスティス・ラヴラ修道院
(03)ヴァトペディ修道院(Vatopedi Monastery)
(04)イヴィロン修道院(Iviron Monastery)
    ※グルジア正教会、「イヴィロンの生神女」のイコン有
(05)ヒランダル修道院(Chilandari Monastery (Hilandar)
    ※セルビア正教会、門前に船着場有
(06)ディオニシウ修道院(Dionysiou Monastery)
(07)クトゥルムシウ修道院(Koutloumousiou Monastery)
(08)パントクラトール修道院(Pantokrator Monastery)
(09)クシロポタムウ修道院(Xiropotamou Monastery)
(10)ゾクラフウ修道院(Zographou Monastery)、※ブルガリア正教会
(11)ドヒアリウ修道院(Dochiariou Monastery)
(12)カラカル修道院(Karakalou Monastery)
(13)フィロテウ修道院(Philotheou Monastery)
(14)シモノス・ペトラ修道院(Simonopetra Monastery)、崖の上に立地
(15)アギウ・パヴル修道院(St. Paul's Monastery, Agiou Pavlou)
(16)スタヴロニキタ修道院(Stavronikita Monastery)、崖の上に立地
(17)クセノフォンドス修道院(Xenophontos Monastery)、要塞のような外観
(18)オシウ・グリゴリウ修道院(Grigoriou Monastery、Osiou Grigoriou)
(19)エスフィグメヌ修道院(Esphigmenou Monastery)
(20)カスタモニトゥ修道院(Konstamonitou Monastery)、
   ※以外はギリシャ正教会。

<聖堂群>(スキテ(別院):The Sketes)
 ・プロドロムウ聖堂(Prodromou Skete)
 ・聖アン聖堂(St. Anne's Skete)
 ・小聖アン聖堂(Little St. Anne's Skete)
 ・カフソカリヴィア聖堂(Kafsokalyvia Skete)
 ・ヴァトペディ聖堂(Skete of Vatopedi)
 ・イヴィロン聖堂(Skete of Iviron)
 ・クトゥルムシウ聖堂(Skete of Koutloumousiou)
 ・パントクラトール聖堂(Skete of Pantokratoros)
 ・ネア聖堂(New Skete (Nea Skiti))
 ・ラコウ聖堂(Lacu Skete (Lakkoskete)
 ・クセノフォンドス聖堂(Skete of Xenophontos)
 ・聖バシル聖堂(St. Basil's Skete)
 ・プロヴァタ聖堂(Provata Skete)、 など。

アトスの聖アサナシオス
 (Athanasius the Athonite、920年頃-1000年頃)
聖アサナシオスは、東ローマ帝国(395-1453)の修道士で、トレビゾンドのアサナシオス(Athanasios of Trebizond)とも呼ばれ、黒海沿岸のトルコの都市トレビゾンド(Trabzon)にて生まれました。修道士となる前の名はアヴラアム(Abraham)。ミハイル・マリノス(Saint Michael Maleinos, 894-963)の庇護を受けつつコンスタンティノープルで学び名声を得て、ミハイルの甥で東ローマ帝国の皇帝ニケフォロス2世フォカス(Nikephoros II Phokas, 912-在位963-969)と共ともに大きな権威を得ました。しかしフォカスが帝位に就く頃には首都に住む堕落した修道士の様子に飽き足らなくなったアヴラアムは、名をアサナシオスと改め、ボスポラス海峡と黒海に接するビテュニアのキミナス山の修道士達の生活に加わりましたが、958年にはアトス山に住まいを移しました。そしてアトス山に修行共同体を建設、後にこれが正教会の修行の一大中心地に発展しました。
聖アサナシオス

ギリシャ 1963 発行
アサナシオスは隠者(Hermit)とスキテ(Skete:隠棲舎)をサラセン人(Saracen:イスラム教徒)から防衛することにも助力をし、既にあったスキテ群を、963年に大ラヴラ(Great Lavra)として知られることとなる、現在も存続している修道院(Monastery)に組織化しました。当地ではしばしば単に「ラヴラ」もしくは「修道院」と呼ばれていました。さらに他に3つの修道院が短期間に建設され、これらも現在この地に存続しています。修道院の建設にあたっては既にアトス山に住んでいた隠遁者達から少なからぬ反発がありました。彼らはアサナシオスによる介入に反発し、自分達の生活に規律を持ち込まれることに抵抗しました。

アサナシオスは、事故で崩落した聖堂のクーポル(Cupola:塔のドーム型屋根)の石造部分の下敷きになって亡くなりました。アサナシオスは正教会により聖人に列聖され、記憶日は7/5になりました。

参考HP:〜
アクティ(アトス)半島の場所地図(ハルキディキ半島と3岬(半島)の地図)
アクティ(アトス)半島の場所地図
アクティ(アトス)半島の場所地図(マケドニア地方の地図)

参考:〜ハルキディキ半島の3岬(半島)区分
・ハルキディキ半島(Chalkidiki Peninsula)西側の海:テルマイコス湾(Thermaic Gulf)
 ・カサンドラ半島(Kassandra(Pallene) Peninsula)
  ・トロネオス湾(Toroneos Gulf)
 ・シトニア半島(Sithonia Peninsula)
  ・シンギティコス湾(Siggitikos Gulf)
 ・アクティ(アトス)半島(Acte(Athos) Peninsula)
・ハルキディキ半島東側の海:スティモニコス湾(Strymonique Gulf)。

こちらで世界遺産の
アトス自治修道士共和国 (ギリシャ)
クレムリン(モスクワ)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
ヌビア遺跡保存 (エジプト)
奈良の法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       2017/9/17

スタンプ・メイツ
Copyright(C):Spice
無断転載禁止