Calico Jack
Lady Pirates of Caribbian

アン・ボニー
1719
カリブの女海賊となる
大航海物語
★カリブ海

BAHAMAS
女海賊アン・ボニー

バハマ 2003/3/18 発行

銃で狙う女海賊アン・ボニー

バハマ 1987/6/2 発行
Jamaica
女海賊メアリー・リードとアン・ボニー
裁判の告知
18世紀バッカニーア女海賊の2人
ジャマイカ 1971/5/10 発行

商船を襲うカリブ海の海賊船
カリブの海賊バッカニーア(Buccaneer)
商船 海賊船
MERCHANTMAN SURENDERING
TO PIRATE SCHOONER
ジャマイカ 1971/5/10 発行
ジャマイカ島の古地図
Treasure Island Map、1661


ジャマイカ 1976/3/12 発行

Turks & Caicos Islands
パイレーツ・オブ・カリビアン
海賊旗”
カリコジャック”を掲げる女海賊とその仲間
アン・ボニーメアリー・りード








ラッカム船長
ディズニーランド30年記念
”The Pirates of Caribian”
タークカイコス諸島 1985/10/4 発行

アン・ボニーは18世紀にカリブ海を荒らし回った海賊ジョン・ラッカムの手下の一人で、アイリッシュ・パイレーツ(Irish American pirate)でした。ほとんど謎に包まれた女海賊の英雄で、多くの伝説が語り伝えられています。
アン・ボニー (1695〜1721、26才没)
 Anne Bonney
 (1702/3/8〜1782/4/22、80才没:説有)
アン・ボニーはアイルランドのコーク郡(Cork)キンセール(Kinsale)で、裕福な弁護士と妾のメイドとの間にアン・コーマック(Anne Cormac)として産まれました。不義を犯した父親は妻と職を捨て、アンとその母とを連れてアメリカ・サウスカロライナ州チャールストン近郊にプランテーションを購入して移り住みました。そこで、アンの父はビジネスマン、農場主として成功しました。アンは、野生的で短気な少女となり、13才の時に食卓用ナイフで使用人の女の子の腹を刺す事件を起こしました。アンの母が死んだ後、父のために家政婦もつとめましたが、年頃になると農場の生活にいや気がさして、チャールストンに居た颯爽とした三流海賊ジェイムズ・ボニー(James Bonny)にひかれ、父の反対を押し切って駆け落ち(1716:16才説有)し、バハマのニュー・プロビデンス(New Providence、現:ナッソー)へと移住しました。

・海賊になる:
1719/5月頃にニュー・プロビデンスの居酒屋でアンは海賊ジョン・ラッカム船長と出会いました。特赦によって海賊を廃業していたラッカム船長が再び海賊稼業を再開すると決めた時、アンは夫のもとを去ってその手下になり、港でスループ帆船を盗んでクルーをまとめて海賊稼業に出帆しました。掟では女は乗船を認められなかったため、彼女は男装していました。だが、海賊仲間の間では女であることは広く知られていたため、女であることを隠す意図があったかどうかは疑問だといわれ、男装を好んでいたとも言われています。

一説ではラッカム船長との間に一子が産まれ、海賊行為を決意した時に地元民に預けたとも言われています。ラッカム船長が襲った船の乗組員で新たに海賊として加わった中に、美しい顔立ちの美少年が居ま
女海賊アン・ボニー

グレナダ 1970 発行
した。アンはその美少年が気に入り誘惑しようとするも、実はそれは男装して船に乗り込んでいたメアリー・リードでした。2人の関係を男女関係として問題視したラッカム船長に説明を求められましたが、ラッカム船長は女であったことを問題視せず、後に他の水夫にも事実を公開。そのまま共に海賊行為を続けることとなりました。以後アンとメアリーは乗組員中ただ2人の女海賊、それも男海賊すら一目置く2人組として交友を深めていきました。
アンは銃の名手だったとも伝えられています。
・逮捕される:
1720/8/20夜半、ラッカム船長は11人の手下と共にニュー・プロビデンスに停泊していたスループ帆船を強奪。この報せを受けたバハマ総督ウッズ・ロジャースはすぐに追討の武装帆船2隻を派遣。10月に入ってから、ジョナサン・バレット(Jonathan Barret)船長の武装スループ帆船がネグリル湾(Negril Bay、ジャマイカ東端)でラッカム船長のスループ帆船を捕捉、降伏勧告を拒絶し逃走の意思を見せた海賊に対して、バレット船長は乗船攻撃を敢行。怖気づいたラッカム船長たち男の乗組員が船倉に逃げ込んだにも関わらず、アンはメアリーと共に激しく抵抗しましたが、多勢に無勢で生け捕りになりました。
女海賊アン・ボニー

ギニアビサウ 2009 発行
・アンとメアリーの裁判 (1721/11/17)
 Ann Bonny and Mary Read's TRYALS

1720/11/28に、先に裁かれたラッカム船長ら男海賊とは別にアンとメアリーだけの裁判が行われ、死刑が宣告されました。2人は妊娠を主張したため、当時の中絶を忌避する慣習で、刑の執行は出産が済むまで延期されることとなりました。

結局、彼女たちの刑が執行された記録は無く、アンはその後消息不明とされています。84才没(1698-1782)説も有ります。
女海賊メアリー・リードとアン・ボニー
”TRYALS” 裁判の告知書
裁判が行われたのはジャマイカ島のサンティアゴ・デ・ラ・ベガ(Santiago de la Vega、現:スパニシュタウン Spanish Town)でした。また、一説によれば、アンは有力者であった父によって赦免を得て、名前を変えて生き長らえたのではないかとも言われています。彼女は海賊としての活動期間が短く(1719/5-1720/11)、またラッカム船長という地味で平凡な船長の手下に過ぎなかったにも関わらず、メアリーと共に今日まで名を残しているのは、女性が虐げられていた時代を男顔負けのたくましさで生き抜いたためでしょう。伝説の女海賊として名を残した彼女は、現代にいたるまで多くの芸術・娯楽作品に登場する「女海賊」のモデルとなりました。
なお、上のギニアビサウ発行の切手には(1700-1782)と表記されており、これでは82才没になりますよね(^^♪。

参考HP:〜
アイルランドのキンセールの場所地図
ナッソーの場所地図
カリブ海の地図

・こちらでジョン・ラッカム船長をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。  09/3/25、11/9/22、12/5/26、12/7/6、12/8/10

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