★イタリア アメリゴ・ヴェスプッチ
1499〜1504
南アメリカ北岸と東岸を探検航海
大航海物語★

ESPANIA
アメリゴ と 南アメリカ東端サンロケ岬"

アメリゴ・ヴェスプッチの航海 500年 記念
スペイン 1987/10/30 発行

アメリゴ・ヴェスプッチは1499年スペインの遠征隊に参加して南米北岸を探検航海し、1501年にはポルトガルの要請で南米東岸をブラジルから南下、そのほとんどを探検航海しました。その後、書簡集を公刊して新大陸説を主張。1507年ドイツのワルトぜー・ミュラーが新大陸を分離した世界地図を作成、新大陸をアメリカと呼びました
アメリゴ・ヴェスプッチ
 Amerigo Vespucci (1454/3/9〜1512/2/22)

アメリゴ・ベスプッチはイタリア・フィレンツェで生まれ、1491年37才でスペインのメディチ銀行セビーリャ支店に派遣されました。セビーリャで大航海について大いに刺激を受けたといわれています。

アメリゴ・ヴェスプッチの大航海;
1497年:アロンゾ・ド・オヘーダとインディアスへ大航海。
1499年:南米北岸からブラジルの東端サン・ロケ岬に到達。
1501年:南米大陸沿岸を南下して、ラプラタ河々口からパタゴニア付近までを大航海。
1503年:ブラジル沿岸からマゼラン海峡付近までを大航海。

アメリゴ・ヴェスプッチの功績;
1504年:小冊子「新大陸」を刊行、新大陸の存在を発表。
1508年:スペインに行き航海学校の指導。






★アメリゴ物語 アメリゴ・ヴェスプッチの大航海
1497、1499、1501、1503
大航海物語
イタリア ★

MAGYARORSZAG
アメリゴ・ヴェスプッチの
南アメリカ沿岸探検航海

コロンブスのアメリカ発見500年記念
ハンガリー 1992 発行
MOCAMBIQUE
アメリゴ・ヴェスプッチの全4回の航海地図

1497年の航海、1499年の航海
1501年の航海、1503年の航海

アメリゴ・ヴェスプッチ 航海500年 記念
モザンビーク 2002 発行 (200%)

従来は1497〜1504年に4回の航海をなしたといわれていましたが、事実は
1499〜1500年、
1501〜1502年、南緯52度に到達
1503〜1504年
の3回が本当ではないかとされています。

第1回航海は1499年スペイン・アロンソ・ド・オヘダの遠征隊に参加して、インディアスへ向かい、現在のベネズエラ海岸沿い(ベネズエラ湾)を探検航海しました。この時ヨーロッパ人として始めてブラジル(東端のサン・ロケ岬)に達しました。

第2回と第3回はポルトガル国王マヌエル1世の要請でインドへの航路発見を目的に出帆し、ブラジル沿岸からマゼラン海峡近くまでの南米大陸沿岸のほとんどを南下探検しました。彼はこのとき目撃した土地がアジアではなく、新しい大陸であると確信しました。その後、小冊子「新大陸」(1504)、「A・ヴェスプッチの書簡」(1505)を刊行し、新大陸説を唱えました。これらの小冊子は各国語に翻訳され多数の読者を獲得しました。読者の一人、ドイツの地理学者マーティン・ワルトぜーミュラーはヴェスプッチの新大陸説を支持し、1507年に作成した地図で、この大陸を分離して描くと共に、新大陸をアメリゴの名にちなんで「アメリカ」と命名・表記しました。







★アメリゴ物語 新大陸”アメリカ”の発見
1501年
マーティン・ワルトぜーミュラーの古地図
大航海物語
イタリア ★

RIPUBLIQUE FRANCAISE         ITLIANA
アメリカ→
    Catalin Ilinca
1507 AMERICA フランス 1992 発行
←アメリカ
 背景の南米東岸の地図にAMERICAと表示
イタリア 昭和29年 1954/12/31 発行

REPUBLICA ARGENTINA
その後に描かれた南米全図、ホンデュウス・メルカトル世界図、1610年、南アメリカの拡大図
←アマゾン河





←ラプラタ河


←パタゴニア
アルぜンティン 1988 発行

1501年の航海は、5月10日に3隻の艦隊でポルトガルのリスボンを出帆しました。悪天候に悩まされながら8月17日に新大陸へ到達しました。サント・アウグスティノ岬までは住民に出会いましたが、その後は星座をたよりに南下し、岬から150レグア(4200キロ)踏査しました。その後は、厳しい寒さと暴風雨に遭ったため、”南緯52度”で転舵して帰路につきました。1502年5月10日シエラ・レオーネに着き、アゾレス諸島を経て9月7日リスボンに帰港しました。1503年にメディチ宛に書かれた手紙には「そこは”新世界”と呼ぶにふさわしい」と書かれているといわれ、アメリゴの世界観を変えるほどこの航海は大規模なものだったと推定されています。

1503年の航海は、5月10日に6隻の艦隊で、西回りの航海で”マラッカ”に到達するためリスボンを出帆しました。司令官の指示で、ある島の港を探すように命じられたアメリゴは、一隻で半分以下の人員で港を見つけ、艦隊の到着を待っていましたが、艦隊が前進を続けましたので置き去りになりました。はぐれた時の待ち合わせ場所にされていた”バイア”で2ヵ月以上待った後、サン・ヴィセンテまで南下し約5ヵ月滞在した後に、そこに砦を築き24人を残し、「ブラジルの木」を積み込み、1504年6月18日にリスボンに帰港しました。 この時に残された内の一人が”トマス・モア”作の「ユートピア」のモデルになったといわれています。







★アメリゴ物語 噛みタバコ
1499年
大航海物語
イタリア ★

TURKIYE
タバコ
タバコの葉
トルコ 1965 発行
ところで,アメリカにおける”噛みタバコ”についてヨーロッパに最初に紹介・報告したのはヴェスプッチで,1499年にベネズエラ沖のマルガリータ島で、先住民たちが乾いたヒョウタンに別々に入れた”薬草”と”白い粉”を口の中で混ぜ合わせて噛んでいるのを見ました。このの習慣は火災の危険がないことから,間もなくヨーロッパ人の船乗りの間に広がったといわれています。

1508年にベスプッチはスペイン国王より、主席水先案内官に任命され、彼の指導の下にセヴィーリャ(Seville)の通商院付属「航海学校」「水路学研究所」が著しい発展を遂げました。しかし彼の記録にはあいまいな点が多く「ラス・カサス」以来多くの論議を引き起こしたと伝えられています。

アメリゴ・ベスプッチは1512年スペインのセヴィーリャでマラリア(malaria)にかかって亡くなりました。享年58才でした。

・参考HP:〜1501年の航海地図
       プトレマイオスの世界図
       ワルトゼー・ミューラーの世界図     2007/3/15
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