大航海物語 大航海時代 と 新世界の産物
タバコ
Tobaco


資料

SIERA LEONE
現地人、タバコ、トーレス
タバコ葉の束 ト|レス
Luis de Torres 1453-1522
ルイス・ド・トーレス
シェラレオーネ 1992 発行
Jamaica
タバコを吸う人

ジャマイカ 1992 発行
コロンブスの新大陸発見 500年 記念

TURKYIE
タバコ
トルコ 1965 発行
世界禁煙デーWHO
イアタリアの禁煙切手

I.P.Z.S.ROMA 1982
イタリア 1982 発行
メキシコの禁煙切手

メキシコ 1980/4/7 発行

ニコチン(Nicotine)の名の語源になったフランスのポルトガル大使だったジャン・ニコは、1559年にタバコをパリのフランス王室(国王アンリ2世)に献上して、フランスでタバコが流行するもとになりました ジャン・ニコ

タバコ400年記念
フランス 1961/3/25 発行

ザンビア共和国で栽培されているタバコ畑

ザンビア 1975 発行
南ローデシアに移植されたタバコ

南ローデシア 1964 発行


SAHARA OCC. R.A.S.D.
タバコの花
新大陸アメリカ発見 500年記念
サハラ・アラブ民主共和国 (西サハラ) 1991 発行

タバコ:〜:新大陸アメリカ原産で、マヤ遺跡では1500年前の壁画に描かれている
 和名:タバコ(煙草)
 英名:cigarette(Tobacco)
 仏語:cigarette
 スペイン語:cigarrillo
 学名:Nicotiana L.
 分類:植物界(Plantae)被子植物門(Magnoliophyta)双子葉植物綱(Magnoliopsida)
    ナス目(Solanales)ナス科(Solanaceae)タバコ属(Nicotiana)種(N. acuminata 他)
タバコはナス科タバコ属の亜熱帯性の一年草で、タバコ属には約50の種が含まれ、大規模に栽培されるものは2種(N. tabacum と N. rustica)だけだが、強健性、葉の産出力、病気に対する抵抗性、加工した場合の香りなどの違いにより約100の品種に分かれる。それらの品種を大別すると、火力乾燥を行い葉が黄色い状態で乾固させる黄色種、褐色になるまで空気乾燥を行うバーレー種、葉巻種およびオリエント種が主なものであり、その他、地域の喫煙文化と歴史的なかかわりを持つ地域固有品種も数多く、日本国内でこれらは在来種と呼ばれ、キューバのハバナタバコや、アメリカのホワイトバーレーといった品種が代表的である。

原材料と煙の成分:〜
タバコの種子は25℃の気温、適切な湿度と太陽光によって発芽する。生育条件が適切である場合、種によって異なるが茎の高さ50cmから250cmまで成長する。茎は太く最大5cmに達する。葉は30枚から40枚が着生し、このうち、葉タバコとして採取するのは約6割である。葉の長さは20cmから60cm、幅は30cm程度で、特有の臭気を帯びる。タバコの花は茎の先端部分に群生し、形状は漏斗ににており、色は白や黄色のものが多い。

タバコの生産は、FAOの統計によれば、首位の中国が239万トンで世界の約38%を占める。2位はブラジルで65万トン (10%)、3位はインドで58万トン (9%)、4位にアメリカ、5位にジンバブエと続く。タバコの生産量は世界的に減少しており、2002年の生産量は全世界で635万トンと、10年前に比べて約100万トン減少している。

・アメリカ大陸から全世界への伝播:〜
パイプや葉巻きタバコによるタバコの喫煙は、ヨーロッパの探検家が到達する前から、多くのアメリカ先住民の間では一般的なものであった。およそ1500年前のマヤ文明における美術作品にも喫煙の習慣が描かれている。マヤ人たちはタバコを万能の解毒剤として用い、また、その効用が魔法的な力を持つと信じ、生贄を捧げる儀式、占い、魔除けに使っていたことでも知られる。1492/10/12にクリストファー・コロンブスは乾燥したタバコの葉をアラワク族から与えられたが、興味を示さずうち捨ててしまった。その後、ロドリゴ・ド・ヘレス (Rodrigo de Jerez) とルイス・ド・トーレス (Luis de Torres) が喫煙を目撃した最初のヨーロッパ人となり、ヘレスがアメリカ州の外で喫煙した最初の人物として記録されている。16世紀には喫煙の習慣は主に船乗りの間で一般的なものであった。1560年代にジョン・ホーキンスの船員によってイングランドにもたらされたが、1580年代に至るまで大きな影響を与えることはなかった。イングランドでは1820年代後期から広く浸透し始めた。1828年、スペインで紙巻きタバコ(シガレット)が登場し、一定の商業的な拡張をもたらしたが、20世紀初頭に安価な機械製造法が普遍化されると、その依存性により爆発的に喫煙人口が増加した。第一次世界大戦の間、タバコ製品は典型的な軍事補給物資の一つであった。戦後紙巻きタバコを用いた喫煙は、魅力的で気楽な生活様式の一部としてタバコ会社により宣伝され、女性の喫煙も社会の中に浸透し始めた。

・日本における歴史:〜
日本では明治時代になってから、それまでのキセルによる喫煙に代わり紙巻タバコが庶民の間に普及した。当初日本には2社のタバコ会社が存在していたが、日清戦争開始後に財政難に陥った国により、葉たばこ専売法が1898年に制定され、タバコは専売化された。当時、タバコによる税収は国税において大きな割合を占めており(1945年には、タバコによる税収は国税の20%をも占めていた)、日清・日露戦争などの戦費調達のための重要な財源であった。

第2次大戦後も、1985年まで日本専売公社によるたばこの専売が続いた。1980年時点では、輸入たばこには90%の関税がかけられ、国内市場における輸入たばこのシェアは1.5%未満に過ぎず、海外たばこ企業が日本国内でテレビ・雑誌・看板などの宣伝活動や市場調査を行ったり販売網を築くことはできなかった。しかし、1980年の米国、フィリップ・モリス社の5ヵ年計画において、日本に対し市場を開放するよう圧力をかけることが計画され、1982年に米国通商代表部(USTR)は日本政府に対し、関税の90%から20%への引き下げ、海外企業の宣伝活動や市場調査の許可を求め交渉した(経済制裁の脅しも持ち出された)。

1985年に日本専売公社は日本たばこ産業に民営化され、1987年には米国タバコへの関税は撤廃された。結果として、米国からのたばこ輸入本数は1986年に99億本、2002年には780億本へと増加し、米国のたばこ輸出の61%を占めるまでになった。また、日本たばこ産業は民営化されたとは言え、日本たばこ産業株式会社法により財務省が過半数の株を保有しており、財務省の天下り先の一つになっている。

日本でも、受動喫煙被害防止の流れを受けて、健康増進法第25条が制定され、さらに世界的には公衆衛生分野における初めての多数国間条約として2005/2/27に「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(たばこ規制枠組み条約)」が発効された。それ以前には防災上のものによる以外では余り明確な分煙・禁煙といった動きも少なかった。特にオフィスの禁煙は、健康上の理由というよりもOA化による機材保護の理由付けの方が強く、職場環境での分煙が始められたのは1990年代に入ってからのことで、一般オフィスで明確な分煙化が進められるようになったのは2000年代に入ってからである(嫌煙権、 喫煙規制や禁煙に関する動き参照)。

・健康被害とタバコ規制:〜
早くもスペイン・イングランドにタバコの広まり始めた16世紀初頭に、タバコの有害性に関する議論が始まった。喫煙は病気の治療や愉しみとして賞賛される一方、脳や肺を害すると批判もされた。喫煙の害益についての議論は喫煙習慣が広まるにつれ過熱する中、タバコに関する科学研究も増えてさまざまなデータが蓄積されていった。1900年、生命統計学者らが肺癌の増加を指摘(喫煙と疾患の関連を示唆した最初とされる)。その後さまざまな研究が行われ、たばこやたばこ煙の成分が分析され始めた。やがて臨床的・病理学的・疫学的に、タバコの人体への影響が明らかにされていき、1930年には肺や循環器疾患の発症率や死亡率の上昇が指摘された。その後もさまざまな国・研究機関でタバコの研究は増えていき、ドイツではナチス統治下で、またアメリカ合衆国では1938年ごろ生物学者レイモンド・パール (Raymond Pearl) が、タバコは健康に悪影響を及ぼすことを証明するなどした。

タバコ煙の成分:〜
タバコの煙に含まれる化学物質は4,000種ほどで、そのうち約200種は致死性有害化学物質とされ、動物に癌を作るものはベンゾピレン(ベンツピレン)をはじめとする60種類(数値は2003年現在)。天然のタバコ葉由来の成分の他、紙巻タバコ工場では600種類の有害化学物質を添加しているとされるが、その主目的はニコチンの吸収を高める目的であり、より依存性を高めることである(但しクマリンは甘味づけのため)。また、悪臭の原因ともなっている。

・主なタバコ煙の成分:〜
アンモニア エンドトキシン 活性酸素 一酸化炭素、二酸化炭素、窒素酸化物 タール、ニコチン 鉛 砒素(ヒ素) アセトアルデヒド フェノール類

・主な発癌物質::〜
アクロレイン カドミウム化合物 クマリン シアン化水素 ダイオキシン ビニールクロライド ベンゾピレン ホルムアルデヒド ジメチルニトロソアミン、メチルエチルニトロソアミン、ジエチルニトロソアミン、N-ニトロソノルニコチン、ニトロソピロリジン 4-(N-メチル-N-ニトロソアミン)-1-(3-ピリジル)-1-ブタノン キノリン、メチルキノリン類 ヒドラジン、2-ナフチルアミン、4-アミノビフェニル、o-トルイジン ポロニウム310。

参考:〜
ジャン・ニコ(1530〜1600/5/4)
 Jean Nicot

ニコは南仏のニーム(Nimes)で生まれしました。
ニコはフランス国王アンリ2世の命で、1559年にリスボンに赴任して、フランス王アンリ2世の6才の王女マルグリット・ド・ヴァロワ(Marguerite de Valois, 1553-1615、王妃マルゴ(La Reine Margot)と呼ばれてアレクサンドル・デュマ・ペールの歴史小説「王妃マルゴ」のヒロイン)と、5才のナバラ王アンリ(後のフランス王アンリ4世、Henri IV de France、1553-1610)の結婚を取り持ち、
その結婚式の後、1561年までポルトガルのリスボンにフランス大使として駐在。1559年に薬用として説明して、フランス王室に嗅ぎタバコ(Snuff)を献上し、アンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Medicis、1519-1589)がタバコ愛好家になり、タバコが急速に宮廷内に広まりました。ニコは帰国の時にタバコの苗木を持ち帰り、タバコの栽培をマルタ騎士教会の神父が取り入れ、さらにその修道士(monks)に分け与えられて栽培され、成功を収めました。また、ニコはフランス語辞典”Thresor de la langue francoyse”を編集して、1606年に出版しました。タバコはニコチアナ(Nicotiana)と呼ばれていましたが、ニコチン(nicotine)となり、現在ではタバコ(tobacco)となりました。

こちらで、
トウガラシ
コーヒー
カンタブリア州(スペイン)
ラスコー洞窟の岩絵 (フランス世界遺産)
クレムリン(モスクワ世界遺産)
ペトラ遺跡 (ヨルダン世界遺産)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本世界遺産)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。  2008/2/28、09/6/16追記、18/4/12
スタンプ・メイツ
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