★アメリカ ポカホンタス
1608
スミス船長を救出
大航海物語★

 UNITED STATES of AMERICA
ポカホンタス

Pocahontas
1607 ジェームス・タウン入植300年記念 1907

USA 1907(明治40年)発行 (200%)
 NIUE
ポカホンタスがスミス船長を救う

ポカホンタスがジョン・ロルフと結婚
ポカホンタス



ロルフ
ポカホンタスがイギリスへ渡英
スリーマスター帆船(3本マスト船)
1607 ジェームス・タウン入植400年記念 2007
ニウエ 2007 発行
GUYANA
ラトクリフの悪巧み







スミス船長
ポ|ハタン大酋長
ポカホンタス ココウムとの縁談
母の首飾り 見知らぬ大船が停泊



  母からの贈り物 祖母の精霊に自分の行く道を教わる 怪しい大船を見つける
ディズニー・アニメ(映画)の一場面
ガイアナ 1995/6/23 発行

ポカホンタスは1608年ジョン・スミス船長の命を助けました。1613年にはイギリス人とインディアンの友好のためイギリス人ジョン・ロルフと結婚し、1616年イギリスを友好訪問して大歓待を受け、翌年、天然痘にかかって故郷の新大陸ヴァージニアへ帰らぬまま亡くなりました。
ポカホンタス (1595頃〜1617)
 Pocahontas

ポカホンタスはニック・ネームで本名はマトアカです。インディアン語で”いたずらっこ”のことで、マトアカは子供の頃からこのニック・ネーム”ポカホンタス”と呼ばれていました。ポカホンタスの父”ポーハタン”はインディアン・アルゴンキン語族連合の大酋長でした。1607年イギリス・ヴァージニア植民会社によるイギリス人植民者がジェームス・タウンを建設。ポカホンタスは少女時代にこの町(砦)で良く遊んでいたと伝えられています。

1608年インディアンに捕まり、処刑される事になっていたジョン・スミス船長(大尉)を13才のポカホンタスが父の大酋長に命乞いをして助けました。この一件でジェームス・タウンも救われる事に成りました。その後もイギリス植民者とインディアンの関係は良好ではなく、植民地はインディアンの攻撃にさらされていて、イギリス人が捕えられたり、物資や武器弾薬が奪われたりしていました。1613年にはポトマック族の村に遊びに行った18才のポカホンタスがイギリス人捕虜や物資と交換するためにイギリス軍艦トレジャー号艦長サムエル・アーゴールに誘拐されました。ジェームス・タウンに連れて行かれたポカホンタスは、その品位と知性に感銘を受けた総督トマス・デイル卿の命令で丁重な取り扱いを受ける事になりました。そして彼女はキリスト教による教養を積み、洗礼を受けてレベッカという名前を与えられました。
その頃、ジェームス・タウンに住んでいたイギリス人のジョン・ロルフがタバコの栽培に成功しました。1614年に4樽の乾燥タバコをイギリスに出荷する事が出来ましたが、6年後には27トンを輸出するまでになりました.そしてロルフがポカホンタスとの結婚許可をデイル総督に願い出ました。彼女はすでにインディアン酋長ココウムと結婚していたと伝えられていますが、総督はすぐに結婚許可を与えました。父のポーハタン大酋長もロルフとの結婚に同意しましたので、1614年6月ジェームス・タウンの英国国教会の教会で結婚式が執り行われました。彼女の父ポーハタン大酋長はイギリス人を信用できず結婚式には出席せず弟を代理として派遣しました。翌年長男が誕生しました。インディアンもイギリス人もこの結婚が両者の絆の象徴であると見て、その後8年間はヴァージニア植民地の平穏が続きました。 タバコの花

ニウエ 2007 発行
1616年ヴァージニア植民会社がポカホンタスのイギリス訪問を計画して、夫ロルフと義兄トモコモと数人のインディアン少女と共にイギリスに渡りました。イギリスでは王女として歓待を受けましたが、翌1617年初頭にヴァージニアへ帰る準備中、ポカホンタスはグレーヴセンドで天然痘にかかり亡くなりました。22才頃でした。一人息子のトマス・ロルフはイギリスで教育を受けた後にヴァージニアへ戻って多くの子孫を残したと伝えられています。

参考映画:〜
・映画「ポカホンタス」1995年ディズニー製作、ジョン・スミス船長役の声優はメル・ギブソン。
・続編「ポカホンタスII、イングランドへの旅立ち」はビデオで、メルの弟ドナルド・ギブソンが声優。
・映画「ニュー・ワールド」2005年テレンス・マリック製作、ポカホンタス役は女優コリン・ファレル。

ポカホンタスの父ポーハタン大酋長をこちらでお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     12/4/13追記、12/5/15
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