United Kingdom ![]() 国連 1983 発行 |
切手で綴る イギリスの冒険航海(Adventure Voyage)南極探検(VI-8)
ジョン・ライミル博士 1935 南極探検・南極半島を確認 |
大航海物語 イギリス編★ |
| BRITISH ANTARCTIC TERRITORY |
ライミル博士![]() ペノーラ号 イギリス南極地方 1975-80 発行 |
| 1961 ANTARCTIC TERRITORY 1981 | ||
| ウェッデル海→ 南極半島→ |
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←南極点 ←ロス海 |
| 南極条約 20周年 記念 イギリス南極地域 1981 発行 |
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ライミルは1935年に”南緯69°30′”の地点に到達しました。そこは「グラハムランド」と呼ばれていましたが、南極半島であることを確認しました。 |
| ・ジョン・リドック・ライミル博士 Doctor John Riddoch Rymill (1905/3/13〜1968/9/7) ライミル博士は南オーストラリアペノーラ(Penola, #3)で生れました。長じてメルボルン(#4)の学校で学びました。1923年に18才でイギリスに渡り、彼は失読症だったという説も有りますが、極地探検の世界センターで、会計学・人類学・栄養学・測量学を勉強し、その上にスキーと飛行術を学びました。彼は身長が193cmで、82kgのバッグを軽々と運べる屈強な体格の持ち主でした。 1929年にケンブリッジ大学探検隊に加わり、北カナダでアメリカインディアンとエスキモー(イヌイット族)の探検調査に行きました。1930年から翌年にかけてイギリスの北極航空路探検のパイロットと測量士に選ばれ、大北極圏航空路のためのグリーンランドの地形と気象を調査しました。ハスキー犬の犬ぞりでの高さ3,000mのグリーンランド・アイスキャップを700kmに及ぶ横断を成し遂げました。1932年に狩猟カヤックで隊長が亡くなってから、同様の探検を命じられました。彼はエスキモーと寝食を共にして、彼らの極地の旅行技術と生存技術を学びました。 1934−37年にはイギリスの「グレアムランド探検隊」を指揮して南極探検を実施しました。この、人を寄せ付けない無人の地域は、遠くホーン岬の南方で人類に汚されまいとする地球の最後の聖域であり、地理的秘境でした。そこは急激に海から突き出ている3,000mの山脈から成り立っていました。また、そこは数百マイル(1mi=約1.6km)も近づきがたい積氷を囲む群島であると思われていました。その積氷は船を押しつぶして、以前の全ての探検家の前進を妨げました。3年のアタッキング(攻撃)が開始されるライミルの15人チームが、小さなペノーラ号(RY Penola 150t)を帆走させて、ハスキー犬の犬そりという古代エスキモーの技術を、ラジオと航空機という現代のテクノロジーと結合させました。空中気象調査の後、彼は幅が狭い沿岸の海峡を露出させるために、積氷の十分な沖合で、高い山から夏の強風が吹きつけると、大胆に正しくペノーラ号を通過させることができました。島のベースキャンプは、それから次の冬に、犬ぞりで行っているチームが薄く、新しい冷凍海の氷の上を、たくみに旅することができました。探検行はうまくゆき1,000km以上の人跡未踏の海岸線を見渡すことができました。そして、グレアムランドが群島ではなく、実際には南極半島島(南緯 69°30′西経 65°00′)であったことを確認しました。彼はその氷層でおおわれた火山を東海岸へ横切って渡りました。もう一つのチームはジョージ6世砂州の南を400kmも犬そりで移動しました。そして、ジョージ6世砂州が南極半島をアレキサンダー島から切り離しているということを発見しました。その堆積物を地質学調査チームが調査して、「大陸移動という新しい理論」が正しいことをを実証しました。 1938年にグロスタシャー(#1@3)バークレー(Berkeley)でエリノア・フランシス(Elinor Francis)と結婚しました。彼女はカリフォルニアのフィールドワークを完了してケンブリッジ大学に留学し、ちょうど卒業したところで、女性の地理学博士(Doctor of Geography)としての学位を取得したところでした。1939年にオーストラリアのペノーラに到着して、ライミル博士が第二次世界大戦(1939-1945)で海軍に従軍している間、エリノア夫人は資産を管理していました。戦後に軍務を除隊すると、永続的な牧草地造成とコリデール羊とアンガス牛を育てる革新的な計画に乗り出しました。ライミル博士は乗馬スポーツで南オーストラリアの乗馬クラブとポニークラブ協会の設立に熱心に参加しました。 1968年にライミル博士はオーストラリアにて63才で亡くなりました。 参考HP:〜 ・南極の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2006/11/15、令和7年 2025/12/24 |