★スペイン ファン・ド・ソリス
1516
ラプラタ河を発見・命名
大航海物語★

Uruguay Correos

ソリス と ラプラタ河々口の地図
ウルグアイ 1992 発行

REPUBLICA ARGENTINA
ホンデュウス・メルカトル世界図、1610年、南アメリカの拡大図
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←ラプラタ河


アルぜンチィン 1988 発行

ソリスは1515年に南アメリカを南へ南下して、翌年ラプラタ河々口に到達しましたが、原住民の襲撃にあって、河を遡上することは出来ませんでしたが、銀の河であることを願って”ラ・プラタ”河(銀の河)と命名しました。

ファン・ディアズ・ド・ソリス
  Juan Diaz de Solis (1470〜1516)

ソリスははスペイン・セヴィリヤ州のレブリジャ(Lebrija)で生れました。若い頃から航海に出ていた彼は、22才の時にコロンブスの新大陸発見に大いに刺激されて大航海へと乗り出しました。彼は1506年メキシコのユカタン半島を探検航海し、1508年にはヴィセンテ・ピンゾンとブラジル方面を探検航海しました。1512年のアメリゴ・ヴェスプッチの没後には彼の後を次いでスペインの主席水先案内人(主席パイロット)になりました。

ソリスはバスコ・ド・バルボアが太平洋を発見(1513)したとの知らせを聞いて、1515年10月8日、3隻の船団に70人が乗り組んで、スペイン・サンルカル・デ・パラメダ(Sanlucar de Barrameda)港から新大陸の南方面へ、大西洋から太平洋への水路を求めての探検航海へと出帆しました。彼ははるかに遠いラプラタ(Rio de la Plata)河の東岸(現在のウルグアイ側の岸)まで南下し、1516年2月プラタ河々口に到達しました。そしてソリスが率いる探検隊が、”真水の海”(Mar Dulce)を発見しました。そこに着くと、ソリスは2人の士官と7人の乗組員に命じて”真水の海”をさかのぼらせました。ウルグアイ河とパラナ河の合流地点付近で、原住民(チャルナ族Charrua)の攻撃を受けて、それ以上、上流へは行けませんでしたが、この”真水の海”が実は河であることが分かりました。そこで、この河を”銀の河”であることを願って、”ラ・プラタ”(Plata=銀)河と命名しました。

生き残って戻って来た乗組員が「他の者は殺されて、食われました」と報告しました。「食人」(カリバリゼイションcannibalization)の話を聞いた迷信深い船乗達は恐怖におののいて反乱を起こし戦いとなり、ソリスは46才で殺害されました。これで探検航海は中止となり、彼の従兄弟のトレス(Francisco de Torres)が船の指揮をとって、生存者を連れてスペインへ帰りました。なお、反乱ではなく原住民の襲撃で殺られたとの説も有ります。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        2006/10/5
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