大航海物語
オルテリュウス
1570
古地図 ”Orbis Terraum” 世界の舞台

参考資料
BELGIQUE-BELGIE
オルテリウス

ベルギー 1942/5/15 発行

アブラハム・オルテリウス (1527/4/2〜1598/6/28)
 Abraham Ortelius

アブラハム・オルテリウスは、ベルギーのアントワープ生まれの地図製作者、地理学者で、近代的地図製作の創始者として知られています。アウグスブルグの有力者であるオルテリウス・ファミリーの一員で、ヨーロッパの広範囲を旅行しました。特に、17ヵ国をくまなく旅行したことで知られ、南及び西ドイツ(1560年、1575年?、1576年)、フランス(1559年-1560年)、イングランド及びアイルランド(1576年)、イタリア(1578年、1550年から1558年の間に恐らく2度か3度)を訪れました。

1547年に地図の刷り師として、アントワープの"afsetter van Karten"のSt Lukeのギルドに入りました。彼の初期の経歴はビジネスマンであり、1560年以前の多くの旅行は商業目的のものでした。例えばフランクフルトへの本と印刷の見本市への毎年の訪問。しかしながら、1560年に後にメルカトル図法で有名となるゲラルドゥス・メルカトルとのトリーア(Trier)、ロレーヌ、ポワチエ(Poitiers)への旅行の際には、メルカトルの影響によって、科学的な地理学者としての経歴が始りました。オルテリウスは友人の助言によって、後に有名になった地図(「Theatrum Orbis Terrarum」(世界の舞台))の編集に専念しました。1564年には、”mappemonde”という8枚組の世界地図を完成しました。これは後に”Theatrum Orbis Terrarum”の中に縮小された形で表れました。この大きな地図の唯一現存するコピーは、バーゼル大学の図書館にあります。1565年には、エジプトの2枚の地図を出版。さらに1568年にオランダの海岸のBrittenburg城の計画図、1567年にアジアの8枚組の地図、6枚組のスペインの地図を出版。








「世界の舞台」 ”Orbis Terraum” 古地図
1570

PILIPINAS
1570年の”オルテリュウス(Orbis Terraum=世界の舞台)”の古地図
ジパング






1522  マゼランの世界一周航海480年記念  2002
フィリピン 2002 発行

1570年、初めて世界全体が描かれた地図帳(Atlas)「世界の舞台」(Theatrum Orbis Terrarum)が出版され、忽ちヨーロッパ中で大きな反響を呼び、版を重ね、地図帳発展の基礎を築いた。またこの地図帳は体系的で記号を統一的に表現した点でも画期的でした。1570年5月20日に世界初の近代的地図である「Theatrum Orbis Terrarum」がアントワープの”Gilles Coppens de Diest”によって出版されました。53枚組で地図70図でした。この地図はオランダ語、フランス語、ドイツ語の3つの版が1572年までに出版。(オルテリウスが亡くなる1598年までに25種類の版が出版)。また、いくつかの版はさらに1612年まで続けて出版されました。








古地図「世界の舞台」”Orbis Terraum”「日本地図を追加」
1597

日本郵便 NIPPON
タルタリア古地図の中の日本:〜右の切手画像の図案はオルテリウスが1570年に出版した地図帳(上記切手シート画像)「世界の舞台」の中の「タルタリア図」の部分。タタール族が住むとされた地域を描いています。左がアジア大陸。中央の島が北海道の無い日本で、右が北米大陸となっています。

2008年に日本での世界遺産登録を記念して、「世界遺産:石見銀山」10種が発行されました。世界遺産シリーズの第4集「石見銀山遺跡」:日本 2008/10/23 発行。
アジア→ 新大陸←北米
黄金郷 ↑ ジパング

FOROYAR
「世界の舞台」の北方地域図が図案になっている古地図:〜東に大きく描かれているのがスカンディナビア半島、その南に現デンマークのユトランド半島、中央下部には現イギリスのグレートブリテン島北部とその西隣のアイルランド島が、そして中央にフェロー諸島、さらに左上の大きな島がアイスランドで、その南には現在の地図には載っていない伝説の島フリースランド島が描かれています。 北海古地図

1595年の版には日本地図が追加され、この地図がヨーロッパにおける最初の日本地図であるとされています。オルテリウスは同時代の地理学的知識を集め、統一された形式の地図に描いた最初の人物であり、彼はその結果を1570年以降、「世界の舞台」の題で出版しました。同書の1595年版に日本図が加わるとともに、西洋における日本地図製作は新時代を迎えました。本図以前に西洋で描かれた日本地図は全くの想像であるか、マルコ・ポーロの見聞録に書かれた不十分な情報に基づいているか、16世紀中葉以降にイベリア半島の船乗りから集められた限られた情報に基づいているかのいずれかでした。本図においてオルテリウスは、スペイン王室の地図製作者テイセラから受け取った原図をもとにして描いており、九州・四国と周辺諸島の海岸線を除いて、そうした西洋側の情報はほとんど無視されています。本州、九州・四国はほぼ正確な比率で描かれており、本図において初めて本州の全体が描かれました。肥大した能登半島をはじめとする本州の形状は、同時代の日本の行基図を思い起こさせます。ヨーロッパ人が訪れていない地の地名もまた、行基図に描かれた地名と対応しており、テイセラ、もしくは原図作者が、日本から持ち帰った地図をモデルにしていたことは間違いないといわれています。朝鮮が島として描かれているのも本図の特色です。








「世界の舞台」”Orbis Terraum”とカール5世」
1575

ESPANA
カール5世と1570年の”オルテリュウス(Orbis Terraum)”の世界地図(古地図)
ジパング








スペイン  発行

ほとんどの地図は明らかに再編集されていますが、全体としては、このテキストを備えた地図は、類い希なる博学及び産業の不朽の業績です。これらの地図の土台と試作品は、オルテリウスのエージェントとパトロンであるGilles Hooftman、lord of Cleydael、Aertselaerの富と企業活動によって集められた38枚のヨーロッパ、アジア、アフリカ、タタール、エジプトの地図でした。これらの地図はほとんどはローマで印刷されたもので、8枚か9枚のみベルギーで印刷されたものです。1573年には、Additamentum Theatri Orbis Terrarumというタイトルで17枚の補足の地図を出版。さらに4つのAdditamentumが続いて出版され最後のものは1597年に出版されました。

オルテリウスはコイン、メダル、アンティークに興味を持っており、素晴らしいコレクションを築いた。これらは1573年に書籍「 Deorum dearumque capita ...ex Museo Ortelii」として出版。1575年には、スペイン王(フェリペ2世)に、Arias Montanusの推薦に従って地理学者と指定されました。

参考HP〜
 ・オルテリュウスの世界図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。      2007/3/15  10/2/23追記
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