大航海物語
レオパード号事件
1807/6/22
 Chesapeake-Leopard Affair


参考資料
レオパード号の同型戦列艦

グレナダ 1998/4/26 発行

レオパード号事件 (1807/6/22)
 Chesapeake-Leopard Affair

アメリカ海軍フリゲート艦チェサピーク号(frigate USS Chesapeake)ジェームス・バロン艦長(James Barron 1768-1851)がヴァージニアのノーフォーク沖(Norfolk, Virginia)を航行中に、イギリス海軍4等戦列艦レオパード号(fourth-rate warship HMS Leopard)プライス・ハンフリー艦長(Salisbury Pryce Humphreys)が「脱走者の捜索のため停船」を要求しましたが、バロン艦長が拒否したため、レオパード号が無警告で砲撃を開始し、接舷、乗り移り攻撃しました。チェサピーク号は大破炎上し、死(3人)傷者計21人の損害を出し降伏しました。

レオパード号はメランパス号(HMS Melampus、36gun fifth rate frigate 953t)の脱走者で、黒人のデヴィッド・マーチン(David Martin)、アメリカ生まれの白人ジョン・ストラチャン(John Strachan)、黒人のウィリアム・ウェアー(William Ware)の3人と、ハリファックス号(sloop HMS Halifax)の脱走者でイギリス生まれのジェンキン・ラトフォード(Jenkin Ratford)を見つけ出しました。

レオパード号は脱走者4人をカナダ(ノバスコシア)のハリファックス(Halifax, Massachusetts)へ連行し、軍法会議裁判にかけました。イギリス生まれのラトフォードは死刑判決後にハリファックスで絞首刑。残りのアメリカ人3人は鞭打ちの刑(500 lashes)判決後に、チェサピーク号の損害賠償と引換えに放免され、ストラチャンは英海軍に入隊しました。この事件は第2次独立戦争(米英戦争、War of 1812)の原因の一つになりました。

こちらで
米英戦争
コンスティテューション号
をお楽しみください。

参考HP:〜
ノーフォークの場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     09/5/5、13/11/12

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