Unitede States

国連 1980 発行
 切手で綴る 帆船 (Sail Ship)
コンスティチューション号
1797年進水の現役帆走フリゲート艦
1803、第3次アメリカ地中海艦隊の旗艦
1810、ノバスコシア海岸沖の海戦、勝利

大航海物語
資料編

US Postage
コンスティチューション号

1747 コンスティチューション号200年記念 1947
USA 1947/10/21 発行


Marshall Islands
USSコンスティチューション号 vs HMSゲリエール号の戦い
コンスティチューション号
USS Constitution
大西洋の海戦
ゲリエール号
HMS Guerriere

1812 米英戦争200年記念 2012
マーシャル諸島 2012 発行

コンスティチューション号
 USS Frigate Constitution

 愛称:オールド・アイアンサイズ(Old Ironsides)
コンスティチューション号はアメリカ合衆国海軍の木造船体で3本マストの砲数44門フリゲート艦です。名前はアメリカ合衆国憲法 (United States Constitution)から採られており、世界の航行可能な就役艦船で最古、かつアメリカ海軍の現役艦(2013年)です。コンスティチューション号は、1794年の海軍法で建造を承認された6隻のフリゲート艦の1隻であり、1797年に進水しました。船の設計はジョシュア・ハンフリーズ(Joshua Humphreys 1751-1838)が行い、海軍の主力艦とされたので、当時の標準的なフリゲート艦よりも大きく、武装も重装備になりました。

1794年の海軍法で建造された6隻のフリゲート艦
・コンスティチューション号、ボストンの造船所
 (USS Constitution, 1797, 44gun, 1,576t(後2,200t), 450人, Boston, Massachusetts)
・チェサピーク号、ゴスポートの造船所
 (USS Chesapeake, 1799, 44gun, 1,244t, 340人, Gosport, Virginia)
・プレジデント号、ニューヨークの造船所
 (USS President, 1800, 44gun, 1,576t, New York, New York)
・ユナイテッド・ステーツ号、フィラデルフィアの造船所
 (USS United States, 1797, 44gun, 1,576t, 600人, Philadelphia, Pennsylvania)
・コングレス号、ポーツマスの造船所
 (USS Congress, 1799, 38gun, 1,265t, 340人, Portsmouth, New Hampshire)
・コンステレーション号、バルティモアの造船所
 (USS Constellation, 1797, 38gun, 1,265t, 340人, Baltimore, Maryland)

コンスティチューション号はマサチューセッツ州ボストン(Boston, Massachusetts)のエドマンド・ハート造船所(Edmund Hartt's Shipyard)で、ジョージア州セントシモンズのギャスコイン・ブラフで切り出され製材された2,000本のサザン・ライブ・オーク材を使って建造されました。側板の厚みは178mm。船の構造は当時としては特徴があり、船殻の対角線上に交差する筋違いがあり、船体強度をかなり上げていました。側板を止める銅製の釘やボルト、および船腹を守る銅被覆はポール・リビアが鍛造。1797年にボストン港に進水させるまでに何度か失敗を重ね、1798/7/2に初めて出帆し、フランスとの疑似戦争(Quasi-War、1798-1800、海賊戦争:The Pirate Wars)で、アメリカ合衆国南東沿岸の警戒にあたりました。

1803年に第3次アメリカ地中海派遣艦隊の旗艦として、第一次バーバリ戦争(First Barbary War、1801-1805)に従軍。

米英戦争に従軍
  War of 1812、1812/6/18-1815/2/18
  別名:第2次アメリカ独立戦争
米英戦争では、1812年の早くにイギリスとの関係が険悪なものとなり、米海軍は戦争の準備を始め、米英戦争の宣戦布告は1812/6/20になされました。1810年に艦長に任命されていたアイザック・ハル(Isaac Hull 1773-1843)の指揮で、コンスティチューション号は1812/6/12に命令無しで出港し、港湾封鎖に備えました。ハル艦長の考えはロジャース艦隊の5隻と合流することでした。ところが、コンスティチューション号は、7/17にニュージャージー州エッグ・ハーバー(Egg Harbor, New Jersey)沖で5隻の船影を発見しました。翌朝、見張りがそれらの船はイギリス海軍の艦隊であることを確認。イギリス艦隊もコンスティチューション号を視認して追掛けてきました。ハル艦長は風が凪いでいることを感じ取り、ハル艦長と熟練した乗組員はボートを下ろして船隊を曳航させ、小錨を使って船の向きを良くし、帆を濡らして重たくし、少しの風でも仕えるようにしてゆっくりながら追いかけるイギリス艦隊との距離を離しました。7月の過酷な暑さの中での2日2晩にわたる骨折りによって、コンスティチューション号は遂に追跡艦隊をまきました。

・コンスティテューション号(USS Constitution, 1797):〜:性能諸元:〜
艦 型 アメリカ海軍フリゲート艦(USS FRIGATE) コンスティテューション号

USA 1947/10/21 発行
進 水 1797/10/10、就役: 1797/10/21
排水量 2,200トン
全 長 62.0m (204 ft)
全 幅 13.3m (43,5 ft)
吃 水 4.4m (14.31 ft)
帆 走 (3本マスト、全横帆)、最大速:13ノット (24km/h)
乗 員 士官、兵員 450人
兵 装 24ポンド(11kg)長砲30門
32ポンド(15kg)カロネード砲20門
4ポンド(11kg)船首砲2門
ニックネーム:オールド・アイアンサイズ(Old Ironsides)古い鉄の船体

・ノバスコシア海岸沖の海戦(1810/8/19)で交戦、勝利
  Sea Battle of Nova Scotia、War of 1812(米英戦争)
  USSコンステレーション号 vs HMSゲリエール号
エッグ・ハーバー沖でイギリス艦隊をかわした1ヵ月後の1810/8/19にコンスティテューション号はノバスコシア(Nova Scotia)海岸沖で、英艦隊の1隻、やや小さな38門フリゲート艦HMSゲリエール号(FifthRateFrigate HMS Guerriere,1806, 1,092t, 350人)と遭遇。イギリスのフリゲート艦は着弾距離に入ると砲撃を開始。アイザック・ハル艦長は搭載大砲による攻撃を止めておき、2つの船がわずか23mまで近付いたときに舷側の大砲の砲口を全門開かせました。すると、ゲリエール号のミズン
コンスティチューションvsゲリエール

マーシャル諸島 2012 発行
マスト(mizzenmast:後檣)が被弾して海中へ吹っ飛びました。その後、もつれ合った戦いとなり、戦闘の間に両艦は3度衝突、海兵隊補助隊員のマスケット銃攻撃の銃撃で、乗組員の乗り移りを妨げました。3度目の最後の衝突のときに、ゲリエール号のバウスプリット(Bowsprit:斜檣)がコンスティテューション号の艤装に絡まりました。両艦が引き分かれると、ゲリエール号の斜檣を引く力が艤装を通じて衝撃を与え、ゲリエール号はフォアマスト(Fore mast:前檣)を折られ、続いてメインマスト(Main mast:主檣)も引きずり倒され、その結果ゲリエール号はマストにひどく損傷を受けて無くなったので、港への曳航も叶わなくなって、捕獲された後に炎上沈没しました。コンスティテューション号は舷側の武装の強さと優れた帆走能力を持っていたのに対し、イギリス艦の水兵も驚いたことに、彼らの放った砲弾がコンスティテューション号の強いライブ・オーク製の側板に跳ね返されて損傷を与えられませんで、コンスティテューション号は「オールド・アイアンサイズ(Old Ironsides)古い鉄の船腹」と呼ばれました。

・大英帝国海軍ジャバ号との海戦、勝利
 (Sea Battle against HMS Java、1810/12/29)
 (USSコンステレーション号 vs HMSジャバ号)
この年の12月に艦長ウィリアム・ベインブリッジ(William Bainbridge 1774-1833)の指揮となったコンスティテューション号はイギリスの38門フリゲート艦ジャバ号(HMS Java 38-gun fifth rate frigate, 1811, 1073t, 397人)と、ケープ・ヴェルデ諸島サンチャゴ島(Santiago Island, Cape Verde island)
英リゲート艦(

セントヘレナ 1998 発行
のサン・サルヴァドール(Sao Salvador)沖で遭遇しました。3時間におよぶ戦闘で、ジャバ号は修繕も出来ないほど破壊され焼却処分にされました。コンスティチューション号の勝利はアメリカの市民の士気に大きな昂揚感をもたらしました。

フランス共和国フリゲート艦との海戦、擬似戦争の海戦、勝利
 (Action of 9 February 1799)
 (USSコンステレーション号 vs 仏ランシュルジャント号, 1799/2/9)

・その後
1815年の終戦までに、修繕や港湾封鎖の影響で長い月日を港の中で過ごしたにも拘わらず、コンスティチューション号はチャールズ・スチュワート艦長の指揮で他に8隻の船を捕獲。その中には元アメリカの私掠船で、1813/4/20にイギリスに奪われた22門フリゲート艦サイアニー号(American privateer Syren)をピクトゥ号(HMS Pictou 16-gun schooner)と船名変更されていた船を取り戻し、同時に船隊を組んでいた20門スループ艦レパント号(sloop HMS Levant, 1813, 20gun, 464t, 135人)を捕獲しました。

その後6年間にもおよぶ大改装を経て大西洋艦隊の旗艦に戻り、1828年にボストンに帰港。こうして、米艦コンスティテューション号は日本の三笠、英国のヴィクトリー号と並んで、世界三大戦艦の1つとして有名となりました。なお、1814/8/24にイギリスのコックバーン提督がワシントンDCの焼き打ち作戦を実施しました。

こちらで
米英戦争
レオパード号事件
トーマス・マクドノー提督
をお楽しみください。

参考:〜
・第一次バーバリ戦争
  First Barbary War、1801-1805
  別名:トリポリ戦争
1783年に独立を達成したアメリカ合衆国は、豊富な森林資源による造船コストの安さにより、独立前から海運業が発達していた。独立前は宗主国であったイギリスの商船旗を掲げることでバルバリア海賊の襲撃を免れていたものの、独立達成後は独立直後の財政難でバーバリ諸国のパシャ達が要求する金額の通行料が支払えず、その直後からバルバリア海賊の襲撃目標になり、襲われ続けていました。
ディケーター大尉 &マックドノー少尉

第1次バーバリー戦争に従軍
USA 1937 発行

バーバリ諸国は延滞した莫大な通行料の一括支払いを要求。米側は値切り交渉をするためにウィリアム・ベインブリッジを派遣。この間も地中海を通過するアメリカ合衆国船籍の商船はバーバリ諸国の配下にあったバルバリア海賊に襲われ続け、抑留された捕虜に対するアメリカ合衆国からの身代金の支払いも滞ると見るや、違約金代わりにキリスト教徒の捕虜を奴隷として転売する姿勢を見せ始めたため、アメリカ海軍の艦隊を地中海に派遣することを決定。1801/6/1、アメリカ海軍のリチャード・デイル(Richard Dale 1756-1826)率いる艦隊がジブラルタルに到着。

1801/6/14にトリポリ側がアメリカ合衆国に対して開戦を通知したため、正式に戦争状態に突入。このとき、派遣されたアメリカ海軍の艦隊は、トリポリ側が約25,000人の兵員と24隻の戦闘艦を擁していたので、遠巻きにトリポリに対する海上封鎖を行い、地中海を通過するアメリカ合衆国船籍の商船の護衛を行いました。8/1にアメリカ海軍のエンタープライズとトリポリ側のポラッカとの間で最初の戦闘が発生。アメリカ海軍が一方的に攻撃してトリポリ側のポラッカを戦闘不能に陥れ、武装解除の上で解放。

1803/10/3にアメリカ海軍は艦隊司令官をエドワード・プレブルに代え、コンスティチューション号を旗艦とする増援艦隊を派遣しました。

そのコンスティチューション号に1801年から乗り組んでいたトーマス・マクドノー少尉 (Thomas MacDonough, 1783-1825)は、第一次バーバリ戦争でトリポリに対する攻撃に参加しました。1803年に38門艦のフィラデルフィア号 (USS Philadelphia) に転属して、フィラデルフィア号がトリポリ側に捕らえられた時に、マクドノー中尉は上陸許可で艦を離れていました。1803/10/31に12門スループ艦エンタープライズ号 (USS Enterprise) に転属となり、ステファン・ディケーター大尉 (Stephen Decatur, Jr, 1779-1820) の指揮下に入り、1804/2/6のトリポリ港における夜襲に志願し、フィラデルフィア号の破壊に成功して大尉に昇進。ディケーター大尉はさらにトリポリへの砲撃をイントレピッド号で敢行して国民的英雄となり、大佐に昇進しました。

第1次アメリカ地中海艦隊:〜
  First US Mediterranean Squadron、1801
・司令官リチャード・デイル(Richard Dale)、在任:1801-1802
・プレジデント号、艦長ジェームス・バロン(James Barron)
  (1st class frigate USS President, 1800, 1,576 tons, 44gun)、旗艦
・ボストン号、艦長ダニエル・マックネイル(Daniel McNeill)
  (2nd class frigates USS Boston, 1799, 400t, 32gun, 220人)
・エンタープライズ号、艦長アンドリュー・スターレット(Andrew Sterett)
  (schooner USS Enterprise, 1799, 165t, 12gun, 70人)
  第一次バーバリ戦争(1801/8/1)の海戦で活躍
・エセックス号、艦長ウィリアム・ベインブリッジ(William Bainbridge)
  (2nd class frigate USS Essex, 32gun)
・ジョージ・ワシントン号、艦長ジョン・ショー(John Shaw)
  (sloop-of-war USS George Washington, 1798, 624t, 24gun, 220人)
・フィラデルフィア号、艦長サミュエル・バロン(Samuel Barron)
  (2nd class frigate USS Philadelphia, 1799, 1,240t, 44gun, 307人)

第2次アメリカ地中海艦隊:〜
  Second US Mediterranean Squadron、1802
・司令官リチャード・モリス代将(Commodore Richard Valentine Morris)、1802-1803
  後任司令官ジョン・ロジャース代将(Commodore John Rodgers)
・アダムス号、艦長ヒュー・キャンプベル(Hugh Campbell)
  (Adams, 2nd class frigate 28gun)
・ボストン号、艦長ダニエル・マックネイル(Daniel McNeill)
  (Boston, 2nd class frigate 28gun)
・チェサピーク号、艦長アイザック・チャウンシー(Isaac Chauncey)
  後任艦長ジェームス・バラオン(James Barron)
  (Chesapeake, 2nd class frigate 36gun)
・コンステレーション号、艦長アレクサンダー・ムレー(Alexander Murray)
  (Constellation, 2nd class frigate 36gun)
・エンタープライズ号、艦長アンドリュー・スターレット(Andrew Sterett
   後任艦長アイザック・ハル(Isaac Hull)
  (Enterprise, Schooner 12gun)
・ジョージ・ワシントン号、艦長ジョン・ショー(John Shaw)
  (George Washington, Sloop of war 24gun)
・ジョン・アダムス号、艦長ジョン・ロジャース(John Rodgers)
  (John Adams, 2nd class frigate 28gun)
・ニューヨーク号、艦長ジェームス・バロン(James Barron)
  後任艦長アイザック・チョウンシー(Isaac Chauncey)
  (New York, 2nd class frigate 36gun)

第3次アメリカ地中海艦隊:〜
  Third US Mediterranean Squadron、1803
・司令官エドワード・プレブル代将(Commodore Edward Preble)、在任1803-1804
コンスティチューション号、艦長ジョン・デント(John Dent)、旗艦
   後任艦長トーマス・ロビンソン(Thomas Robinson)
  (Constitution, 1st class frigate 44gun)
・アーガス号、艦長アイザック・ハル(Isaac Hull)
  (Argus, Brig 16 guns)
・エンタープライズ号、艦長ステファン・デケーター(Stephen Decatur)
  (Enterprise, Schooner 12gun)
・イントレピット号、艦長ステファン・デケーター(Stephen Decatur)
  後任艦長リチャード・ソマーズ(Richard Somers)
  (Intrepid, Ketch 4gun)
・ジョン・アダムス号、艦長アイザック・チョウンシー(Isaac Chauncey)
  (John Adams, 2nd class frigate 28gun)
・ノーティラス号、艦長ジョン・デント(John Dent)
  後任艦長リチャード・ソマーズ(Richard Somers)
  (Nautilus, Schooner 12 guns)
・フィラデルフィア号、艦長ウィリアム・ベインブリッジ(William Bainbridge)
  (Philadelphia, 2nd class frigate 36gun)
・スカージ号、艦長ジョン・デント(John Dent)
  後任艦長ラルフ・イザード(Ralph Izard)
  (Scourge, Brig 16gun)
・サイアニー号、艦長チャールス・スチュワート(Charles Stewart)
  (Syren, Brig 16gun)
・ヴィクセン号、艦長ジョン・スミス(John Smith)
  (Vixen, Schooner 12gun)

1843年に4隻になる(-1865)
・コロンビア号(Columbia)
・カンバーランド号(Cumberland)
・フェアフィールド号(Fairfield)
・プリマス号(Plymouth)

・トリポリ港の戦い、両軍の戦力:〜
  Second Battle of Tripoli Harbor、1803/10-1804/9月
  場所:トリポリ
  結果:膠着状態
 ・アメリカ地中海艦隊:〜
  司令官:エドワード・プレブル
  フリゲート艦〜11隻
  ブリッグ/スクーナー艦〜6隻
  砲艦〜10隻
  爆破用船〜2隻

 ・トリポリ港艦隊:〜
  ブリッグ艦〜1隻
  スクーナー艦〜2隻
  ガレー船艦〜2隻
   砲艦〜19隻

・フィラデルフィア号拿捕事件
  Capture of USS Philadelphia、1803/10/31
1801/8/1の戦闘以来、小競り合いはあったものの、大きな戦闘は発生せず、プレブル司令官は、シチリア島のシラクサに艦隊の根拠地を構え、指揮を執ることにしました。ところが作戦行動を計画中の1803/10/31に派遣艦隊の中核的存在だったフィラデルフィア号がトリポリ側の小型艦を深追いして座礁。干潮の時間帯と重なって離礁できなくなってトリポリ側の砲艦に拿捕され、ウィリアム・ベインブリッジ艦長以下乗組員307人がトリポリ側の捕虜になる事件が発生しました。
アメリカのフリゲート艦

グレナダ・グレナディーン 1976/5/18 発行

プレブル司令官は、スティーブン・ディケーターに対してフィラデルフィア号の破壊を命令。命令を受けたディケーターは、ケッチ臼砲艦イントレピッド号(Bomb ketch USS Intrepid, 1798, 64t, 4gun, 70人)と改名したトリポリ側から拿捕したケッチ漁船に兵員を乗せ、夜間に移乗攻撃をかけてフィラデルフィア号を破壊する作戦を立案し、1804/2/16に作戦を実行して、成功。フィラデルフィア号は炎上して沈没しました。

その後、イントレピッド特攻(Intrepid Attack、1804/9/4)で、爆薬を満載した4門ケッチ船イントレピッド号を決死隊の操船でトリポリの泊地に侵入、爆発させて敵艦を一挙に壊滅する作戦を、1804/9/4に実施するも、警戒厳重になったトリポリの要塞砲で撃たれ、命中弾で爆沈して12人全員が戦死、失敗しました。

ダーネの戦い(Battle of Derne、1805/4/27-5/13)では、米海兵隊(10人)の指揮する傭兵部隊(約500人)がバルバリア海賊の部隊(約4000人)に勝利して、ダーネ市を占領。その後、アメリカ軍がトリポリ市街へ突入する前にトリポリ側が講和に応じたため、事実上の最終決戦となった。

・ダーネの戦い、アメリカ軍の戦力:〜
 ・アメリカ海兵隊〜10人
 ・キリスト教徒傭兵〜200人
 ・イスラム教徒傭兵〜200〜300人
 ・スループ艦〜ホーネット号(sloop-of-war USS Hornet, 1805, 71t, 10gun, 34人)
 ・ブリッグ艦〜アーガス号(brig Argus, 1803, 299t, 34gun, 142人)
 ・スクーナー艦〜ノーチラス号(schooner USS Nautilus, 1799, 188t, 24gun, 103人)

この戦いの結果、アメリカ軍がトリポリ側における最大の根拠地であるトリポリに迫る勢いとなったため、ユサフ・カラマンリは今までの強硬的な姿勢を軟化させ、トリポリ港の戦いにおいて座礁して拿捕されたフィラデルフィア号の乗組員の身代金$60,000ドルと引き換えに「今後、アメリカ合衆国の船舶に対して通行料を課すことなく安全な航海を保証する」というアメリカ合衆国の要求を承諾したため、1805/6/10に講和条約が締結され、第一次バーバリ戦争は終結しました。

参考HP:〜
エッグ・ハーバーの地図(ニュージャージー州)

こちらで
サフレン提督
ラ・ブルドネス提督
絶滅種の鳥
ドードー(DoDo)
絶滅危惧種の
ジュゴン
シーラカンス
切手コレクションの
フランス王と王族
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る 東海道五十三次
・世界で1番美しい 蝶々
・ギリシャの民族衣装
世界遺産
フランス
法隆寺日本
ヌビア遺跡エジプト
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿ギリシャ
モヘンジョダロパキスタン
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。07/11/20、09/5/5、13/12/11、令和 R.4/6/21(2022)

スタンプ・メイツ
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