切手で綴る 太平洋戦争 物語
第1部 <開 戦>
第2章 南方攻撃
10 <マレー空襲>
1941/12/8 (月)
帝国軍、マレーを空襲

帝国空軍の攻撃を受ける
北部マレーの飛行場

Airfieleds in Malaya Attacked

タンザニヤ 1992/4/27 発行

大東亜共栄圏の地図

大日本帝国 昭和20年(1945)発行
サルタン王国 マレー半島南部の地図 サルタン王国
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タイ王国

ケランタン
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スマトラ島・マラッカ海峡・マレー半島・シンガポールの地図
マレー連邦 1957/5/5 発行

・大日本帝国軍のマレー空襲
第3飛行集団司令部は、昭和16(1941)/11/6に北支那方面軍から南方軍直轄となり、カンボジアのプノンペンに司令部を移設していましたが、イギリス軍がマレーのクランタン州(Kelantan)、ペラ州(Perak)に爆撃機の主力を配置していたので、マレー上陸作戦時に北部マレーの飛行場爆撃でイギリスのホーカー・ハリケーン戦闘機などを地上に撃破、勝利して制空権が帝国軍のものとなりました。

<開戦劈頭マレー北部攻撃の参加部隊>
第3飛行集団
・第1飛行団
  ・飛行第60戦隊(重爆)〜27機編成
    カンボジアのプノンペン基地から(Phnom Penh, Capital city, Cambodia)から
    マレーのケダ州アロースター飛行場(Alor Setar Airfield, Kedah, Malaysia)を爆撃
  ・飛行第59戦隊(戦闘機)
    仏印コンポントラッシュ基地(Kampong Trach Airfield, Kampot Province, Cambodia)から
    マレーのクランタン州コタバル飛行場(Kota Bharu Airfield, Kelantan, Malaysia)で空戦
  ・飛行第90戦隊(軽曝)
    仏印コンポントラッシュ基地から
    マレーのクランタン州タナメラ飛行場(Tanah Merah Airfield, Kelantan, Malaysia)を爆撃
・第7飛行団
  ・飛行第64戦隊(戦闘機、加藤隼戦闘隊)
    仏印フーコック島基地(Phu Quoc Airbase, Phu Quoc Island, Vietnam)から
    バターワース飛行場(Butterworth, Penang, Malaysia)で航空戦を展開
  ・飛行第98戦隊(重爆)
    カンボジアのプノンペン基地から
    スンゲイパタニ飛行場(Sungai Petani Airbase、アロースターの南に有)を爆撃、など。

<使用機種>
・九九式双発軽爆撃機(九九双軽、キ48)
・九七式重爆撃機(九七重、キ21)
・一式戦闘機(一式戦、キ43:隼)
・二式単座戦闘機(二式戦、キ44:鍾馗)
・九八式直接協同偵察機(九八直協、キ36)
・九九式軍偵察機(九九式襲撃機、九九襲:キ51)
・一〇〇式司令部偵察機(一〇〇司偵、キ46)

<第3飛行集団の編成>(大日本帝国陸軍の航空部隊)
 (後の第3飛行師団)、作戦機459機、予備153機
   集団長:菅原道大中将(在任1941/9/15-1942/4/15)
・第3飛行団
 ・飛行第27戦隊(軽爆)
   ・使用機種:九八軽、九九襲、二式複戦
 ・飛行第59戦隊(戦闘機)
  ・飛行第1戦隊
  ・飛行第59戦隊
   ・使用機種:一式戦(試作名称:キ43、愛称:隼)
     コンポントラッシュからコタバル地区に対して航空戦を展開
 ・飛行第75戦隊(軽爆)
   ・使用機種:九九双軽
 ・飛行第90戦隊(軽爆)
   ・使用機種:九九双軽
    コンポントラッシュからタナメラ飛行場を爆撃
 ・司偵中隊
・第7飛行団
 ・飛行第12戦隊(重爆)
 ・飛行第60戦隊(重爆)、戦隊は27機編成
   ・使用機種:九七重
     プノンペンに進出して開戦と同時にアロースター飛行場を爆撃
 ・飛行第64戦隊(戦闘機、加藤隼戦闘隊)
  ・第1中隊
  ・第2中隊
  ・第3中隊
   ・使用機種:一式戦
     仏印フコク島ズォンド基地に展開してマレー作戦に参加
     12/8午前9時50分(日本時間)、マレー半島北部の連合軍航空戦力に対し航空撃滅戦
     を展開するため、加藤少佐機以下全機が出撃、第2中隊機がブレニム1機(第34飛行
     隊スミス軍曹機)を撃墜(損傷、バターワース飛行場に胴体着陸)、さらにバターワース
     飛行場の在地敵機に対し機銃掃射してブレニム4機(第34飛行隊)を破壊、第64戦隊
     の損害は皆無で全機が無事帰還
 ・飛行第98戦隊(重爆)
   ・使用機種:九七重
     プノンペンに進出して開戦と同時にスンゲイパタニ飛行場を爆撃
 ・司偵中隊×1
・第10飛行団(第5飛行集団より派遣)
 ・飛行第31戦隊(軽爆)
   ・使用機種:九七軽
     開戦後、南部仏印シェムレアに移動後ビルマ作戦に従事
 ・飛行第62戦隊(重爆)
 ・飛行第77戦隊(戦闘機)
   ・使用機種〜九五戦
     仏印のフコク島ズオンド飛行場に終結して開戦を迎え、開戦後3日目にタイのドムアン
     飛行場に進出。12/12以降のビルマ攻略戦に参加する。初期のビルマ航空戦で
     ビルマ占領迄に米英戦闘機隊相手に奮戦、撃墜破110機で部隊感状を授与される
 ・独立飛行第70中隊(司偵)
 ・独立飛行第76中隊(司偵)
・第12飛行団
 ・飛行第1戦隊(戦闘機)
   ・使用機種:九七戦
     開戦直前に南部仏印コンポントラッシュ飛行場に進出(当時の装備機は九七式戦)
     開戦後はマレー半島上陸支援、シンガポール攻撃、ジャワ攻略戦に参加
 ・飛行第11戦隊(戦闘機)
   ・使用機種:九七戦、一式戦
     南部仏印フコク島に集結してマレー作戦に参加後、シンガポール攻撃に参加
     引き続きジャワ島攻略戦に参加した後、ビルマ攻略作戦へと出動
 ・飛行第81戦隊(司偵)
   ・使用機種:九七司偵、一〇〇司偵
     昭和16年11月、プノンペンに進出し、太平洋戦争開戦前の隠密偵察を開始
・直卒
 ・第15独立飛行隊
  ・独立飛行第50中隊(司偵)
  ・独立飛行第51中隊(司偵)

12/08、帝国軍機が北部マレーで、撃墜破48機の成果を挙げる
12/09、シンゴラ上陸部隊の先鋒隊(佗美支隊)が夜半の大雷雨を衝いて
     夜襲で国境を突破、コタバル飛行場を制圧
9日昼、コタバル市内を占領。上陸作戦による戦死320人、負傷者538人、
     舟艇も多数を失ったものの作戦は成功
     帝国の陸軍航空部隊が飛行場に推進
12/10、陸軍航空部隊が、ペナン、スンゲイ、パタニ等の飛行場を攻撃し、
     イギリス軍機10機を撃墜、19機を撃破。

また、南部仏印(フランス領インドシナ=現ベトナム)から飛び立った海軍基地航空隊によるシンガポール空襲が行われました。12/10のマレー沖海戦ではイギリス東洋艦隊の「不沈艦」と呼ばれた戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と戦艦「レパルス」を撃沈し、帝国軍は開戦 3日目でシンガポール周辺の制空権・制海権を握りました.。

こちらで
フィリピン空襲
マレー攻略
をお楽しみください。

参考〜
・九六式陸上攻撃機一一型の装備:〜初飛行:1935/7月
  (大日本帝国海軍の双発陸上攻撃機)、運用開始:1935年
略 称 中攻 中攻:九六式陸上攻撃機

グレナダグレナディーン 1995 発行
機体略号 三菱G3M1
全 長 16.45m
全 幅 25.00m
全高(水平) 3.685m
自 重 4,770kg
最大速度 348km/h(高度2,000m)
実用上昇限度 7,480m
エンジン 離昇910hpx2
航続距離 2,854km(爆撃)/4,550km(過荷重)
乗 員 5人
製造者 三菱重工業、中島飛行機
生産数 1,048機
武 装 7.7mm旋回機銃3挺
(前上方・後上方・後下方)
爆 装 60kg爆弾12発、250kg爆弾2発、500kg又は800kg爆弾1発
雷 装 800kg魚雷1発
※米軍呼称(コードネーム)〜ネル(Nell)

ホーカー・ハリケーン戦闘機の装備:〜初飛行:1935/11月
  (Hawker Hurricane、イギリス空軍の戦闘機)、運用開始:1936/3月
略 称 ハリケーン 英:ホーカー・ハリケーン

パラオ 1992 発行
機体略号 Mk.II
全 長 9.8m
全 幅 12.20m
全 高 3.98m
自 重 2,560kg
最大速度 523km/h(高度5,500m)
実用上昇限度 10,100m
エンジン 1,280hp
航続距離 750km
乗 員 1人
製造者 ホーカー・エアクラフト社
生産数 14,000機
武 装 7.7mm機関銃×12、20mm機関砲×4、40mm機関砲×2
爆 装 250lb/500lb爆弾

参考HP〜
マレー作戦の地図
マレー半島の地図(日本語)

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/8/6

戦争と平和
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