マレーシア
Malaysia

MALAYSIA
マレーシアの領土地図

マレーシア 2003/6/28 発行





マレー半島→
マレー半島とボルネオ島の領土を描く地図
Sipadan島      Ligitan島


マレーシア 2003/6/28 発行
海底電話線網を描く地図
SEACOM


SEACOM
マレーシア 1967/3/30 発行

MALAYA
サルタン王国 マレー半島南部の地図 サルタン王国
ペルリス
ケダー
ペナン
ペラク
セランゴール
ネグリセンビラン
マラッカ
タイ王国

ケランタン
トレンガヌ
パハン
ジョホール


スマトラ島・マラッカ海峡・マレー半島・シンガポールの地図
FEDERATION OF MALAYA
1957年マレー半島南部の11のサルタン王国が
連邦を結成独立した記念に発行された地図切手
マレー連邦 1957/5/5 発行

サイチョウ
カンムリバト
ゴクラクチョウ
キジバト
マレーシア 1967 発行

マレーシア連邦
 Malaysia、(thirteen states and three federal territories)

マレーは7世紀には仏教国シュリービジャの支配下にありましたが、13世紀にはジャワ島のヒンドゥ教国マジャバヒトの支配へと変りました。15世紀になるとスマトラ島の王族バラメシュバラがマラッカ王国を建国し、 今日のマレーの基礎となるサルタン制を取り入れイスラム化してゆき、東西交易の中心地マラッカを支配して繁栄を極めました。1511年のポルトガルによるマラッカ攻略で、 マラッカはポルトガルによって貿易とキリスト教布教の基地となり、1641年オランダが進出してきて、マラッカ王国は崩壊し、サルタンによる小王国になりました。18世紀になるとイギリスがインドから進出を始め、1786年マラッカと海峡の北出口にあるペナン島を抑え、1795年マラッカを占領。1819年マラッカ・ペナンにシンガポールを加えて海峡植民地となり、1867年直轄植民地となりました。1909年北部タイ領の4サルタン王国を併合、英領マレーとなりました。

1941/12/8の大日本帝国のマレー上陸から、1945/8/15の帝国の敗戦・無条件降伏までの間、マレーは全土にわたり帝国に占領されました。戦後の英領マレーは1948年マレー人の独立運動激化でペナン・マラッカと半島の9つの州からなるマレー連邦自治政府が発足。1957年に英連邦の一員として独立。1963年にはシンガポールとボルネオのサバ・サラワクを合せて14州がマレーシア連邦を結成しましたが、1965年に中国人系の多いシンガポールが分離独立しましたので、13州となり、サルタンの互選(9つの州)による国家元首制の立憲君主国として、今日にいたっています。

マレーシアは面積329749kuで日本の約80%、人口15、204、000人(1984)、ゴム、スズ等の天然資源に恵まれています。首都はクアラ・ルンプール(Kuala Lumpur)。1番切手:1900年”Negri Sembilan”切手に”FEDERATED MALAY STATES”加刷発行。

1345年、パタニ王国にイブン・バットゥータが訪れる
0695年、スマトラ島シュリーヴィジャヤ王国(首都:パレンバン)がマレー半島西岸のケダー征服
1400年、パレンバン王家出身のパラメーシュヴァラがマラッカ王国を建国
1405年、鄭和艦隊が世界周航の途上、マレー(シンガポ−ル、マラッカ)に寄航
1408年、イスラム教国マラッカ王国を当時の中国「明」が承認
1511/8/14、ポルトガルのアルブケルケ将軍率いる艦隊がマラッカを占領、マゼランが従軍
1516年、ポルトガルのゴディーニョ・デ・エレディアがパタニに来航してパタニ王国を欧州に伝える
1528年、マラッカの王がサヨン・ピナンを都に、ビンタン島を根拠地としてジョホール王国を建国
1539年、ポルトガルのメンデス・ピントがマラッカに到着
1592年、日本人がパタニ王国に来航
1630年頃、山田長政がタイ国王の命でパタニ王国を攻撃
1641年、オランダ(VOC)がマラッカを占領
1795年、イギリス、マラッカを獲得
1819年、イギリスのトーマス・ラッフルズ(Thomas Raffles 1781-1826)がシンガポール島に上陸、
      シンガポール島に要塞と植民地を建設する条約を承認させる
1824年、イギリス・オランダ両国が英蘭協定を締結、マレー半島はイギリスの勢力下となる
1826年、イギリス領海峡植民地成立
1896年、イギリス領マラヤ成立
1916年、大正5年、唐行きさん(おキクさん)サンダカン(ボルネオ)へ渡航
1941/12/8、大日本帝国軍がコタバルに上陸、太平洋戦争の勃発
1942年、大日本帝国軍がマレー全域を占領、マライと改称(〜45年)
1945年、8/15:大日本帝国・無条件降伏(9/2:第2次世界大戦終結
1947年、マレー連邦、イギリス領植民地の集合体として結成
1957年、マレー連邦独立
      初代国王トゥアンク・アブドゥル・ラーマン、初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン
1963年、シンガポール、北ボルネオ、サバ、サラワクがマレー連邦と統合し、マレーシアが成立
1965年、シンガポールが分離、独立
1969/5/10、総選挙実施
1969/5/13、マレーシア史上最悪の民族衝突の”5/13事件”が勃発、
      建国の父ラーマンの民族融和政策に不満でマレー人と華人が5/10の総選挙で衝突
1970/7、緊急条例発布、1970/9にラーマン首相辞任、第2代首相にアブドゥル・ラザク就任
      議会が1971/2月まで21カ月間停止
1974年、クアラルンプールが連邦の首都になる
1975年、ラザク首相が急死、フセイン・オンが首相に昇格(第3代首相)
1981年、マハティール首相就任(〜2003年)
1984年、サバ州沖合のラブアン島が連邦直轄領になる
1999年、首相官邸がクアラルンプール郊外の新行政都市プトラジャヤに移転
2003年、アブドゥラ・ビン・アフマッド・バダウィ首相就任
2010年、首都がプトラジャヤに移転完了(計画)

2005年の現状は;面積 約33万ku(日本の約0.9倍)、人口 2,613万人(2005年)、人種 マレー系(65.5%)、中国系(約25.6%)、インド系(約7.5%)、その他(1.3%)。言語 マレー語(国語)、中国語、タミール語、英語。.宗教:イスラム教(連邦制のイスラム教国で、イスラム教が連邦の宗教)、仏教、儒教、ヒンドゥー教 、キリスト教、原住民信仰。首都はクアラルンプール南方約25kmのプトラジャヤに移転(建設)中。

13州 (マレー語:Negeri, 英語:State)
・ジョホール州(Johor、州都:ジョホールバール:Johor Bahru)
・クダ州(Kedah、州都:アロー・スター:Alor Star)
・クランタン州 (Kelantan、州都:コタバル:Kota Bharu)
・マラッカ(ムラカ)州(Malacca、州都:マラッカ:Malacca)
・ヌグリ・スンビラン州 (Negeri Sembilan、州都:サランバン:(Seremban)
・パハン州 (Pahang、州都:クアンタン:Kuantan)
・ペナン州 (Penang、州都:ジョージ・タウン:George Town)
・ペラ州 (Perak、州都:イポー:Ipoh)
・プルリス州 (Perlis、州都:カンガー:Kangar)
・スランゴール州 (Selangor、州都:シャー・アラム:Shah Alam)
・トレンガヌ州 (Terengganu、州都:クアラ・トレンガヌ:Kuala Terengganu)
・サバ州 (Sabah、州都:コタキナバル:Kota Kinabalu)〜ボルネオ島
・サラワク州 (Sarawak、州都:クチン:Kuching)〜ボルネオ島

連邦直轄領 (マレー語:Wilayah Persekutuan, 英語:Federal Territory)
・クアラ・ルンプール (Kuala Lumpur、州都:クアラ・ルンプール:Kuala Lumpur)
・ラブアン (Labuan、州都:ヴィクトリア:Victoria)〜ボルネオ島
・プトラジャヤ (Putrajaya、州都:プトラジャヤ:Putrajaya〜行政上の中心都市)

13州のうち9州には伝統的な首長であるスルタンがいる。マレーシア国王はこの9人のスルタンによる互選で選出されるが、実質的には輪番制である。国王の任期は5年。

参考HP:〜
 ・マレーシアの地図
 ・マレーシアの区分地図
 ・マレーシアの区分地図(日本語)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     08/9/16、08/12/24、12/2/15

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