★ロシア
ハンゲの海戦
1714/7/27
Sea Battle of Gangut

大航海物語
 参考資料★
ピョートル大帝と大北方戦争

1714 ハンゲの海戦275年記念 1989
ソ連 1989/7/27 発行
Suomi
ボスニア湾

    オーランド諸島†     †ハンゲ半島
            バルト海、フィンランド湾、エストニア国、チュド湖
フィンランド
スウェ|デン

ラドガ湖
サンクトペテルブルグ
クロンシュタット
ロシア
フィランド 1985/10/15 発行 (古地図の小型組合せシート)

ハンゲの海戦 (1714/7/27)
  Sea Battle of Gangut
:〜大北方戦争中(1700〜1721)、ロシアの勝利
ハンゲの海戦は、1714/7/27にバルト海のハンゲ半島(Hanko Peninsula)沖でスウェーデン海軍とロシア帝国海軍との間で行われたガレー船(Galley)での海上決戦。この海戦はロシア海軍の最初の勝利で終わることとなり、この敗北でスウェーデンはバルト海での活動を大きく制限され、フィンランドの支配が困難になった。そのため、大北方戦争終結の一因となり、ロシアがバルト海で勢力を誇るようになる原因となった。

ロシア海軍は2つの島の間に防衛線を張り、スウェーデンの艦隊を攻撃。スウェーデン海軍のガレー船は一隻が転覆し、士官も多くが負傷した。司令官以下艦隊は降伏し、海戦は幕を閉じた。この海戦の敗北により、スウェーデンはバルト海での活動を大きく制限され、フィンランドの支配が困難になった。そのため、大北方戦争終結の一因となった。
フィンランドの地図

フィンランド 1976/3/10 発行

この海戦は、ポルタヴァの会戦と並ぶ、大北方戦争における一大決戦だった。ハンゲ (Hango) は、フィンランド湾北岸のフィンランドの都市の名で、現在ではフィン語でハンコと呼ぶ。ハンゲ半島 (Hango udd ハンゲ・ウト) はロシアでは訛ってガングート (Gangut) と呼ばれ、長らくロシア海軍ではこの海戦の勝利を祝い、軍艦に「ガングート」の名をつける伝統があった。また、勝利の日が聖パンテレイモン(Saint Pantaleon、生年不詳-305頃)の聖名日であったことから、「パンテレイモン」の名も軍艦の名前に多用されることになった。

ロシア・ノールウェイ連合艦隊:〜
総司令官ロシア:フョードル・アプラスキン伯爵
  (Count Fyodor Matveyevich Apraksin 1661-1728, モスクワ没)
ノールウェイ艦隊司令官:トルデンスクジョルド提督
  (Vice-Admiral Peder Tordenskjold 1691-1720)
最高司令官ツアー・ピョートル大帝はレヴァル(Reval (現:タリン Tallinn)で待機し、
アプラスキン提督が先制攻撃をかけて勝利。

・小型ガレー船(small galleys)〜
   先制攻撃艦隊:20隻、
   増援艦隊:15隻以上
・小型ガレー船のツアー(Tsar)直属艦隊〜
   先制攻撃艦隊:35隻、
   増援艦隊:80隻。

スウェーデン艦隊:〜
総司令官:提督グスタフ・ワッタラング中将
  (Vice-Admiral Gustaf Wattrang)
艦隊司令官:提督ニルス・アーレンスクジョルド(オランダ少将)
  (Schoutbynacht(Rear Admiral) Nils Ehrenskiold)

平甲板のプラム型船(Pram)
・エレファント号(Elefant)〜旗艦、司令官もろともに拿捕
ガレー型船(Galleys)
 ・オルネン号(Ornen)
 ・トラナン号(Tranan)〜捕獲後に沈没
 ・グリペン号(Gripen)
 ・ラクセン号(Laxen)
 ・ガッダン号(Gaddan)
 ・ヴァルフィシェン号(Valfisken)
小型船(Smaller vessels:skerry-boats)
 ・フルンドラン号(Flundran)
オール付、ガレー船
 ・シンパン号(Simpan)
 ・グリペン号(Gripen)
 ・モーテン号(Morten)
艦種別 ロシア軍 スウェーデン軍 スウェーデンの損害 ロシアの損害 memo
プラム船艦 喪失プラム:1
喪失ガレー:6
喪失スカリ:4
戦死:370
捕虜:580
戦死:125
戦傷:341
Pram (ship)
ガレー船 99 galleys
小艇スカリィ skerry-boats
水 兵 15,000 1000人 sailors、soldiers
総司令官アパラキン提督  提督ワットラング中将 . .

参考HP:〜
 ・バルト海の場所地図(日本語)
 ・フィンランドの地図(ハンコ半島の場所:赤丸)
 ・ハンゲ半島の地図                  09/3/25、11/4/5


グレンガムの海戦 (1720/8/7)
  Sea Battle of Grengam
:〜大北方戦争中(1700〜1721)
   ロシア帝国(Russian Empire) と スウェーデン王国(Kingdom of Sweden)
   対戦国ロシアもスウェーデンも勝利を主張
現:フィンランド領オーランド諸島(Aland Islands)のレドサンド海峡(Ledsund strait)のグレンガム(Granhamn)近くで、大北方戦争中に勃発した最後の大海戦。フォグロ島(Foglo)南西で、レムランド島(Lemland)南東の海域にスウェーデン艦隊が突入して海戦が勃発。




ロシアのガレ|船隊
POCCUST ROSSIJA
グレンガムの海戦、1720年

ガレー船:=オールを持つ帆船



ロシアの軍艦旗
1695 ロシア艦隊300年記念 1995
ロシア 1995/9/14 発行

ALAND
              ボスニア湾

オーランド 1995 発行 (200%)
フィンランド
←フィンランド湾

←オーランド諸島

←バルチック海
艦種別 ロシア軍 スウェーデン軍 スウェーデンの損害 ロシアの損害 memo
戦  列  艦 捕獲:  4
戦死:103
捕虜:407
沈没:(43)
炎上:(18)

戦死:82
(1000)
戦傷:203-236
ships of the line
フリゲート艦 frigates
ガレー船 61 galleys
小  艦  艇 smallers
小    艇 29 boats
水 夫 11,000 1000人以上 sailors、soldiers
総司令官ガリツィン将軍
General Mikhail Golitsyn
 提督カール・シオブラド中将
Vice Admiral Carl Georg Sioblad
.():スウェーデン主張 .
ロシアがスウェーデンの4隻を捕獲(frigates):〜
 ・ストール・フェニックス号(34-gun frigate Stor Phoenix)
 ・ヴァインクェアー号(30-gun Vainqueur)
 ・キスキン号(22-gun Kiskin)
 ・ダンスカ・オルン号(18-gun Danska Orn)

参考HP:〜
オーランド諸島の場所地図(広域地図)
オーランド諸島の場所地図
オーランド諸島の地図(レムランド島(Lemland)、フォグロ島(Foglo)有)


レヴァルの海戦 (1790/5/13)
  Sea Battle of Reval Roadstead
、ロシア・スウェーデン戦争中、ロシアの勝利
   ロシア帝国(Russian Empire) と スウェーデン王国(Kingdom of Sweden)
エウストニアのレヴァル(Reval (現:エストニのタリン Tallinn)で、第一次ロシア・スウェーデン戦争(Russo-Swedish War 1788-1790)中に勃発した海戦。

POCCUST ROSSIJA
レヴァルの海戦、1790年

レヴァル泊地のロシア艦隊

Battle of Revel Roadstead

ロシアの軍艦旗
1695 ロシア艦隊300年記念 1995
ロシア 1995/9/14 発行
艦種別 ロシア軍  スウェーデン スウェーデン損害 ロシアの損害 memo
戦  列  艦 22 捕獲:  2
戦死: 51
捕虜: 81
捕虜:250
戦死: 8
捕虜:27
ships of the line
フリゲート艦 frigates
投 弾 船 bomber-ships
小  艦  艇 smallers
総司令官オルロフ伯爵
艦隊司令官
スピリドフ提督
 カプダン・パシャ
Kapudan Pasha Husameddin
. .
・ロシア艦隊司令官:ワシリ・チチャゴフ提督
 (Vasili Yakovlevich Chichagov 1726-1809)
・スウェーデン海軍総司令官:セーデルマンランド公爵カール王子
 提督(後のカール13世、グスタフ3世の弟、Prince Karl, Duke of Sodermanland 1748-1818)

ロシア第1艦隊:〜(9 ships of the line、1 frigate)
・戦列艦ロスティスラヴ号(100-gun battleships Rostislav)
・戦列艦サラトヴ号(100-gun battleships Saratov)
・戦艦カール・イオアン号(74-gun Kir Ioann)
・戦艦マチスラヴ号(74-gun Mstislav)
・戦艦イェレナ号(74-gun Sv. Yelena)
・戦艦ヤロスラヴ号(74-gun Yaroslav)
・戦艦ポヴェドノセツ号(66-gun Pobedonosets)
・戦艦ボレスラヴ号(66-gun Boleslav)
・戦艦イジャスラヴ号(66-gun Izyaslav)
・フリゲート艦ヴィーナス号(40-gun frigate Venus)
第2艦隊:〜(4 frigates)側面防衛
・ポドラジスラヴ号(32-gun Podrazhislav)
・スラヴァ号(32-gun Slava)
・ナデジダ・ブラゴポルチア号(32-gun Nadezhda Blagopoluchiya)
・プリャミスラヴ号(36-gun Pryamislav)

スウェーデン艦隊:〜
・戦艦プリンス・カール号(64-gun battleship Prins Karl)
・戦艦リクセンス・スタンデル号(ship Riksens Stander)
・フリゲート艦ウラ・フェルセン号(18-gun frigate HMS Ulla Fersen、英派遣艦)
  アエグナ島(Aegna)北の暗礁で座礁後、捕獲される
・その他

第一次ロシア・スウェーデン戦争(Russo-Swedish War 1788-1790)は、
当時、北方の覇権を確立していたロシア帝国ツァーリ女帝エカチェリーナ2世(アレクセーエヴナ、1729-1796)に対し、スウェーデン王グスタフ3世(Gustav III, 1746-1792)が、外交によって内政干渉やデンマークとの協力関係を撤廃しようと画策したが、いずれも目的を果たせなかったため、開戦に踏み切って第一次ロシア・スウェーデン戦争が勃発。スウェーデンはフランス王国が革命直前の混乱を迎えて同盟できず、かつて大北方戦争で共闘したオスマン帝国も同盟を拒否したが、イギリスやプロイセン王国らの列強は中立を表明して、 イギリスは海軍の軍事顧問団を派遣。ロシアがオスマン帝国と戦端を開いたので(露土戦争)、グスタフ3世はこれを利用して開戦。

グスタフ3世は、陸戦の不調に代わる海戦の勝利をねらって、スウェーデン海軍によるフィンランド湾の海戦で、1790/7月フィンランド湾の一角スヴェンスクスサンドの海戦で、イギリス海軍より派遣されていた提督シドニー・スミス卿(Sir William Sidney Smith、1764-1840)などのイギリス海軍軍事顧問団の働きもあって、ロシア艦隊に大勝利を収めた。ロシア艦隊はおよそ150隻の軍艦の内、50隻が撃沈ないし破壊され、死者は約9000人の大被害を蒙った。スウェーデン側の損害は撃沈6隻、戦死者は僅かに300人程度であったが、スウェーデン側の疫病等による死者は対ロシア戦において1万人にもおよんだとされている。こうした戦いの中で、レヴァルの海戦はロシアの勝利に帰した海戦。

第一次ロシア・スウェーデン戦争の海戦:〜
・ホグランドの海戦
 (Battle of Hogland 1788/7/16)〜ロシアの戦略的勝利
  ロシア戦列艦17隻、スウェーデン戦列艦15隻
  ロ:喪失1隻・戦死傷者1800、ス:喪失1隻・戦死傷者1000
・オーランドの海戦
 (Battle of Oland 1788/7/26)〜勝敗:ドロー
  ロシア戦艦18隻、スウェーデン戦艦30隻
・第1次スヴェングスサンドの海戦(現:フィンランドのコトカ Kotka)
 (First Battle of Svensksund 1789/8/24)〜ロシアの勝利
  ロシア戦艦2隻、スウェーデン戦艦39隻
ラヴェルの海戦
 (Battle of Reval 1790/5/13)〜ロシアの勝利
  ロシア戦艦14隻、スウェーデン戦艦26隻
  ロ:戦死傷者35、ス:喪失2隻・戦死傷者132・捕虜250
・ヴィボルグ湾の海戦
 (Battle of Vyborg Bay 1790/7/4)〜ロシア戦術的勝利、スウェーデン戦略的勝利
  ロシア戦艦180隻・兵21000、スウェーデン戦艦400隻・兵40000
  ロ:喪失2隻・戦死傷者、ス:喪失20隻・戦死傷者捕虜4500
・第2次スヴェングスサンドの海戦(現:コトカ)
 (Second Battle of Svensksund 1790/7/9-10)〜スウェーデンの大勝利
  ロシア戦艦150隻・兵18500、スウェーデン戦艦22隻・兵12500
  ロ:喪失64隻・戦死傷者捕虜9500以上、ス:喪失6隻・戦死傷者捕虜300

参考HP:〜
エストニアの地図
フィンランド湾の場所地図ボスニア湾、オーランド諸島、エストニア、ラトヴィア、バルチック海有

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        11/4/14

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