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(続編)〜安徳宮とモルガンお雪
神戸で、お雪さんが
明治44年「モルガン灯篭」を献納
安徳宮(宗清稲荷)

安徳宮のある所
神戸市須磨区一の谷町2丁目
宗清稲荷神社


安徳宮内裏跡伝説の地記念碑
「安徳宮」献額
 
皇女「和宮」銅像

・安徳宮とモルガンお雪
昨年、NHKテレビの大河ドラマで、”義経”が長々と1年間も放送されていましたのをご存知でしょう。私も最初は見ていたんですが、途中からは、見たり見なかったりとなっていました。その中ほどのクライマックス場面で、松坂慶子が扮するところの、”二位の尼”が、幼い安徳天皇を抱いて、平家の”御座舟”から、”壇ノ浦”の海へ飛び込むのを見られましたでしょうか?
涙もろい私は、その哀れな様子に思わず”目がウルウル状態”となってしまいました。

その安徳天皇の内裏跡が、神戸の須磨の”一の谷町2丁目”にあるんですよ。

昨日(1/16)は寒気も薄らぎ、天気もいいので、確かめに行ってきました。山陽電車の須磨浦公園駅から、歩いて1時間ほどの山の中腹に有りました。そこは、昔、といっても明治末期の頃に、”異人山”と呼ばれていたそうです。須磨浦公園を抜けて、国道2号線を東へと歩いて、山陽電車の踏切りならぬ、トンネルをくぐって、急な斜面を登りきった所に有りました。その途中の道中はかなりの邸宅が立ち並んでいました。このあたりは、きょう日では、車なしでは生活できないような、急な坂道なもんで、広い庭をつぶしてガレージが造られていました。また、家の基礎の石垣をくりぬいた車庫も見かけました。昔は鉄道工事の外国人の技師さんの家である、異人館が立ち並んでいたんでしょうね。 この辺も、例の阪神大震災で被害を受けたらしく、かなりの復興住宅を見かけましたし、復興出来ないままの広い空き地もありました。ただ、美しかったであろう日本庭園だけが、往時の大邸宅を忍ばせていました。

フウフウ言いながら急な坂を上って着いてみると、そこは小公園になっており、”安徳宮”という、小さな祠があるだけでした。その横に2メートルほどの”安徳帝内裏跡伝説地”と書かれた石柱がありました。

また、その脇には何とですよ、幕末の政略結婚で有名な、皇女”和宮”の銅像が 安置してある、とっても小さな祠もあったんです。そのいわれは、昭和9年(1934)に、女学校に寄贈されていたものが、どうしてか近辺の”山中”に埋められていたのを掘り出して、ここに移されたものなんだそうです。敗戦後の混乱の時に埋められたんでしょうかね〜ぇ。

そこの小公園からは須磨の海が一望できるところでした。公園の説明に、直ぐ南側に大正から昭和にかけて栄華を誇っていた、世界的な商社であった”鈴木商店”の大番頭だった”金子直吉”さんの屋敷があったと書いてありました。今は普通の住宅地となっており、昔の栄華の面影は、ぜんぜんありませんでした。なお、鈴木商店は、神戸に本社がありました。第一次世界大戦の後、三井、三菱をこえる世界的な総合商社になっていましたが、米騒動やら、大恐慌などにまきこまれて、倒産しました。そして、鈴木商店の鉄鋼部門が現在の神戸製鋼となり、造船部門が川崎重工となったことは、よく知られています。

帰りは須磨駅へ行こうと思って、東側へと下ってみましたら、ちょうど”土砂運搬用” のベルト・コンベヤの所に出ました。そこから駅までは、30分位で行けました。

千年前の平家の栄華のあとと、百年前の武士の栄華のあとと、そして、神戸に有った大商社の鈴木商店などに思いをはせて、楽しんできました。2006/2/14

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