領土紛争の舞台となった
チャコ地方
Gran Chaco


REPUBULICA DEL PARAGUAY
CHACO PARAGUAYO
チャコ地方の地図


HA SIDO ES Y SERA
現在も将来も我々のもの
パラグアイ (昭和7-10) 1932-35 発行

チャコ地方を示す地図
PARAGUAY


パラグアイ (大正13) 1924 発行

CORREOS DE BOLIVIA
チャコ地方を含む地図
CHACO BOLIVIANO


右下の突き出た所がチャコ地方
ボリビア (昭和10) 1935 発行
チャコ地方を含まない現在の地図
CHACO BOLIVIANO


ボリヴィア 1954/8/2 発行

BRASIL
南アメリカの地図
(ボリビアとブラジルの場所地図)
ペルーの
アリカ→


ブラジルの
←サントス
ペニャランダ大統領のブラジル訪問記念
ブラジル 1943/6/30 発行

チャコ地方
  Chaco district

  別名:グラン・チャコ
      Gran Chaco
  パラグアイでの呼び名:〜
   Paraguayan Chaco, (Western Region)
  ボリビアでの呼び名:〜
   Chaco boliviano
グラン・チャコはラプラタ盆地の人口がまばらな、非常に暑く乾燥した半砂漠の地域で、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンブラジルにまたがっています。チャコ とはケチュア語で「狩猟の土地」を意味しています。面積は約647,500kuで、パラグアイ川の西、アンデス山脈の東にあります。西部の山地に近い部分は非常に乾燥していて植物もまばらにしか生えておらず、東部はパラグアイ川(2,549km)流域(Rio Paraguay basin)のため植物が多く茂っています。

ボリビアとパラグアイの境界にあるグラン・チャコ地方は、植民地時代からチャルカスの高等司法院(ボリビア側)とアスンシオン総督(パラグアイ側)の間で領有権が争われていて、その対立が独立以降も続きました。そしてアンデス山脈の麓で石油がとれることがわかり、ボリビア南東部のチャコ地方に大量の石油が埋蔵されていると言い出されました。その利権は、ボリビアは太平洋戦争(War of the Pacific 1879-1884))の敗戦、パラグアイは三国同盟戦争(War of the Triple Alliance 1864-1870)の敗戦からの立ち直りのために双方とも是が非でも必要なもので、パラグアイはメノナイト教徒(Mennonite、メノー派:キリスト教アナバプテストの教派)などの移民をチャコ地方に誘致して領有権を固めようとする一方で、ボリビアも要塞を建設するなど実効支配に取り組み出しました。1931/7月にはボリビアが国交を断絶し、1932/6/15にボリビアがチャコ地方に侵攻し、パラグアイ側への武力侵攻を開始、ピチアンツタ湖近郷を焼払ってカルロス・アントニオ・ペス要塞を攻略するというピチァンツタ湖事件(Pitiantuta Lake Incident)で、遂に両国の間に戦端が開かれるとチャコ戦争が勃発しました。当時パラグアイ政府はオランダのロイヤル・ダッチ・シェル社(Royal Dutch Shell)と結びついており、ボリビア政府はアメリカのスタンダード・オイル社(Standard Oil Co.)と結びついていたことで、石油メジャーの代理戦争とも言われました。

参考HP:〜
南アメリカの地図(日本語:国別地図)
チャコ地方の場所地図
グランチャコの場所地図
ボリビアのチャコ地方の場所地図
パラグアイ河の場所地図
ボリビアの地図

こちらで、領土の帰属をめぐる紛争地帯の
南砂諸島
北方四島
竹 島
尖閣諸島
ガ ザ
パレスチナ紛争
フォークランド戦争

チャコ戦争、をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     13/1/14

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