★アルゼンチン
 VS イギリス
フォークランド 戦争 マルビナス 大航海物語
参考資料★
フォークランド戦争
1982
フォークランド諸島の地図

FALKLAND ISLANDS REPUBLICA ARGENTINA
フォークランド諸島

英領フォークランド諸島 1952/1/2 発行
マルヴィナス諸島

アルゼンチン 1964/2/22 発行

Islas Malvinas
西フォークランド島   東フォークランド島



エグモント港

Port Egmont




Puerto Soledad
←ソリダット港

←スタンレー
Stanley
Isla Gran Malvina      Isla Soledad
アルゼンチン 2012 発行

マルビナス、南ジョージア、南サンドウィッチ、各諸島の場所地図
       フォークランド諸島              サウス・ジョージア島
アルゼンチン


サウスサンドウィッチ諸島


サウスオークニー諸島
1829 マルビナス危機153年記念 1962
アルゼンチン 1982/6/12 発行

フォークランド諸島は南アメリカ大陸のほぼ南端から約500km沖合いの大西洋に浮かんでいます。東フォークランド島と西フォークランド島に分かれ、約200の小島で構成された面積12,000ku程度の諸島です。1600年以降、イギリス、フランス、スペインが相次いで入植・撤退を繰り返すも、1816年にアルゼンチンがスペインから独立したのを契機に領有を宣言。1829年にアメリカ軍が上陸して諸島の中立を宣言(マルビナス危機)。1833年にはイギリスが再占領して、以降領有権をめぐって対立、そして戦争になりました。

フォークランド戦争
  1982/3/19〜1982/6/14
  Falklands War
(Falklands Conflict or Falklands Crisis)
・前哨戦
 ロザリオ作戦 (1982/3/30-4/3)
  Operation Rosario、アルゼンチン軍のフォークランド島上陸作戦
  イギリス:79人
  アルゼンチン:900人
3/30、アルゼンチン海軍はフォークランド諸島への本格的な上陸作戦を開始。空母ベインティシンコ・デ・マジョ号を旗艦とし、駆逐艦7、フリゲート艦3、輸送艦3、揚陸艦1隻で編成された第79機動艦隊を陸軍4000人の将兵と共にフォークランド諸島へ出撃させる。

4/1夜、42型駆逐艦サンティシマ・トリニダード号が東フォークランド島沖合1海里に到着して21隻のゴムボートを降ろし、1時間半ほどで92人の上陸コマンド部隊の隊員を移乗させる

4/1夜11頃、ゴムボートは砂浜に到着、コマンド部隊は2隊に分かれて目的地のイギリス海兵隊員が眠る兵舎と総督邸を目指す。兵舎制圧部隊は午前5時半に兵舎に到着するも、そこは無人。一方、総督邸に向かった16人の分遣隊は、そこで予想外に多い42人(海兵隊員31人と水兵11人)の武装兵と射撃戦闘を開始。まもなく、無謀な突撃を行ったアルゼンチン軍コマンド隊員の1人が致命傷を負う。分遣隊は遮蔽物に隠れ援軍を待つことになる。

1982 年、フォークランド戦争の経過
4/02 アルゼンチン軍がフォークランド諸島に上陸、占領
4/03 アルゼンチン軍がサウスジョージア島を占領。
国連安全保障理事会が決議第502号で、アルゼンチンの撤退を求める
4/05 イギリス艦隊がポーツマス港を出港
4/12 イギリスがフォークランド諸島周辺の洋上封鎖を発効
4/23 イギリス海軍特殊舟艇隊 (SBS)がサウスジョージア島に偵察上陸
4/25 イギリス海兵隊がサウスジョージア島に上陸して奪回。アルゼンチン海軍潜水艦サンタフェ号(ARA Santa Fe)が英艦載ヘリコプター2機の攻撃を受け損傷。同日サウスジョージア島に擱座。乗組員は艦を放棄して上陸、英軍に降伏
4/30 イギリスがフォークランド諸島周辺の海空封鎖を発効
5/01 イギリス空軍のバルカン爆撃機がアセンション島から長途飛来して、諸島内の飛行場への長距離爆撃を初実施
5/02 イギリス海軍の原潜コンカラー(HMS Conqueror)がアルゼンチン海軍巡洋艦ヘネラル・ベルグラノ(ARA General Belgrano) を魚雷攻撃で撃沈
5/04 アルゼンチン海軍航空隊のシュペルエタンダール攻撃機が空対艦ミサイル・エグゾセで英駆逐艦シェフィールド(HMS Sheffield) を攻撃、命中。同艦は炎上し総員退艦、護衛艦ヤーマス(HMS Yarmouth) に曳航されるも、5/10に沈没
5/21 イギリス陸軍が東フォークランド島に上陸。
アルゼンチン軍が爆撃で英フリゲート艦アーデント(HMS Ardent)を撃沈
5/24 イギリス海軍護衛艦アンテロープ(HMS Antelope) がアルゼンチン軍A-4AR攻撃機投下の500kg爆弾を被弾。これは不発弾であったが信管除去作業中に爆発。同日沈没
5/25 アルゼンチン海軍航空隊のシュペルエタンダール攻撃機が空対艦ミサイル・エクゾセにより英徴用コンテナ船アトランティック・コンベイヤー号(Atlantic Conveyor) を撃沈
6/14 フォークランド諸島のアルゼンチン軍が降伏
6/17 アルゼンチン軍事政権のレオポルド・ガルチェリ(Leopoldo Fortunato Galtieri Castelli、1926-2003年)大統領(在任:1981/12/22/-1982/6/18)が失脚
評価と戦訓
フォークランド戦争とはイギリス領フォークランド諸島(アルゼンチン名: マルビナス諸島)の領有を巡ってイギリスとアルゼンチンの間で2ヶ月に亘って行われた戦争。この戦争では、近代化された軍隊同士による初めての戦争だったため、その後の軍事技術に様々な影響を及ぼした。両軍で使用されたほとんどの兵器が実戦を経験していなかったが、本件によって定量的に評価されることになった。また、アルゼンチンがイギリスから兵器を一部輸入していたため、同一の兵器を使用した軍隊同士の戦闘という観点からも特徴的であった。 垂直離着陸機であるイギリス軍のハリアーの能力については常に議論されていたが、空戦において23機の撃墜と被撃墜0を記録するなどして一定の評価を得ることができた一方で、速度の遅さや航続距離の短さが致命的であることが再認識された。特に、ハリアーを搭載していた空母(インヴィンシブル級)が攻撃を恐れて後方に展開したため、艦載機による即応体制が整わなかった。 また原子力潜水艦も実戦にて初めて使用され、魚雷によりアルゼンチン海軍の巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」を撃沈した。 アルゼンチン軍は保有していた5発のフランス製の空対艦ミサイル・エクゾセをシュペルエタンダール攻撃機から発射し、4発を命中させた。これによりイギリスの駆逐艦「シェフィールド」と徴用輸送船「アトランティック・コンベイヤー」が沈没した。また、超低空飛行によって近距離までアルゼンチン空軍の攻撃機が接近するのをイギリス艦隊が探知が出来ず艦艇に被害が続出したため、早期警戒機の重要性が改めて認識された。 アルゼンチン軍で使用されていた12.7mm重機関銃M2によるイギリス海兵隊員の損害が激しい。これは、本来は陣地戦での攻防や対車両用に用いられるM2に、狙撃鏡を載せ遠距離から敵兵を単発攻撃する戦術をとったもので、本格的な大口径対人狙撃の嚆矢となった。特にサウスジョージア島での攻防では、イギリス海兵隊は敵陣にたどり着くまでに多大な犠牲者を出している。以後、対人大口径兵器は非人道的とされ、重機関銃の対人使用は国際条約によって禁止されている。そのため現在では大口径狙撃銃は対人ではなく対物の名を科されている。

参考HP:〜
フォークランド戦争の地図(イギリス軍の展開)
フォークランド諸島の地図(日本語)
フォークランド諸島の地図(詳細地図)
南極周辺の島々の地図(日本語)
ロザリオ作戦の地図(アルゼンチン軍のフォークランド島上陸作戦)

こちらで、領土の帰属をめぐる紛争地帯の
南砂諸島
西砂諸島
西砂海戦
北方四島
竹 島
ガ ザ
パレスチナ紛争
マルビナス危機

サウス・ジョージア島の戦い、をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        12/12/15
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