大航海物語
カティサーク号の大航海
1876/3/11

トリスタン・ダ・クーニャ島の沖を航海

参考資料
Gambia
帆船カティーサーク号

ガンビア 1998 発行

Tristan da Cuna
大西洋のど真ん中のトリスタン・ダ・クーニャ島沖を航海する帆船カティーサーク号、1876/3/11

トリスタン・ダ・クーニャ 2000 発行

・カティサーク号
  Tea clipper Cutty Sark 1869
カティサーク号は1869年に建造されたイギリスの快速帆船で、中国からイギリスまで紅茶を輸送する「ティークリッパー」としてジャック・ウィルス船会社(Jock Willis shipping line)の中国航路に就航し、いかに速く紅茶の一番茶を届けるかを競いました。でも、その建造時期はスエズ運河の完成直後であったため、ティークリッパーとして活躍した期間は短期間でした。

カティサーク号は現存する唯一のティークリッパーとしてロンドン近郊のグリニッジで保存展示されています。カティサークは紅茶貿易船として中国航路に就役して、中国からイギリスまで107日から122日で紅茶を輸送することができました。ティークリッパーとして極めて優秀な成績でしたが、最短輸送期間の記録を更新することも、ティーレースに勝利することもできませんでした。カティサーク号の競争相手はイギリスのジョージ・トンプソン・アンド・カンパニー社(George Thompson & Co)ホワイトスターライン(White Star Line)の帆船サーモピレー号(Thermopylae, 1868)で、その最高巡航速度は14.5ノット(時速約27km)、最高速度は20ノット(時速約37km)でした。カティサークの意味はスコットランド語(Scots)の「短い」(Cutty)「シュミーズ」(英:Chemise、スコ:Sark)で、ロバート・バーンズ(Robert Burns)作の詩「タモシャンター」(Tam o' Shanter)に登場する魔女に由来し、カティサーク号の船首を飾るフィギュア・ヘッド(船首像)はカティサーク(短い(下着の)シュミーズ)を身にまとった魔女であり、その手には馬の尾が握りしめられています。

1869/11/17、スエズ運河が開通する
         スエズ運河はほとんど無風で、帆船時代は急速に終焉を迎える
1869/11/22、スコットランドのダンバートン (Dumbarton) でカティサーク号進水式が挙行される
1872/06/17、カティサーク号とサーモピレー号が中国の上海を同日に出帆、ティーレース開始
1872/08/17、インド洋での悪天候でカティサーク号は舵を破損、ケープタウンで修理
1872/10/11、サーモピレー号がロンドンに入港
1872/10/18、カティサーク号がロンドンに入港
        カティサーク(122日)とサーモピレー(115日)は熾烈な競争を演じてイギリス到着
1878年、カティサーク号最後の航海、その後は紅茶輸送を引退
      以後5年間はイギリスからニューヨークへのジュート(Jute:黄麻)の輸送、
      ロンドンへのバッファローの角の輸送など、様々な業務に従事
1883年以降、カティサーク号はオーストラリア〜イギリス間の羊毛輸送に従事
      同じく羊毛輸送に転用されていたサーモピレー号とデッドヒートを演じるも、
      今度はカティサーク号が勝者となる
1885年、シドニーからイギリスまで72日間で航海するという大記録を打ち立てる
1889年、シドニーからイギリスまで79日間で航海、
      この時に最新鋭の蒸気船ブリンタニア号 (Brintania) を追い抜くという快挙を達成
1895年、カティサーク号がポルトガルに売却される。以後27年間ポルトガルと南米や東アフリカ
      の植民地との間で輸送業務に従事。ポルトガルではフェレイラ号(Ferreira)となる
1907年、ライバルのサーモピレー号がポルトガル海軍の標的艦で最期を迎える
1916年、南アフリカへの石炭輸送中に、フェレイラ号が帆柱を破損して、第一次世界大戦
      (1914-1918)中の資材不足で、マストの補修はなされず、2本マスト船に改装される
1922年、イギリス人船長ドウマン(Wilfred Dowman)が買って、カティサーク号に改名される
      ドウマンの補修で3本マスト船となり、ドウマン没後は妻がテムズ大学に寄贈する
1936年、航海学校 (Incorporated Themes Nautical Training College)で練習船となる
1951年、カティーサークトラスト(Cutty Sark Trust)に寄贈される
1954年、テムズ川に面するグリニッジに移され、博物館船(Museum ship)として保存展示される
      保存事業はカティサークトラストが行う
1957/6/25、内部も一般公開されロンドン市民に親しまれる(一時一般公開を中止)
2006/11〜2008年迄、2500万UKポンドで大規模な修理
        1869年建造当時の状態に復元する作業が開始される
2007/5/21、午前4時45分頃、カティサーク号の船体より出火、火災が発生
        作業現場に放置の掃除機の電源の消し忘れによる失火
2012/4/25、女王エリザベス2世が一般公開の再会を宣言
        船体を3m持ち上げてドックの側面からの支柱で支えて、
        観光客は入場料を払えば、
        船内や甲板だけでなく、船底を下から見上げることが出来るようになる。

・カティサーク号の装備:〜
  Cutty Sark
、1869
   Scottish clipper ship
船 型 イギリスの快速帆船
ティー・クリッパー(Tea Clipper)
カティサーク号

ガンビア 1998 発行
帆 柱 3本、高:15,6m
全 長 86m
全 幅 11m
喫水 7m、(積載時)
重 量 936屯:総トン数 (gross weight)
積載量 通常:601,010kg
最大積載量:1876年623,855kg
乗組員 28〜35人
進 水 1869/11/22、ダンバートン (Dumbarton)
最 後 1954年、
テムズ河畔のグリニッジで展示保存

参考HP:〜
カティサーク号の公式HP

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     12/11/12
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