United States

国連 1981 発行
切手で綴る USA東部の大都市
ニューヨーク
New York City

大航海物語
 アメリカ編

UNITED STATES POSTAGE
自由の女神像とニューヨーク港

USA 1947/7/20 発行

US Postage
ヴェラザーノ・ナローズ・ブリッジ
マンハッタンの西はハドソン川



ラザ
|ノ

ナロ|

・ブリ


マンハ

タン

ブル

クリン

スタテン島
橋の北はアッパー・ニューヨーク湾
橋の南はローアー・ニューヨーク湾

USA 1964/11/21 発行
DOMINICA
ハドソン船長がマンハッタン島を発見、1609
マンハ
ッタン


ハドソン船


|ヨ
|ク
現在のニューヨークとベラザーノナローズ橋
1609 ハドソン船長のマンハッタン島発見400年記念 2009
ドミニカ 2009 発行

GUERNSEY


|

|
ク総督アンドロス
ニューアムステルダム古地図、1660
現ロウアー・マンハッタン(左が北)

地図左端:1635年オランダ建設ウォール(街)
ガーンジー 1987/7/7 発行 (200%)
ANGUILLA
”自由の女神”と
ロウアー・マンハッタンの”
ニューヨーク・ツィンタワー

(テロ事件で崩壊した貿易センタービル、2001/9/11)
アンギラ 1976 発行

ニューヨーク
  New York City, State of New York, USA
  アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市、
  面積:1,214.4ku、人口: 8,175,133人(都市圏:18,897,109人、2010)、標高:平均10m

5郡(行政区:バロウ:Borough of New York City)有
(ブロンクス、ブルックリン、マンハッタン、クイーンズ、スタテンアイランド)
・ニューヨーク郡(New York County):マンハッタン区(Manhattan borough) 1,585,873人
・キングス郡(Kings County):ブルックリン区(Brooklyn borough) 2,504,700人
・クイーンズ郡(Queens County):クイーンズ区(Queens, borough) 2,230,722人
・リッチモンド郡(Richmond County):スタテンアイランド区(Staten Island borough) 468,730人
・ブロンクス郡(Bronx County):ブロンクス区(Bronx borough) 1,385,108人(計:8,175,133人)
参考:〜隣接都市
・サフォーク郡(Suffolk County, New York) 1,493,350人
・ナッソー郡(Nassau County, New York) 1,339,532人
・ウエストチェスター郡(Westchester County, New York) 949,113人

・ニューヨーク略史:〜
1524年、フランスの北西航路探検でイタリアのヴェラザーノ船長が現ニューヨーク地域に到達し、
      ヌーヴェル・アングレーム (Nouvelle Angouleme) と呼ぶ
      その当時、ここには約5000人のレナペ族インディアンが居住
1609、オランダの北西航路探検でイギリスのハドソン船長がニューヨーク湾とマンハッタン島を発見
    さらに川を遡上して現オルバニーに到達、その一帯をオランダ領と宣言
    なお、川は船長に因んでハドソン川(Hudson River, 507km)と命名されている
1610、オランダのモニケンダム市(Monnikendam)のシメン・ランベルツ・マウ船長(Symen Lambertz
    Mau)のスキッパー型商船(Skipper ship)がハドソン川で遭難、オランダに帰港せず
1611、コルネリス・リジェッサー船長(Cornelis Rijser)のスキッパー型商船(Skipper ship)がハドソン川
    付近からオランダのセント・ピーター港(St. Pieter)に無事帰港
    オランダのルーテル派商人集団の注文で、エイドリアン・ブロック船長(Adriaen Block、1567-
    1627)が仲間のヘンドリック・クリスチャンセン船長(Hendrick Christiaensen、1616没)とがハド
    ソン船長の探検したハドソン川地域を再訪しにオランダを出帆
1612、ブロック船長とクリスチャンセン船長がハドソン川付近を探検後、毛皮と現地人酋長の息子2人
    オルソン少年(Orson)とヴァレンティン少年(Valentine Christiaensen)を連れてオランダに戻る
1614、ブロック船長が1614年製の地図をオランダ議会に提出。当時のネーデルラント連邦共和国が
    新領土として、ニューネーデルラント(Duth New Netherland、1614-1674)の領有を宣言。
    毛皮交易がうまくいく可能性が生まれたので、ネーデルラント連邦共和国の政体であるスター
    テン・ヘネラール(Staten-Generaal:オランダの議会)が新しい国、港および経路を発見した者
    に、3年以内に4回の航海を行い、帰国後14日以内に詳細報告書を提出すれば排他的特許を
    与えるという声明を発布
1614/3/27、ヴァン・トィーンチュイセン商会(Van Tweenhuysen Co)傭船のブロック船長のタイガー号
    (Tyger)とクリスチャンセン船長のフォーチュン号(Fortuyn)が交易品を積んでアムステルダム
    港を新大陸へと4回目の航海に出帆
1614/5月、ブロック船長とクリスチャンセン船長がニューヨーク湾に到達、探検航海
    マンハッタン島南部に係船している時にタイガー号が失火で消失。その越冬中にブロック船長
    と乗組員は現地人レナペ族の協力で、全長12.8m、積載量16トンのオンラスト号(Onrust:トラブ
    ル(休み)なしの意)を建造して完成したオンラスト号でイースト・リバー(East River, 26km)を北
    上。ヘルゲート海峡(Hell Gate strait)を発見して抜け、コネチカットとロングアイランド島(Long
    Island, 190km)の間のロングアイランド湾(Long Island Sound)やコネチカット川(Connecticut
    River 655km)に入った最初のヨーロッパ人となり、マンハッタン島やロングアイランドが大陸で
    はなく島であることを発見、ロングアイランド湾を航行する間にフーサトニック川(Housatonic
    River 224km、ブロックは「赤い丘の川」と命名)やコネチカット川に入り、少なくとも96km上流の
    現在のハートフォード(Hartford, Connecticut)まで探検。ロングアイランド湾の外れではブロッ
    ク島(Block Island)を発見し、その島に自分の名前を付け、ナラガンセット湾(Narragansett
    Bay)では現在のロード島(Rhode Island、アクィドネック島:Aquidneck Island)に、その赤い大地
    の色から「ロードアイラント」(オランダ語のロードは「赤」)と命名。海岸一帯をオランダ領ニュー
    ネーデルラント(Duth New Netherland)と名付け、マンハッタンの南端に現地人との毛皮貿易
    のために植民地を建設して、ヨーロッパ人入植の始まりとなり、それが後に「ニューアムステル
    ダム」と呼ばれるようになる
    その頃、クリスチャンセン船長達が現エソパス町(Esopus, Ulster County, New York)近くで、ハ
    ドソン川の上流キャッスル・アイランドにオランダ最初の小さい居住地を建設したのがフォート・
    ナッソー砦(後のオルバニー)となる
1614/7月、ブロック船長がアムステルダムに帰国、
    コッド岬(Cape Cod, Massachusetts)で別遠征隊の船と出会い乗船、オンラスト号は岬に残す
1614/10/11、ブロック、クリスチャンセンなど12人の商人グループが、その地域の排他的交易権の請
    願書を提出し、彼らの新会社ニューネーデルラント会社(New Netherland Co. 1614-1621)が北
    緯40度線と45度線間で3年間の排他的権益を認められる
1616, クリスチャンセン船長が現地人オルソンにオルバニーで殺害される
1623、現在のニュージャージー州グロースターにオランダの砦フォート・ナッサウが建設される
1624、現オルバニーの始まりのフォート・オレンジ(オラニエ)が建設され、1618年以降に浸水被害を
    受けたナッソー砦を放棄してその代わりとなる(現ニューヨーク州々都オルバニー:Albany)
1624/5月、オランダはハドソン川のアッパー湾ノーテン島(Noten Eylant、現ガバナーズ島:Governos
    Island)に30家族を上陸させ、国際法の要求を満たして新植民地が成立
1625、マンハッタン島にアムステルダム砦が建設され、後のニューヨーク市の始まりとなる
    デラウェア川のヴェアハルステン島(Verhulsten Island、現バーリントン島:Burlington Island)に
    は砦フォート・ウィルヘルムス(Fort Wilhelmus)を建設
1626、オランダ植民地総督ピーター・ミヌイット(Peter Minuit, 1594-1638)が現地人レナペ族からマン
    ハッタン島を60ギルダー(2006年現在換算で約1000ドル)分の物品(24ドル相当の小間物)と
    交換して買い取り、その南に集落を作ってニュー・アムステルダムと名付けたことが現ニュー
    ヨーク市の歴史の始まりとされている(現地人には「土地を売る」という文化がそもそもなかった
    ので、この取引を理解していたかどうかは疑わしいとの否定説も有)
1652、オランダ西インド会社はフォート・オレンジから発展した村落共同体の名をベヴェウィク
     (Beverwyck) と命名
1653、ニューアムステルダムが正式に市(City)となる
1664/8/27、イギリスのフリゲート艦4隻がニューアムステルダム港に入ってきて、ニューネーデルラン
    トの明け渡しを要求、オランダ総督ストイフェサント(Peter Stuyvesant、在任1647-1664)は無
    抵抗で降伏。その後、イギリス人が町を征服し、イングランド王ジェームズ2世(ヨーク・アルバ
    ニー公)の名に因んで「ニューヨーク」と改名(ニューヨーク誕生
    ニューネーデルラントがイギリス領となると、ベヴェウィクがオルバニーに改名される
1672、オランダ総督オラニエ公ウィレム(1689年イギリス王となる)に因んで、「ニューオラニエ」と改名
1673/8月、オランダは第三次英蘭戦争中に当時の北アメリカでは最大の艦隊21隻で、一時ニューヨークを
    奪回してニューオラニエと改名
1674、第三次英蘭戦争のウェストミンスター和約でイギリスに再度引き渡され、ニューヨークに再改名
1674/2/9、イギリスのエドモンド・アンドロス卿がニューヨーク州総督に就任
1754、英国王ジョージ2世の勅許でロウアー・マンハッタンに王立コロンビア大学が設立される
1765、イギリス議会は植民地防衛のコストを捻出するため印紙法を可決
    これが植民地人の反発をまねき、アメリカ独立戦争への端緒となり、1766年撤廃
1765/10月、印紙法議会がニューヨークで開かれる
1773、ボストン茶会事件が勃発
1775、アメリカ独立戦争(1775/4/19-1783/9/3)勃発
   4/19、アメリカ独立戦争の契機となったレキシントン・コンコードの戦い(大陸軍の勝利)
   4/19、ボストン包囲戦(1775/4/19-1776/3/17)勃発(イギリスが封じ込められる)
   6/17、ボストン市北東部チャールズタウンでバンカーヒルの戦い(イギリス軍の辛勝)、等々
    その間ニューヨークでは大きな戦闘が繰り返し行われる
1776/11/16、アッパー・マンハッタンで行われたワシントン砦の戦い(アメリカ軍が大敗)
1776/8/27、ロングアイランドの戦いで英国のフィリップ・ドーヴェルニュが戦う(イギリス軍の圧勝)
      その後、ニューヨークはイギリス軍の北アメリカにおける軍事的・政治的拠点となる
    9/16、ニューヨーク市マンハッタン区モーニングサイド・ハイツの戦い(大陸軍の勝利)
    9/21、ニューヨーク大火災(市の4分の1が焼失)
   10/28、ウエストチェスター郡ホワイトプレインズの戦い(大陸軍が敗北)
   11/16、マンハッタン島ワシントンハイツのワシントン砦の戦い(イギリス軍の圧勝)、等々
1783、独立戦争が終わる
   11/23、英軍が撤退してジョージ・ワシントンがニューヨーク市に帰還、
1789/3/4、大陸会議でニューヨーク市がアメリカで最初の首都となる(-1790/12/5)
       (2番:ペンシルベニア州フィラデルフィア:1790/12/6-1800/5/14)
       (3番:ワシントンD.C.:1800/11/17-現在)
1789/4/30、初代大統領ジョージ・ワシントンの就任式がニューヨーク市マンハッタン区フィナンシャ
    ル・ディストリクトのウォール街にある合衆国議会旧議事堂フェデラル・ホール(Federal Hall,
    Financial District, Manhattan, NYCity)で挙行される
1789、フランス大革命勃発
1790、ニューヨークはフィラデルフィアを抜いてアメリカ合衆国最大の都市となる
1811、マンハッタン全域が格子状の通りで覆われる
1819、エリー湖とハドソン川上流を繋ぐエリー運河が開通、五大湖と大西洋の間の舟運が可能なり、
    大西洋の港と北アメリカ内陸部の広大な農業市場とが結ばれる
    セントラル・パークの建設が始まる(1857完成)
1827、ニューヨークで奴隷制が禁止され、北部における奴隷制廃止運動の中心地となる
1840、ニューヨークの黒人人口は1万6000人超となる
1845、アイルランドでジャガイモ飢饉(-1849)が起こり、カトリックのアイルランド移民が加速
    ニューヨーク市警察(New York City Police Department、略称:NYPD)が設置される
1848、ヨーロッパで「1848年革命」(フランス2月革命)勃発、プロテスタント系ドイツ系移民が増加
1860、アイルランド系の人口は20万人を超え、市の人口の4分の1となる
1863、南北戦争(1861-1865)時の徴兵制に対する不満でニューヨーク徴兵暴動が発生
1886、ニューヨーク港内、リバティ島に「自由の女神像」が誕生
1898、当時独立市ブルックリンと、ブロンクスの一部を含んでいたニューヨーク郡、リッチモンド郡、
    クイーンズ郡西部が合併、現在のニューヨーク市が形成される
1904、ニューヨーク市地下鉄が開通
    蒸気船ジェネラル・スローカム号がイースト・リバーで火災に遭い、乗船者1021人が死亡
1911、トライアングル・シャツウェイスト工場の火事で、146人の衣類製造工場労働者が死亡
1914、第一次世界大戦(World War I, -1918)勃発
    イギリスでは赤いポピーが第一次世界大戦犠牲者の象徴とされている
1917/4/6、アメリカがドイツへ宣戦布告(ドイツの無制限潜水艦作戦開始でアメリカが参戦)
1918/1/8、第28代米国大統領ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson, 在任:1913-1921)が
    国際的平和維持機構(後の国際連盟)の設立を呼びかける
1918/11/11、ドイツ軍と連合国軍との休戦協定成立
1919、国際連盟(1919/6/28-1946/4/20)本部がスイスのジュネーブに設置される
    ニューヨークハーレムでアフリカ系アメリカ人のアート、文学、音楽、文化、芸術のハーレム・ル
    ネサンス(Harlem Renaissance, 1919-1930)が勃興してくる
1920年代初頭、ニューヨーク市はロンドンを抜いて、世界で最大の人口を擁する都市となる
1920、禁酒法(Prohibition)が施行される(-1933)
    ハーレム・ルネサンスが栄え、それと同じころ急激な経済成長に伴い超高層ビルが競うように
    建てられ、街の風景は大きく変わる
1920/9/16、ランチタイムに市内の共和党過激派が現JPモルガン・チェース本社前でウォールスト
    リート爆破事件を起こし死傷者多数を出すテロ事件が発生
1921/08/11、アメリカがドイツと個別に和平条約を締結
1929/10/24、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落(暗黒の木曜日:Black Thursday)
    世界的な規模で各国の経済に波及した大恐慌(The Great Depression)が始まる
1930年初頭、ニューヨーク都市圏の人口が1000万人を超え、人類史上最初のメガシティとなる
1931、エンパイア・ステート・ビルが竣工するもテナントが見つからず空き屋多数で「エンプティ・ステ
    ート・ビル」」(空っぽのビル)となる
1933、 第32代大統領(在任1933/3/4-1945)フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt,
    1882-1945/4/12)のニューディール政策(New Deal series, 1933-1936)が始まる
1935、第二次ニューディール政策が開始される
    失業者への手当給付・生活保護から失業者の雇用へという転換を行い、WPA(公共事業促進
    局)を設立し、失業者の大量雇用と公共施設建設や公共事業を全米に広げる
1939/4/30、ワシントン大統領就任150周年記念でニューヨーク万国博覧会(-10/31)が開催される
1939/9/01、ナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻で第二次世界大戦(-1945/9/2)が勃発
1941/12/7(日)、大日本帝国がハワイ真珠湾を攻撃(日本時間:12/8(月)、太平洋戦争が勃発
1945、大日本帝国無条件降伏第2次世界大戦終結
    第二次世界大戦からの兵士の復員によって、戦後経済の勃興が始まり、クイーンズ東部で広
    大な住宅地域の開発が進み、ニューヨークは戦争の傷跡を見せずに世界の一流都市へと成
    長。ウォール街はアメリカを世界経済の覇者へと押し上げる
1950、ニューヨークのマンハッタン東辺に国際連合本部ビルが完成
1969/6/28、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」
    を警察が手入れしてストーンウォールの反乱(Stonewall riots、権力に
    よる同性愛者らの迫害に立ち向かう抵抗運動)が発生
1972、マンハッタンの南端に世界貿易センタービル(旧称フリーダム・タワー、
    110階、417m)が完成
1977/7/13、ニューヨーク大停電が25時間以上も続き、略奪行為などで逮捕者
    3,000人以上となり刑務所が満員になり旧刑務所(The Toms)を復活
1993/2/26、世界貿易センター(タワー1)地下でトラックが爆発、世界貿易セン
    ター爆破事件が起こる
2001/9/11、アメリカ同時多発テロ事件が発生、ニューヨーク世界貿易センタ
    ービル(World Trade Center)が倒壊、約3000人が亡くなる
国連本部ビル

国連 1951 発行
2003/8/14、16時11分にニューヨークは北アメリカ大停電に見舞われ、一日中電力は回復せず
    1977年の時とは違い大きな強盗事件は起こらず
2012/10、ハリケーンのサンディ(Hurricane Sandy)が通過、ニューヨーク証券取引所が2日(29、30)
    取引を停止し、浸水で地下鉄が全面的に停止などの被害が有。

オランダ建設の砦(Dutch forts)
1614、フォート・ナッソー(クリスチャンセン船長が建設)
    (Fort Nassau, -1624, North River, Albany, New York), 浸水で放棄
1623、フォート・ナッサウ(後のフォート・カシミール:Fort Casimir)
    (Fort Nassau, -1651, near South River, Gloucester, New Jersey)
1624、フォート・オレンジ(フォート・オラニエ:Fort Oranje、現オルバニー)
    (Fort Orange, Castle Island, North River, Albany, New York)
1625、フォート・アムステルダム
    (Fort Amsterdam, Manhattoes harbor, mouth of the North River)
星型要塞の例

ペルー 1936/8/27 発行
    (アレクサンダー・ハミルトン税関所、Alexander Hamilton U.S. Custom House)
1625、フォート・ウィルヘルムス
    (Fort Wilhelmus, South River, Burlington Island, soon abandoned)
1633、フォート・ヒュイス・デ・ゴーデ・ホープ(グッド・ホープ砦)
    (Fort Huis de Goed Hoop, Park River, near Fresh River, Hartford)
1633、コネチカット川に侵入者から川の交通を守り、先住民族と毛皮交易を営む砦フォート・ヒュイス・
    デ・ゴーデ・ホープ砦(Fort Huis de Goed Hoop)を建設
    今日のコネチカット州ハートフォード(Hartford, Connecticut)の始まりとなる
1651、フォート・カシミール
    (Fort Casimir, South River, New Castle, Delaware,
     Fort Trefaldigheets (1652-1654) 後:New Amstel Fort)
1651、ビーヴァースリード
    (Beversreede, Schuylkill River, Southwest Philadelphia, near South River)
1652、西インド会社はフォート・オレンジから発展した村落共同体をベヴェウィク (Beverwyck) とする
1655、フォート・アルテナ
    (Fort Altena, 後クリスチナ砦(Fort Christina、Wilmington)

参考HP:〜
ニューヨーク市の区分地図(5行政区)
ニューヨーク湾付近の古地図(ロングアイランド有、ハドソン川三角江付近の地図)
ニューヨーク付近の地図(Googleマップ)

こちらで
世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     2014/12/12
スタンプ・メイツ
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