大航海物語
ペスト
16世紀大航海時代ポルトガル、スペインで、
ペストが大流行
参考資料
Free Stadt Danzig
Robert Koch ロベルト・コッホ

ダンチッヒ 昭和13年 1939 発行
日本郵便 NIPPON
北里柴三郎
 
日本 平成4年 1993 発行

コッホ(1843/12/11〜1910/5/27)は、ドイツ・クラウシュタール生まれの医師で、細菌学者で、炭疽菌(1876年に炭疽菌の純粋培養に成功し炭疽の病原体であることを証明)、結核菌(1890年にツベルクリン(結核菌ワクチン)を創製)、コレラ菌(1883年にインドで発見)の発見者であり「近代細菌学の開祖」といわれています。

北里柴三郎(嘉永5/12/20(1853/1/29〜昭和5(1931)/6/13)に肥後国北里村(熊本県阿蘇郡小国町)は、代々総庄屋を務める家に生まれ、ドイツのベルリン大学に留学して、コッホの弟子となり、1889年に共同で世界で最初に破傷風菌の純粋培養に成功、1890年に世界で始めて血清療法を発見し、ジフテリア毒素と破傷風毒素に対する抗血清を開発し、1892年に日本に戻り福沢諭吉の援助により慶應義塾大学に「私立伝染病研究所」を設立し、ペスト菌発見(1894年に香港で破傷風菌を純粋培養してペスト菌を発見)し、日本の「細菌学の父」といわれています。
ペスト
  Bubonic Plague

ペストは、人体にペスト菌(Yersinia pestis:エルシニア・ペスティス)が入ることにより発症する病気。日本では感染症法により一類感染症に指定。ペストは元々齧歯類(特にクマネズミ)に流行する病気で、人間に先立ってネズミなどの間に流行する事有。菌を保有したネズミの血を吸ったノミ(特にケオプスネズミノミ)に人が血を吸われた時にその刺し口から菌が侵入したり、感染者の血痰などに含まれる菌を吸い込む事で感染。人間、齧歯類以外に猿、兎、猫などにも感染。かつては高い致死性を持っていた事や罹患すると皮膚が黒くなる事から「黒死病」と呼ばれました。14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割(1/3?)が命を落としたともいわれています。

ローマ帝国で大流行があり、それはヨーロッパで最初に記録に残っているペストの流行で、542年から543年にかけてローマ帝国で流行しました。当時は「ユスティアヌスの斑点」と呼ばれました。

記録されている最初の大流行は西暦540年ごろ、ビザンチン帝国で始まり、首都コンスタンチノープルでは市民の40%が犠牲になりました。2度目の大流行は14世紀のヨーロッパで、シチリア島から始まって、大陸に上陸し、その勢いは激しさを増してついにはドーバー海峡を渡ってイギリス全土へと広まりました。この大流行で、ヨーロッパの人口の3分の1にあたる約4400万人もの人がペストで死亡したといわれています。その後、1894年に香港で発生したペストは、海路から全世界に広まりました。これが3度目の大流行と言われています。最大の被害が出たインドでは、1896〜1936年の間に1200万人もの犠牲者が出ました。

14世紀の大流行は、中世ヨーロッパにおけるペストの伝播で、472年以降ペストは西ヨーロッパから姿を消していましたが、14世紀に全ヨーロッパにまたがるペストの大流行が発生。当時はモンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられ、1347/10(1346年?)、中央アジアからイタリアのメッシーナに上陸。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介したといわれています。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し猛威を振いました。正確な統計はありませんが、当時のヨーロッパ人口の3割(3分の1)が死亡したといわれ、ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼしました。イギリスでは労働者の不足に対処するため、1349年にエドワード3世がペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令発布。

また、ユダヤ教徒の犠牲者が少なかったとされ、ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んだなどのデマが広まって、迫害や虐殺が行われました。なお、ヨーロッパへ上陸する前後にイスラム世界(イスラム帝国)も流行していました。

1348年、スペインのセビリアでは、異教徒として収監されていた多くのイスラム教徒は、その頃この地で大流行していたペストから逃れることができました。この現象について、イスラムの医学界第一人者であるイブン・ハーティーマは、「監獄」に「隔離」されていたことが「ペストからの回避」という奇跡を起こしたと考えつきます。この隔離という着想は、しだいに「検疫制度」へと発展し、1388年にフランスのマルセイユで検疫所が造られました。ペストの流行地から入港した船の乗組員は、マルセイユから少し離れた島に30日間拘留されて、その期間にペストが発病しなければ上陸の許可がおりました。ベネチアでは1403年にこの検疫制度が導入されており、ここでは拘留期間が40日となっています。この水際作戦の確立によって、ペストは徐々にヨーロッパから姿を消していきました。

1570年頃には、ポルトガルのリスボンでペストが大流行しました。その頃にインドのゴアから帰国したポルトガルの伝説的な国民的叙事詩人で、ポルトガル詩聖の1人「ルイス・ヴァス・デ・カモンイス」が、その代表作”ウス・ルジ−アダス”を出版するのに手間取ったと伝えられています。

その後も、ペストは17-18世紀頃まで何度か流行。スペインでは大航海時代の最盛期だったフェリペ2世治世化下の1596年から3年間に渡る大流行がありました。

1665年にはロンドンで流行し、およそ7万人が死亡。後にダニエル・デフォーは「疫病の年」(A Journal of the Plague Year、1722年)で当時の状況を克明に描きました。2004年に英国で出版された「黒死病の再来」という本によると、当時の黒死病は腺ペストではなく出血熱ウイルス(エボラのような)だったと書いています。北里柴三郎の研究・努力により抗血清でペスト等を治す方法はできましたがエボラは有効な直し方は無くいまだに脅威があります。

ペストは現代において撲滅されたのかというと、そうではなく、先進国では抗生物質の開発やノミやネズミの駆除などで発生は抑えられていますが、インドでは1994年9月に流行しました。インド西部の町スラートで肺ペストが発生して、病院襲撃や殺人、強奪が相次ぎ、混乱に陥った人々は脱出を図りました。しかしこの人々の大移動によってペストはインド全土に広まってしまい、中世で確立された隔離や検疫制度から学んだ教訓は生かされませんでした。その結果わずか数週間で2500人のペスト患者が発生して、50人の死亡が報告されました。

日本には、明治になって国外から侵入したのが初のペスト流行で、本来日本国内にはケオプスネズミノミは生息せず、したがってペストはなかったとされています。なお、1926年以降は日本では発生していません。

中世ヨーロッパの魔女狩りで、魔女の手先だとされていた猫が大量虐殺され、そのためにネズミが大発生し、ネズミによって運ばれたペスト菌によってペストが大流行してしまったという説があります。でも、魔女狩りは、中世ではなく、近代17世紀の事件ですよね。

なお、共同研究者のベーリング(Emil Adolf von Behring ドイツ 細菌学者 1854-1917 ハンスドルフ生)、ジフテリアと破傷風の抗毒素を発見で、1901年に第1回ノーベル生理学医学賞受賞。北里柴三郎博士はノミネートに留まりました。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       

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