大航海物語
ゴールド・ラッシュ (V)
1858〜カナダ・フレーザーキャニオン
1896〜カナダ・クロンダイク

参考資料
CANADA
フレーザー河のゴールドラッシュ
砂金採り、1858


ゴールドラッシュ 100年 記念
カナダ 1958/5/8 発行
クロンダイクのゴールドラッシュ
クロンダイクへの峠を越える、1898

ゴールドラッシュ 100年 記念
USA 1998/8/21 発行


ブリティッシュコロンビア州創設 現在のカナダ州区分地図


ブリティッシュコロンビア州
米アラスカ州

ユーコン準州



カナダ 1981 発行


カナダのゴールド・ラッシュ(1858〜)
 Gold Rush in Canada

・カナダのゴールドラッシュは
 (1)フレーザー・キャニオン・ゴールドラッシュ、1858-1860
   @リットン村ゴールドラッシュ
   Aフレーザー・キャニオン戦争
   Bネッド・マッゴワンの戦争
   Cその他付近のゴールドラッシュ
   Dブリティッシュコロンビア植民地の創設
 (2)クロンダイク・ゴールドラッシュ、1897
が良く知られています。

(1)フレーザー・キャニオン・ゴールドラッシュ
  (Fraser Canyon Gold Rush、1858)
フレーザー・キャニオン・ゴールドラッシュは、フレーザー河(Fraser River, 1,375km)水系で砂金が発見されて、数万の人が押し寄せたことからゴールドラッシュになりました。右の切手はカナダのブリティッシュ・コロンビア州(British Columbia, canada)でのゴールドラッシュで、砂金を探す山師(フレーザー河のゴールドラッシュ)の図案です。ゴールドラッシュ100年記念で、1958年に発行されました。
フレーザー河の砂金採り

@フレーザー渓谷のリットン村ゴールドラッシュ
  (Lytton First Nation village, Thompson-Nicola Regional District, British Columbia)
1857年にフレーザー河と、その最大支流トムソン川(Thompson River, 489km)との合流地点から数q上流のトンプソン・ニコラ地域リットン村で砂金が発見されました。その噂が、1849年からゴールドラッシュが先発していた米国カルフォルニアのサンフランシスコ(San Francisco)に伝わると、米ワシントン州方面からファンデフーカ海峡を渡ってカナダ側にあるバンクーバー島ビクトリア村(Victoria)に金探しの男達が、どっと押し寄せ、最初は約500人しかいなかった人口が、1ヵ月以内に3万人にも膨れ上がりました。その内の約4,000人は中国人だったといわれています。急な人口増加で、翌年にはブリティッシュ・コロンビア植民地(Colony of British Columbia, 1858-1866)が創設(1858/8/2)されました。ところが金が見つからなかったり、夏に川の増水で作業できなかったりして、秋になると数万人の男達が逃げたして、多くはサンフランシスコに戻り、短期間で終息しました。

Aフレーザー・キャニオン戦争
  (Fraser Canyon War、1858/8/9-8/21)
 場  所:カナダのブリティッシュコロンビア州イェール周辺の渓谷
 交戦国:白人金鉱夫達(3,000) VS 先住民ナラカンパム大連合(2,000)
 指揮官:セントラス隊長〜オーストリア部隊
      グラハム隊長〜ワットコム部隊
      スナイダー隊長〜ニューヨーク・パイク・ガード部隊
 勝利者:全面対戦前に和平条約成立
 損  害:不明なるも、先住民の被害大、ワットコム隊は同士討ちで全滅
ゴールドラッシュの間に米カリフォルニアから数万人の金鉱夫の山師が、カナダ新設のブリティッシュ・コロンビア植民地イェール周辺の渓谷コロニーに侵入し、ハドソン湾会社(Hudson’s Bay Company:HBC、1670-2008)の毛皮業者と先住民の間に確立されていたバランスを乱しました。1858年の秋(1858/8/19設有)、金鉱夫とキャニオンの先住民ナラカパマックス族(Nlaka'pamux:Nlakapamuk)の間で緊張が高まり、フレーザー・キャニオン戦争が勃発しました。白人の金鉱夫達と先住民の双方に多くの損害をだして、まもなく和解の条約が締結されました。1858/8/27にスナイダー条約と呼ばれる6つの条約が成立して終息しました。

・両軍の編成
先住民の戦闘員は、ブリティッシュ・コロンビア州イェール(Yale, British Columbia)近郷フレーザー・キャニオンのヌラカパンパクス族(Nlaka'pamux people)、ブリティッシュ・コロンビア周辺のトンプソン・キャニオン(Thompson Canyon)金鉱付近などから集められた六つ部族の大規模なナラカンパム連合(Nlakapamuk Union)で、ヌラカパンパクス族(Nlaka'pamux)、セクワペムク族(Secwepemc)、二コラ族(Nicola)、オカナガン族(Okanagan)などの戦士同盟でした。

対する白人金鉱夫達は、大半がアメリカ人でしたが、ニカラグアで働いていたドイツ人やフランス人の傭兵も含めて結成されました。

紛争に対応するため緊急に組織された民兵部隊は:〜
・ジョン・セントラス隊長(Captain John Centras)指揮のオーストリア部隊(Austria Company)は、1853年にニカラグアにて、他国で非合法な軍事行為で革命・反乱・分離独立などを起こして政治的・経済的な利益を得ようとするフィリバスター (Filibuster) のウィリアム・ウォーカー(William Walker、ニカラグア大統領(在任1856-1857)、1824-1860)の運動に従事したフランスとドイツの傭兵で、その後カリフォルニア州の金鉱山の鉱山労働者になり、続いてフレーザー・ゴールド・ラッシュのニュースがサンフランシスコに達した時にやって来たフランスとドイツの金鉱夫で構成されました。

・グラハム隊長(Captain Graham)指揮のワットコム部隊(Whatcom Company)は、主に南部で構成され、その名は米ワシントン州ワットコム郡ピュージェット湾ベリンハム(Bellingham, Puget Sound, Whatcom County)から名付けられた部隊でした。

・スナイダー隊長(Captain Snyder)指揮のニューヨーク・パイク・ガード部隊(New York Pike Guards)は、最大の部隊でした。スナイダー大尉は好戦的部族と友好的部族を区別することを提案し、友好的な先住民が平和の印しとして白い旗を表示するようにメッセンジャーを渓谷へ送りました。

・キャニオン戦争、戦闘の経過
先住民ヌラカパンパクス族は、金鉱夫が彼らの土地に侵入して川を荒らして秋サーモン漁を台無しにし、女性を襲うので困っていました。1858/6月に若いヌラカパンパクス族の女性がフレーザー渓谷リットン村近くのカラカ・バー(Kanaka Bar)でフランス人鉱夫グループにレイプされた事が切っ掛けに、その報復でヌラカパンパクス族はフランス人金鉱夫数人を殺害して首を切って遺体を川に投げ込みました。またゴールドラッシュの中心的なイェールの町は人口5,000人にもなって無法地帯と化し、その近くのヒルズ・バー(Hill’s Bar)でも同様の事件が起こったので、先住民と金鉱夫間の紛争が深刻化し、緊張が高まりました。

1858/7月に金鉱夫25人がオカナガン谷(Okanagan Valley)を通過してフレイザー渓谷(Fraser Canyon)にきて、先住民のテント村を襲って食料などを盗み、テント小屋を破壊しました。翌日テント村に戻った先住民達が金鉱夫、10〜12人を殺害、同じくらいを負傷させたので、先住民と金鉱夫の緊張が益々高まりました。

1858/8/9、白人金鉱夫部隊3,000人はイェールから、スパッズム(Spuzzum)へ進撃して駐屯。スナイダー隊長とセントラス隊長の部隊は川の東側を横断。スナイダー隊長はグラハム隊長のグループを川の西側に送りました。ニューヨーク・パイク・ガード部隊とオーストリア部隊は北での抵抗がなくなり、リットン村近くのナラカパンパウ族居住地の都カムチン(Camchin)集落へ休戦提案を送りました。一方、グラハム隊長の部隊はキャニオンの西岸を駆け上り、先住民の食糧漁場やジャガイモ畑を破壊するも、先住民のほとんどの人たちは渓谷に面した深い山に撤退、避難しました。

8/14にはワットコム部隊が何の備えもしていない平和な先住民ウィグワム(テント小屋)村を襲い、9人を殺害、同数を負傷させ、3人を捕虜にしました。また別の部隊は、3つのウィグワム村を襲い、そこにいた男・女・子供を皆殺しにして、村を焼き払いました。

ところがその夜、野営宿泊していた部隊は夜間の真っ暗な中でパニック状態になって、お互いに銃撃するという同士討ちに陥りました。その銃撃戦は、先住民の攻撃ではなく、ライフル銃の落下や失火によるパニック反応で、すべてが暗闇の中でお互いに撃ち合ったので、ワットコム部隊は一掃され全滅、2〜3人しか生き残ら

ウィグワム     カナダ 2001 発行
なかったことが判明しました。

一方、カムチン集落ではヌラカパンパクス同盟の人が集結して、酋長会議を開きました。オカナガン族、シュスワップ族(Shuswap)、ボナパーテ族(Bonaparte)、サヴォナ族(Savona)とカムループス族(Kamloops)は戦争が宣言されれば戦うと約束しました。

首長の一人スピントラム酋長(Spintlum)が、多くの人に平和を追求するよう説得力のある雄弁な演説をしました。スピントラム酋長が平和を訴えていなかったならば、フレーザー・キャニオンと周辺の多くのカナダ先住民(First Nations)が戦争に巻き込まれていたと伝えられています。
カナダ先住民の酋長会議

カナダ 2001 発行

交戦的なナラカパマックス族の首長の一人は、集まった戦士たちを駆り立てて、白人を一度、抹殺しようと主張しました。だが和平的なカムチン集落のスピントラム酋長は、全ての白人男性を抹殺することは不可能で、戦争が続けば何千人もの白人戦士が来て、この国を占領し、全ての先住民を永遠に抹殺するだろうと語り、新植民地ダグラス総督(Sir James Douglas, 1803-(在任1858-1864)-1877)と良好な関係を保つ平和共存を説得しました。また、ほとんどの先住民がマスケット銃を持っているのに対して、白人は彼らより進んだ最新式ライフル銃を持っているという話が、会議でフェンスに座っている酋長達を説得するのに役立ちました。

8/21にスナイダー隊長など白人民兵部隊がリットン村に到着。和平交渉のためにスナイダー隊長はセントラ隊長と共に、ヌラカパンパクス族酋長会議の真っ只中に進み、先住民2,000人が取り巻く中で酋長27人と会見しました。その結果、1858/8/27にスナイダー条約(Treaty of Snyder)と呼ばれる6つの和平条約が成立、締結しました。いずれもかならずしもキャニオンの共存とそれを裏打ちする金鉱山の作業に対処してはいなかったと伝えられています。

1858/8/2に大英帝国がブリティッシュ・コロンビア植民地を創設すると、1858/8/30にダグラス総督(Sir James Douglas, 1803-1877)が英海兵隊(Royal Marines)20人、英工兵隊(Royal Engineers)15人を率いてバンクーバー島ビクトリア村を出発。9/13にイェールに到着すると、フレーザー・キャニオン戦争は終わっていました。ダグラス総督は現地で大英帝国法による平和共存の確立を命じて、9/20にヴィクトリアに帰着しました。

Bネッド・マッゴワンの戦争
 (McGowan's War、1858、Bloodless war)
 場  所:カナダのブリティッシュコロンビア州イェール近郷ヒルズ・バー付近
      (Hill’s Bar, Yale, British Columbia, Canada)
 交戦国:ブリティッシュコロンビア州植民地とアメリカ人金鉱夫
 指揮官(指導者):ムーディー副総督 VS エドワード・マッコワン
 勝利者:ムーディー副総督
 損  害:犠牲者の無い無血戦
フォート・イェール砦(Fort Yale)を中心にフレーザー・キャニオン・ゴールドラッシュで人口が急増した町イェールから約8km下流に金鉱山ヒルズ・バーが出現しました。そこで最も豊かな金鉱山主のネッド・マッゴワン(Edward "Ned" McGowan, 1813-1893)の下で働くアメリカ人金鉱夫が、1858年のクリスマス・ダンスパーティー(Christmas Dance)にてイェール町の黒人理髪店で黒人ディクソン(Isaac "Ikey" Dixon)に乱暴をはたらいた容疑で逮捕されて、イェール町の「保護預かり所」に入れられました。それを聞いたヒルズ・バー金鉱山のネッド・マッゴワン鉱山主が率いるアメリカ人金鉱夫達とイェール町との間で、緊張が高まりました。イェール町は危機感からバンクーバー島ヴィクトリアのダグラス総督のもとへ救援を要請しました。すると、1858/12月にリチャード・クレメント・ムーディー副総督(Richard Clement Moody, first Lieutenant-Governor of British Columbia, 1858/10-1863/7) が英工兵隊コロンビア・デタッチメント部隊(Royal Engineers, Columbia Detachment)22人とマシュー・ベイリー・ベビー判事(Sir Matthew Baillie Begbie 1819-1894) を率いてイェール町フォート・ラングレー(Fort Langley)に到着。ムーディー副総督とマッゴワン鉱山主とが会談してベビー判事の尽力もあって、犠牲者をだすことなく平和裏に解決しました。なお、鉱山主が莫大な罰金を払ったとの設も有。

Cその他付近のゴールドラッシュ
・クイーン・シャーロッツ・ゴールドラッシュ
  (Queen Charlottes Gold Rush、1850)
  クイーンシャーロッツ島ハイダ・グアイ族村近郷
  (Haida Gwaii、Queen Charlotte Islands)
・トランキル・ゴールドラッシュ
  (Tranquille, Kamloops Lake Gold Rush、1856)
  (トンプソン川源流域カムループス湖トランキル・ゴールドラッシュ)
・カリブー・ゴールドラッシュ
  (Cariboo Gold Rush、1861-1867)
(マイナーゴールドラッシュ、1859-1869)
・ブラックフット・ゴールドラッシュ 、1859
  (Blackfoot Gold Rush, 1859)
・シミルカミーンリバー・ゴールドラッシュ 、1861
  (Similkameen Gold Rush, 1861)
・ロッククリーク・ゴールドラッシュ
  (Rock Creek Gold Rush)
・ピースリバー・ゴールドラッシュ、1861(別名フィンレイ・ゴールドラッシュ)
  (Peace River Gold Rush, 1861)
・スティキーンリバー・ゴールドラッシュ、1861
  (Stikine Gold Rush, 1861)
・シャスワップレーク・ゴールドラッシュ (Spallumcheen Lake)
  (Shuswap Gold Rush、Spallumcheen River)
・チェリークリーク・ゴールドラッシュ ( )
  (Cherry Creek Gold Rush チェリービル(Cherryville)
・ビッグベンド・ゴールド・ラッシュ 、1865
  (Big Bend Gold Rush, 1865)
・オミネカ・ゴールドラッシュ
  (Omineca Gold Rush)
・ワイルドホースクリーク・ゴールドラッシュ (フィッシャービルとフォートスティール)
  (Wild Horse Creek Gold Rush (Fisherville and Fort Steele)
・ゴールドストリームリバー・ゴールドラッシュ
  (Goldstream Gold Rush, Goldstream River 1863)
・リーチタウン・ゴールドラッシュ
  (Leechtown, 1864-5)
・クリスティーナ・レイク・バーント盆地・ゴールドラッシュ
  (Burnt Basin、Christina Lake Gold Rush)
・スチュワート・ゴールドラッシュ
  (The Stewart Gold Rush)
・アトリン・ゴールドラッシュ、 アトリン湖の東岸
  (Atlin Gold Rush, 1898)
・ブリッジリバーキャヨーシュ・ゴールドラッシュ
  (Bridge River Cayoosh Gold Rushes 1870s-1890s)
・ゴールデンキャッシュ・ゴールドラッシュ(リロオエット村周辺)
  (Golden Cache Gold Rush, 1896-1899、Lillooet)
・ヤラコム・ゴールドラッシュ
  (Yalakom Gold Rush, 1941)
などが有。

Dブリティッシュコロンビア植民地の創設
1858年にブリティッシュ・コロンビア植民地(Colony of British Columbia、1858-1866)が創設
※ラッシュは1927年頃までに大部分が終了しました。

参考HP:〜
フレーザー河の流域地図
クイーンシャーロッツ島の地図(ハイダ・グアイ島)
クイーンシャーロッツ島の場所地図(ハイダ・グアイ島)

(2)クロンダイク・ゴールドラッシュ
  (Klondike Gold Rush、1896-1899)
クロンダイク・ゴールドラッシュは、アメリカ合衆国アラスカ州国境近くのカナダのユーコン準州(1898創設)クロンダイク地方(Klondike, Yukon territory, Canada)ユーコン河(Yukon River, 3,190km)支流クロンダイク川(Klondike River, 160km)周辺で起きたゴールドラッシュです。1896年8月にクロンダイク地方で金鉱が発見されたニュースが米シアトルやサンフランシスコに伝わると、一獲千金を狙う人々が大挙し殺到。ゴールドラッシュで出来た町ドーソン・シティー(Dawson City)は一時人口が3万人以上にまで膨れ上がりました。10万人以
ゴールドラッシュでクロンダイクへの採掘希望者が長い行列をなして
チルクート峠を越える

上がクロンダイクを目指すも、厳しい気候や地形の険しさのため到達出来たのは3〜4万人、その中で幸運にも金を採掘出来たのは約4,000人と言われています。

1899年に米アラスカ州ノーム(Nome, Alaska, USA)で金鉱が発見されると、クロンダイクから人口流出が起きゴールドラッシュも終焉することになりました。ユーコン・ゴールドラッシュとも呼ばれます。

参考HP:〜
 ・カリフォルニアのゴールドラッシュの地図
 ・カリフォルニアの地図
 ・カリフォルニアの地図(日本語)
 ・クロンダイクの地図
 ・クロンダイクへのルート地図(富者の道、貧者の道)

こちらで、
ゴールド・ラッシュ (I) (アメリカ)
ゴールド・ラッシュ (II) (オーストラリア)

ラスコー洞窟の岩絵 (フランス世界遺産)
ペトラ遺跡 (ヨルダン世界遺産)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本世界遺産)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     2018/5/18

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