France

国連 1980 発行
切手で綴るヨーロッパの国々
フランス共和国
Republique francaise

大航海物語
  地図編

REPUBLIQUE FRANCAISE
La Poste 1990
フランス国土地図アトラス

INSTITUT GEOGRAPHIQUE NATIONAL
フランス 1990 発行
RF
La Poste
フランス国土地図


d'amenagement du ferritoire 1963-2003
フランス 2003 発行

凱 旋 門
シャンゼリゼ通り西端 エトワール凱旋門

11 NOVEMBRE 1938
第1次大戦勝利20周年記念の寄付金付切手
両側に林立する軍旗、凱旋門をパレードする
フランス及び連合軍の戦勝記念行進

フランス 昭和13年 1938/11/11 発行
エッフェル塔

1889 エッフェル塔50年記念 1939
フランス 昭和14年 1939/5/5 発行

世界遺産 モン・サン・ミッシェルとその湾
モン・サン・ミッシェル
(Mont Saint-Michel)

フランス 1998/6/6 発行
フランス大革命
バスティーユ牢獄襲撃、1789

フランス 1971 発行
マリー・アントワネット妃

チャド 1971 発行
ルーヴル美術館
(Musee du Louvre)


1793 ルーヴル美術館200年記念 1993
フランス 1993/11/20 発行
アルプス山脈シャルトルーズ山地
グラン・ソム峰(Grand Som)1,772 m


大シャルトルーズ修道院
Monastere de la Grande Chartreuse

フランス 1984 発行
西ヨーロッパ最高峰モンブラン峰、4,807m(白い山)
   が有るアルプス山脈。
ここ

フランス 1984/8/25 発行

Rep. di San Marino
モンブラン大山塊(Mont Blanc massif)の峰々(?)
マッターホルン峰

Cervin、 4,478m
トレシメディラヴァレド峰

Tre Cime di Lavaredo, 2,999m
デント・デュ・ジェアン峰

Dente del Gigante, 4.014m
ティターノ峰

Monte Titan,o, 739m
サッソルンゴ峰

Sassolungo, 3.118m
(モン・セルヴァン山) (3ピーク山) (巨人の牙山) (サンマリノの3つの塔) (南チロエル最高峰)
サンマリノ 1962/6/14 発行

REPUBLIQUE FRANCAISE
マルセイユ(Marseille)

プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方ブーシュ=デュ=ローヌ県
(Bouches-du-Rhone department, Provence-Alpes-Cote d'Azur region)
フランス首都 パリ(Paris)巴里

イル=デ=フランス地方パリ県
(Paris department, Ile-de-France Region)
リール(Lille)

オー=デ=フランス地方ノール県
(Nord department, Hauts-de-France region)
リョン(Lyon)

オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地方メトロポール・デ・リヨン県
(Metropolis of Lyon department, Auvergne-Rhone-Alpes Region)
フランス 1949 発行

凱旋門(Triumphal Arch)は古代ローマ人によって創始された戦勝祝賀のための記念建造物です。パリの凱旋門は1806年ナポレオン1世皇帝の命により「フランス陸軍の栄光を称える」ため、シャルグランの設計によって、1835年に完成しました。高さ50m、幅45m、奥行22mの巨大な記念碑は壁面にリュ−ド作の”ラ・マルセイエーズ(進軍)”の浮き彫り装飾があります。その大アーチの真下には1920年以来、永遠の灯とともに無名戦士の墓碑が安置されています。パリのエトワール広場に有るので「エトアール凱旋門」と呼ばれています。
なお、この広場は現在はシャルル・ドゴール広場と改称されています。

エッフェル塔(La tour Eiffel)はフランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造されるべくコンペティションが開かれました。その時の講評は「1889年の万国博覧会用に建てられる塔は決定的な特徴をもち、金属産業の独創的傑作として出硯しなければならない。この目的に十分かなうのはエッフェル塔のみと思われる」でした。建設当時の高さは312.3m(基部を含)で、現在は放送用アンテナが設置されたため、324m。展望台は、高さ57.6m、115.7m、276.1mの3ヵ所に有。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動しています。
フランスは人口:6,008万人(1999/7/6)、面積:54万7,000ku、宗教:カトリック90%、プロテスタント2%。国土面積が日本の約1.5倍の所に、日本の約半分の人が住んでいるんだ。しかも日本と違って 山は南東(ピレネー山脈)と東(アルプス山脈)の国境付近に有って、国土のおよそ2/3以上が平野(国土の60%が標高250m以下)で、平ったい所がずいぶんと多いわけです。だから、フランス人の過半数は日常、高い山を見ることが無いと言われています。フランス人にとって山地とは国の外れであり、国の垣根で一般の大衆とは無縁の物とされているそうです。フランスの農業用地率は、じつに54.6%も有って、日本(14.7%)の4倍近くも有るわけで、率でこれだから、実面積がどれほど広大かは想像もできませんですね〜ぇ。フランスの食料自給率は130%で、日本はわずかに40%ですよね。だからフランスは食料輸出国なんだ。
フランスでは北部でのモーゼル川(Moselle, 545km)、セーヌ川(Seine, 777km)がイギリス海峡へと流れ込んで、河口に”ナント”が有るロアール川(Loire, 1006km)、 河口に”ボルドー”が有るガロンヌ川(Garonne、647km)が大西洋へ流れ、南東側では マシフ・サントラルの東側を南北に連なるセヴェンヌ山脈とアルプス山脈との間の谷部分を、河口に”マルセイユ”が有るローヌ川(Rhone, 813km)が地中海へと流れ込んでいます。 ボルドー(Bordeaux)

フランス 1949 発行
港都マルセイユ市街地(Marseille)

フランス連盟切手収集協会第75会議マルセイユ開催記念
フランス 2002 発行
フランスには北西側に長くて流域面積が広く傾斜のゆるやかな大河川が多くあります。従って川の流れは「ゆるやか」で、日本の川を見たフランス人が「これは滝だ!」と言ったとか伝えられています。パリのセーヌ川なんて、流れているか、いないか分からん位なんだろうな! なお、ヨーロッパ第一の高峰”モン・ブラン(Mont Blanc)4,808m”はフランスに有りますよね。※仏共和国ヌーヴェル=アキテーヌ地方ジロンド県ボルドー(Bordeaux, Gironde department, Nouvelle-Aquitaine region, Frnce)

上の切手”フランス国土地図アトラス”を見ると、この辺の事情(仏の国土の様子)が良く分かりますね。

フランスは半分(広義の北フランス)を「西フランス 北フランス東フランス パリ盆地」と分け、また南半分(広義の南フランス)を「アルプス地方+マシフ・サントラル(中央高地)地方 +アキテーヌ盆地+地中海地方」と分ける事があるそうで、これがフランス語の「なまり」の区分線になっているそうです。北のオイル語(Langue d'oil)、南のオック語(Langue d'oc)、これらフランス語の他にも色々有り、スペインとの国境付近ではバスク語が話されているそうです。
フランス語って、鼻にかかるところがいいな〜ぁ!
何だか「京都弁」に似てるよな。

・フランスの大航海:〜
1534年、ジャック・カルティエがカナダのプリンスエドワード島を発見
1604年、ピエール・ドゥグアがヌーベルフランス、セントクロイ島入植
1608年、サミュエル・ドゥ・シャンプランがカナダのケベックに要塞を建設
1672年、ボーデ・ドゥ・フロンテナック総督がカナダのケベックに着任
1634年、ジャン・ニコレがミシガン湖に到達
1651年、ドゥ・ロード師がヴェトナム語辞典を出版
1673年、マルケット神父が 5大湖からミシシッピ河(途中)を探検
1676年、アブラハム・ドゥケーヌ提督がパレルモの海戦に勝利
1682年、ラ・サールがミシシッピ河縦漕、”ルイジアナ”命名
1701年、キャディラックが南北をエリー湖とヒューロン湖に挟まれたデトロイトに上陸
1735年、ラ・ブルドネスモーリシャス島レユニオン島の知事となる
1759年、ルイス・ドゥ・モンカム将軍がビーバー戦争「アブラハム平原の戦い」で没
1760年、ピェール・ポイヴァールモーリシャス島の監察行政官となる
1768年、ルイ・アントワーヌ・ドゥ・ブーゲンヴィルがブーゲンビル島を発見
1772年、ケルゲレン・ドゥ・トレマレックがケルゲレン諸島を発見
1783年、アンドレ・ドゥ・サフレン提督がインド東岸ネガバダン沖海戦で勝利
1785年、コンテ・ドゥ・ラ・ペルーズが北西航路発見の航海に出帆
1777年、ラ・ファイエット将軍がフランス正規軍を率いてアメリカ独立戦争を支援
1780年、ロシャンポー将軍がフランス正規軍を率いてアメリカ独立軍を支援
1781年、グラス提督がアメリカ独立戦争・チェサピーク湾の海戦に勝利
1778年、デェスタイン提督がフランス艦隊を率いてアメリカ独立軍を支援
1785年、ラ・ペルーズが北西航路発見の航海にブレスト軍港を出帆
1791-93年、ブルニィ・ダントレカストウ提督がラ・ペルーズ捜索遠征航海
1802年、バウダン船長のフリンダースとの出会い
1820年、デュルヴィル提督がミロのヴィーナスを発見・獲得
1840年、デュルヴィル提督が南極アデリイ海岸に到達
1841年、ロバート・モーガン船長が最初の”白檀”貿易船ル・カムデン号航海
1908年、シャルコットが南極でラウベッドランドを発見
1966年、日本植村直己氏がモンブランとマッターホルの単独登頂に成功

参考:〜
エッフェル塔の付記
アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel, 1832-1923)は、フランスの技師、構造家、ガーターベルトの原型の発案者、建設業者。一般にはエッフェル塔を設計した人物といわれていますが、エッフェル社のコンテストへのプラン提出責任者、その建設を受託したエッフェル社の代表でした。建設は万博に間に合わせるため、2年2ヶ月という驚異的な速さで行われ、1人の死者も出しませんでした。鋼製ではなく錬鉄製の塔で、塔の支点の下には水平に保つためのジャッキが有。あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれ、反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンはエッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っています。それから「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」という「ことわざ」も生まれたそうです。
エッフェル塔
なお、万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909年には解体されようとしていましたが、のちに軍事用の無線電波をエッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っています。現在ではパリを代表するシンボルとなっており、1991年にこの塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録。2009年現在、エッフェル塔はフランスの首都”パリ”のランドマークとなっていますす。なお、フランス人の設計(?)の日本の関西国際空港ビルも、水平に保つためのジャッキがありますよね。(^_^)

モン・サン・ミシェル
  Mont Saint-Michel
モン・サン・ミシェルはフランス西海岸で、ノルマンディー地方南部のブルターニュとの境に近いサン・マロ湾上に浮かぶ小島であり、同名の修道院があります。モン・サン・ミシェルは「聖ミカエルの山」の意味で、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みに由来しています。行政上はル・モン・サン・ミシェルというコミューンを形成。カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、1979年「モン・サン・ミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となりました。
モンサンミッシェル

ルーヴル美術館
  (Louvre museum、仏:Musee du Louvre)

フランス 1993 発行
ルーヴル美術館はパリにあるフランスの国立美術館で、世界最大級の美術館(博物館)であるとともに世界最大級の史跡のひとつです。パリ中心部1区のセーヌ川の右岸に有。先史時代から19世紀までの様々な美術品約35,000点が展示されています。総面積60,600uの展示場所で公開されており、世界で最も入場者数の多い美術館で、毎年800万人を超える入場者が訪れています。1991年にフランスの世界遺産として、パリのセーヌ河岸に包括登録されました。ルーヴル美術館は、フランス王フィリップ2世(Philippe II, 尊厳王(オーギュスト:Auguste)カペー朝第7代の王、1165-在位:1180-1223)が12世紀に、もともと要塞として建設したルーヴル城(ルーヴル宮殿:Palais du Louvre)に収容されており、幾度となく増改築が繰り返されて、現在のルーブル宮殿の建物となりました。フランソワ1世(Francois Ier de France、ヴァロワ朝第9代の王、1494-在位:1515-1547、フランス最初のルネサンス君主)の改築計画以来、歴代フランス王の王宮として使用されていたルーヴル宮殿でした。 1682年にフランス王ルイ14世(Louis XIV、ブルボン朝第3代のフランス国王、ブルボン朝最盛期の王で太陽王(Roi-Soleil)、1638-在位:1643-1715)が、自身の王宮にヴェルサイユ宮殿(Chateau de Versailles)を選び、ルーヴル宮殿の主たる役割は、1692年以来収集されてきた古代彫刻などの王室美術品コレクションの収蔵、展示場所となりました。フランス革命下の憲法制定国民議会で、ルーヴル宮殿をフランスが保有する優れた美術品を展示する美術館として使用することが決定され、美術館として正式に開館したのは1793年のことで、この時には王室所有なるも、教会財産から没収された絵画を中心として537点の絵画が展示されました。、 モナ・リザ

ドイツ 1952 発行
ミロのヴィーナス

ギリシャ 1937 発行

フランスの王朝の推移
・カペー朝 (Capetian dynasty, 987-1328)
・ヴァロワ朝 (Valois dynasty, 1328-1589)
  ・オルレアン公:シャルル1世(Charles I, d'Orleans、1394-1465)
  ・第9代:フランソワ1世(Francois I、在位1515-1547)
ブルボン朝 (Bourbon dynasty, 1589-1792)
  ・初代:アンリ4世(Henri IV, 在位1589-1610)
  ・第2代:ルイ13世(Louis XIII. 在位1610-1643)
  ・第3代:ルイ14世(Louis XIV, 在位1643-1715)太陽王
  ・第4代:ルイ15世(Louis XV, 在位1715-1774)天然痘
  ・第5代:ルイ16世(Louis XVI, 在位1774-1792)ギロチン斬首処刑
太陽王 ルイIV世

チャド 1971 発行
  ・第6代:ルイ17世:名目上のフランス国王(在位1793/1/21-1795/6/8:幽閉中病死)10才
  ・第7代:ルイ18世(Louis XVIII, 在位1814-1824)復古王政
  ・第8代:シャルル10世(Charles X, 在位1824-1830)
フランス革命(French Revolution, 1789-1799)
・フランス立憲王国 (Constitutional Monarchy, 1791-1792)
・第1共和政 (French First Republic, 1792-1804)
 ・国民公会 (National Convention, 1792-1795)
 ・公安委員会 (Committee of Public Safety, 1793-1794)
 ・総裁政府 (French Directory, 1795-1799)
 ・執政政府 (French Consulate, 1799-1804)
第1帝政 (First French Empire, 1804-1814)ナポレオン1世
・ブルボン第1復古王政 (Bourbon Restoration, 1814-1815)
・百日天下 (Hundred Days, 1815)ナポレオン1世
バスティーユ牢獄襲撃、1789/7/14

フランス 1971 発行
・ブルボン第2復古王政 (1815-1830)
・7月王政 (1830-1848)、オルレアン朝(1830-1848)7月革命
 ・2月革命(1848/2/24)
・第2共和政 (1848-1852)
 ・六月蜂起(1848/6/23-6/25)
 ・クーデター(1852/12/2)国民議会解散、ナポレオン3世復古帝政
・第2帝政 (1852-1870)、ナポレオン3世皇帝即位
  (在位:1852/12/2-1870/9/4)ナポレオン3世(Napoleon III, 1808-1873/1/9)64才没
・第3共和政 (1870-1940)
・自由フランス (1940-1944)
・ヴィシー政権 (1940-1944)
・共和国臨時政府(1944-1946)
・第4共和政 (1946-1958)
・第5共和政 (1958〜)。

フランス大革命前後のフランス皇帝>:〜
・ルイ16世(Louis XVI、1754-1793/1/21)
  ブルボン朝第5代(在位1774/5/10-1792/8/10)38才没
  ・アメリカ独立戦争(1775-1783)を支援
  ・ヴァレンヌ事件(1791/6/20-6/22)テュイルリー宮殿軟禁
  ・テュイルリー宮殿襲撃(1792/8/10)、タンプル塔幽閉
  ・九月虐殺(1792/9/2-数日)パリの監獄内反革命主義者犠牲
  ・ギロチン斬首刑(1793/01/21)ルイ16世、革命広場(現コンコルド広場)38才没
  ・ギロチン斬首処刑(1793/10/16)王妃マリー・アントワネット(37才没)
(在位1804/05/18-1814/04/11)ナポレオン1世(Napoleon Bonaparte、1769-1821/5/5)51才没
(在位1814/04/06-1815/03/20)ルイ18世(Louis XVIII、1755 - 1824/9/16)68才没
(在位1815/03/20-1815/06/22)ナポレオン1世(百日天下)
(在位1815/07/08-1824/09/16)ルイ18世
(在位1824/09/16-1830/08/02)シャルル10世(Charles X:1757-1836/11/06)79才没
(在位1830/08/09-1848/02/24)ルイ=フィリップ1世(Louis-Philippe I、1773-1850/8/26)76没

フランスの王族(ブルボン朝)
Cルイ16世
Dマリー・アントワネット妃
ブルボン家↑紋章     (Portraits of French Royalty)
チャド 1971 発行

<フランスの海外県>:〜
 ・グアドループ (1946以降)
 ・マルティニーク (1946以降)
 ・フランス領ギアナ(1946以降)
 ・レユニオン (1946以降)
 ・マヨット (2011年以降)
・フランスの海外準県(2003/3/28)
 ・フランス領ポリネシア(2003以降: 海外準県)
 ・サンピエール島・ミクロン島(2003以降: 海外準県)
 ・ウォリス・フツナ(2003以降: 海外準県)
 ・サン・マルタン島(2003以降: 海外準県)
 ・サン・バルテルミー島(2003以降: 海外準県)
・フランスの特別共同体(1998のヌーメア協定、1999)
 ・ニューカレドニア(住民投票2018/11/4と2020/10//4)実施、独立反対が過半数
・海外領土省の直接統治
 ・クリッパートン島メキシコのアカプルコ南西1,280kmにある絶海の孤島
フランスの海外領土
  ・フランス領南方・南極地域 (1956年以降)など。

参考HP:〜
フランスの地図
モン・サン・ミシェルとその湾の場所地図 (世界遺産)
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の場所地図 (世界遺産)

こちらで
フランス革命
フランス七月革命
・自由フランス軍チャドからライン河へ進撃
切手コレクションの
フランスの王と王族 (肖像画)
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る 東海道五十三次
全米50州アメリカ
・世界で1番美しい 蝶々
世界遺産
・フランス世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   09/4/24追記、13/9/25、14/4/5, 2022/2/22
スタンプ・メイツ
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