切手で綴る 太平洋戦争 物語
第2部 <帝国の侵攻>
第7章 オランダ領 東インド攻略
33 <ニューブリテン島攻略>
1942/1/23
帝国軍、ラバウル上陸

帝国軍、ニューブリテン島ラバウルに上陸
ニューギニア島の地図
下はオーストラリア北部の地図

パプアニューギニアの国旗
ツバル 1986/8/4 発行
パプアニューギニアの地図

ニューギニア島の東の島はニューブリテン島
その東の北からニューアイルランド島・ブーゲンビル島

オーストラリアの
ポートダーウィン→
←ラバウル


←ラエ
←ポートモレスビー
パプアニューギニア 発行
(赤丸印はPCで加工追加)
赤丸印は西から、ポートダーウィン・ポートモレスビー・ラエ・ラバウル
パプアニューギニア 1952/10/30 発行

昭和17年(1942)
1/4 トラック方面部隊(千歳、横浜航空隊)がオーストラリア領ニューブリテン島ラバウルを空襲
1/11 セレベス(現スラウエシ)島北端メナドのランゴアン飛行場に横須賀第1特別陸戦隊一次降下兵334人が降下(帝国初の落下傘降下作戦)降下後、トーチカと装甲車の妨害はあるも現地守備部隊400人はトラックで逃亡。降下部隊は地上戦でミナハサ占拠、20戦死、32負傷。海軍地上部隊はマナド港、ケマから上陸、ラゴワンで合流、終戦まで駐留、マナド周辺は海軍、トモホンからミナハサは陸軍が管轄
1/14 陸軍南海支隊の輸送船9隻がグアム島アプラ港を出港
1/16 援護の第6戦隊が輸送船と合流
1/17 第1機動部隊空母4隻(赤城・加賀・翔鶴・瑞鶴)がトラック基地を出撃
1/20 10時ラバウル北方約322kmの空母4隻が109機でラバウル初空襲、迎撃戦闘機5機撃墜
1/21 赤城・加賀の52機がカビエンを空襲
翔鶴・瑞鶴(75)が東部ニューギニアのマダン、ラエ、サラモアを空襲、飛行機ほとんと破壊
敵守備隊が空襲で守備不能となった同島を放棄、南方に逃走
1/22 赤城・加賀の46機が第2次ラバウル攻撃、プラエド岬の海岸砲を破壊、重要施設を攻撃
午後11:50ニューアイルランド島カビエンに第18戦隊主力の攻略部隊が無血上陸
1/23 午前0時半、帝国軍、ニューブリテン島ラバウルに敵の抵抗をほとんど受けずに上陸、ニューブリテン島攻略開始、南海支隊がラバウル占領、南方最大の航空基地を建設
後に、ラバウルから遠く1,000kmのガダルカナルを空襲
1/24 未明、バリクパパン沖海戦が勃発
特設水上機母船 聖川丸がラバウルに進出して水上機基地を開設
第2航空戦隊の空母蒼龍と飛龍の艦載機がアンボン島を空襲
海軍がセレベス島ケンダリーに上陸・占領
1/25 水上機部隊がラバウル地区に進出
1/30 坂口支隊がバリクパパンを出発、徒歩で南部のバンジェルマシンへ
1/31 千歳空分遣隊96戦が空母瑞鶴・翔鶴で空輸されてラバウル到着
未明、東方支隊主力はアンボン東側に、呉一特と第10中隊は北側に上陸
夕刻、東方支隊主力がアンボン市内に突入
2/1 未明、蘭印軍アンボン守備隊800が投降
2/3 6時30分、呉一特と若林中隊が攻撃したアンボン市郊外のラハ飛行場守備隊が降伏。アンボン市郊外で抵抗のオーストラリア軍も降伏、東方支隊戦死55、戦傷135、呉一特戦死40、重傷50、遺棄死体340、捕虜2,182
2/4 ジャワ島沖海戦
蘭軍捕虜1000人中160人がトルとワイタバロの4つの独房で虐殺される
2/9 ニューブリテン島南岸のガスマタに上陸、蘭軍の退路を遮断
海軍の攻略部隊がセレベス島マカッサルに上陸・占領
2/10 千歳空が4空に編入される
坂口支隊の先頭部隊が400km踏破後、バンジェルマシン飛行場に到着・無血占領
2/14 第24航空戦隊司令部が進出してラバウル航空隊が誕生
スマトラ島パレンバンの大油田地帯・飛行場に、陸軍落下傘部隊の第1悌団主力がパレンバン飛行場南部に、一部は飛行場西側に空挺降下
2/15 第2悌団が空挺降下してパレンバン市街に突入・占領、
降下兵計329中、戦死39、戦傷入院37、戦傷在隊11人
2/19 帝国軍、オーストラリア北部ポートダーウィンを初空襲
金村支隊(第48師団台湾第1連隊の一部)がバリ島に上陸
2/20 バリ島沖海戦:夜明け前、連合国艦隊が日本軍のバリ島攻略船団を攻撃するも撃退
4空の中攻隊がラバウル攻撃米機動部隊の接近を察知し雷撃で反撃
緒戦期 約1週間に一度、敵10数機との航空戦
未明、チモール島西部クーパン飛行場に東方支隊伊東支隊の第228連隊第1、第3大隊基幹が上陸・占領
2/21 横三特(408)が空挺降下して豪軍と戦闘(戦死35、負傷者多数)後、クーパン空港に到着
2/24 ニューギニア島東南部、ポートモレスビー基地攻撃始まる
3/1 ジャワ島に上陸(第一次上陸兵力55,000)
第2師団基幹の主力は西部バンタム湾のメラク海岸上陸、バタビアからバンドンへ
東海林支隊(第38師団230連隊基幹)はジャワ島中部エレタン上陸、カリヂャチィ飛行場へ
第48師団はジャワ島東部のクラガン上陸、スラバヤを攻略へ
坂口支隊(第56師団歩兵第146連隊基幹)はクラガン上陸、ジャワ島南岸チラチャップへ
3/7 南海支隊の一部がサラモア、海軍陸戦隊がラエに上陸
以降、終戦まで続くニューギニアの戦いが始まる
3/8 帝国軍、ニューギニアのラエ、サラモアを占領
3/9 帝国軍、ジャワ島西部のバンドン占領、蘭印軍全面降伏
3/14 帝国海軍航空隊、ラエ基地からポートモレスビーへの空襲を開始
3/31 原田機96陸攻乗組員一同、 モレスビー陣地へ自爆命令で特攻
5/3 横浜空飛行艇隊、ガダルカナル島ルンガ泊地北東対岸フロリダ島南端小島のツラギ進出
5/8 珊瑚海海戦
6/5 帝国の機動部隊艦隊がミッドウェー海戦で大敗、空母赤城・飛龍自沈、蒼龍・加賀爆沈
7/1 ラバウルから日本へ航海中もんてびでお丸の蘭軍捕虜1000が米潜スタージョンに撃沈され落命
7/22 帝国陸軍のポートモレスビー攻略作戦開始するも失敗に終わる
7/31 ニューギニア島東南・ラエ基地戦闘機隊は敵空襲激化のため一旦撤収、 ラバウルへ帰還
8/7 午前4時、米海兵隊第1海兵師団(19,000)がガダルカナル島テナル川東岸付近に上陸

1942/11/20第8方面軍司令官の今村均陸軍大将がラバウルに着任。このように被害僅少でラバウル攻略は成功し、終戦まで南東方面の帝国軍の重要拠点となりました。

航空母艦 飛龍(ひりゅう)の装備:〜竣工:1939/7/5
  (大日本帝国海軍主力の航空母艦)
建造所 横須賀海軍工廠 空母 飛龍

ソマリア 2011 発行
全 長 227.35m
全 幅 22m
吃 水 7.84m
飛行甲板 216.9m x 27.4m、エレベーター3基
排水量 基準17,300t、満載21,882.6t
速 力 公試全力34.28kt
航続距離 7,670浬/18kt時
乗 員 1,416人
武 装 40口径12.7cm連装高角砲:6基12門、
九六式25mm高角機銃:3連装7基・連装5基,計31挺、九一式爆雷6個
搭載機 常用57機、補用16機、
1941/12/7保有常用機:ゼロ戦21機、九九艦爆18機、九七艦攻18機
※'42/6/5ミッドウェー海戦で米攻撃機隊の空襲・炎上後、自沈処分で巻雲の魚雷で沈没(417人没)。同海戦で沈没した4空母のうち当初は被弾を免れ、山口多聞少将の指揮下、2度の攻撃で米空母ヨークタウンを撃破。

参考HP〜
パプアニューギニアの地図
パプアニューギニアの地図(Google Map、日本語)








34 <ラバウル占領>
1942/1/23
南方最大の航空基地を建設

帝国がラバウルを占領
Japanese Take Rabaul 1942

軍艦旗・山本五十六大将・マックアーサー大将・星条旗
マーシャル諸島 1992 発行
ラバウルのシンプソン湾全景

ニューブリテン島の東北端
パプアニューギニア 1963/2/13 発行

ラバウル(Rabaul)は現在、パプアニューギニア領ニューブリテン島のガゼル半島東側の良港シンプソン湾を臨む都市で、東ニューブリテン州の州都です。ラバウルはコプラやコーヒー、ココアの産地として有名。なお、周囲は火山地帯として知られ、シンプソン湾自体もカルデラです。近くのタブルブル山(Tavurvur、帝国名:花吹山、223m)は1937年に噴火し、1994年にはブルカン火山(Vulcan Crater、帝国名:西吹山、243m)と同時に噴火しました。

1942年 (ラバウル航空隊略史)
1/23 午前0時半、帝国軍、ニューブリテン島ラバウルに上陸
南海支隊がラバウルを占領、南方最大の航空基地を建設
2/14 ラバウルに第24航空戦隊司令部が進出して、ラバウル航空隊が誕生
2/20 ラバウル南方の最初の航空戦で接近する米機動部隊に対し、4空の陸攻17機が雷撃に向かうも、15機喪失・帰還2機で開戦以来の最大被害となる(ニューギニア沖海戦)帝国は米空母レキシントン撃沈とするも至近弾のみ
2/23 第一航空隊中攻隊がラバウルに着任
2/24 ニューギニア島東南部、ポートモレスビー基地攻撃を開始
3/7 南海支隊一部のサラモア上陸、
海軍陸戦隊のラエ上陸で、終戦まで続くニューギニアの戦いが始まる
3/8 ラエ・サラモア攻略作戦が成功
その後、ソロモンは搭乗員の墓場といわれるほど激しい戦闘となる
3/31 原田機96陸攻乗組員一同にモレスビー基地陣地への攻撃・自爆命令
5/3 ツラギ攻略でソロモン戦が終結。浜空飛行艇隊はガダルカナル島ルンガ泊地北東対岸のフロリダ島南端小島ツラギに進出
5/7 珊瑚海海戦でニューギニア・ラエ戦闘機隊とラバウル攻撃機隊が地上基地から協同作戦で米機動部隊への攻撃に一式陸攻31機で向かうも、重巡中心の水上部隊と遭遇し雷撃するが一本の命中もなく帝国被害は甚大なのに、過大な戦果を誤報告
6/5 ミッドウェー海戦の敗北で、ミッドウェー島進出部隊の錬成が中止となる
7/31 ニューギニア島東南ラエ基地戦闘機隊が連合軍側空襲激化で撤収、ラバウルへ帰還
6/19 帝国海軍がガダルカナル島に上陸、飛行場の建設を開始
8/7 米大船団による19,000人のガダルカナル上陸作戦が奇襲で成功
ツラギの浜空が早朝から攻撃を受けて飛行艇が全滅
ガダルカナルの戦いが始まる
8/22 2空と台南空がニューギニア島東南ブナ、ラエ基地に進出、モレスビー攻撃を実施
本土からラバウルまで約5,000km。ラバウルから遠く約1,000kmを約3時間30分飛んで、ガダルカナルを空襲。そして約2年と1ヵ月(約25ヵ月)ラバウル航空隊は頑張りました(1942/1/23-1945/8/15:兵69,000人残留)。ラバウルは米軍のカエル飛び戦術で置き去りにされて補給の途絶えた後、今村均大将(1886-1968)の方針で農村出身兵による食糧の自給をなして敗戦時まで生き残りました。

こちらで
ジャワ・スマトラ島攻略 をお楽しみください。

参考HP〜
ニューギニア島とニューブリテン島付近の地図(日本語)
ラバウルの場所地図(Google Map、日本語)

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/8/18
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