切手で綴る 太平洋戦争 物語
第1部 <開 戦>
第1章 真珠湾攻撃
01 <ハワイ諸島>
真珠湾(パールハーバー)はオアフ島に有
ハワイ諸島の地図(赤丸オアフ島







カウアイ島→


オアフ島→
真珠湾)→
(ホノルル)→



クック船長




←マウイ島





←ハワイ島
クック船長250年記念(小型シート)
パラグアイ 1978 発行
オアフ島のダイアモンドヘッド

ハワイ宣教師400年記念(小型シートより)
USA 2002/10/24 発行

こちらで ハワイ州 をお楽しみください。

参考HP〜
オアフ島の地図(日本語、ホノルルの奥に真珠湾が有)







02 オアフ島<真珠湾>
1941年 帝国軍、オアフ島の真珠湾を奇襲攻撃
現地時間:12/7(日)、パールハーバー、日本時間:12/8(月)

昭和16年12月8日(月)
帝国海軍、真珠湾を奇襲攻撃

燃え上がるハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋艦隊
大東亜戦争1周年記念

大日本帝国 1942/2/16 発行
オアフ島
真珠湾はホノルルの北に有


クック船長300年記念(小型シートより)

パラグアイ 1978 発行

パールハーバーのフォード島周辺地図
真珠湾攻撃60周年記念
セントビンセント・グレナディーン諸島 2001/12 発行

真珠湾攻撃の被害状況
Target:Pearl Harbor
07:55 Sunday, 7 December 1941


被弾・小破して退避する戦艦メリーランド号(USS Maryland)、修理後1942/2艦隊復帰
大破着底した戦艦ウェスト・ヴァージニア号(USS West Virginia)、修理後1944/7月艦隊復帰
沈没して着底した戦艦オクラフォマ号(USS Oklahoma)、1943浮揚、修理を断念後沈没

ガイアナ 1994 発行

▼真珠湾奇襲攻撃戦:両軍の兵力:〜
帝国の兵力 米国の兵力
・航空母艦   6隻
 ・艦載機  350機
・戦   艦   2隻
・重巡洋艦   2隻
・軽巡洋艦   1隻
・駆逐艦    9隻
・潜水艦    12隻
・特殊潜航艇 5隻
・その他
・戦 艦  8隻
・重 巡  2隻
・軽 巡  6隻
・駆逐艦 30隻
・その他  48隻
・カタリナ飛行艇 14機
・基地航空機   399機
※数字には諸説有


昭和16年12月8日(月)、現地時間:1941/12/7(日)
帝国は海軍航空母艦6隻の艦載機で攻撃を開始!
赤城(旗艦)
    約4万屯(基準36,500t,公試41,300t),飛行甲板249.17m×30.5m,乗員1,630人
     開戦時:91機搭載(零戦21、九九艦爆18、九七艦攻27、補用25)
・加賀
     約4万屯(基準38,200t、公試42,541t)、飛行甲板 248.60m、乗員1,708人
     開戦時:75機搭載(零戦21、九九艦爆27、九七艦攻27)
・蒼龍
     約2万屯(基準15,900t、公試18,500t)、飛行甲板216.9m、 乗員1,103人
     開戦時:57機搭載(零戦21、九九艦爆18、九七艦攻18)
・飛龍
     約2万屯(基準17,300t、公試20,165t)、飛行甲板216.9m、 乗員1,103人
     開戦時:57機搭載(零戦21、九九艦爆18、九七艦攻18)
・翔鶴
     約3万屯(基準25,675t、公試29,800t)、飛行甲板242.2m、 乗員1,660人
     開戦時:72機搭載(零戦18、九九艦爆27、九七艦攻27)
・瑞鶴
     約3万屯(基準25,675t、公試29,800t)、飛行甲板242.2m、 乗員1,660人
     開戦時:72機搭載(零戦18、九九艦爆27、九七艦攻27)
から計350機で空襲攻撃を開始。
12/8:午前1時30分、第1波の攻撃隊が発艦〜183機。
12/8:午前2時45分、第2波の攻撃隊が発艦〜167機。

・第1波攻撃隊、186機
 ・第1集団:水平爆撃隊(艦上攻撃機)49機 、雷撃隊(艦上攻撃機)40機、
 ・第2集団:急降下爆撃隊(艦上爆撃機)51機
 ・第3集団:制空隊(艦上戦闘機)46機〜ゼロ戦
午前3時19分、総指揮官は略語「ト連送」で全軍突撃を命じ、ついで
午前3時22分、略語「トラ連送」で奇襲成功を無線通信。
この電報は東京でも聯合艦隊旗艦 長門(39,120屯)でも直接受信できました。

・帝国海軍の攻撃機(空母艦載機)

艦上戦闘機
ゼロ戦


パラオ 1992/9 発行
九七式艦上攻撃機
水平爆撃機
Japanese plane、KATE

パラオ 1991/12/6 発行

九七式艦上攻撃機
雷撃機


セントヴィンセントグレナディン 1995 発行
九九式艦上爆撃機
急降下爆撃機


マーシャル諸島 1991 発行
略称 名称 製造 乗員 米軍呼称
ゼロ戦 零式艦上戦闘機 三菱重工 ジーク(Zeke)
(爆弾60k or 30k×2)
九九艦爆 九九式艦上爆撃機 愛知航空機 ヴァル(Val)
・急降下爆撃機
(爆弾250kX1、60k×2)
九七艦攻 九七式艦上攻撃機 中島飛行機 ケイト(Kate)
・水平爆撃機(爆弾500kg)
・雷撃機(魚雷800kg)
※1・3号:中島飛行機、2号:三菱重工


零式艦上戦闘機二一型の装備:〜初飛行:1939/4月
  (大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機)、運用開始:1940/7月
略称 ゼロ戦 零戦:零式艦上戦闘機

トンガ 1992 発行
機体略号 三菱A6M2b
全 長 9.05m
全 幅 12.0m
全 高 3.53m
自 重 1,754kg
最高速度 533.4km/h(288kt)高度4,700m
上昇力 6,000mまで7分27秒
エンジン 離昇940hp
乗 員 1人
製造者 三菱重工業
生産数 10,430機
航続距離 正規:巡航2,222km、増槽有:巡航3,350km
正規:全速30分(1,433km)、増槽有:全速30分(2,530km)
武 装 翼内20mm機銃砲2挺(携行弾数各60発)
機首7.7mm機銃2挺(携行弾数各700発)
爆 装 30kg爆弾2発 又は 60kg爆弾
※米軍呼称(コードネーム)〜ジーク(Zeke)

九六式艦上戦闘機一号の装備:〜(ゼロ戦の前身)初飛行:1935年
  (大日本帝国海軍の艦上戦闘機)、海軍初の全金属単葉戦闘機
  運用開始:1937頃、1942末頃にゼロ戦と交代して第一線から退く
略称 九六艦戦
機体略号 三菱A5M
全 長 7.71m
全 幅 11.0m
全 高 3.27m
自 重 1,075kg
最高速度 406km/h, (高度3,500m軍の要求)
上昇力 高度5000mまで6分30秒以内(軍の要求)
発動機 460hp
乗 員 1人
製造者 三菱重工業
生産数 1,094機
航続距離 1,200km
武 装 7.7mm機銃×2
爆 装 30kg爆弾×2 又は 50kg爆弾×1
※米軍呼称(コードネーム)〜クロード(Claude)


九七式艦上攻撃機一二型の装備:〜初飛行:1937年
  (大日本帝国海軍の艦上爆撃機)、運用開始:1938年
略称 九七艦攻 九七艦攻
水平爆撃機


パラオ 1991 発行


雷撃機

セントヴィンセントグレナディン1995発行 
機体略号 中島B5N2
全 長 10.3m
全 幅 15.52m
全 高 3.7m
自 重 2,170kg
最高速度 378km/h(高度3,600m)
上昇力 3000mまで7分40秒
エンジン 970hp
実用上昇限度 7,640m
航続距離 (正規)1,021km(過荷)1,993km
乗 員 3人
製造者 中島飛行機(B5N)
三菱重工業(B5M)
生産数 1,400機(B5N)
約150機(B5M)
武 装 7.7mm機銃×1, 582発(6弾倉)
爆 装 800kg又は500kg爆弾1発又は250kg爆弾2発、60kg爆弾6発
雷 装 800kg魚雷1本
※米軍呼称(コードネーム)〜
  ・中島製三号(B5N2:引込脚):ケイト(Kate)
  ・三菱製二号(B5M1:固定脚):メイベル(Mabel)。

九九式艦上爆撃機一一型の装備:〜初飛行:1938年1月
  (大日本帝国海軍の艦上急降下爆撃機)、運用開始:1940年
略称 九九艦爆 九九艦爆
急降下爆撃機


マーシャル諸島 1991 発行
機体略号 愛知D3A1
全 長 10.185m
全 幅 14.360m
全 高 3.348m
自 重 2,390kg(全備重量 3,650kg)
最高速度 381.5km/h(高度2,300 m)
実用上昇限度 8,070m
エンジン 離昇1,070hp
航続距離 1,472km
乗 員 2人
製造者 愛知航空機
生産数 1,486機
武 装 機首固定:7.7mm×2、後方旋回:7.7mm×1
爆 装 250kg×1 又は 60kg×2
※生存性の低さから「九九式棺桶」、「窮窮式艦爆」と自嘲される
※米軍呼称(コードネーム)〜ヴァル(Val)。






03 <奇襲攻撃
現地時間
1941/12/7 (日曜日) 07:55
「真珠湾空襲、演習にあらず」

"Pearl Harbor"
「必勝はちまき」で"航空母艦"を飛び立つ"ゼロ戦"

機関銃と搭乗員

第2次世界大戦勝利終結50周年記念
セントビンセント・グレナディーン諸島 1995/12/7 発行

急降下爆撃隊は2隊に分かれ、主隊はフォード、ヒッカム両飛行場に向かいハワイ攻撃の第1弾を投じ、また坂本大尉率いるもう1隊は、ホイラー飛行場を急襲、米戦闘機を壊滅。

雷撃隊は米戦艦群に攻撃を集中。雷撃は順調に実施され、この日のために改良された浅深度用魚雷は訓練時よりも良好で 発射した魚雷はほとんど命中、敵艦に甚大な損害を与え、予期以上の戦果を挙げ得たと判断、「各機攻撃成功、効果甚大」を無線報告。

水平爆撃隊は、各中隊(10個中隊)ごとに爆撃を開始。幸運にも真珠湾上空だけが晴れあがり高度3,000mからの水平爆撃が可能で、沈着かつ正確な爆撃によって予想以上の命中率をあげ、しかも徹甲爆弾の威力は絶大。この間、米の防御砲火は見られるも、撃墜された水平爆撃機は1機も無し。制空隊は攻撃隊の上空にあって敵戦闘機の反撃に備えるも、迎撃してきた敵戦闘機はわずかに4機、これらもすぐに撃墜したので6群に分かれて飛行場への地上機を銃撃。第1次攻撃隊は攻撃を終え04:45から06:00にかけて帰艦。風による母艦の動揺が大きく着艦は困難だったと記録されています。







04 <真珠湾空襲>
炎上する「真珠湾」
1941年 帝国軍、真珠湾を奇襲攻撃
現地時間:12/7(日)、パールハーバー、日本時間:12/8(月)
「真珠湾空襲、演習にあらず!」
炎上するフォード島周辺

シェラレオーネ 1991 発行

水平爆撃機
0755 Attack Begin


パラオ 1991/12/6 発行
真珠湾空襲
Japanese Bombing Pearl Harbor

魚雷攻撃機
Japanese plane、KATE
セント・ヴィンセント・グレナディン諸島 1995/12 発行 

炎上する「アリゾナ」

USA 1991 発行
「ショウ」爆発炎上

パラオ 1991 発行
「ネヴァダ」湾口へ退避

パラオ 1991 発行

三菱 A6M ゼロ戦
帝国海軍艦上戦闘機

パラオ 1992 発行
SECOND WAVE OF ATTACK
AT WHEELER FIELD


セント・ヴィンセント・グレナディン2001/12発行
急降下爆撃機

マーシャル諸島 1992 発行

・第2波攻撃隊、総指揮官 瑞鶴飛行隊長、計170機
 ・第1集団:水平爆撃隊(艦上攻撃機)54機
 ・第2集団:急降下爆撃隊(艦上爆撃機)80機
 ・第3集団:制空隊(艦上戦闘機)36機
午前2時45分、発艦した第2波攻撃隊は
午前4時25分、全軍突撃を命じ
午前4時32分、第1波攻撃隊と入れ違いに攻撃を開始。

制空隊は、オアフ島の制空権を第1波攻撃隊から引継ぎ、反撃してきた若干の米戦闘機を撃墜、制空権を持続。続いて地上の飛行機攻撃に移り大戦果をあげました。

水平爆撃隊は、フォード、ヒッカムなどの飛行場に殺到、04:37から爆撃を開始。

急降下爆撃隊は、04:32から在泊艦船の攻撃を開始。
終了後は付近の飛行場を銃撃。

第2次攻撃隊の攻撃を開始した頃は真珠湾は煤煙や火焔に覆われ、目標の視認は困難でした。そのため水平爆撃は高度をさげて1,500mから1,800mで爆撃を行い、急降下爆撃隊の中には、やむをえず雲や煙をつたって米の打ち上げる対空砲火の弾道を逆に辿って目標を確認した上で、攻撃したものもありました。このような不利な視界状況に加え、米も防御態勢を整える時間的余裕があったので防御砲火は激烈となり、もはや「奇襲」ではなく「強襲」であり、第2波攻撃隊は第1波攻撃隊に比較して被害が大きくなりました。







05 <戦艦と空母

大日本帝国の航空母艦から発艦した艦載機
雷撃機 急降下爆撃機
シエラレオーネ 1991 発行

アリゾナ & 赤城
Japanes Attack Pearl Harbor 1941

第2次世界大戦50周年記念シリーズ
マーシャル諸島 1991 発行

米戦艦
「アリゾナ」
ありし日の勇姿
帝国航空母艦
「赤城」
攻撃機の発艦

攻撃されたアメリカ太平洋艦隊の戦艦群
シエラレオーネ 1991 発行
Arizona Pennsylvania California Maryland West Virginea
Tennesee Oklahoma Nevada Utar Honolulu Vestal
Helena Raleigh Helm Cassin Downs Shaw Curtiss Oglala

ハワイ作戦(Z作戦)による大戦果と、2日後のマレー沖海戦(海軍基地航空隊によるイギリス2戦艦の撃沈)は、帝国航空部隊の実力を示すとともに、航空機の威力が戦艦を制し得ることを立証。こうして海軍部内においても航空機についての認識が高まるも、長年にわたって培われてきた作戦思想(大艦巨砲主義)は簡単には変わりませんでした。「戦艦は依然として海上の主兵である」、という伝統的な思想から完全に脱却するには、まだ時間を必要としました。

しかし米海軍の思考はこれと全く対照的でした。ハワイ真珠湾攻撃作戦は海上戦闘に新時代を画したものと判断し、戦艦が海軍の主役を演じる機会は永久に過ぎ去ったと結論。真珠湾の戦訓を正しく学びとったのは、この海戦で大敗した米国海軍自身でした。米はやがて航空母艦を中核とする作戦思想に転換し、これを主兵とする航空母艦を基幹とする 「機動部隊」 が機動奇襲作戦に適することが確認され、その後大いに活用されて帝国の敗北となりました。

・真珠湾攻撃:帝国の艦隊編制:〜
第1航空戦隊:空母 赤城(36,500屯・31.2節・91機・全長260米)
          空母 加賀(38,200屯・28.3節・90機・全長248米)
第2航空戦隊:空母 飛龍(17,300屯・34.6節・73機・全長227米)
          空母 蒼龍(15,900屯・34.5節・73機・全長227米)
第5航空戦隊:空母 翔鶴(25,675屯・34.2節・84機・全長257米)
          空母 瑞鶴(25,675屯・34.2節・84機・全長257米)
第3戦隊:戦艦
          比叡 (3万2千屯・30節・全長222米、1,336人)
          霧島 (比叡同型艦)
第8戦隊:重巡洋艦
          利根 (1万1千屯・35節・全長202米、874人)
          筑摩 (利根同型艦)
第1水雷戦隊:軽巡洋艦 阿武隈(5千1百屯・36節・全長162米・魚雷発射管4連装2基8門)
          駆逐艦8隻:谷風、浦風、浜風、磯風、陽炎、不知火、霞、霰
第2潜水隊:(乙型=水上偵察機を1機搭載、射出機1基有)
        伊19潜、伊21潜、伊23潜
        (伊19潜:水上2,198屯23.6節、水中3,654屯8節)発射管6門、全長108米)
第1補給隊:補給船4隻、
第2補給隊:補給船3隻。

・米国の損害
艦艇被害 沈没 大破 中破 その他の被害
・航空機破壊 188機
・航空機損傷 155機
・戦 死    2,345人
・死亡民間人     57人
・戦 艦 4 1 3
・巡洋艦 0 2 2
・駆逐艦 0 3 0
・その他 2 1 0
6 7 5
※数字には諸説有
戦艦アリゾナ号:完全喪失(戦隊司令官、艦長戦死)、戦艦ウエストバージニア号:擱座(艦長戦死)、戦艦オクラホマ号:転覆、戦艦カリフォルニア号:擱座、標的艦ユタ号:転覆完全喪失、機雷施設艦オグララ号:繋留移動後沈没、航空機231機(188機説有)、行方不明2,402人(含一般市民68人)、戦傷2,382人 。帝国は軍事施設以外を攻撃しないように目標を厳重に限定したため、一般市民に与えた被害は最小限に留まりました。航空機の被害実数は確定せず諸説存在。

※甚大な被害を受けた米国艦艇:〜
艦 名 Name 種別 トン数 メ モ
アリゾナ号 Arizona 戦艦 29,158t 1942廃棄(砲台で再利用)
ペンシルヴェニア号 Pennsylvania 戦艦 31400t (入渠中小破)1946退役
カリフォルニア号 California 戦艦 32,300t (大破着底)1947退役
メリーランド号 Maryland 戦艦 32,600 t (小破)1947退役
ウェストヴァージニア号 West Virginea 戦艦 33,590 t (沈没)1947退役
テネシー号 Tennesee 戦艦 33,190t (小破)1947退役1948核実験標的
オクラオマ号 Oklahoma 戦艦 27,500t (沈没)1942廃棄
ネヴァダ号 Nevada 戦艦 27,500t (大破座礁)1946退役
ユター号 Utar 標的戦艦 23,033t 1942廃棄
ホノルル号 Honolulu 軽巡洋艦 9,650t (小破)1947退役
ヴェスタル号 Vestal 石炭輸送艦 12,585t (工作艦)1946退役
ヘレナ号 Helena 軽巡洋艦 10,000t (小破)1943/7/6クラ湾夜戦で沈没
ローリー号 Raleigh 軽巡洋艦 7,050t (大破)1945退役
ヘルム号 Helm 駆逐艦 2,325t (小破)1946退役
カッシン号 Cassin 駆逐艦 1,500t (入渠中中破)1945退役
ドーンズ号 Downs 駆逐艦 1,500t (入渠中大破)1947退役
ショー号 Shaw 駆逐艦 1,450t (入渠中大破)1945退役
オグララ号 Oglala 機雷敷設艦 3,746t (沈没)1946退役
ニューオーリンズ New Orleans 重巡洋艦 9,950t (入渠中軽破)1947退役
サンフランシスコ San Francisco 重巡洋艦 9,950t (入渠中軽破)1946退役
デトロイト Detroit 軽巡洋艦 7,050t (軽破)1946退役
※浅瀬の多い湾内では沈没しても引き揚げられるなど、
  被害にあった艦艇のほとんどが修理されて戦列に復帰しました。

・帝国の損害
          戦闘機 急降下爆撃機 水平爆撃機  雷撃機
第1波攻撃隊    3機       1機      0機      5機
第2波攻撃隊    6機      14機      0機      −
喪失機 計     29機、要修理機122機、戦死搭乗員55人
特殊潜航艇5隻(乗員9人戦死、捕虜1人)
※ニイハウ島に不時着した飛龍戦闘機隊、搭乗員、西開地1飛曹は自決。また帰路を失した瑞鶴艦爆隊の1機は、「われ不時着す」と報告し行方不明となり戦死しました。

・機動部隊の第2次攻撃について
09:22(現地時間13:50)ごろ、機動部隊は全攻撃隊の収容を終了。各艦からの報告を総合し攻撃成果は十二分に達成したと判断、南雲長官は再攻撃を下令せず北上。機動部隊指揮官が次攻撃を下令しないのに対して、赤城の搭乗員の間には「この好機に乗じて再度攻撃すべし」との意見があるも、強く司令部に意見具申した者はいませんでした。山口第2航空戦隊司令官は、「第2次攻撃準備完了」と信号し、それとなく催促するも「南雲さんはやらないよ…」と漏らして意見具申は行わなかったといわれています。次席指揮官の三川第3戦隊司令官だけは、更に攻撃を加えるべきであると意見具申。南雲機動部隊指揮官が第2次攻撃を断念し、引揚を決意した理由は(1)第1次空襲でほぼ所期の目的を達成し、第2次攻撃を行っても大きな戦果は期待できない。(2)第2次攻撃が純然たる強襲となるのは確実で、戦果の割には犠牲は著しく増大する。(3)我が艦隊の概位は米軍に推定されており、一方敵空母、潜水艦等の動静は不明。さらに出撃前、母艦を損傷しないよう軍令部より強く要望されていることが南雲長官の決断に影響した、とされています。

米国はこの無通告の奇襲という事態を最大限に利用しました。‘だまし討ち’の宣伝と米西戦争(1898/4/25-8/12)の故事にならった‘真珠湾を忘れるな!’(リメンバー・パール・ハーバー:Remember the Pearl Harbor !)のスローガンは、戦意の喪失どころかたちまち米国民の敵愾心をあおり、全米を対日戦に結集させてしまったのです。だがこれは、米国民の意思を参戦に転換させるためルーズベルト大統領がしかけた罠で、故意に日本艦隊の情報を現地に知らせなかったとする説は根強くあります。

なお、アメリカ軍の受けた被害は戦艦などの艦船と飛行場などに集中し、その被害の大きさに比べて、艦船乗組員の多くは日曜日で上陸していたため人的被害は大きくありませんでした。乗艦を失った乗組員の多くは、後に新たに建造された空母へと配置転換されました。第2次攻撃がなかったので、乾ドックなど港湾施設の損害も少ないものでした。それは沈んだ戦艦の再生など被害からの復旧に貢献しました。帝国大本営海軍報道部は、米戦艦5隻撃沈、3隻大破修理不能と大本営発表を行いましたが、沈んだ戦艦8隻のうち6隻は後に引き揚げられ復帰し、最終的にアメリカ軍が失った戦艦は2隻でした。太平洋戦争中この時以外でアメリカ戦艦の喪失はありません。空母エンタープライズ号レキシントン号は真珠湾外で航空機輸送任務に従事していたため無傷で、空母サラトガ号ホーネット号ヨークタウン号ワスプ号・レンジャー号は米西海岸や大西洋方面へ配置されていたので、帝国の攻撃圏外でした。それらの空母はその後の作戦で大きな力を発揮しました。

こちらで
南雲機動部隊
ミッドウェイ海戦
をお楽しみください。

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/8/3
戦争と平和
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