切手で綴る 太平洋戦争 物語
第2部 <帝国の侵攻>
第4章 マレー攻略
19 <シンガポール陥落
1942/2/15
帝国軍、シンガポール占領
Battle of Singapore
イギリス極東マレー軍降伏

降伏するイギリス軍

SINGAPOLE FALLS TO JAPANES
タンザニヤ 1992/4/27 発行
軍艦旗と白旗のもと。
シンガポールへ入場する帝国軍


Fall of Singapole 1941
マーシャル諸島 1991 発行

シンガポール陥落「加刷」切手
日本切手に
「シンガポール陥落」加刷
中国占領地切手に
「新嘉坡陥落紀念」加刷
陸軍代表
乃木稀典将軍
海軍代表
東郷平八郎提督
阿南省
山東省
孫文
大日本帝国 1942/2/16 発行 大日本帝国 加刷発行

昭和17年1月31日、第5、第18、近衛の各師団の作戦参謀、軍砲兵隊長、防空隊長、渡河作業隊長を第25軍戦闘司令所に召集しシンガポール攻撃準備命令を下達。地上総兵力は総計約5万。

帝国軍の編成:〜
・歩兵27大隊(近衛歩兵3連隊を除く)、
・砲兵14大隊(砲140門、速射砲・歩兵砲は含まず)、
・戦車3連隊(135両)、
・舟艇180隻、
 航空支援:
・第3飛行集団(菅原中将)180機(南方軍のスマトラ作戦への転用で削減)
・戦闘機(ゼロ戦他)60機、
・軽爆撃機(九六式陸攻)60機、
・重爆撃機(一式陸攻)60機。

帝国軍砲兵の準備射撃の後、2月8日深夜、各部隊はジョホール水道を渡河。右翼を第18師団、中央を第5師団、左翼を近衛師団があたり、近衛師団の一部は陽動作戦としてウビン島に上陸。第18師団長牟田口中将が負傷するといった混乱もあったが、9日夕方にはテンガー飛行場を早くも占領し、第25軍司令部を進出させました。攻撃3日目の2月11日、その日までに主要陣地を次々奪取した各部隊からの状況により、いよいよブキテマ高地に進出可能と判断した司令部は、あらかじめ準備していた「降伏勧告文」を飛行機から投下。紀元節(2/11)にシンガポールを陥落させることを目標にしており、戦況は概ね順調であったからです。

ブキテマ高地に突入するや、敵の砲火が集中、第5師団第31旅団(杉浦少将)と、第18師団に集中し、各部隊は釘づけになってしまいました。11日07:30頃より、敵は南方から攻勢に転じ、有力なる砲兵隊の支援のもと反撃を開始。敵の抵抗は峻烈を極め、第5師団歩兵21連隊と同42連隊の損害は続出し戦況は進展をみませんでした。敵の抵抗はシンガポール市街の周辺で強化された上、帝国軍の弾薬は全く欠乏。2月13日、14日は戦局の前途に見通しがたたず、軍司令部では攻撃の一時中止−−弾薬の追送を受けたあとの攻撃再開も検討された一番苦しい状況でした。

2月15日午後 2 時、杉浦部隊の正面に突然英軍の停戦交渉のための軍使が現れました。英軍参謀長ニュービギン少将 インド第3軍団参謀ワイルド少佐、マレー総督府書記官長の3人で降伏を申し入れました。 空襲と砲撃により送水管・水道管が破壊され、シンガポール市内の給水状態が悪化したことがパーシバル司令官が降伏を決定した原因でした。第25軍は情報参謀杉田中佐 他2人を派遣し、降伏申入れ条件を提示。午後 7 時、ブキテマ高地北方のフォード自動車工場の一室で山下・パーシバル(パーシバル司令官、トランス少将、ニュービギン少将、ワイルド少佐及び通訳1人)会談が開かれました。約3時間あまりの交渉の末、山下軍司令官の「イエスか、ノーか」の問いにパーシバル中将は無条件降伏を受諾し降伏文書にサインを終了、シンガポールは陥落。かくして2月15日午後10時をもって停戦になり、シンガポール攻略作戦は終了しました。

シンガポール島攻略作戦間の戦果・損害について第25軍は以下のように発表。
・戦 果:〜
 ・各種兵器
  ・(野山砲・約300門、要塞砲54門、小銃約60,000挺、重機関銃約2,500挺)
 ・捕 虜
  ・約10万人(諸説あり)、パーシバル司令官他の高級幹部が捕虜。
・損 害:〜戦死1,713人、戦傷3,378人。

・帝国軍:馬来(マレー)方面の陸海軍兵力の編制:〜
帝国陸軍部隊の編制:〜
・第25軍:
  軍司令官山下奉文中将(1885-1946(昭和21)/12/23マニラで刑死)
  参謀長 鈴木宗作中将(1891-1945/4/19フィリピンのミンダナオ海で戦死)
 ・近衛師団 師団長 西村琢磨中将(1889-1951/6/11)、軽戦車旅団有
  (パプアニューギニアのマヌス州アドミラルティ諸島マヌス島(Manus)で刑死)
 ・第5師団、師団長・松井太久郎中将(1887-1969)
 ・第18師団、師団長・牟田口廉也中将(1888-1966)
 ・戦車団1(戦車連隊4:1,2,6,14連隊)
 ・軍直轄砲兵(11大隊)、高射砲(60門)、
 ・第3飛行集団、集団長 菅原道大中将(1888-1983)。
海軍部隊の編制:〜
・南遣艦隊:〜旗艦 重巡 鳥海(1万屯)
   司令長官 小沢治三郎中将(1886-1966)
   参謀長 沢田虎夫少将(1891-1958)
 ・第7戦隊 重巡5、軽巡3、駆逐15、
 ・第3水雷戦隊、
 ・第4潜水戦隊、
 ・第22航空戦隊。

・英軍:防衛の編制:〜
英米蘭豪連合地域:
   最高指揮官アーチボールド・ウェーベル大将(英)
   (Field Marshal Archibald Percival Wavell, GCB 1883-1950)
・英国極東軍
   司令官ブルックポッパム大将(後パウナル中将)、
 ・マレー軍
   司令官アーサー・パーシヴァル中将
   (Lieutenant-General Arthur Ernest Percival CB 1887-1966)
 ・陸軍部隊:イギリス兵・約20,000人、
  ・インド兵・約37,000人、
  ・豪州兵・約15,200人、
  ・現地義勇兵・約16,800人、計・約89,000人。
連合軍海軍部隊:
 ・英国東方艦隊、
 ・東インド艦隊、
 ・米国亜細亜艦隊、
 ・蘭印艦隊
英国空軍
 ・ホーカー ハリケーン戦闘機10機。

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マレー占領地切手
マレー攻略
をお楽しみください。

イギリス航空母艦ハーミス号の装備:〜進水:1919
 (HMS Hermes, 95)、英海軍の航空母艦)、就役:1924
  英海軍で初めて最初から空母として建造され、世界でも帝国の鳳翔に次いで2番目。
建造所 英ニューカッスルのアームストロング・ホイットワース社造船所 沈みゆく英空母ハーミス号

HERMES is sunk off Ceyron
タンザニヤ 1992/4/27 発行
全 長 182.3m
全 幅 21.3m
吃 水 満載5.71m
飛行甲板 182.3m×27.4m
排水量 基準10,850t, 満載13,700t
最大速力 25.0kt
航続距離 18kt/2,930浬
乗 員 664人(含:航空要員)
武 装 Mark XII 14cm(45口径)単装速射砲6基、10.2cm(45口径)単装高角砲4基、
3ポンド(76.2cm)単装砲4基
搭載機 フェアリー ソードフィッシュ複葉機20機(1939:12機)
※1942/4/9にセイロン島バッティカロア沖で帝国の偵察機に発見され、トリンコマリー沖海戦にて帝国機動部隊の九九艦爆機85機の攻撃で、45機がハーミーズ号を爆撃して沈没。戦死者307人。同航の壕駆逐艦ヴァンパイア号、英コルベット艦ホリホック号、タンカー2隻も撃沈され、この戦闘の生存者590人は病院船ヴィータ号に救助されてコロンボ港へ送られる。

参考HP〜
シンガポール攻略戦の地図
現在のシンガポールの地図(Google Map)

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/8/10
開 戦
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