切手で綴る 太平洋戦争 物語
第2部 <帝国の侵攻>
第4章 マレー攻略

20 <占領地切手>
帝国軍、マレーの攻略を完了
1942/2/15

大日本帝国郵便
マ ラ イ
(正刷切手)
占領地切手<マライ>を発行
果物 スズ採取船 忠霊塔
マライ 通常切手 1943 発行
郵便貯金百万弗記念

マライ 1943/9/1 発行
新生マライ2周年記念

マライ 1944/2/15 発行

上の下段左の切手は、1943/9/1に帝国占領下のマライで発行された「馬來郵便貯金百萬弗紀念」の切手です。なお、切手では「突破」の文字は略されていますが、切手発行に合わせて9/1〜9/7の間に使用された記念印には、「郵便貯金百萬弗突破記念」の文字が入っています。なお、切手の通貨単位のドルは戦前の英領マライ、海峡植民地、サラワク、ブルネイ、ノース・ボルネオの各地域で使われていた現地ドルと等価交換を建前とする日本の軍票のものです。日本占領下のマライでの郵便貯金の取り扱いは1942年末から始まりましたので、1年弱で貯金残高が100万ドルを越えたということで、翌1994/5月には500万ドル突破、同年10月には1,000万ドル突破の記念印が使用されており、後半になるほど貯金残高の伸びが大きくなっています。でも、その背景には戦時インフレが昂進したという事情があるので、通貨価値という点で、純粋に1年間で5倍、10倍になったんではないでしょう。

・帝国の南方作戦計画
1941/12/8に帝国はアメリカ、イギリスへ宣戦布告し太平洋戦争が開始されました。開戦と同時に、マレー作戦を実施する第25軍の背後を確保するため、第33師団と第55師団を基幹とする帝国第15軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦を準備していました。

大本営は緒戦の快進撃に応じて、まず宇野支隊(歩兵第143連隊の一部)をビルマ領最南端のビクトリアポイント(現在のコートーン(Kawthaung)を12/15に占領させて、ビルマ進攻作戦が開始しされました。

帝国は占領したマレーに軍政を敷き、シンガポール島を昭南島と命名して郵便切手を発行し、帝国化政策を推し進め、強圧的に神社を崇めさせるなどの実施で民衆の反発をかうことになりました。一方では、イギリスから優遇されていた華僑などの中国人を敵国民族として弾圧し、イギリスから冷遇されていた現地人のマレー人を徹底的に優遇しました。マレー人のための学校の建設や、政治政党の結成、イスラム教の容認、マラヤ(昭南)興亜訓練所(1943/2/15-1945/8/15、卒業生約800人)という人材育成機関を設置してエリートを育成するなど、イギリスにほとんど動物扱いされていたマレー人達に民族の誇りと独立心を取り戻させました。また、イギリスの移民政策で移住してきたインド人も優遇し、英軍から投降してきた6万人ともいわれるインド兵のなかから、日本の支援のもと「インド国民軍」が結成され、ビルマ作戦に参加しました。

なお、マレー半島南部の現地人はマレー人でしたが、イギリスの植民地化後の移民政策により、華僑(中国人)とインド人が次々流入し、太平洋戦争開戦直前には、華僑の人口がマレー人の人口をしのぐまでに増えていました。また、この地域における主な産業は、錫(すず)と天然ゴム産業でしたが、イギリスの移民政策により優遇を受けた華僑とインド人がそれらの主要産業をほぼ独占してしまったため、マレー人達は社会からつまはじきされる結果となっていました。

こちらで
グアム島占領
シンガポール陥落 をお楽しみください。

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/8/10








両軍の沈没艦列伝


図案はスラバヤ沖ジャワ海々戦の図

マーシャル諸島 1992 発行

1941年
海 戦 名 帝国の沈没艦 連合軍の沈没艦
12/8 真珠湾攻撃 特殊潜航艇 甲標的5隻 真珠湾・米国の損害
12/8 グアム島空襲 ----- 米駆潜艇ペンギン号・第16号哨戒艇
12/10 マレー沖海戦 ----- 英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ号
英戦艦レパルス号
12/11 第1次ウェーキ島攻撃 駆逐艦 疾風・如月
第32・33号哨戒艇
-----
12/23 第2次ウェーキ島攻撃 潜水艦 呂60 -----
1942
1/12 タラカン島の戦い 掃海艇 第13号、第14号 -----
1/24 バリクパパン沖海戦 南阿丸・敦賀丸・須磨ノ浦丸
辰神丸・呉竹丸・哨戒艇37号
-----
1/27 エンドウ沖海戦 ----- 英駆逐艦サネット号
2/1 マーシャル・
ギルバート諸島空襲
特設運送船 ぼるどう丸
特設駆潜艇 鹿島丸
特設駆潜艇 第10昭南丸
-----
2/9 マカッサルの戦い 駆逐艦 夏潮 -----
2/17 ガスパル海峡海戦2次 ----- 商船スロエト・ヴァン・ベレル号
蘭駆逐艦ヴァン・ネス号
2/20 バリ島沖海戦 ----- 蘭駆逐艦ピートハイン号
2/27 チラチャップ沖海戦 ----- 米水上機母艦 ラングレー号
2/27

3/1
スラバヤ沖海戦 ----- 2/27蘭駆コルテノール号、
 英駆ジュピター号、
 英駆エレクトラ号
2/28蘭軽巡デ・ロイテル号、
 蘭軽巡ジャワ号
3/1 チラチャップ沖海戦の後 ----- 米給油ペコス号
米駆エドサル号
3/1 第2次スラバヤ沖海戦 ----- 英重巡エクゼター号
英 駆エンカウンター号
米 駆ポープ号
3/1 バタビヤ沖海戦 第2号掃海艇
輸送艦 神州丸、龍野丸、
輸送艦 佐倉丸、蓬莱丸
米重巡ヒューストン号
豪軽巡パース号
蘭 駆エヴェルトセン号
3/2 第2次バリ島沖海戦 ----- 米駆ピルスバリー号
米駆エドサル号
米砲艦アッシュビル号
英駆ストロングホールド号

3/10 ラエ・サラモア空襲 横浜丸、天洋丸、金剛丸、他
3/12朝凪・望月・聖川丸
3/13第二玉丸
3/14追風・黄海丸
-----
4/5 セイロン沖海戦 ----- 英重巡ドーセットシャー号
英重巡 コーンウォール号
英 駆テネドス号
仮装巡洋艦ヘクター号
4/9 トリンコマリー沖海戦 ----- 英空母ハーミーズ号
豪駆逐艦ヴァンパイア号
英コルベット艦ホリホック号
英タンカー2隻
4/11 ベンガル湾機動作戦 ----- 商船21隻
5/8 サンゴ海々戦 空母 翔鳳・駆逐艦 菊月
給油船 東邦丸
米空母レキシントン号
米駆逐艦シムズ号
米油漕艦ネオショー号
5/30 マダガスカルの戦い 甲標的2隻 タンカー1隻
6/5 ミッドウエー海戦 空母 赤城・加賀
空母 飛龍・蒼龍
重巡 三隈
米空母ヨークタウン号
米駆逐艦ハンマン号

ABDA連合国海軍
イギリス海軍(イギリス東洋艦隊)
オランダ海軍
オーストラリア海軍
アメリカ海軍

参考HP〜
蘭印の主な島の都市名地図(日本語、帝国の主な侵攻目標)
蘭印への帝国の侵攻地図(日付有)
蘭印の帝国軍の侵攻地図(詳細地図)
ABDA(米英蘭豪)連合軍の防衛線地図

こちらで
スラバヤ沖海戦(ジャワ海々戦)
をお楽しみください。

参考〜
航空母艦 瑞鶴(ずいかく)の装備:〜竣工:1941/9/25
  (大日本帝国海軍の航空母艦)翔鶴型航空母艦の2番艦
三万屯級空母 正規航空母艦 空母 瑞鶴

ドミニカ 1995 発行
建造所 川崎・神戸造船所
全 長 275.5m
全 幅 26.0m
吃 水 8.87m
飛行甲板 242.2m×29.0m
排水量 基準25,675t、満載32,105t
速 力 最大34.0kt、巡航16kt
航続距離 9,700浬/18kt時
乗 員 1,660人
武 装 最終時:40口径12.7cm連装高角砲8基、25mm3連装機銃20基、25mm単装機銃36挺、12cm28連装噴進砲8基
搭載機 常用72機、補用12機
1941/12/7:ゼロ戦18機、九九艦爆27機、九七艦攻27機
※'真珠湾攻撃に参加した6隻のうち最後まで残った後、1944/10/25レイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)小沢機動部隊で米攻撃機隊の空襲・炎上後、沈没、士官49、下士官兵794人戦死。


ロッキード PV-1 爆撃機の装備:〜
  (Lockheed PV-1)、初飛行:1941/7月
  (米英軍の双発哨戒爆撃機機)運用開始:1942年
愛 称 ロッキードヴェンチュラ(Ventura) ロッキード PV-1 哨戒爆撃機

ツヴァル 1985/5/29 発行
機体略号 PV-1
全 長 15.77m
全 幅 19.96m
全 高 3.63m
自 量 9,160kg
最大速度 518km/h(4,025m)巡航速度:274km/h
上昇限度 実用上限高度:8,015m
乗 員 5人
製造者 ロッキード社
航続距離 2,670km
生産数 I型(英)188、II型487(米291、英196)+200(米陸軍175、英,25機)
武 装 12.7mm機銃×7、7.62mm機銃×2
爆 装 爆弾3,000lb
※米海軍(20機)、米陸軍でB-34(250機)、B-37(18機)として運用
  なお、PV-2ハープーン(Harpoon:捕鯨用銛の意)も有。

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/12/15、16/3/3

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