切手で綴る 太平洋戦争 物語
第3部 <米国(連合軍)の反攻>

第14章 マーシャル

77 <米軍、クェゼリン上陸>
1944/2/1〜2/6

クエゼリン環礁

マーシャル諸島 1984-85 発行
米グラマン機、マーシャル諸島を空襲
US Liberates Marshall Islands 1944

第2次世界大戦勝利50年記念
マーシャル諸島 1994 発行
クエゼリン掃討戦終了、占領
Feb 17, 1944 US Marines Capture Kwajalein

第2次世界大戦勝利 クエゼリンの戦い 50周年記念
パラオ 1994 発行

クェゼリンの戦い、 1944/2/1〜2/6
  (Battle of Kwajalein)、米軍の勝利
  場所:マーシャル諸島クェゼリン環礁クェゼリン島
     (Kwajalein Island, Kwajalein Atoll, Marshall Islands)
1944(昭和19年)/1/31早朝、米軍はマーシャル諸島の世界最大の環礁、クェゼリン環礁へ空襲すると共に、戦艦(3)駆逐艦(5)による艦砲射撃を実施。防御陣地の大部分を破壊しました。夕刻には戦艦(5)巡洋艦(5)駆逐艦(10)輸送船(14)が望見され、近くの離島のヌエブ島に上陸してクェゼリン砲撃用の大砲48門を設置しました。

2/1、クェゼリン環礁へ米軍は上陸前の砲爆撃で砲弾と爆弾合せて2kuあたり2,500屯もの砲爆弾の雨を降らせました。2日目の猛攻後、米軍が上陸。帝国守備隊は狭いサンゴ礁へ戦車を先頭に攻撃してくる米軍とよく戦い4日間の激戦の末に全滅。2/6米軍が占領を完了しました。

・クェゼリンの戦い
1/30 早朝、米軍は戦艦4隻などと輸送船20隻を配置、水陸両用兵員輸送車240両、水陸両用戦車74両、上陸攻撃部隊53,000人、上陸後守備部隊31,000人を準備
03:25、第一波、B-24爆撃機15機が空襲
04:45、第二波、B-24爆撃機60機が空襲
09:00、第三波、B-24爆撃機120機が空襲
1/31 三波の空爆が実施される
ヌエブ島に48門の火砲を揚陸
2/1 1/30-2/1のマーシャルの主要島嶼に来襲した艦載機の数は
ルオット〜145機
クェゼリン〜103機
ウォッジェ〜325機
マロエラップ〜130機
エニウェトク〜120機、計723機
別に陸上機が
ミリ攻撃〜30機
ジャルート攻撃〜34機
・ウォッジェ環礁の日露戦争時戦艦 三笠や装甲巡 春日から陸揚した15cm砲で、艦砲射撃の駆逐艦アンダーソン号 (USS Anderson, DD-411) が損傷
第53任務部隊が
・エニマネック島に上陸・占領
・エニブニ島に上陸・占領
・エニビン島、25人が抵抗するも30分で制圧後、砲兵隊陣地を設置
・ミル島、上陸後間もなく占領後、砲兵隊陣地を設置
・第51.2任務群がマジュロ島、無血占領、有力な前進基地を建設
2/2 4:00、ターナー隊の輸送船20隻が環礁内に入って、LVT240両とLVT改74両を発進
B-24の援護爆撃とエニブージ島からの砲撃を実施。上陸部隊が海岸線にたどり着くまで制圧砲撃を行い、帝国軍の反撃を許さずに海岸線に到達
6:30、西海岸に第7歩兵師団が上陸、夕方までに1万人以上の兵員を展開
9:00過ぎから徐々に反撃を受け、午前中に第7海兵師団が進出できたのは飛行場の西端部まで。一方、上陸を受けて秋山少将は午後に「各隊は、一兵となるまで陣地を固守し、増援部隊の来着まで本島を死守すべし」と下令
20:00過ぎ、前線視察時に米軍砲弾で秋山少将が戦死
深夜、阿蘇陸軍大佐が豪雨中を帝国機動大隊と第61警備隊で夜襲を決行、一時は成功するも海とエニブージ島からの砲撃に阻まれ、多大な損害を出して後退
2/3 未明、米陸軍第184連隊に対しても夜襲を敢行、
夜が明けると同時に米の勢いも止る
第52任務部隊は砲撃を行いながらクェゼリンに接近し、
・エニブージ島、無血占領
・エンニラビガン島、無血占領
・ギー島、小競り合い後・占領、重要な海図75枚を発見し鹵獲
・ニンニ島、小競り合い後、占領
2/4 帝国陸軍第32連隊は第184連隊を吸収して攻勢に出る
10:00、残った第六根拠地隊の主要幹部全員が自決し、
残存兵は阿蘇大佐に指揮される
2/5 朝から日本語による降伏勧告が行われる
10:00、阿蘇大佐以下残存兵総員が突撃
12:30頃までに帝国軍は全員玉砕
米陸軍第17連隊が2/4から攻略作戦開始し、
・エビジェ島守備部隊が2/5の10時全滅後、占領
・ロイ島、占領
・グゲゲ島、占領
・ビゲ島、占領
2/6 最後の掃討戦が終わり、クェゼリン島の占領が宣言される
※帝国軍第六根拠地隊参謀で元皇族で侯爵の音羽正彦海軍大尉も戦死。

▽両軍の兵力と損害:〜
○帝国軍の兵力
・海軍〜3,380人
・陸軍〜1,020人
・軍人軍属〜810人
・クェゼリン〜計5,210人
○米軍の兵力
・海兵隊〜21,342人
・戦  艦〜5隻
・巡洋艦〜5隻
・駆逐艦〜10隻
・輸送船〜20隻
○帝国軍の損害
・戦死〜4,947人
・捕虜〜263人
○米軍の損害
・戦死〜 177人
・戦傷〜1,037人
※数字には諸説有

▽両軍の編成:〜
○帝国軍の編成:〜
クェゼリン島守備隊
・海軍第6根拠地隊本隊〜1,200人
   根拠地隊司令官:秋山門造少将(1891-1944/2/2戦死)
  ・第6根拠地隊付属陸戦隊〜80人
・海軍第61警備隊〜1,500人
   警備隊司令:山形政二大佐(1893-1944/2/6戦死)
  ・第6通信隊〜400人
・第6潜水艦基地隊〜200人
・陸軍海上機動第1旅団第2大隊基幹〜1,020人
    第2大隊長:阿蘇太郎吉大佐(?-1944/2/4戦死)
  ・司令部に来島中の海機第1旅団参謀の伊藤豊臣少佐が所在
  ・第61警備隊所属などの軍人軍属〜810人、総計約5,210人。

○米軍の編成:〜
・第5水陸両用部隊
 (5th Fleet Amphibious Corps Marine Reconnaissance Company)
  司令官:ターナー少将
・第52任務部隊(Task Force 52)、ターナー隊
 ・戦  艦〜5隻
 ・巡洋艦〜5隻
 ・駆逐艦〜10隻
 ・輸送船〜20隻
  ・水陸両用兵員輸送車(LVT)〜240両
  ・水陸両用戦車(LVT改良型)〜74両
 ・第4海兵師団(4th Marine Division)
  ・第22海兵連隊(22nd Marine Regiment)
 ・第7歩兵師団(7th Infantry Division)
  ・第17歩兵連隊(17th Infantry Regiment)
  ・第106歩兵連隊(106th Infantry Regiment)
  ・第111歩兵連隊(111th Infantry Regiment)など
水陸両用戦車

パラオ 1993 発行
 ・上陸攻撃部隊53,000人、上陸後守備部隊31,000人、総兵力〜約84,000人

・大本営発表〜2/25
クエゼリンの戦闘の帰結が内地に伝えられたのは戦闘終了から約3週間後の2月25日で、大本営は午後4時に国民に発表。
「クェゼリン島竝(ならび)にルオット島を守備せし約四千五百名の帝国陸海軍部隊は一月三十日以降来襲せる敵大機動部隊の熾烈なる砲爆撃下之と激戦を交え二月一日敵約二ヶ師団の上陸を見るや之を激撃し勇戦奮闘、敵に多大の損害を与えたる後二月六日最後の突撃を敢行、全員壮烈なる戦死を遂げたり。ルオット島守備部隊指揮官は海軍少将山田道行にしてクェゼリン島守備部隊指揮官は海軍少将秋山門造なり。尚両島に於て軍属約二千名も亦(また)守備部隊に協力奮戦し全員其の運命を共にせり」。

※クェゼリン・ルオットの玉砕の大本営発表と同時に臣籍降下していた朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887(明治20年)-1981)次男の音羽正彦(正彦(ただひこ)王(1914-1944/2/6)、臣籍降下:音羽侯爵家)海軍大尉戦死の発表も2/25に行われ、音羽大尉は少佐に一階級特進しました。

・エビジェの戦い:〜
 (Battle of Ebeye、クェゼリン方面最後の戦闘)、1944/2/4〜2/5
クェゼリン島の北端部から約2海里の地点にあるエビジェ島(Ebeye Island)の戦闘で、エビジェ島には水上機基地が置かれており、航空隊員と地上要員合わせて約800人が守備。エニブージ島(Enubuj Island)、エンニラビガン島(Ennylabegan Island)を占領した米陸軍第17連隊が攻略を担当し、2/4から攻略作戦が行われました。エビジェ島守備部隊は、一時は夜襲により第17連隊を押し返すほど抵抗したものの、2/5の10時までには全滅。エビジェ島占領に続いてロイ島(Roi Island)、グゲゲ島(Gugegwe Island)、ビゲ島(Bigej Island)を占領してクェゼリン方面の戦闘は事実上終了。

参考HP〜
クェゼリン環礁の地図(地名入り)
クェゼリン島の地図(航空写真)
クェゼリン環礁の地図(GoogleMap)
クェゼリン環礁の場所地図
クェゼリンの地図(日本語、米軍の攻撃地図)








78 <米軍、クェゼリン環礁ルオット島上陸>
 1944/2/1〜2/3

米B-17重爆撃機が
クエゼリン環礁北端のルオット島を空襲

8 Dec 1943 Kwajalein bombarded by sea and air
第2次世界大戦勝利 クエゼリンの戦い 50周年記念
パラオ 1994 発行

ルオットの戦い、1944/2/1〜2/3
  (Battle of Ruot)、米軍の勝利
  場所:マーシャル諸島クェゼリン環礁ロイ・ナムル環礁島ルオット(現ナムル)島
  (Ruot Island, Roi-Namur(Ruot) Atoll, Kwajalein Atoll, Marshall Islands)
ルオット島はクェゼリン環礁北端のロイ・ナムル環礁の橋で繋がった2つの島、ロイ島・ルオット(現ナムル)島となっており、そこへ米軍が上陸してきました。

1944/2/1にクェゼリン環礁の北端にあるロイ島には飛行場が有り、それを占領して使用するため、米軍が上陸。前日からの猛烈な空爆と艦砲射撃で、ほとんど破壊され尽くしていたところへ、戦車を先頭に上陸してきた米軍約2万人は、生き残った同島守備隊の勇敢な抵抗にあいました。
2/3に米第7師団長コーレット少将が占領を宣言しました。

・ロイ島の戦い
2/1 米軍の事前砲爆撃で、山田少将が戦死して戦力が大幅に低下
米軍が水中障害物を調査
2/2 9:00、米第23海兵連隊がロイ島に上陸
唯一残存の47ミリ速射砲がM5軽戦車1輌を撃破
午後迄に、残存部隊は海岸線で銃剣突撃を敢行して玉砕
2/3 米陸軍航空隊機が飛行場の使用を開始

・ルオット(現ナムル)の戦い
2/1 米軍の事前砲爆撃で、守備隊の戦力が大幅に低下
米軍が水中障害物を調査
2/2 9:00、米第24海兵連隊がルオット島に上陸
9:00過ぎ、貯蔵弾薬の爆発が立て続けに起こり、相当数の米将兵が死傷
ロイ島陥落で防衛は困難なるも、一部が島の南東端で激しく抵抗したり、帝国兵少数が椰子の丸太に隠れて抵抗を試みるも、火炎放射器と爆薬で相次いで粉砕される
午後過ぎに全滅
2/3 11:18、ルオット島の占領が宣言される

▽両軍の兵力と損害:〜
○帝国軍の兵力
・兵力〜2,525人
○米軍の兵力
・兵力〜20,104人
○帝国軍の損害
・戦死〜2,514人
・捕虜〜11人
・不明〜575余人
○米軍の損害
・戦死〜206人
・戦傷〜617人
・行方不明〜181人
※数字には諸説有

▽両軍の編成:〜
○帝国軍の編成:〜
・海軍第24航空戦隊
  司令官:山田道行少将(1893-1944/2/6戦死)
  ・第61警備隊分遣隊
 ・ロイ島〜2,125人
 ・ルオット島〜400人
 ・民間人(飛行場設営隊員・荷役人夫)1,000余人〜合計3,100余人。

○米軍の編成:〜
第5水陸両用部隊
  (5th Fleet Amphibious Corps Marine Reconnaissance Company)
  上陸軍団司令官:ホーランド・スミス中将
・第7師団(7th Infantry Division)
  指揮官:コノリー少将
・輸送船
 ・戦車揚陸艦(LST)
・第4海兵師団(U.S. 4th Marine Division)
 ・第23海兵連隊(23rd Marine Regiment)〜ロイ島
 ・第24海兵連隊(24th Marine Regiment)〜ルオット島

なお、2/12に帝国のトラック島基地から大型の二式飛行艇6機が、深夜ルオット島に夜間攻撃を敢行し、ルオット島に集積してあった米軍補給物資80%の損害と死傷者235人という大戦果を挙げ、全機無事にトラック基地へ帰還しました。米軍は食料の損失で、上陸部隊がしばらくの間、非常食による生活を強いられました。

ランディング・ヴィークル・トラックの装備:〜開発:1935
 (Landing Vehicle Tracked、通称LVT)
  米海軍と海兵隊の水陸両用トラクター(Amphibious Tractor)水陸両用装軌車
  愛称:上陸用舟艇アリゲーター(Alligator、鰐)、運用:1942〜1950年代後半
略 称 アンプトラック(Amphtrack) 米:上陸用舟艇(アリゲーター)

Alligator Landing Craft
モルジブ 1995 発行
全 長 7.95m
全 幅 3.25m
全 高 2.49m
装 甲 6-13mm
重 量 16.5t
エンジン ライト製7気筒ガソリン、馬力250hp
速 度 32km/h(水上12km/h)
行動距離 240km(水上80km)
積載量 搭載30人、重量物2,000kg
乗員数 3人(操縦士1、射手2)、最大33人
生産者 フード・マシーナリー・コーポレーション、他
生産数 18,621台
武 装 50口径12.7mm M2HB重機関銃、30口径7.62mm M1919A4機関銃
※キャタピラー(無限軌道)踏面に水かき板、外輪船の要領で漕行(スクリュー無)。
※LVTはガダルカナル戦(1942)で後方支援に使用され、初めて上陸作戦に使用されたのはタラワ攻略(1943)。タラワでLVTは珊瑚礁や浅瀬だらけの浜辺を乗り越え、輸送を成功することでその価値が証明されました。上陸用舟艇であるヒギンズ・ボート(LCVP)は、喫水下1.2mの水深が必要であるため珊瑚礁で座礁し海岸到達できず、胸まで深さのある浅瀬か、それより深い海辺を徒歩で進まなければならなかったのと対照的な結果でした。上陸用舟艇組は多数の犠牲者を出し、海岸にたどり着いたほとんどの者が小銃や無線機など装備のほとんどを失いました。有用性が明らかになった一方で、投入された125台のLVTのうち80台以上が帝国軍の砲火で損傷し、作戦終了時には稼動できるLVTは35台であり防御力の低さを露呈しました。アリゲーターは構想どおりの働きを見せた一方で、より効果的な運用のため改良が必要である事も明らかになりました。タラワの経験を元に上陸用のLVTには標準化した増加装甲が用意されて、火力支援を提供するためにLVT(A)-1、AVT(A)-4などのアムタンクが開発されました。後部機関銃を取り外してより大きい砲塔リングを採用し、75mm榴弾砲をオープントップ式に装備。そのため、帝国軍歩兵からの攻撃に脆弱になったが火力支援には効果的でした。マリアナ諸島攻略に投入されたアムタンクは本来の上陸だけでなく、内陸でも使用されました。 LVTが多数用意されたレイテ島上陸では、9つのアムトラック部隊と2つのアムタンク部隊が配置されるも、上陸戦が起きなかったため、最も少ない活動の作戦となりました。その後、1,000台以上のLVTが沖縄戦に投入されました。

参考HP〜
クェゼリン環礁の地図(地名入り)
ロイ・ナムル(ルオット)島の地図(ロイ島に飛行場が有)
マーシャル諸島の地図(ロイ・ナムル(ルオット)島はクェゼリン環礁北端に有)








79 <米軍、ブラウン環礁エニウェトク上陸>
1944/2/19

エニウェトク環礁島

マーシャル諸島 1984-85 発行

空 襲
艦砲射撃
水陸両用戦車が突進
戦車を先行攻撃

米軍、エニウェトク上陸、1944/2/19
  (Battle of Eniwetok)、米軍の勝利
  別名(米軍呼称):キャッチポール作戦
     (Operation Catchpole)
  場所:マーシャル諸島ラリック列島ブラウン環礁(現エニウェトク環礁)
     (Eniwetok Atoll, Ralik Chain, Marshall Islands)
     (帝国の委任統治領ではブラウン環礁:Brown Atoll)
マーシャル諸島ブラウン環礁(現エニウェトク環礁)は直径28kmの円形の環礁で、約40の島々からなっていて、帝国海軍は大艦隊の良好な泊地として、昭和17年11月に海軍第4施設部がエンチャビ島に飛行場を建設。1/3海軍の中攻(双発陸上攻撃機)の1,300m滑走路が完成。18年1月からクウェゼリン島から監視哨が派遣され、10月に海軍警備隊分遣隊61人が上陸。昭和19年1月上旬までに海上機動第1旅団が満州で編制(1943/11/14)されて、エンチャビ島(Engebi Island)、エニウェトク島(Eniwetok Island)、メリレン島(Medlen Island)の3島に配備。旅団長の西田祥実(よしみ、1892-1944/2/21戦死)少将は司令部をメリレン島に置き、海軍第61警備隊分遣隊を指揮下に置く。守備隊は米軍の上陸兵力を最低、歩兵3個師団と予想し、築城に努めましたが食料の欠乏、気候の不順、時間不足のため未完成のまま、米軍の上陸が始まりました。エニウェトク島は砂地のため壕は皿のようにしか出来ませんでした。エンチャビ島には3隻の輸送船がセメント、トタン、木材などの築城資材を揚陸しましたが、各島に分配するには間に合いませんでした。

▽両軍の兵力と損害:〜
○帝国軍の兵力
・兵力〜3,560人
○米軍の兵力
・兵力〜10,367人
○帝国軍の損害
・戦死〜3,380人
・捕虜〜105人
○米軍の損害
・戦死〜313人
・戦傷〜879人
・行方不明〜77人
※数字には諸説有

▽両軍の編成:〜
○帝国軍の編成:〜
陸海軍々人・軍属など〜総兵力3,560人
・陸軍
 ・海上機動第1旅団主力(旅団長 西田祥実 少将)〜 2,763人
  ・メリレン〜1,244人(司令部〜メリレン島内司令部員939人)
  ・エンチャビ〜716人
  ・エニウェトク〜803人
・海軍〜199人
 ・第61警備隊分遣隊〜49人
  ・エンチャビ〜44人
  ・エニウェトク〜5人
  ・監視哨(1943/1見張所設置)
・海軍双発陸上攻撃機(中攻)〜10数機
 ・第952航空隊〜150人
  ・メリレン〜80人
  ・エンチャビ〜70人
・非戦闘員〜598人
 ・軍  属〜47人(メリレン)
 ・測量隊〜50人(メリレン)
 ・建設要員〜301人
  ・メリレン〜20人
  ・エンチャビ〜281人
・荷役要員〜200人(クェゼリンに向かう途中)
 ・メリレン〜35人
 ・エンチャビ〜165人

○米軍の編成:〜
エニウェトク攻略部隊
・第53任務部隊(Task Foce 53、兵站部隊)
     司令官:ハリー・ヒル少将
 ・エンチャビ島攻略部隊〜第22海兵連隊
  (22nd Marine Regiment)
 ・エニウェトク島攻略部隊〜第106歩兵連隊第1・3大隊
  (1st & 3rd Battalions of the 106th Infantry Regiment)
 ・メリレン島(パリー島:Parry Island)攻略部隊〜
  ・第104野戦砲兵隊(104th Field Artillery)
  ・第2ハウィツァー大隊別働隊(2nd Separate Pack Howitzer Battalions)
  ・砲撃艦隊〜戦艦2隻基幹の艦隊
   ・戦艦テネシー号
   (battleships USS Tennessee BB-43, 33,190t, 1083人, 1947退役)
   ・戦艦ペンシルヴァニア号
   (battleships USS Pennsylvania BB-38, 31,900t, 1,358人, 1946退役)
   ・他
エニウェトク作戦支援の機動部隊
 ・第58任務部隊の内〜サミュエル・P・ギンダー少将の機動部隊
  ・第58.4任務群
   ・空  母サラトガ号
   ・軽空母プリンストン号
   ・軽空母ラングレー号、基幹の機動部隊
支援部隊
・米上陸軍支援艦隊:〜ガルヴァニック作戦支援部隊
 ・中部太平洋部隊第5艦隊〜司令官:レイモンド・スプルーアンス中将
  ・第5水陸両用軍団〜司令官:ホーランド・スミス海軍少将。

参考HP〜
エニウェトク環礁の地図
エニウェトク環礁の航空写真
ラリック列島の地図(エニウェトク環礁(Enewetok)の場所地図)
マリアナ・カロライン・マーシャルの場所地図
 (マリアナ(サイパン)・カロライン(トラック)・マーシャル(エニウェトク)の場所地図)


戦艦の艦砲射撃

マーシャル諸島 1991 発行
エンチャビ島の戦い、 1944/2/19
 (Battle of Engebi)、米軍の勝利
 場所:マーシャル諸島ラリック列島ブラウン環礁エンチャビ島
 (Engebi Island,Eniwetok Atoll,Ralik Chain,Marshall Islands)
昭和19年1月31日米機動部隊の艦載機による初空襲が始まり、帝国の「中攻」10数機は地上で炎上、全滅。2/18準備空襲のあと、艦砲射撃で2,800トン以上の砲弾をエンチャビに撃ち込みました。平らな島のため水平に飛んできた艦砲弾は島を通り越して水面に水しぶきを上げることも多くありました。人員の被害は三分の一だったといわれています。2/19米軍の上陸準備
一斉砲撃と爆撃のもと、ワトソン准将率いる8,000人が上陸用舟艇で海岸に殺到。米海兵第22連帯3,500人が、まず上陸。帝国守備隊は西半分の滑走路付近で頑強に抵抗、上陸1時間後、突撃ラッパとともに全員突撃を敢行。米戦車の蹂躙で全員、玉砕。午後1時40分ワトソン海兵准将(Brigadier general Thomas Eugene Watson, 1892-1966)はエンチャビ島の占領を宣言しました。

▽両軍の兵力と損害:〜
○帝国軍の兵力
・兵力〜1,276人
○米軍の兵力
・兵力〜約8,000人
○帝国軍の損害
・戦死〜1,250人
・戦傷〜16人
○米軍の損害
・戦死〜85人
・戦傷〜166人
※数字には諸説有

参考HP〜
エニウェトク環礁の地図(Engebi Island有)


エニウェトク環礁
エニウェトク島の戦い、 1944/2/20〜2/22
 (Battle of Eniwetok)、米軍の勝利
 場所:マーシャル諸島ラリック列島ブラウン環礁エニウェトク島
 (Eniwetok Island,Eniwetok Atoll,Ralik Chain,Marshall Islands)
エニウェトク島は長さ2,400m、幅220m、北に行くほど細長くなっているサンゴ礁の島。エンチャビ島占領後の2/20早朝に米軍が上陸、翌朝まで守備隊の抵抗が続き、2/21早朝に守備隊40人が海兵隊戦闘指揮所に突撃、米作戦将校ら10人が戦死。午後には約50人の守備隊が最後の突撃をして組織的抵抗は終了。
2/22ハリー・ヒル海軍少将(Rear Admiral Harry Wilbur Hill 1890-1971)がエニウェトク島の占領を宣言しました。

▽両軍の兵力と損害:〜
○帝国軍の兵力
・兵力〜808人
○米軍の兵力
・兵力〜約3,000人
○帝国軍の損害
・戦死〜785人
・戦傷〜23人
○米軍の損害
・戦死〜37人
・戦傷〜94人
※数字には諸説有

参考HP〜
エニウェトク島の航空写真


戦車を先行攻撃

パラオ 1993 発行
メリレン島の戦い、 1944/2/20
 (Battle of Medren)、米軍の勝利
 場所:マーシャル諸島ラリック列島ブラウン環礁メリレン島
 (Medren Island,Eniwetok Atoll,Ralik Chain,Marshall Islands)
エニウェトク島占領後、メリレン島の防御計画書類を発見した米軍は、艦砲射撃と空襲で3日間にわたり、昼夜連続攻撃。2/20早朝に米軍が上陸。戦車を先行させ、爆破隊と火炎放射機隊が続き、帝国軍陣地を焼き払い爆破して掃討戦を続行。午後4時30分ワトソン将軍が占領を宣言しましたが、掃討戦は、なおも続き、米軍は損害を出しました。

▽両軍の兵力と損害:〜
○帝国軍の兵力
・兵力〜1,247人
○米軍の兵力
・兵力〜約3,000人
○帝国軍の損害
・戦死〜1,222人
・戦傷〜25人
○米軍の損害
・戦死〜73人
・戦傷〜261人
※数字には諸説有

参考HP〜
エニウェトク環礁の地図(Eniwetok & Medren有)
エニウェトク環礁の地図(Medren Island有)
ブラウン(エニウェトク)環礁の地図(Parry=Medren Island有)


ミリ環礁
ミリ環礁の戦い
  (飢餓との戦い)、 1944/2/20〜1945/8/15)
 場所:マーシャル諸島ラタック列島ミリ環礁ミレー島
 (Mili Island, Mili Atoll, Ratak Chain, Marshall Islands)
ミリ環礁は、現在のマーシャル諸島共和国に属する92の島で、陸地の面積は16kuで、礁湖ラグーンは763kuで、ミレー島は約3ku。エニウェトク島占領後、ミリ環礁には米軍は上陸せず、空襲攻撃の中で、絶海の孤島ミレー島に取り残され、帝国の補給は無く孤立。在島の兵士約5,700人は迫り来る飢餓との戦いの中を敗戦まで生き延
びた2,590人が、1945/9/29に民間船の氷川丸でミレー島を出発、日本へ復員しました。

ラリック列島のエニウェトク環礁占領での一連の戦い後、ラタック列島の四環礁(ウォッジェ:Watje、ジャルート:Jaluit(ヤルート)、ミリ:Mili、マロエラップ:Maloerap)は放置され、米軍の増強される航空兵力のための格好の「訓練地」として爆撃を受け続けました。
参考HP〜
マーシャル諸島ラタック列島の地図
 (Mill(ミリ環礁)他、Watje, Jaluit, Maloerap の場所地図)


ヤルート環礁
その他の環礁の戦い、 1944/2/12〜1945/4下旬
 場所:マーシャル諸島の島々
 (Islands, Ralik Chain & Ratak Chain, Marshall Islands)
エニウェトクの戦いの後、米軍はマーシャル諸島各地で掃討戦を実施。一連の掃討戦で大きな戦いはなく、4月下旬までに終了。

1944
2/12 アルノ環礁、無血占領
3/13 ウジャエ環礁、気象観測員6人捕虜
オトー環礁、不時着帝国機の搭乗員12人自決
ラエー環礁、無血占領
3/27 アイリングラップ環礁、ジャルート移動中陸軍第122連隊第2大隊46人中37人戦死、9人捕虜
ナムー環礁、警察官と教員各1人、その妻子4人捕虜
ナモリック環礁、無血占領
エボン環礁、日本兵5人と民間人20人戦死
キリ島、無血占領
3/29 ビキニ環礁、無血占領
4/5 ビカール環礁、無血占領
ウチリック環礁、無血占領
タカ環礁、無血占領
アイルック環礁、無血占領
メジット島、無血占領
ジェモ島、無血占領
リキエップ環礁、無血占領
4/22 ウジェラング環礁、帝国兵18人捕虜
※米軍はエニウェトク環礁攻略(キャッチポール作戦)の支援として、トラック島空襲(帝国呼称:海軍丁事件(米軍呼称:ヘイルストーン作戦(Operation Hailstone)1944/2/17-2/18)を実施しました。
※エニウェトクは戦後、核実験場になりました。

参考〜
・マーシャル諸島の島々:〜
○ラタック列島(Ratak Chain)の環礁島:〜東の日の出側に有 (Sunrise, Eastern)
・ボカック環礁(Bokak Atoll、△※)
・ ビカール環礁(Bikar Atoll、'44/4/5無血占領、△)
・ウチリック環礁(Utirik Atoll、'44/4/5無血占領)
・タカ環礁(Toke Atoll、'44/4/5無血占領)
・メジット島(Mejit Island、'44/4/5無血占領)
・アイルック環礁(Ailuk Atoll、'44/4/5無血占領)
・ジェモ島(Jemo Island、'44/4/5無血占領、△)
・リキエップ環礁(Likiep Atoll、'44/4/5無血占領)
・ウォッジェ環礁(Wotje Atoll、※)
  米軍は上陸せず守備隊計4,133人(海軍1772人、陸軍368人、設営隊(朝鮮人含)750人)は
  放置置去りとなり飢餓と戦い、1,244人が敗戦時に残存
・エリカブ環礁(Erikub Atoll、△※)
・マロエラップ環礁(Maloelap Atoll、※)
  米軍は上陸せず守備隊計4,340人(海軍2,959人、陸軍424人、設営隊(朝鮮人含)957人)は
  タロア島などに放置置去りとなり飢餓と戦い、1041人が敗戦時に残存
・オール環礁(Aur Atoll、※)
・マジュロ環礁(Majuro、'44/1/30無血占領)
・アルノ環礁(Arno Atoll、'44/2/12無血占領 )
ミリ環礁(Mili Atoll、※放置)
・ノックス環礁(Knox Atoll、△※)、など。

○ラリック列島(Ralik Chain)の環礁島:〜西の日没側に有 (Sunset, Western)
エニウェトク環礁(Eniwetok Atoll)
・ウジェラング環礁(Ujelang Atoll、'44/4/22米軍が上陸、△、1543ヴィリャロボスが発見)
・ビキニ環礁(Bikini Atoll、'44/3/29無血占領)
・ロンゲリック環礁(Rongerik Atoll、△※)
・ロンゲラップ環礁(Rongelap Atoll、※)
・アイリンギナ環礁(Ailinginae Atoll、△※)
・オトー環礁(Wotho Atoll、'44/3/13米軍が上陸、1543ヴィリャロボスが発見)
・ウジャエ環礁(Ujae Atoll、※、1543ヴィリャロボスが発見)
・ラエー環礁(Lae Atoll、'44/3/13無血占領)
クェゼリン環礁(Kwajalein Atoll、'44/2/6米軍が上陸、1543ヴィリャロボスが発見)
・リブ島(Lib Island、※)
・ナムー環礁(Namu Atoll、'44/3/27米軍が上陸)
・ジャボット島(Jabat Island、※)
・アイリングラップ環礁(Ailinglaplap Atoll、'44/3/27米軍が上陸)
  ジャルートへ移動中の陸軍第122連隊第2大隊46人中37人戦死、9人捕虜
・ジャルート(ヤルート)環礁(Jaluit Atoll、※)
  米軍は上陸せず守備隊2,311人(海軍1,584人、陸軍727人)は放置置去りとなり飢餓と戦う
・キリ島(Kili Island、'44/3/27無血占領)
・ナモリック環礁(Namdrik Atoll、'44/3/27無血占領)
・エボン環礁(Ebon Atoll、'44/3/27米軍が上陸)など。(△無人島、※米軍の非上陸地)

こちらで
米軍、カロライン諸島トラック基地破壊
米軍、ギルバート諸島上陸(タラワ・マキンの戦い)
をお楽しみください。

参考HP〜
マーシャル諸島ラタック列島の地図
 (Mill(ミリ環礁)他、Watje, Jaluit, Maloerap の場所地図)
マーシャル諸島の地図(原爆実験場の場所地図有)
証言記録・兵士たちの戦争(NHK戦争証言アーカイブス)
(飢餓の島ミレー島、味方同士の戦場〜金沢:歩兵第107連隊)
マリアナ・カロライン・マーシャルの場所地図
 (マリアナ(サイパン)・カロライン(トラック)・マーシャル(エニウェトク)の場所地図)

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    16/1/31

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