★スペイン 冒険航海(Adventure Voyage)
フレイ・ド・ベルランガ神父
1535
ガラパゴス諸島を発見

大航海物語★
Republica del ECUADOR
フレイ・ド・ベルランガ神父

1536 ガラパゴス諸島発見450年記念 1986
エクアドル 1986/2/12 発行

Soomon Islands
スパニッシュ・ガレオン船
16th Spanish Galeon


ソロモン 1971/10/7 発行
ガラパゴス諸島の場所地図
ガラパゴス・イグアナ
ガラパゴス・陸亀
ガラパゴス・アシカ
1832 ガラパゴス諸島併合125年記念 1957
エクアドル 1957 発行

スペインのカスティーリャ王国生まれのベルランガ神父はインカ帝国が征服された後のスペイン領ペルー内戦の調停を国王に命じられて、スペイン領ペルーのパナマ大司教区の司教に任命されました。1535年にスペインを出帆してパナマに到着。そしてペルーへと赴任する途中で、大嵐に遭遇。乗船が太平洋上を遥か西へ流されて、ガラパゴス諸島に漂着・発見しました。

司教フレイ・トマス・ド・ベルランガ神父 (1487-1551/8/8)
 Bishop Father Fray Tomas de Berlanga

  スペインの宣教師(Missionary、ドミニコ会師:Dominican)、探検家(Spanish Explorer)
  スペイン領パナマ大司教区の第5代司教(Fith Bishop of Panama, 1534-1537)
   生地:カスティーリャ王国(Reino de Castilla 1035-1715)ソリア県ベルランガ・デ・ドゥエロ生
   没地:同上ベルランガ・デ・ドゥエロ、64才没
スペイン人の司教フレイ・ド・ベルランガ神父はスペインの現:カスティーリャ・イ・レオン自治州ソリア県ベルランガ・デ・ドゥエロ(Berlanga de Duero, Province of Soria, autonomous community of Castiella y Llion, Spain)で生まれました。

1534年に神聖ローマ皇帝カール5世(在位:1519-1556)でもあったスペイン国王カルロス1世(在位:1516-1556)に、インカ帝国が征服された後のスペイン領ペルー内戦の調停を命じられて、ペルーのローマ・カトリック教会パナマ大司教区(Roman Catholic Archdiocese of Panama, 1513-)の司教(Bishop)に任命されました。1535年にスペインを新大陸のスペイン領ペルーのパナマへ調停者と宣教師として出帆しました。当時のスペイン領ペルーは首都をパナマに置き、パナマから船出したフランシコ・ピサロディエゴ・ド・アルマグロがペルーのインカ帝国を征服してから紛争を起こし、ペルー内戦が勃発していました。

ベルランガ神父はスペインを出帆して、カリブ海のイスパニョーラ島に渡り、そこから南米のカル
タヘナを経てパナマに到着しました。パナマからペルーのピサロのもとに向う途中で、大嵐に遭遇。ペルー(エクアドル)の遥か西方へ吹き流されて、1535/3/10にガラパゴス諸島を望見して、そこに流れ着き、同島を発見しました。その遭難で乗組員2人と馬10頭をなくしました。同島に上陸して、遭難で弱った乗組員を休養させ、食料を調達して、ペルーへ出帆し、ペルーに到着しました。そして、スペイン国王カルロス1世のもとに書簡を送って、同島発見とアシカ(sea lions)や亀(tortoises)、イグアナ(iguanas)、赤い小鳥(tame birds、ベニタイランチョウ:Vermilion Flycatcherか?)などが居たことを報告しました。するとイタリア・フィレンツェの地図製作者アブラハム・オルテリュースが知るところとなって、1570年製 ガラパゴス・アシカ

エクアドル 2006 発行
作の地図アトラス「世界の舞台」(Theatrum Orbis Terrarum)に「亀の島」(ス:Insulae de los Galopegos、英:Islands of the Tortoises)として登場しました。

なお、調停は失敗に終りましたが、スペイン領ペルーでキリスト教布教の日々を送って、大聖堂や礼拝堂、修道院などを造って、1537年にスペインへ帰国しました。

・ベルランガ神父の冒険大航海:〜
1534年
07/19、ベルランガ神父が国王カルロス1世に、ペルー内戦の調停を命じ、
     パナマ大司教区の司教に任命
     出発準備に取り掛かる
1535年
  ?  スペインを出帆
  ?  コロンビアのカルタヘナ着
  ?  パナマに到着
02/23、パナマを出帆
03/03、太平洋上で8日後に大嵐に遭遇
     犠牲者2人と馬10頭を失う
03/10、ガラパゴス諸島を望見
03/14、ガラパゴス諸島のイサベラ島(Isabela)、もしくはフロレアナ島(Floreana)に漂着
     同島で休養しながら狩りをして食糧と飲料水を補給
  ?  ペルーへと出帆
04/09、エクアドルのカラクェス湾(Bahia de Caraques)に到着
     8ヵ月前にニカラガを出帆したスペイン・ガレオン船(Spanish galleon)に出会う
  ?  ペルーに上陸
1536年
  ?  リマのサント・ドミンゴに教会や修道院(Church & Convent, Santo Domingo, Lima)を建設
1537年
  ?  スペインに帰国
     その時に3mのワニ(カイマン:Caiman)を持ち帰る
     それは今もベルランガ・デ・ドゥエロ大聖堂(Catedral de Berlanga de Duero)に展示有
1551年
  ?  帰国後、ベルランガ・デ・ドゥエロ大聖堂などを建設
08/08、故郷のベルランガで亡くなり、
     ベルランガ・デ・ドゥエロ大聖堂の礼拝堂(Chapel of the Collegiate)に埋葬されました。

参考:〜
ローマ・カトリック教会パナマ大司教区の司教列伝
 (Bishop of Roman Catholic Archdiocese of Panama, 1513-)
(1)ファン・ド・ケヴェド・ヴィラガス(Juan de Quevedo Villegas,1513-1519)
(2)ヴィセンテ・ド・ペラザ(Vicente de Peraza, 1520-1526)
(3)マルチン・ド・デべハール(Martin de Bejar, 1527-1530)
(4)ヴィセンテ・ド・ヴァルヴェルド(Vicente de Valverde, 1533-1534)
(5)フレイ・ド・ベルランガ(Tomas de Berlanga, 1534-1537)
(6)パブロ・ド・テレス(Pablo de Torres, 1546-1560)
以下略。

参考地図HP:〜
カラクェス湾の場所地図(Galapagos、Bahia de Caraques有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     14/6/14
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