古代の航海(Anciant Voyage)
★イェーメン
シバの女王
紀元前1,000年頃
エルサレムへの大航海

大航海物語★
Mutawakeute Kingdom of Yemen
ソロモン王を訪問した
シバの女王 ビルキス

イェーメン王国 1967 発行

紅海を大航海
マリブ〜エルサレム間の旅行地図


古代アラブのダウ船(Dhow)
イェーメン王国 1967 発行
輿(こし)に乗るシバの女王

イェーメン王国 1970 発行

シバの女王が乗り、大量の貢物を運ぶラクダのキャラバン隊の行列

イェーメン王国 1970 発行

シバの女王を迎えるソロモン王

まるでソロモン王がシバの女王に謁見しているかのように描かれている図案
(本当はこの逆だった筈)

イェーメン王国 1970 発行

シバの女王はキリスト教のバイブルとイスラム教のコーランに登場して、イスラエル王国のソロモン王に会うため、遠い南の国からはるばるエルサレムへと旅をしたとされ、伝説となっています。南イェーメンにあったシバ王国が女王の国だったというのが有力な説ですが、エチオピアに伝わっている伝説では、女王の子供がエチオピアを建国したことになっています。このように謎の女王で、その実在を示す考古学の証拠は、南の国の世情不安もあって未だ見つかっていません。また当時の世界で最強国だったイスラエル王国との交易を求めに行ったのが本当の目的だったとすれば、大量の宝物は商品見本で、女王は実業家でもあったわけですよね。
シバの女王, ビルキス(紀元前1000頃、在位970-940:諸説有)
  Queen of Sheba (Bilqis, BC1000)、別名:シェバの女王
 ・イェーメン説(Yemenite tradition、Bilqis)
 ・エチオピア説(Ethiopian tradition、Makeda)の2大説が有

根拠とされる主な説:〜
・バイブル説(the Bible:聖書)
 ・ユダヤ教の聖典(Hebrew Bible)〜タナハ(Tanakh)=(旧約聖書)
   旧約聖書のユダヤの歴史書〜「歴代誌下」第9章(シェバの女王の来訪)
 ・キリスト教の聖典(Holly Bible)〜
  ・旧約聖書(Old Testament)〜列王記上(Books of Kings)第10章に13節有
   ソロモン王に会うくだりの節(I Kings 10:1-12)
  ・新約聖書(New Testament)
   (地の果てからやって来た)南の国の女王(Queen of the South)のくだりの節
   ・マタイ伝(マタイによる福音書)第12章42節(Matt 12:42)
   ・ルカ伝(ルカによる福音書)第11章31節(Luke 11:31)
   に「南の国の女王」(Qween of the South)で登場
・イスラム教の聖典(Islamic tradition)
 ・コーラン(the Qur'an)
   ・「蟻」のくだりの節〜蟻の章(Al-Naml:英The Ants)の27スーラ節(章:Sura 27, 節:93 ayat)
・エチオピア・コプト教での記述:〜
  エチオピア正教では、エチオピアの女王「シバの女王」がソロモン王の知恵と王都エルサレムの繁栄を
  見て驚いたと伝え、エチオピア帝国が13世紀に編纂した歴史書によれば、ソロモンとシバの女王の息
  子(メネリク1世:Menelik I、在位BC10th)がエチオピアを建国(Candace queen of Ethiopia、Acts 8:27)
・その他
 ・ヨルバ記説(Yoruba customary tradition)
   アフリカのナイジェリア伝説
 ・ヨセフス記説(Josephus tradition)
   ヨセフス(Titus Flavius Josephus 37-100)はユダヤ人でローマ帝国軍に投降後、ローマに重用された
   軍人で、晩年に「ユダヤ戦記」や「ユダヤ古代誌」を発表
 などで、時代が下るにつれてその記述には尾ヒレがついて伝説となっていきました。

シバの女王ビルキスは現:南イエーメンにあったシバ王国(王都:マリブ)の女王で、旧約聖書「列王記上」第10章などに、紀元前950年頃の設定で、第3代イスラエル王のソロモン王(King Solomon of Israel BC1011-在位BC970-BC931:諸説有)に会いにパレスチナのエルサレム(Jerusalem)を訪れたとして登場する女王で、シバ王国の統治者・支配者(在位970-940:諸説有)でした。エルサレム訪問後、17年間もシバ王国を統治したと伝えられています。それは、シバの女王がソロモン王が優れた賢者と聞き、その真実を確かめて、その知恵を授かるために、遠方の南アラビア(現:南イェーメン)からソロモン王のいるエルサレムを訪れるため、大量の黄金、宝石、乳香、白檀などをラクダのキャラバン隊と船で運んで、献上し、知恵を授かって国へ帰ったと、旧約聖書などに記されています。シバの女王が実在の人物かどうかは現在も考古学での研究が続けられいるも、未だに謎の女王として物語や映画などの主人公になっています。

▼幼少期の伝説
旧約聖書が、シバの女王は聡明さと眉目秀麗の麗わしさを兼ね備えた並外れた賢い女性で、中東での男性優位のセム族(Semitic people)社会で指導者の地位を堅持していたと伝えているという説もあります。

ではその幼少期については、イスラム教の聖典コーラン(Quran)第27スーラ(章)「蟻」で、煙のでない火から生まれる超自然的存在の霊鬼ともいわれる「ジン」が母親だと記しているという説もあります。それはBC1500年頃、シバ王国初代アブドゥッ・シャムス王(在位BC1200頃-?)が築いたとされる「偉大なダム」(The Great Dam of Ma'rib)で守られている都キトール(Kitol:現マリブ)で、そのダムが崩れて都が水に呑まれた時に、その当時のアムルー王は都を捨てて逃亡。でも、キトールの民は超美男子アム・ヒムヤリ大臣の下で都を再建しました。ある時、砂漠に狩りに出た大臣と、ジンが姿を変えた絶世の美女「ウマヤ」との間に、太陽のごとく光り輝く娘が生まれ、お転婆娘という意味のある「ビルキス」(Bilqis)と名付けられるも、大臣は都の屋敷へ帰ってしまい、間もなく母が亡くなり、荒野(シルワ:Sirwahか?)に取り残された幼な児は砂漠のジンに育てられ、美しくて賢い娘に成長したと伝えています。※(シャムス王のダム建設の時期は伝説なので在位期間と合致せず)

▼女王への道
ビルキスが20才になろうとしていたある日、香料を運ぶキャラバン隊が荒野を行くのを見つけて、その後を追って行くとキトールの町外れで、狩りから戻ってきた父親のヒムヤリ大臣に出会いました。美しい娘を一目見るなり大臣は自分の娘だと分かり、大臣は娘ビルキスを都の屋敷に連れ帰りました。

都ではビルキスが邪悪な王シャラフ・イブン・シャラーヒルの目にとまり、宮殿に召し出されました。ビルキスは一計を策して、マフラジ(客間)での初夜のベッドの傍で王を殺害。そこへ娘を探しに来た父と他の大臣達に「王は、皆さんに妻と娘を差し出せと仰せです」と話しました。すると大臣達が逆上したので、「私が王を殺して、災いを取り除いて差し上げましょうか。首尾よく成し遂げたら、私が皆さんの王になるのは如何でしょう」と提案すると、大臣達は吃驚するも相談して同意し、一同は震えながら退出しました。マフラジに戻ったビルキスは屍の王の首を切り落とし、窓から放り投げました。首は大臣達がいる宮殿前広場の上を飛んでいき、集まっていた人々は肝を潰しました。やがて、「ビルキス!、
シバの女王 ビルキス
ビルキス!、我らが王!」との歓呼の声になりました。こうして、ビルキスは人々の女王となって、国は平和に栄えたと伝えています。

▼ソロモン王の都エルサレムへの旅立ち
コーランはソロモン王が、栄えているシバの王国に絶世の美女の女王が居ることを知り、シバの女王にイスラエル王国の都エルサレムへ来るようにとの手紙を書いて、頭に羽冠を頂く鳥のヤツガシラに持たせて飛ばしました。ヤツガシラは遥々とシバ王国の都キトールへ飛んで行って、宮殿で眠っている女王ビルキスの胸の上に手紙を落としました。目覚めた女王は手紙を読んで大臣達を召し出し、「王というものは、武力で街に入ると荒らし、住民を責め立てます。我が都もその憂き目に遭おうとしています」と話し、都を荒らされたくない女王は、大層な贈り物を大臣に持たせて旅立たせました。ところがソロモン王は、それをはねつけて大層な贈り物を受け取らず、ただ小さな箱だけを受け取り、中身を言い当てました。それは小さな穴を開けた真珠で、「真珠の穴に糸を通せない」ということだろうと言いました。そこで王は従僕に小さな虫(イモ虫)を持ってこさせました。虫は体の後から糸を出しながら、その小さな曲がりくねった穴を通って這い進んで行き、糸を通しました。その虫(蚕)は「桑の葉」が好物だったので、桑の木を王から褒美に貰って住みかにしました。これが「絹」の始まりと伝えている説も有ります。
ソロモン王

イェーメン王国 1967 発行

帰ってきた使いの大臣に話を聞いた女王は、武力ではかなわないと思い、またその知恵を確かめて知恵を授かりたいと思って、一杯の宝物を土産の進物として、多くのラクダに積み込み、都キトールから紅海の港までラクダのキャラバンで大行列を組んで行進し、港に着くと船に積み込みました。
・海路説の旅程(推定):〜
  マリブ〜フダイダ港〜紅海を航海〜エイラート港〜エルサレム
・海路説の肯定と否定の根拠:〜
ソロモン王とレバノン南西部ティルス(Tyrus)のヒラム王(King Hiram I 在位BC969-BC936)が地中海のオフィル港(Ophir:現テルアビブ)から積み出す白檀や宝石を紅海から陸揚げするため、商船団の紅海向け
紅海を大航海
の港としてエツオン・ゲベル(Ezion-Geber:現エイラート、アカバ(Eilat, Aqaba)説有)を利用することにして造船所を造りました(列王記上9:26)。それで女王はその商船団を避けるため紅海航路を利用しなかったとする説が否定説の根拠ですが、又一方、それは当時すでに交易路としての海路(香料交易路の一部、Spice road)が確立されていた証明なので、陸路よりははるかに早くて楽で便利な海路を利用した筈だという肯定説の根拠にもなっています。なお、オフィル港はシバ王国の近隣にあったとする説も有。

・陸路説の旅程(推定):〜砂漠のオアシス伝い(ラクダのキャラバン)
  列王記第10章から推定の陸路説(約2,400km、3ヵ月以上)
マリブ〜ヤスリブ(現メディナ:Medina)〜デダン(Dedan、現ウラー:Al-`Ula)〜タイマー(Tayma、タブーク(Tabuk)とメディナの中間)〜クライヤ(Qurayyah)など〜イスラエル辺境のネゲヴ砂漠(Negev desert)のホルヴァト・ハルキーム(又はメセド・ハティア)砦〜エルサレム

・旧約聖書が伝えるシバの女王の苦難に満ちた陸上旅行説
旧約聖書「列王記上」の章には、シバの女王が世界の王ソロモン王を訪ねて来るくだりがあります。シバの女王は、おびただしい宝物を携えて、アラビアの大砂漠を幾つも越えて3ヵ月以上もかかって、イスラエルにはるばるやって来る話です。シバの女王は、絶大な権力を世界の隅々にまでとどろかせ、すぐれた賢者の名声を欲しいままにしていたソロモン王が、果たして真実なのかどうか、それを確かめ、その知恵に授かりたいからでした。

女王のキャラバンが携えた宝の内訳は、約4屯(120キカル=約4,104g)におよぶ黄金と瑪瑙(めのう)、エメラルド、ガーネット、琥珀などの宝石
シバの女王のキャラバン隊
の山、そしてそれまでにイスラエル王国に一度に入って来た量としては最大の香辛料の山でした。香辛料の中には、途方もなく高価な乳香(にゅうこう:Frankincense)と呼ばれる類い稀な香料も含まれていました。乳香は切り込みでムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木からにじみ出てきた樹液が結晶化したものです。炊くと大変に魅惑的な香りがする最高級の香料(Perfume)で、当時は黄金と同じ値打ちがありました。古代エジプトやローマ時代には神々の食物と呼ばれ、非常に珍重されて神殿内で炊かれました。

▼ソロモン王との出会い
海路説では紅海を航海して、ソロモン王の港に到着すると、ふたたびラクダのキャラバンで大行列を組んで、エルサレムまで大行進しました。エルサレムでは女王の大行列を見たい人々で一杯になりました。シバの女王はソロモン王に拝謁すると、「偉大なる王よ。私は陛下の素晴らしき御事蹟をこの目で見、徳を誉めたたえ、お知恵にあずかる(交易とイスラエル国内の通行許可)ために参りました」と述べました。この一節で、ソロモン王が与えたのは、ダマスカス〜シドン〜ティルス〜ガザ港への通行許可だったとの説がとかれています。そして女王はソロモン王の豪華絢爛な王宮と華美なハレムの生活に心を奪われ、王との間にレハブアム(Rehoboam BC974-在位BC930-BC913:第4代イスラエル王)という王子をもうけたという説もあります。なにせ王は700人の妻と300人の愛妾を側に侍らせていたと伝えられています。王の知恵を授かった女王はシバ王国へと戻って行きました。

旧約聖書では、シバの女王はソロモン王の名声を聞き、難問で試し(謎かけ)に
王宮で踊るベリーダンス

ハンガリー 1965 発行
行ったことになっていますが、本当の難問はシバ王国とイスラエル王国が遠く離れているので、長距離の交易を求めることだったとも言われています。そのため女王は極めて大勢の随員を伴い、120キカル(約4,080kg)の黄金、非常に多くの香料・宝石などをラクダに積んでエルサレムに来たとも伝えています。それ
は未加工の交易品だったとの説もあって、それが交易を求めに行った根拠ともいわれています。
※1キカル(Kicar)=約34kg、120Kicar=約4,080kg。
  2014/6/24@4687x4080kg=19,122,960,000円
  (2007/5/11@2720x4080kg=11,097,600,000)120キカルの金価格は今は約191億円で、7年前が約111億円なので、シリアイラクなどの中東情勢不安定で1.7倍の値上りとなりました。なお、その当時「一年間にソロモン王のもとに入ってくる金の重さは 666キカルでした」(列王記上10:14)と旧約聖書に記述されています。また、シバの女王が大量に持って行ったという瑪(めのう)、エメラルド、琥珀などの宝石類は、主にアフリカ東部のエチオピアで採れ、南アラビアでは産出しないものでした。乳香を産する高品質の乳香樹は、ハラーシス砂漠(Jiddat al-
ソロモン王に謁見するシバの女王

イェーメン王国 1967 発行
Harasis)を隔てた東の国オマーン(Oman)の山脈に自生していました。それからも「交易で手に入れた財宝」 だったと類推されています。

・シバの女王の墓所については謎のままですが、
ローマ帝国やバビロン王国では、古くから神殿で天に向けて乳香が焚かれていました。乳香はローマ帝国で火葬の時にも遺体と一緒に焚かれていました。ところが新興宗教だったキリスト教がローマ帝国に入ってくると、遺体は復活のために土葬になりました。こうして乳香はすたれて、乳香の交易で繁栄していたシバ王国は急速に衰え、シバ王国は農業に頼るようになりましたが、3000年の間も毎年起こった洪水で農地とダムの土手の高さが同じくらいになって、AD340年の豪雨でマアリブ・ダムに亀裂が入り、30,000人で修理。615年頃にその「偉大なダム」が遂に決壊、二度と修理できず、灌漑はひあがって国土は荒れ果ててしまい、マリブとシルワを中心に栄えていたシバ王国は滅んでしまいました。今でも、シバ王国の115人のムカリブ(mukarrib:王)の墓はようとして分かっていません。

▼シバ王国の場所ついては、有力視される二つの説があります。
・イェーメン説
イェーメンは古代から交易(Spice trade)の中心地および物資の集散地として繁栄した王国が勃興し、幸福のアラビア(Arabia Felix)と呼ばれた期間がありました。紀元前七世紀頃にはシバ王国が、農耕の発達やインド産香料の中継貿易によって繁栄していました。それはマリブ西のワジ・アダナ(Wadi Dhana)を塞き止めてBC1500年頃に完成した巨大なマアリブ・ダム(Ma'rib dams)を築き、そのダムが近隣地域を潤して肥沃な農耕地帯を造成して、1000年以上もマリブが繁栄しました。

・エチオピア説
エチオピアでは女王の名はマケダ(Makeda)と呼ばれました。この説では、ソロモン王とマケダの間に生まれた子がアクスム王国(Kingdom of Aksum 100-940)の始祖メネリク一世(Menelik I、エブナ・ラ・ハキム: Ebna la-Hakim, "Son of the Wise", 知恵の息子)、エチオピア初代王、紀元前10世紀頃)であるとされています。アクスム王国は紀元前五世紀頃から紀元後十世紀頃まで、ズラ湾(Gulf of Zula)西岸にあって、現在のエリトリアのマッサワ港(Massawa)から南へ60kmの所で地元の人々にアズリ(Azuri)と呼ばれている古代の港町アドゥリス(Adulis)の港を通じた貿易で繁栄しました。

なお、両説ともこれを裏付ける考古学的発見は未だにありません。
なんだかそれは、伝説で謎めいたシバの女王は、まるで日本で論議されている邪馬台国伝説の神秘の女王、卑弥呼と似ていようではありませんか。
※また上記の紹介は、下記の参考で抜粋している「バイブル」や「コーラン」の日本語訳とは必ずしも合致していません。

参考HP:〜シバ王国の場所地図

シバ王国
  Kingdom of Sheba, BC1200頃-AD275頃、王都:マリブ
  別名:サバ王国(Saba)
シバ王国は紀元前7世紀頃、マアリブ・ダムによる灌漑で農耕が発達し、またインド産香料などの中継貿易で、マリブ市とシルワ市(Sirwah)を中心に繁栄していました。

・シバ(シェバ、サバ)王国関連略年表:〜
(BC年頃) (紀元前)
6000 極度の旱魃が12,000年も続いた後、アラビア半島に人が住み始める
5000-3000 石器時代の共同墓地アル・アラムで埋葬が行われる
塩・黒曜石・香料を交易する初期キャラバンが其処に並ぶ石を道標とする
2500-1700 南アラビア紅海沿岸の平野に有ったプント国にエジプト人が遠征
2400 マリブで人口の灌漑が始まる
1500 マリブ西にワジ・アダナ(Wadi Dhana)を堰止めるダムが建設される
1400-1200 銘文の南アラビア語とその文字が発達
1300-1100 南アラビアでラクダが家畜化される
1200 シバ王国最古の正式な支配者が登場し、商業国家の形態となる
1004 ダビデ王がユダ王国の王になる(王都ヘブロン,BC1004-BC998)
1003 ダビデ王が全イスラエル王国(BC1021頃-BC722)の王になる
1100 ラクダ用の鞍が発明される
1000 シバ王国のキャラバン隊が香料の長距離交易を始める
998 ダビデ王がエルサレムを征服、そこに新王都を建設
980-950 イスラエルのソロモン王の在位期間(965-926説有)
970-940 シバの女王の推定の在位期間
962 ソロモン王がエルサレム神殿建設(-955)、続いて宮殿建設
955-945 シバの女王のエルサレム訪問の推定旅行期間
926 ソロモン王が没し、王国が分裂
(南:ユダ王国,BC930頃-BC586、北:イスラエル王国,BC930頃-BC720)
715 マリブの最後の偉大なダムが建設される
690 マリブの町を囲む防壁が最大になる
650-350 マフラム・ビルキスの神殿が前建造物の上に建設される
500 シルワのイルムカフ神殿が前遺跡の上に建設される
300-200 シバ王国が衰退、北方にマイーン王国(Ma'in)が興る
(AD年) (紀元後)
50-500 キリスト教が台頭する。南アラビアの香料貿易が衰退する
340 マリブの偉大なダムに亀裂が入り、修理される
615頃 マリブの偉大なダムが決壊、修理できなくなる
1986 マリブ付近にダムが建設され、農業が復活

・古代南アラビア都市国家の勃興
  幸福なアラビア(アラビア・フィーリックス:Arabia a Felix)と呼ばれた時代
年代 王朝 (Kingdom)
BC23th-BC8th 王朝以前のカフターン族の支配 Qahtanite
BC8th-AD275 シバ王国 Sheba
BC8th-AD300 ハドラマウト王国 Hadhramaut
BC800-BC500 アウサーン王国 Awsan
BC4th-AD200 カタバーン王国 Qataban
BC8th-BC100 マイーン王国 Ma'in
BC110-AD525 ヒムヤル王国 Himyarite
AD520-AD570 アクスム王国 Aksum
AD570-AD630 サーサーン朝(ペルシャ帝国) Sassanid
・参考 (イェーメン)
BC8th-AD275 サバーン朝王国、首都マリブ(現サヌア) Sabaeans
AD9th シーア派のザイド派のイマームを祖とする
ラッシード王家による王朝が成立、-1962
1918 イェーメン王国がオスマン・トルコ帝国から独立 Yemen
1962 軍事クーデターでイエメン王国が崩壊
イェーメン・アラブ共和国樹立(旧北イェーメン)
1967 英領イェーメン(南イェーメン)が
南イェーメン人民共和国として独立
1990/05/22 北イェーメン、南イェーメンが合併
現在のイェーメン共和国が成立

▼参考:〜
マリブ
  (Marib)
、別名:マアリブ(Ma'rib, Mareb)
マリブはイエーメンのマリブ県(Ma'rib Governorate)の県都。人口16,794人(2005)。首都サナア東120km、ルブアルハリ砂漠(Rub' al khali)の西に有。かつてのシバ王国の王都であったとされ、シバの女王ビルキス(Bilqis in Arabic tradition & Makeda in Ethiopian tradition)の居城だったとされるアルシュ・ビルキスや、月の神を祀ったマハラム・ビルキス(Mahram Bilqis)という月の神殿などの遺跡が有。シバ国王はマリブに幅が680mもある巨大なダム(Great Dam of Marib)のマアリブ・ダム(Ma'rib dams)を築き、そのダムは近隣地域を潤して肥沃な農耕地帯となり、マリブも繁栄しました。このダムは1000年以上にもわたって維持され、この地域の繁栄を支えました。ダムの存在した時代は、この町は乳香や没薬の取引で知られ、対岸のエリトリアにあったダムト王国(Northeast African kingdom of D'mt, BC980-BC400)と活発な取引を行っていました。その富を求めて紀元前25年にはローマ帝国のアウグストゥス(Augustus, BC63-AD14)の部下のアエリウス・ガルス(Aelius Gallus)がこの町へ遠征を行ったものの失敗に終わりました。ダムは西暦615年頃に崩壊し、以後20世紀にはいるまで再建されませんでした。1986年にアラブ首長国連邦の援助で新ダムが完成、約1500年ぶりにダムが復活しました。マリブの旧市街は20世紀に入って放棄され、その3.5km北に新市街が建設されました。

▼聖書(バイブル)の中の「シバの女王」の記述:〜
 (日本聖書協会:カトリック・プロテスタント教会の新共同訳:発行、三省堂印刷、「聖書」1999より)
旧約聖書
列王記上(れつおうきじょう)、1-22章
09章(王の顕現)、1-9節
   (ソロモンの諸事業)、10-28節
1-24節、---略---
25節、ソロモンは、主のために築いた祭壇に年に三度、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、主の
    御前で香をたいた。こうして彼は神殿を完成させた。
26節、ソロモン王はまたエツヨン・ゲベルで船団を編成した。そこはエドムの地の葦の海の海岸にあるエイ
    ラトの近くにあった。
27節、ヒラムは船団を組み、自分の家臣で航海の心得のある船員たちを送り、ソロモンの家臣たちに合流
    させた。
28節、かれらはオフィルに行き、金四百二十キカルを手に入れ、ソロモン王のもとにもたらした。
10章(シェバの女王の来訪)、1-13節
1節、シェバの女王は主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た。
2節、彼女は極めて大勢の随員を伴い、香料、非常に多くの金、宝石をらくだに積んでエルサレムに来
    た。ソロモンのところに来ると、彼女はあらかじめ考えておいたすべての質問を浴びせたが、
3節、ソロモンはそのすべてに解答を与えた。王に分からない事、答えられない事は何一つなかった。
4節、シェバの女王は、ソロモンの知恵と彼の建てた宮殿を目の当たりにし、
5節、また食卓の料理、居並ぶ彼の家臣、丁重にもてなす給仕たちとその装い、献酌官、それに王が主の
    神殿でささげる焼き尽くす献げ物を見て、息も止まるような思いであった。
6節、女王は王に言った。
    「わたしが国で、あなたの御事蹟とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。
7節、わたしは、ここに来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じていませんでした。しかし、わたしに知
    らされていたことはその半分にも及ばず、お知恵と富はうわさにに聞いていたことをはるかに超えて
    います。
8節、あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立ってあなたのお知恵に接している
    家臣たちはなんと幸せなことでしょう。
9節、あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。
    主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです。」
10節、彼女は金百二十キカル、非常に多くの香料、宝石を王に贈ったが、このシェバの女王がソロモン王
    に贈ったほど多くの香料は二度と入って来なかった。
11節、また、オフィルから金を積んで来たヒラムの船団は、オフィルから極めて大量の白檀や宝石も運
     んで来た。
12節、王はその白檀で主の神殿と王宮の欄干や、詠唱者のための竪琴や琴を作った。このように白檀が
     もたらされたことはなく、今日までだれもそのようなことを見た者はなかった。
13節、ソロモン王は、シェバの女王に対し、豊かに富んだ王にふさわしい贈り物をしたほかに、女王が願う
     ものは何でも望みのままに与えた。こうして女王とその一行は故国に向かって帰って行った。
(ソロモンの富)、14-29節
14節、ソロモンの歳入は金六百六十六キカル、
15節、そのほかに隊商の納める税金、貿易商、アラビアのすべての王、地方総督からの収入があった。
16節、ソロモン王は延金の大盾二百を作った。大盾一つにつき用いられた金は六百シェケルであった。
17節、延金の小楯も三百作った。小楯一つにつき用いた金は三マネであった。王はこれらの盾を「レバノ
     ンの森の家」に置いた。
18節、王は更に象牙の大きな王座を作り、これを精錬した金で覆った。
19節、王座には六つの段があり、王座の背もたれの上部は丸かった。また、座席の両側には肘掛けがあ
     り、その脇に二頭の獅子が立っていた。
20節、六つの段の左右にも十二頭の獅子が立っていた。
    これほどのものが作られた国はどこにもなかった。
21節、ソロモン王の盃はすべて金、「レバノンの森の家」の器もすべて純金で出来ていた。銀製のものは
     なかった。ソロモンの時代には、銀は値打ちのないものと見なされていた。
22節、王は海にヒラムお船団のほかにタルシシュの船団も所有していて、三年に一度、タルシシュの船団
     は、金、銀、象牙、猿、ひひを積んで入港した。
23節、ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し、
24節、全世界の人々が、神がソロモンの心にお授けになった知恵を聞くために、彼に拝謁を求めた。
25節、彼らは、それぞれ贈り物として銀の器、金の器、衣類、武器、香料、馬とらばを毎年携えて来た。
26節、ソロモンは戦車と騎兵を集め、戦車千四百、騎兵一万二千を保有した。彼はそれを戦車隊の町々
    およびエルサレムの王のもとに配置した。
27節、王はエルサレムで銀を石のように、レバノン杉をシェフェラのいちじく桑のように大量に供給した。
28節、ソロモンの馬はエジプトとクエから輸入された。
    王の商人は代価を払ってクエからそれを買い入れた。
29節、エジプトから輸入された戦車は一両銀六百シェケル、馬は一頭百五十シェケルの値が付けられた。
    同じように、それらは王の商人によってヘト人やアラム人のすべての王に輸出された。
11章(ソロモンの背信とその結果)、1-43節
-----以下略-----
(※)シェケル=約11.4g、キカル=約34.2g、マネ=約570g(シェケルの50倍)。

新約聖書
マタイ伝
  (マタイによる福音書)第12章42節(Matt 12:42)、1-60頁
12章、1-50節
   (安息日に麦の穂を摘む)、1-8節
   (手の萎えた人をいやす)、9-14節
   (神が選んだ下僕)、15-21節
   (ベルゼブル論争)、22-37節
   (人々はしるしを欲しがる)、38-42節
39節、「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるし
    のほかには、しるしは与えられない。
40節、つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地
    の中にいることになる。
41節、ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪
使徒マタイ

マーシャル 1997 発行
    に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにま
    さるものがある。
42節、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。
    この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるも
    のがある。」
   (汚れた霊が戻って来る)、43-45節
   (イエスの母、兄弟)、46-50節
以下略。

ルカ伝
  (ルカによる福音書)第11章31節(Luke 11:31)、99-162頁
11章、1-54節
   (祈るときには)、1-13節
   (ベルゼブル論争)、14-23節
   (汚れた霊が戻って来る)、24-26節
   (真の幸い)、27-32節
27節、
---略---
31節、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。
    この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるも
    のがある。
32節、
   (体のともし火は目)、33-36節
   (ファリサイ派の人々と律法の専門家とを非難する)、37-54節
12章、1-59節
---以下略---。
こちらで、「キリストの12使徒」をお楽しみください。

コーランの中の「シバの女王」の記述:〜
 (コーラン(上、中、下)2004/4/16発行、フリューゲル(Flugel 1869)版、井筒俊彦訳、ワイド版岩波文庫)
1章、開扉、(1-7節)
---略---
27章、蟻、メッカ啓示、(1-95節)
   慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において・・・・・・
1節、ター・スィーン(T.S.この章も例によって神秘的頭文字ではじまる)。これこそ
    クルアーン(コーラン)ならびにかのまぎれもなき(天)書の徴(しるし)。
2節、信仰ふかき人々のための道しるべ、喜びの音信。
3節、すなわち、礼拝の務めを果たし、喜捨をこころよく出し、来世についてゆる
    ぎない信仰をもつ人々のための。
4節、来世を信じようとせぬ者どもは、我ら(アッラー)のはからいで目が眩み、己
    (おの)が所業を立派なものと思いこみ、ああして当てもなく彷徨っている。
5節、恐ろし天罰を蒙るのはああいう人々。彼らこそ来世では元も子もなくしてし
    まう人々。
6節、汝(マホメット)が授かるこのクルアーン(コーラン)は、その賢さ、その知力
    かぎりなき御神のお手元から来ている。
---略---
コーラン

リビア 1985/6/16 発行
15節、次に我らダーウド(ダビデ)とスライマーン(ソロモン)に知恵を授けたので、二人は、「讃えあれ、
    アッラー。信仰ぶかい僕(しもべ)の数多い中から特に我らを選び出し給うた」と言った。
16節、スライマーンはダーウドの後を継ぎ、宣言して居うよう、「これ人々よ、我らは鳥の言葉を教えられ、
    かつあらゆるものを授けられた。これこそれっきとした恩寵ではないか」と。
17節、さてスライマーンの命令一下、精霊、人間、鳥類からなる軍勢が動員され、隊伍堂々と
18節、進軍して、蟻が谷へとさしかかる。時に一匹の蟻あって言うよう、「これ蟻の衆、早う自分の家へお
    はいりなされ。スライマーンの率いる軍隊がそれと知らずにお前がたを踏みつぶしでもしたら、一大
    事」と。
19節、彼、この言葉を興がってにっこり笑い、「主よ、なにとぞわが心を駆り立てて、汝のわれおよびわが
    父母に授け給うた御恩にたいし感謝の気持を深めますよう取りはからい給え。また汝の嘉し給う義
    (ただ)しい行いに私が精出しますよう取りはからい給え。特別の御慈悲をもちまして、なにとぞ私を
    汝の義(ただ)しい僕の一人となし給え」と言った。
20節、さて、鳥類を検閲した彼は、「おや、戴勝(やつがしら)が見えないのはどうしたことじゃ。ここに来て
    はいなかったのか。
21節、よし、ひどい罰を与えようぞ。間違いない証明でも持参せぬかぎり、殺して食ってくれようぞ」と言う。
22節、けれど待つほどもなく(戴勝は)やって来て、言うことに、「私、貴方様もまだ御存知ないことに気づき
    ました。サバア(古代南アラビア王国、シェバのこと)から確実な情報を持参いたしました。
23節、実は、私、かの国の民を一人の女性が治めていることを発見いたしました(これが『聖書』で有名な
    
シェバの女王のことである)。これがまた大変な大金持、燦然たる玉座にすわっておりまする。
24節、この女性と人民はアッラーをさし措いて、太陽を崇拝いたしおることを私、見とどけてまいりました。
    シャイターン(サタン)に誑(たぶら)かされて己が所業を立派なことのように思いこみ、正しい道から
    閉め出されてしまい、それで迷っているのでございます。
25節、それでアッラーの御前(ごぜん)に跪くこともしないのでございます。アッラーこそは天と地の秘め事
    を明るみに出し、貴方がたの隠しておられることでも、さらけ出しておられることでもすっかり御存知
26節、アッラー、そのほかに絶対に神はありませぬ。これこそ燦然たる玉座に座り給うお方」と。
27節、「よし、それならお前の言うことが本当か、それともお前も嘘つきの手合いか、一つためして見ること
    としよう。
28節、さ、わしのこの手紙、これを持って行ってかの国の民の上に落とし、身をひるがえして(近所にひそ
    み)、彼らがどのような言葉を交わし合うか見て参れ」と彼(ソロモン)が命じた。
29節、彼女(シェバの女王。既にやつがしらは言いつけられた通りにしたのである)が言うに、「のう、長老
    たち、妾に一通の貴い手紙が舞いこんできました。
30節、スライマーン(ソロモン)から来たもので、『慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において・・・・・・
31節、汝ら、われにさからうことなく、恭順の意を表してわれに来れ』とある。」
32節、更に語をついで、「のう、長老たち、これはどうしたものか、一つお前がた決めておくれでないか。お
    前がたの証言を得るまでは何事にも最後の断を下さないのが妾のしきたりゆえ」と。
33節、「我らは絶大な力をもち、烈々たる勇武をもっておりますれど、大命を下すは貴女様(あなたさま)の
    お役目。さ、よくお考えの上、いかようなりと御明じくださりませ」と一同が答える。
34節、「王者というものは、邑(まち)に入れば必ずそれを荒廃させ、住民の中の貴顕を引きずり下ろして
    しまうもの。今度の連中もどうせ同じことであろう。
35節、まずこちらから贈物を持たせてやって、使者が何を持ち帰って来るか、見ることにしましょう」と彼女
    が言った。
36節、さて、(使いの者が)来ると、スライマーン(ソロモン)は、「これ、お前がたこのわしに財宝を殖(ふ
    や)やしてやろうとの御志か。アッラーがわしに授けて下さったものは、お前がたの授かっておるも
    のよりはるかにまさる。このような贈物をもって来て得々としておるとは何事じゃ。
37節、とっとと持ち還れ。我ら抗(あらが)うすべもない大軍をもって彼らに攻め寄せ、惨憺たる有様にして
    (邑(むら)から)叩き出してくれよう」と言った。
38節、そして言うよう(使者の一行が帰ったあと、今度は側近の顧問格の臣に尋ねる)、「これ近侍の者、
    お前たちのうち誰か、向うが降参して来る前に、彼女の玉座をわしのところへ持って来る者はおら
    ぬか」と。
39節、すると精霊団に属する一妖精、「貴方(あなた)が御座から立ち上がられる前に、私が取って参りま
    しょう。それしきのこと私にはいとたやすい御用でございます」と申し出た。
40節、すると、経典の知識をそなえた者(これが誰であるかについては異論があって定めがたい)が申し
    出て、「私は、貴方の視線が戻って来ないうちに(何かに向かって投げた視線が目に戻ってこない
    うち、の意で、結局まばたき一つするうちにというような意味)取って参りましょう」と言った。さてそ
    の(玉座)が御前にどかっと置かれると、「ああ、これこそ神様のお恵みじゃ。わしが心から有り難く
    思うか、それともそ知らぬ顔するか、試そうとしておられるのじゃな。考えて見れば、有り難く思う心
    は結局わが身のため、。有難いともなんとも思わぬ者があっても、神様は平気。御(み)心寛くおわ
    します」と彼(ソロモン)が言った。
41節、そして、更に言葉をつぎ、「この玉座をすっかり変形して彼女(あれ)に見せるがよい。それでもわか
    るか、それともほかの人間なみで全然見分けもつかないか、一つ試して見ようぞ」と言う。
42節、そこで彼女が到着すると、「貴女(あなた)の玉座はこんなでしたかな」と質問が出る。「そうらしう思
    われます」と彼女が応える(そうだともそうでないとも言わぬ非常に賢明な答えだ、と古注釈にある)
    。「これしきの賢さなら(とサバアの女王の賢明さを見抜いたソロモンが心の中で考えるのである)こ
    ちらはとっくの昔に授かっておる。その上、我らはすべてを神に捧げた信者だ(いくら彼女が賢くとも
    我らの方がずっと上だ、の意)。惜しいことに、アッラーを拝まず、他のもの(太陽)を拝んだりしてい
    るので、もう一歩進むことができなかったのだな。それで、結局、本当の信仰がえられずにいるの
    だ。」
44節、「さ、館の中におはいり下さい」と声がかかる。ふと眺めると、(館は)深々とたたえた淵かと見えて、
    彼女思わず裾をまくり上げ両脚(りょうあし)をにゅっと露してしまった。「これは、全部水晶をはりつ
    めた館なのじゃ」と彼(ソロモン)が言う。
45節、「主よ、今までは妾が悪うございました。これからは、スライマーンと一緒に、万有の主(しゅ)アッ
    ラーにすべてを捧げまする」と彼女が言った。
---略---
34章、サバア、メッカ啓示、(1-54節)
   慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において・・・・・・
1-13節、---略---
14節、サバア(前出、南アラビアの古王国シェバである。その豪奢な生活は伝説的であった)にも神兆が
    出たことがあった。(サバア人)の住んでいた場所の出来ごとだった。二つの果樹園があった、右と
    左に一つずつ。「さ、お前らの手の授け給うたおいしいもの、どんどん食べるがよい。そして感謝し
    奉れ。土地は良い土地、主はおやさしい。」
15節、それなのに、彼らは背いた。それでこちらも彼らに大洪水をどっと浴びせかけ、前の二つの果樹園
    のかわりに、今度は苦い実しか生(な)らず、あとはぎょ柳(ぎょりゅう)の藪ばかり、それに役にも立
    たぬ潅木がちらほらという果樹園を二つ与えた。
16節、彼らがあまり罰当たりだから、それであのような褒美くれてやった。罰当たりでなかったら、なんで我
    らが罰など与えよう。
17節、また我ら、彼ら(サバ人)と、我らの祝福を受けた邑々(裕福な邑々の意でシリアの都市を指す)との
    間に幾つかの見つけやすい(旅人に便利な)邑を設け、次々にそれを辿って旅できるようにしてやっ
    た(隊商道をつくったこと)。さあ、夜でも昼でも安心して旅するがよい。」
18節、ところが、彼ら(サバ人)「主よ、この旅程と旅程の間をもっと長くしていただけませぬか(みながあま
    りらくに旅できると自分らが得とれない)」などと言い出す。まったく不埒にもほどがある。だから彼ら
    をめったやたらに切り刻んで、昔々の物語りにしたやった。何事にも辛抱強く、感謝の心ふかい(敬
    虔な)人にとっては、これこそ有難い神兆ではないか。
19節、すなわち、彼らに関するかぎりイブリース(サタンの名)の思惑が見事適中したわけで(前出、サタン
    は天を追われるに当り、必ず人間どもを神から奪って見せると豪語した)、信徒の一部を除いてみ
    な彼について行ってしまった。
20節、と言うても、なにも彼(サタン)にあの者どもを支配する本当の力があったわけではない。実はこれ
    で我らが、来世を信じている者と、それを疑わしいと思っている者との見分けをつけたまでのこと。
    主はどのようなことでもすっかり監視していらっしゃる。
---略---
30節、信仰なき者ども、「わしらはこのクルアーン(コーラン)にせよその前のもの(「旧約聖書」「新約聖
    」)にせよ信じたりするものか」と言っておる。---略---
---略---
114章、人間、(6節)。
※(訳者の注)。
こちらで、アラビア・メッカの「カーバ神殿」をお楽しみください。

映画&演劇:〜シバの女王(Queen of Sheba)
神秘のベールに包まれたシバの女王は、これまでに様々なオペラで歌われ、色んな時代の絵画にもしるされてきました。現代ではハリウッドの超大作映画で何度も上映されているほどです。

・1903、野外劇「パルキースの捧げ物」、パーナム&ベイリー・サーカス(ベリー・ダンスが認められる)
・1921、フォックス社サイレント映画ペティ・フライス(Betty Blythe, 1893-1972)"Queen of Sheba"
・イタリア映画(THE QUEEN OF SHEBA, 1952)
・ソロモンとシバの女王(劇場版映画”SOLOMON & SHEBA”、1959)
 ジーナ・ロロブリジーダ(Gina Lollobrigida)、ユル・ブリンナー(Yul Brynner)共演
・ハル・ベリー(Halle Berry)のシバの女王(Queen of Sheba)、映画とテレビ(SOLOMON & SHEBA)
など多数が有。

参考HP:〜(音楽)
シバの女王(La Reine de Saba)
  演奏:ポール・モーリア
バレエ組曲「シバの女王ベルキス」
  (イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi)作曲)
  バレエ組曲「シバの女王ベルキス」第4楽章:狂宴の踊り
  演奏/キャッスルウインドアンサンブル&河内長野吹奏楽団ブルーウインズ
シバの女王(管楽団)
  演奏:もみじヶ丘吹奏楽団、指揮:斉藤純、レスピーギ作曲
サバの女王(歌:日本語)
  アルゼンチンのグラシェラ・スサーナさんの1972年のヒット曲。

参考地図HP:〜
マリブの場所地図(赤:Ma'rib Governorate、マリブ地区)
シバ王国とダムト王国の場所地図(エチオピア(D'mt)とアラビア(Sheba)400 BC)
アラビア半島の地図(Tabuk、Medina、Sana'aなど有)
アラビア半島の地図(日本語、Google Map)
ササーン朝ペルシャの地図(ホスロー2世頃の最大版図)
パレスチナの地図(エルサレム(Jerusalem)有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     2014/9/14
スタンプ・メイツ
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