Ethiopia

国連 1986 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.44
エチオピア連邦民主共和国
Federal Democratic Republic of Ethiopia

大航海物語
  地図編

ETHIOPIA
エリトリアを含むエチオピアの場所地図

エチオピア



エチオピア 1978/5 発行

エリトリアとエチオピアの地図
エリトリア

エチオピア

アフリカの地図
エリトリアとのエチオピア連邦結成記念
これで内陸国エチオピアに港ができた
エチオピア 1952/9/11 発行
第1回 アフリカ経済会議
アジスアベバ開催記念
エチオピア 1958/12/29 発行

エリトリアは首都がアスマラで、面積が11.76万kuで北海道と九州とを併せた広さとほぼ同じで、人口は430万人(2004)なるも、重要なマッサワ港があったので、1890年イタリアの植民地支配、1942年イギリスの保護領、1952年国連の決定でエチオピアと連邦を形成、1962年エチオピア議会がエリトリアのエチオピアへの併合を決議、1972年エリトリア人民解放戦線(EPLF)を結成、1991年5月EPLF がエリトリア臨時政府樹立を宣言、1993年4月国連の監視の下、エリトリア地域の分離・独立を問う住民投票実施、1993/5/24エチオピアから独立という経過をたどりましたが、現在も国境紛争が続いています。
※エリトリアの独立でエチオピアは内陸国となりました。
エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝時代に発行された切手








ジブチ市


タナ湖

アディスアベバ
ETHIOPIA
ジブチ・エチオピア鉄道50年記念

エチオピア 1967/6/7 発行

エリトリアを含む中世エチオピアの地図
テオドロス2世
Tewodros II of Ethiopia 在位1855-1868

エチオピアのゴンダル(Gondar、1563)
デンゲル王
Sarsa Dengel of Ethiopia 在位1563-1597
エチオピアのゴンダル(Gondar、1632)

ァシリデス王
Fasilides of Ethiopia 在位1632-1667
エチオピア 1964/12/12 発行

chuto de L'omo

Omo Fall
Zoquala,extinct volcano

エチオピア 1947-55 発行
sur le luc Tana

Canoe on Lake Tana
pont bahr dar:Nil Bleu

Bahr Bridge over Blue Nile
mecan,pres achanguie

Mecan near Achanguie
amba alaguie

Ras Dashan Mt.
エチオピア 1947-53 発行

エチオピア連邦民主共和国
  Federal Democratic Republic of Ethiopia

エチオピアの隣国エリトリアが1991年にエチオピアから分離したので、港湾の無い内陸国となり、また、アフリカ最古の独立国および現存する世界最古の独立国の一つ。人口はサハラ以南のアフリカではナイジェリアの次ぎに人口が多い国。
 面積:1,127,127ku(日本の約3倍)
 人口:約1億240万人(2016推定)
 人口密度:人/ku、人口増加率2.5%(2016推計)
 首都:アディスアベバ (Addis Ababa)、
     人口約3,273,000人(2015)、標高2,355mの高地に有
 民族:オロモ族、アムハラ族、ティグライ族など約80の民族
 言語:アムハラ語、英語、など
 宗教:キリスト教、イスラム教など
 通貨:ブル (Birr)、1ブル=100サンティーム(santim)
     通貨コード:ETB、1ブル=4.7773円(2012)
 1番切手:1895年発行、万国郵便連合(UPU)加入:1921(1908/11説有)
 国連:1945/11/13加入
エリトリア含む
エチオピアの地図


エチオピア 1978 発行
エチオピア




 GDP(国内総生産)約1,267億ドル(2013)PPP、世界73位(国際比較はこちらを参照)、1人当 1,427ドル。

エチオピアは、マルコ・ポーロが東方見聞録で、アラビア半島に住むアラビア人がエチオピア地方のことをハベシュと呼んでいたのを、アバッシュ (Abash) として取り上げ、それがヨーロッパで伝播して、アビシニア(Abyssinia)という言葉に転じ、ヨーロッパ人から見てエチオピアを示す言葉として広く浸透し、19世紀までエチオピアに向けた諸外国の書簡の宛名はアビシニアとなりました。

エチオピアは紀元前からの独立帝国で、初代帝王メネリク一世はシバの女王とソロモン王の子孫だともいい、ヨーロッパ列強のアフリカ分割を乗り切り独立を保ったのでした。近代エチオピアは19世紀半ばのテオドロス2世の頃に始まったとされ、メネリク2世の19世紀末に2度イタリアの侵略を受けましたが、これを撃退しました。しかし1936年からイタリアの植民地(イタリア領東アフリカ帝国)となり、1941年まで続きました。1941年ハイレ・セラシェ皇帝即位、エチオピア帝国復活(1974迄)。国連決議により1952年にエリトリアと連邦を組み、1962年にはエリトリア地方を併合。

1973年に東部のオガデン地方のソマリ人の反政府闘争、および干ばつによる10万人餓死という惨状、オイルショックによる物価高騰が引き金となり、アディスアベバのデモ騒乱から陸軍の反乱が起こり、最後の皇帝のハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I, 1892-在位:1930-1974-1975)は1974年9月に軍部によって逮捕・廃位させられ、王制廃止、臨時軍事行政評議会(メンギスツ議長)設立、軍部は臨時軍事評議会(PMAC)を設置、12月に社会主義国家を宣言(1975年帝政廃止)。1977年2月にメンギスツ・ハイレ・マリアム(Mengistu Haile Mariam, 1937-)がPMAC議長就任。恐怖独裁政治や粛正で数10万人が殺害されたとされる。1977年にオガデン紛争(ソマリアと交戦、-1988)、1984年にエチオピア労働者党(メンギスツ書記長)設立、1987年にエチオピア人民々主共和国樹立。

1987年の国民投票でPMACを廃止、メンギスツは大統領に就任し、エチオピア人民々主共和国を樹立、エチオピア労働者党による一党独裁制を敷いた。エリトリア、ティグレ、オガデンの各地方での反政府勢力との戦闘の結果、メンギスツ大統領は1991年5月にジンバブエへ亡命。1991/5エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)首都侵入、メンギスツ政権崩壊。1991/7エチオピア暫定政府成立。1993/5 エリトリアがエチオピアより分離・独立。ティグレ人中心のエチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF) のメレス・ゼナウィ書記長が暫定大統領、次いで1995年8月には新憲法が制定されネガソ・ギダダ情報相が正式大統領、メレスは事実上の最高指導者である首相に就任、国名をエチオピア連邦民主共和国と改称。1995/5〜6 第1回国政選挙(連邦下院選挙及び地方議会選挙)実施、1995/8 暫定期間終了、連邦民主共和国成立、メレス新政権樹立。

1998/5月、エチオピア・エリトリア国境紛争勃発
1998/5/12、エリトリアと国境付近のバドメ地区の領有権をめぐり戦争に発展。2000年5月エリトリア軍が撤退を表明。メレス首相は6月、アフリカ統一機構 (OAU) の停戦 提案を受け入れた。7月、国連の安保理はPKOである国連エチオピア・エリトリア派遣団 (UNMEE) 設置を決定。2000/5第2回国政選挙。2000年5月の総選挙で与党EPRDFが圧勝。10月10日にはメレス首相再選。2001年2月、エリトリアとの国境に臨時緩衝地帯を設置することで合意。10月8日、ネガソ大統領の任期満了を受け、ギルマ・ウォルドギオルギス人民代表議会(下院)議員が新大統領に就任しました。

・エチオピアの略史:〜
1538、ポルトガルメンデス・ピントがマッサワ港に寄港
1857、クリミア戦争の終結で穀物価格が急落、”1857年恐慌”(Panic of 1857)
1885/2月、エリトリア戦争勃発、イタリア軍勝利(-1888)
1889/5/2、ウッチャリ条約、エチオピアはエリトリア地方をイタリアに割譲
1895、第一次エチオピア戦争、イタリア軍敗退(-1896)
1922、ムッソリーニ(1883/7/29-1945/4/28)がイタリア王国首相(1922/10/31-1943/7/25)就任
1929/10/24(木曜日)、世界大恐慌、「暗黒の木曜日(Black Thursday)」
1935/10/3、第二次エチオピア戦争、イタリア軍がエチオピア帝国侵攻 ・勝利(-1936/5/5)
1936、イタリアの植民地となる(イタリア領東アフリカ帝国、-1941)
1939/9/1、第二次世界大戦勃発(-1945/9/2終結)、枢軸国イタリアは連合国のイギリスとの戦い(-1941)
1941、アディスアベバのイタリアは抗戦を断念、撤退を始め、後に降伏(イタリア東アフリカ帝国の滅亡)
    ハイレ・セラシェ皇帝即位、エチオピア帝国復活(-1974)
1945/11/13、国連加入
1952、国連決議でエリトリアと連邦を組む、エチオピアに港湾ができる(Open Road to Sea
1962、エリトリア地方を併合
1967、

1972、
1973、
第三次中東戦争でスエズ運河封鎖、
石油製品価格を高騰させタクシーは姿を消し、物価は上昇
一年に渡る大旱魃に政府は無策で何の対応もできず
物価上昇は一ヵ月で前年比20%上昇
旱魃で飢饉になり、ウォロ州、ティグレ州、シダモ州の飢餓は深刻を極め、ウォロ州だけでも4ヵ月で10万人の餓死者が発生し、放置された飢餓はさらにショア州、ハラルゲ州などの地方へと広がり、飢饉の後期には、ついに餓死者は20万人に達するも、皇帝は飢饉が起こっていることすら側近に知らされず、国内の報道機関は強い言論統制で縛られ、政府は飢饉のニュースをデマだと否定、対処されない飢饉と失業が蔓延、それらの事情を知らないハイレ・セラシエ皇帝(1892-在位1930/11/2-1974/9/12-1975)は、ペットのライオン
海への道路開通

Open Road to Sea
エチオピア 1952/9/11 発行
ハイレ
・セラシ
エ皇帝
     に肉を与えている写真を撮影され、公表されて民衆の激しい怒りを買う
1974/9/12、ハイレ・セラシエ皇帝がエチオピア軍の部隊クーデターで逮捕・廃位(王制廃止)
    社会主義国家建設宣言、臨時軍事行政評議会(メンギスツ議長)設立
1975、セラシエ皇帝が拘禁中に暗殺される(1975/8/27、83才没)
1977、オガデン紛争(オガデン地方のソマリ人反政府闘争(1974-)、ソマリアと交戦, -1978)
1984、エチオピア労働者党(メンギスツ書記長)設立
1987、エチオピア人民民主共和国樹立
1991/05月、エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)首都侵入、メンギスツ政権崩壊、
        メンギスツ大統領はジンバブエへ亡命
1991/07月、エチオピア暫定政府成立(Federal Democratic Republic of Ethiopia)
1993/05月、エリトリアがエチオピアから分離・独立
1995/5〜6月、第1回国会選挙(連邦下院選挙及び地方議会選挙)実施
1995/08月、暫定期間終了、エチオピア連邦民主共和国樹立、メレス新政権樹立
1998/05月、エチオピア・エリトリア国境紛争勃発
2000/05月、第2回国会選挙
2000/12月、エリトリアとの包括的和平合意成立
2002/04月、国境委員会によりエリトリアとの(地図上の)国境線確定
2005/05月、第3回国会選挙
2009/8/28、新国旗の制定、旧国旗(1991-96)
2010/05月、第4回国会選挙
2012/08月、メレス首相逝去、
        同年9月、ハイレマリアム副首相兼外相が首相に就任
2013/10月、ムラトゥ大統領就任
2015/05月、第5回国会選挙
2015/10月、ハイレマリアム首相再任
2018/04月、アビィ首相就任
2018/07月、エリトリアとの外交関係再開、相互に大使館を設置
2018/10月、ムラトゥ大統領辞職、サヘレウォルク大統領就任。
新国旗(Federal Democratic Republic)

エチオピア 2000 発行


・エチオピアの地方行政区分:〜
エチオピアは
・州(Regions)→9つの州(リージョン)と2つの自治区、
   1995年以降は民族ごとに構成(11)
・県(Zone)→68又はそれ以上の県(ゾーン)、
   県の名前と数は、2005年と2007年で異なる(68以上)
・郡(Woreda)→(Districts)も有
・村(Kebele)→、の順で構成。

No. 州(Regions) (Zone) 郡(Woreda/Districts)
1 アディスアベバ自治区 Addis Ababa Autonomous region
1 特別区 アディスアベバ市 (Addis Ababa City) - - -
2 アファール州 (Afar Region) 州都セメラ(Semera, Dubti) 郡63有
2 第1地区 オウシラス県 (Awsi Rasu zone) 県都セメラ
1 (Afambo)
2 (Asayita)
3 (Chifra)
4 (Dubti)
5 (Elidar)
6 (Kori)
7 (Mille)
8 (Ada'ar/garani)
9 (Semera Logia)
3 第2地区 キルベトラス県 (Kilbet Rasu) 県都アバラ(Abala)
10 (Abala)
11 (Afdera)
12 (Berhale)
13 (Dallol)
14 (Erebti)
15 (Koneba)
16 (Megale)
17 (Bidu)
4第3地区 ガビラス県 (Gabi Rasu) 県都 (?)
18 (Amibara)
19 (Awash Fentale)
20 (Bure Mudaytu)
21 (Dulecha)
22 (Gewane)
23 (Argoba)
24 (Awash Town)
25 (Canruka)
5 第4地区 ファンテナラス県 (Fantena Rasu) 県都ケレウィナ(Kelewina)
26 (Aura)
27 (Ewa)
28 (Gulina)
29 (Teru)
30 (Yalo)
6 第5地区 ハリラス県 (Hari Rasu) 県都 (?)
31 (Dalifage)
32 (Dewe)
33 (Hadele Ele)
34 (Simurobi Gele'alo)
35 (Telalak)
7 第6地区 アルゴバ特別郡 (Argobba special Woreda) 郡都 (?)
36 (Alaba)
37 (Basketo)
38 (Konta)
39 (Yem)
40 (Mao-Komo)
41 (Pawe) など29有
3 アムハラ州 (Amhara Region) 州都バハルダール 郡136有(108)
8 アジュ・アウィ県 (Agew Awi) 郡9有(Injibara)※
9 東ゴジャム県 (East Gojjam) 郡18有(Debre Marqos)※
10 北ゴンダール県 (North Gondar) 郡16有(Gondar)※
11 北シェワ県 (North Shewa) 郡24有(Debre Berhan)※
12 北ウォロ県 (North Wollo) 郡11有(Weldiya)※
13 オロミア県 (Oromia) 郡6有(?)※
14 南ゴンダール県 (South Gondar) 郡11有(Debre Tabor)※
15 南ウォロ県 (South Wollo) 郡20有(Dessie)※
16 ワグ・ヘムラ県 (Wag Hemra) 郡7有(?)※
17 西ゴジャム県 (West Gojjam) 郡13有(Bahir Dar)※
18 バハルダール特別県 (Bahir Dar special zone) 郡1有(?)※
4 ベニシャングル・グムズ州 (Benishangul-Gumuz Region) 州都アソサ 郡20有
20 アソサ県 (Asosa) 7(アソサ)※
21 カマシ県 (Kamashi) 5
22 メテケル県 (Metekel) 6
特別郡 (Mao-Komo) 1
特別郡 (Pawe) 1
5 ディレ・ダワ自治区 (Dire Dawa Autonomous region)
23 ディレ・ダワ (Dire Dawa)
6 ガンベラ州 (Gambela Region) 州都(Gambela, Anuak) 郡13有?
24 アヌアク県 (Anuak) 6
25 メッセンジャー県 (Mezhenger) 2
26 ヌエル県 (Nuer) 3
イタング特別郡 (Itang Special Woreda) 1
7 ハラリ州 (Harari Region) 州都(Harar) 郡有
27 ハラール県 (Harar)
8 オロミア州 (Oromia Region)22 州都アダマ(Adama) 郡有
28 アルシ県 (Arsi) 26有
29 バレ県 (Bale) 20
30 ボレナ県 (Borena) 16
31 東ハラゲ県 (East Hararghe) 19
32 東シェワ県 (East Shewa) 12
33 東ウェレガ県 (East Welega) 11
34 グジ県 (Guji) 14
35 ホロ・グドゥル・ウェレガ県 (Horo Gudru Welega) 12
36 イルバボール県 (Illubabor) (?)
37 ブノ・ベデレ県 (Buno Bedele)※ (?)
38 ジンマ県 (Jimma) 17
39 ケラム・ウェレガ県 (Kelem Welega) 12
40 北シェワ県 (North Shewa) 15
41 南西シェワ県 (South West Shewa) 13
42 西アルシ県 (West Arsi) 12
43 西ハラヘ県 (West Hararghe) 17
44 西シェワ県 (West Shewa) 19
45 西ウェレガ県 (West Welega) 20
46 アダマ特別県 (Adama special zone) アダマ(Adama)1
47 ジンマ特別県 (Jimma special zone) ジンマ(Jimma)1
48 オロミア・フィンフィーネ特別県 (Oromia-Finfinne) 11
9 ソマリ州 (Somali Region) 州都ジジガ 郡93有
49 アフデール県 (Afder) 9
50 デゲハブール県 (Degehabur) (Jarar)※
51 フィク県 (Fiq) (Nogob)※
52 ゴデ県 (Gode) (Shabelle)※
53 ジジガ県 (Jijiga)、旧(Fafan) (Fafan)※
54 コラヘ県 (Korahe) (?)
55 リベン県 (Liben) (?)
56 シッティ県 (Sitti)、旧(Shinile) (Shinile)※
57 ウェルデール県 (Werder)、旧(Dollo) (Dollo)※
10 南部諸民族州 (Southern Nations, Nationalities, and Peoples Region) 州都アワッサ(Awasa) 郡77有
58 ベンチ・マジ県 (Bench Maji ) 11(県都Mizan Teferi)
59 ダウロ県 (Dawro) 5(県都Tarcha,)
60 ガモ・ゴファ県 (Gamo Gofa) 18(県都アルバミンチ Arba Minch)
61 ゲデオ県 (Gedeo) 7(県都ディラ Dila)
62 グラゲ県 (Gurage) 15 (県都ウェルカイト Welkite)
63 ハディヤ県 (Hadiya) 11(県都Hosaena)
64 ケッファ県 (Keffa) 11(県都ボンガ Bonga)
65 ケンバタ・テンバロ県 (Kembata Tembaro) 8(県都デュラメ Durame)
66 シェカ県 (Sheka) 8(県都 Masha)
67 シダマ県 (Sidama) 19(県都 HawassaAwasa Zuria)
68 シルテ県 (Silt'e) 8(県都 Kibet)
69 デブブ・オモ県 (Debub Omo) 8(県都 Jinka)
70 ウォライタ県 (Wolayita) 16(県都 Sodo)
71 アラバ特別郡 (Alaba special woreda) 1(郡都 Awasa)
72 アマロ特別郡 (Amaro) 1(郡都 Kelle)
73 バスケト特別郡 (Basketo) 1(郡都ラスカ Laska)
74 ブルジ特別郡 (Burji) 1(郡都 Soyama)
75 ディラシェ特別郡 (Dirashe) 1(郡都 Gidole)
76 コンソ特別郡 (Konso) 1(郡都 Konso)
77 コンタ特別郡 (Konta) 1(郡都アメヤ Ameya)
78 イェム特別郡 (Yem special woreda) 1(郡都Fofa)
11 ティグレ州 (Tigray Region) 州都(メックエル) 郡35有
79 メラケレンノー県 (Maekelay) 9(Axum)※
80 ミスラカウィ県 (Mibraqawi) 7(Adigrat)※
81 セミエン・ミイラバウィ県 (Semien Mi'irabawi) 6(Endasilasie)※
82 デブバウィ県 (Debubawi) 5(Alamata)※
83 デブブ・ミスラカウィ県 (Debub Misraqawi) 4(?)
84 ミイラバウィ県 (Mi'irabawi) 3(Humera)※
85 メックエル特別県 (Mekelle special zone) 1(Mekelle)※ ※ 最大都市

タナ湖
  (Lake Tana, 標高1,788m)
世界で一番長い川のナイル河スーダンのハルツームで、エチオピアのタナ湖から流れてくる青ナイル河と合流します。その上流のヴィクトリア湖(標高1,134m)から流れるのが白ナイル河です。
タナ湖はエチオピア北西にある淡水湖。エチオピア最大の湖で青ナイル川の源流。深さは最大15m、面積は約3,000kuで、海抜1,800m。この湖には、37の小さな島が点在していて、島に計29の修道院が散在しています。漁業を支える魚類は27種いて、その7割(20種)が固有種なるも、外来種の影響で固有種が絶滅の脅威に有。特に食用のナイルティラピアの食害のせいか?
タナ湖

ジブチ・エチオピア鉄道
  (Ethio-Djibouti Railways)
ジブチ・エチオピア鉄道は、エチオピアの首都アディスアベバとジブチの首都ジブチ市を結ぶ、全長781kmの鉄道で、ジブチ・エチオピア鉄道会社によって運営され、会社の本部はエチオピアのディレ・ダワに有。会社はジブチ政府とエチオピア政府の共同運営のもとにあり、その会長と副会長は、ジブチとエチオピアの運輸系閣僚が兼任。エリトリアの分離独立で内陸国となったエチオピアにとって貿易の95%以上が通る大動脈であり、ジブチにとっても国家収入の柱として重要な位置を占めています。
ジブチ・エチオピア鉄道

<エチオピアの世界遺産>文化遺産8件、自然遺産1件
(1)ラリベラの岩窟教会群 (1978)
(2)ゴンダール地域のファジル・ゲビ (1979)
(3)アワッシュ川下流域 (1980)
(4)ティヤ (1980)
(5)アクスム (1980)
(6)オモ川下流域 (1980)
(7)歴史的城塞都市ハラール・ジュゴル (2006)
(8)コンソの文化的景観 (2011)
(9)シミエン国立公園 (1978)、自然遺産
ラリベラ岩窟教会

エチオピア 1957 発行

参考:〜
・テオドロス2世 (1818〜在位1855〜1868/4/13)
 Tewodros II

テオドロス2世は、エチオピア帝国の皇帝。即位前の名は、カッサ・ハイル。戦国時代さながらの諸公侯時代を終わらせた「中興の祖」とされ、強力な国家を作るために近代化政策を推進。

1818、北部の有力な一族に生まれ、
    ゴンダルで育ち修道院で教育を受けた後、盗賊となる
テオドロス2世王
1847、豪族の地位を与えられ数々の戦闘に勝利
1852、北部州を制圧
1855、中部エチオピアの主なライバルをほとんど打ち破る
    下克上で主君を失脚させ皇帝に即位。「王(ネグ)の中の王」の権威を復活させる
    即位後は、シェワ(Shewa)征服などで自領を拡張しエジプト、オスマン帝国と対立していく
1857、イギリスと接触し友好関係を結ぶ
1860、イギリス人領事と海軍将校がエチオピア人に暗殺され、これ以降イギリスとの
    関係が対オスマントルコ政策の違いもあり悪化
1868、イギリスの派遣した大規模な遠征隊と戦争(マグダラの戦い)になり惨敗
    この結果にショックを受け自殺。

参考HP:〜
 ・エチオピアの地図

こちらで
ジブチ鉄道
タンザニア鉄道
スパイス (香辛料)
ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産
パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   09/12/20追記、2019/11/20

スタンプ・メイツ
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