★フランス
アレクサンドル・ドゥ・ロード師
1651
ヴェトナム語辞典を出版

大航海物語★
VIET-NAM CONG HOA
アレクサンドル・ドゥ・ロード師

ヴェトナム 1961/9/5 発行

ヴィエトナムのファンティエット海岸
VIET-NAM DAN CHU CONG HOA
ヴィエトナムの地図
北ヴェトナムの旗
北ヴェトナム 1964 発行

ヴィエトナム・フエの寺院

南ヴェトナム 1964 発行

フランスのアヴィニョン生まれのアレクサンドル・ドゥ・ロード師はカトリック司祭で、イエズス会宣教師となりベトナム宣教に大きな足跡を残し、ベトナム語のラテン文字表記の方法を考案し、ローマへ戻ってからはベトナムをヨーロッパに紹介し、再度のベトナム布教の願いもむなしくペルシャへ派遣されて、イスファハーンで亡くなりました。

アレクサンドル・ドゥ・ロード (1591/3/15〜1660/11/5)
 Alexandre de Rhodes

アレクサンドル・ドゥ・ロード師は1591年にフランスのアヴィニョン(Avignon, France)で生まれ、1612/4/24にイタリアのローマでイエズス会(Society of Jesus )に入会しました。1615年に始められていたハノイ(Hanoi、Vietnam)でのイエズス会の布教活動の宣教師としてヴェトナムへ大航海して、インドシナに1619年頃に着き、1620年にハノイ入りしました。ドゥ・ロード師はその後10年に渡ってベトナムの王宮で、ツリン・ツゥン王(Trinh Tung 生年不詳-1623)やツリン・ツゥラン王(Trinh Trang 在位:1623-1654)のもとで働きました。

1624年には東インド諸島での宣教も行い、1627年からはベトナムのトンキン(Tongking)で働きました。1630年になってベトナムでカトリック教会への迫害が起こると、ドゥ・ロード師も追放されて出国を余儀なくされ、その後10年間をマカオで過ごした後、ドゥ・ロード師は阮氏(広南阮氏)が支配していたベトナム南部に再入国し、フエにあった廣南國(Nguyen Lords 1558-1777)の王宮でグゥエン・フゥ・ラン(Nguyen Phuc Lan 1601-1648)王のもとで働きました。その後の政情不安のあおりを受けて追放され、1649年にローマへの帰国を余儀なくされたドゥ・ロード師はベトナム紹介を行いながら、ベトナム宣教のための資金援助を各方面で求めましたが、 ベトナムへ再び赴きたいというドゥ・ロード師の願いはかなえられず、1660年にローマ法王アレクサンドル3世(Pope Alexander III、1105-1181)によってペルシアに派遣されることになりました。ドゥ・ロード師はペルシアへ行き、11/5にイスファハーン(Isfahan、現イランの都市)で亡くなりました。

ドゥ・ロード師はベトナムの文化や歴史をヨーロッパに伝えて大きな業績をあげました。ベトナム語とその文化を学んで、ベトナム語をラテン文字で表記する方法を初めて考案し広く用いられることになりました。ローマ滞在中、ドゥ・ロード師はベトナムに関する「トンキン王朝の歴史1650」や「ポルトガル=ラテン語=ベトナム語の辞典、1651」などの書籍を出版しました。ドゥ・ロード師は自らの報告の中で6000人以上のベトナム人に洗礼を授けたと述べています。

参考地図HP:〜
 ベトナムの地図(県区分地図)
 ベトナム王朝の地図(1069-1757の版図)
 ベトナムの地図(1651年のドゥ・ロード師の地図)
 コーチシナの地図(1886年の地図)
 マカオの地図マカオ、広東、香港の場所地図
 イランの民族と宗教分布地図(中央付近にイスファハーン:Esfahanと表記有)   09/12/12
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