Spain


国連 1988 発行
切手で綴る 歴史の証人シリーズ (Historical Witness)No.4
リオ・ムニ
1778〜1959
Spanish Rio Muni

Equatorial Guinea


国連 1981 発行


大航海物語

ESPANA-RIO MUNI
リオ・ムニの地図
大西洋ギニア湾 アフリカ大陸
1936 フランコ総統25年記念 1961
リオムニ 1961/10/1 発行 (画:200%)

  太 鼓、  バタの紋章

ギニア 1956/11/23 発行
アフリカ・ゴールデンキャット
African Golden Cat


リオムニ 1966/11/23 発行
スローロリス(キツネザル)
Potto


リオムニ 1966/11/23 発行
観葉植物(クロトン)Croton

リオムニ 1960 発行

リオ・ムニ
 Rio Muni
  現在:赤道ギニア共和国領(Republic of Equatorial Guinea)
  旧スペイン領リオ・ムニ(Spanish Rio Muni, 1778〜1959)
 面積:約26,002ku、総面積:26,017ku(日本の四国:18,297ku、九州:36,782ku)
 人口:約300,000人(2011)、約883,000人(2018?:共和国の70%以上)、ほとんどファン族
 1番切手:”RIO MUNI ESPANA” 首都:バタ(Bata) 1960〜1968年発行。

リオ・ムニは、赤道ギニアの大陸部分の地域で、北はカメルーンに、南と東はガボンに国境を接している。現地はンビニまたはムビニ (Mbini) と呼ばれ、6割以上が熱帯雨林で覆われ、コリスコ島、エロベイ諸島もリオ・ムニに属している。

・リオ・ムニ略史:〜
1472 ポルトガルフェルナンド・ポー船長が到達
1474 ポルトガルがフェルナンド・ポー島(現:ビオゴ島)とアンノボン島に殖民
1778 ブラジルでの講和条約「エル・パラド条約」(Treaty of El Pardo)でポルトガルからスペインに割譲され、スペインはリオ・ムニを他の海外植民地の奴隷を集める場所にしよとするも、スペイン入植者が黄熱病でほとんどが亡くなり失敗
1778-1810、ブエノスアイレス政庁が管理
1827-1843、イギリスがシェラレオーネから奴隷交易、スペインが承認(1843)
1844 スペインが再植民、再入植以降はカカオと木材が主な産品となる
1885 スペイン保護領となる
1900 フランスとのパリ条約でスペイン植民地となる
1926 スペイン領ギニアとなる
1959 ビオコ島がスペイン領ギニアに併合される
リオ・ムニはコーヒーが主産物となる
1960 1番切手発行
1968 独立してビオコ島と共に、赤道ギニア共和国となる、
首都はビオコ島のマラボ

・リオ・ムニは4つの県に分かれている。最大都市はバタ
1)中南部県
  Provincia Centro Sur
面積:9,931ku、人口:125,856人(2001)。県都:エヴィナヨング。
中南部県はリオ・ムニ中部にある、現在は赤道ギニアの県のひとつ。県都エヴィナヨングはリオムニ地区中部にある中南部県の県都で、人口:7,997人(2001)。小さな山(標高:631m)の山頂にあって歓楽街、市場及び近くにある瀑布で知られている。スペイン植民地だった1920年にリオ・ムニのほぼ中央にあることから、同地区の事実上の首都とされた。他にアクレナム(Akurenam)人口:2,714人(2008)、ネファング(Niefang)人口:4858(2005)の町がある。

2)キエンテム県
  Provincia Kie-Ntem
面積:3,943ku、人口:167,279人(2001)、県都:エベビイン。
キエンテム県はリオ・ムニ東北部にある、現在は赤道ギニアの県のひとつ。県都エベビインはリオ・ムニの最北東部にあって、赤道ギニア国内で第三の人口を誇る町で、場所的にはガボン、カメルーンとの三国国境地帯に隣接する地域にある。 同国第一の町であるバタから隣国カメルーンの首都ヤウンデに至る道路上にあって、この道路に於いて赤道ギニアの玄関口となっている町でもある。人口は3,540人(1983)、19,315人(2001)、24,831人(2005)と増加している。

3)リトラル県(沿岸県)
  Provincia Litoral
面積:6,665ku、人口:298,414人(2001年調査)。県都:バタ。
リトラル県とは「沿岸県」の意味で、リオ・ムニ西部にある赤道ギニアの県のひとつ。ギニア湾に面する海岸線を持ち、大陸部の他にエロベイ諸島、ガボンとの領有権争いを抱えるコリスコ島も含まれる。県都バタ はギニア湾に面していて、人口:約17万人(2005)で、首都であるマラボの石油ブームで人口最大都市を譲ったものの、その時以前は赤道ギニア最大の都市で、貿易の拠点であり、港湾都市でもあり、
バタの紋章
マラボやカメルーン最大の都市ドゥアラとフェリーで結ばれている。バタ空港もあるが、赤道ギニア国民の大半は極貧層であり、利用率は低く、軍用にも使用されている。

4)ウェレンザス県
  Provincia Wele-Nzas
面積:5,478ku、人口:157,980人(2001)。県都:モンゴモ。
ウェレンザス県はリオ・ムニ東南部に位置する赤道ギニアの県のひとつ。県都モンゴモは、赤道ギニアの初代大統領フランシスコ・ンゲマ(Francisco Macias Nguema)及び現大統領テオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバソゴの出身地で、大統領の係累は「モンゴモの一族(clan de Mongomo)」と呼ばれる。モンゴモ(Mongomo)は赤道ギニア・リオ・ムニ地方、ウェレンザス県の都市。

・リオ・ムニ以外のスペイン領アフリカ:〜
プラサス・デ・ソベラニア(Plazas de soberania)
 ・セウタ
 ・ペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラ
イフニ
西サハラ
フェルナンドポー

参考HP:〜
リオムニの地図

参考:〜
赤道ギニア共和国
  Republica de Guinea Ecuatorial

面積:28,051ku、人口:676,000人(2008)
赤道ギニア共和国は大陸部のリオ・ムニ(ムビニ)とコリスコ島、エロベイ諸島(2島)、そして赤道直下のギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島から成る共和制国家で、首都はマラボ。島は5島有。1番切手:”RIO MUNI ESPANA” 首都:バタ(Bata) 1960〜1968年発行。

1968/10/12、マシアス・ンゲマが大統領で独立、ソ連圏と緊密な関係を維持
1970、マシアスは自身の与党労働者国民統一党以外の政党活動を禁止
1972、終身大統領を宣言
1973、大統領への絶対権力の集中を定めた憲法を採択、独裁体制を固める
サンタイサベルの紋章

ギニア 1956/11/23 発行
1979、マシアス・ヌゲマ政権が甥のテオドロ・オビアン・ンゲマ中佐のクーデターで崩壊
1992、ビオコ島沖で油田が発掘され、マラボはギニア湾石油拠点として急速に発展。

・赤道ギニアの7県(Province):〜
1.アンノボン県(Annobon)〜県都パレ(San Antonio de Pale)、人口:4279人(2006)
  アンノボン島(Annobon)、面積:約17Ku、東西4km:南北7kmの火山島で、
  キオベオ山(598m)、ポト湖(カルデラ湖)、ビオコ島から南西690kmに有
  大陸(ガボンのロペズ岬)から400km以上離れている
2.北ビオコ県(Bioko Norte)〜県都マラボ(Malabo)、ビオコ島(フェルナンドポー島
  マラボの人口は1995年3万人で、
  1992年の石油ブームで現在は10万人近くになる
3.南ビオコ県(Bioko Sur)〜県都ルバ(Luba)、ビオコ島(フェルナンドポー島)
4.中南部県(Centro Sur)〜県都エヴィナヨング(Evinayong)
5.キエンテム県(Kie-Ntem)〜県都エベビイン(Ebebiyin)
6.リトラル県(Litoral)〜県都バタ(Bata)、
  コリスコ島(Isla de Corisco、面積:14Ku)、ガボンと領有権が紛争中。
  大エロベイ島(Isla de Elobey Grande、標高80m、面積:2.27Ku)、
  小エロベイ島(Isla de Elobey Chico、面積:0.19Ku)
7.ウェレンザス県(Wele-Nzas)〜モンゴモ(Mongomo)

アンノボン島
  Annobon

  現在:赤道ギニア共和国領(Republic of Equatorial Guinea)
  面積:約17ku(小笠原諸島の母島は約20ku)、
  人口:4279人(2006)、東西4km、南北7km。
アンノボン島はアフリカ中部の赤道ギニア共和国に属する火山島で、島全体がアンノボン県で、県都は最北部のパレ(サンアントニオ・デ・パレ:San Antonio de Pale)。1970年代にはパガル島(Pagalu:オーム)と呼ばれていた。キオベオ山(Quioveo 598m)、カルデラ湖(Crater lake)のポト湖(Lago A Pot)がある。ビオコ島から南西690kmの地点にあって、大陸(ガボンのロペズ岬)とも400 km以上離れている。ビオゴ島との間にはサントメ・プリンシペ共和国のサントメ島とプリンシペ島が浮かんでいる。アンノボン島は赤道ギニア最南部で国内で唯一南半球にあって、湿度が高く、降雨または霧が毎日のようにあり、アンノボン島の雲のない日はほとんど記録されていない。
アンノボン島

赤道ギニア 1984 発行
1474年、ポルトガル人が到達、以前は無人島
1784年、ポルトガルがスペインにアンノボン島を割譲。

赤道ギニア共和国の区分地図 (アンノボン島は:1)
ギニア湾の地図(アンノボン島の場所地図)。

こちらで
スパイス (香辛料)
ユネスコ (UNESCO:世界遺産の成立理由)
パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   11/4/5、2019/1/28、令和6年 2024/2/22

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