サモア
Commonwealth of Samoa


SAMOA
ブーゲンヴィルの”サモア”航海地図
サバイイ島→



サモア 1968/10/10 発行
←ウポル島

TUVAL
Western Samoa
“国旗” と ”地図”

東経       166°55´
南太平洋14ヵ国フォーラム記念
ツバル 1986/8/4 発行








30°0
SAMOA
サモアの1番切手と
コロンブスの第1回(1492年)航海の航路地図

ほぼ北緯28°線上を一路西へと航海コロンブス500年記念
サモア 1992/4/17 発行

サモア独立国
 Independent State of Samoa

面積:2840ku(鳥取県よりやや小さい)、人口:18.5万人(2006、490,265=2008)、首都:ウポル島アピア(3.2万人、1986)、民族:サモア人(ポリネシア系)90%、その他(欧州系混血、メラネシア系、中国系、欧州系等)、言語:サモア語、英語(共に公用語)、通貨:タラ(WST)、1番切手:英国が1877-82年発行。サモア独立国は通称”サモア”で南太平洋(オセアニア)の島国。サモア諸島のうち、西経171度線を境として西側にある。また、この経度を境にアメリカ領東サモアと西サモアに分割されており、住民も文化もポリネシア系。ウポル島、サバイイ島および7つの小島からなり、ウポル島北部にあるアピアは「宝島」の著者で、イギリスの著名な作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンが晩年を過ごした場所がある。

1722年、オランダの探検家ヤコプ・ロッヘフェーンが望見し、発見
1768年、フランスの航海者ルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルが上陸(Navigator Islands)
1830年、イギリスのジョン・ウィリアムズ牧師がサバイイ島に来島しキリスト教を伝道
1838年、アメリカのウィルクス艦長がヴィンセンス号で寄航
1860年代〜、アピア港が捕鯨船の補給港として栄え、独、英、米が勢力を競う
1877-82年、英国が”SAMOA”で1番切手を発行
1890年、スティーヴンソンがウポル島で400acre(1.6 ku)の農園を購入
1899年、ドイツが西サモアを領有(ドイツ植民地帝国)、アメリカが東サモア(現在の米領サモア)を領有、西サモアでは、当初からマウ運動と呼ばれる反植民地運動が盛んであった。
1919年、ニュージーランドの国際連盟委任統治領。マウ運動の活動は続いた。
1945年、ニュージーランドの国連信託統治領となる。
1962/1/1、立憲君主国「西サモア」として独立(独立記念日は6/1)。
1976/12/15、国連加盟
1997/7月、西サモアから「サモア独立国」と改名。

2つの大きな島
・サバイイ島(Savai'i、面積1700ku)、
  ポリネシア最大級の島で、1911年にマタバヌ山が溶岩流の流出を伴って噴火
・ウポル島(Upolu、1115ku)、
  スティーヴンソンが400エーカー(1.6ku)の農園を持ち、1894/12/3に同島で病没(44才)。
大きな2島は18kmの海峡を挟んで、その間には2つの小島(マノノ島とアポリマ島)がある。サバイイ島とウポル島はともに火山島であり、サバイイ島にある最高峰シリシリ山は標高1,858m。海岸地帯には珊瑚礁が発達。

参考HP:〜サモアの地図

上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     08/11/28

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