大航海物語 大航海時代 と 新世界の産物(食料)
ジャガイモ
Potato

参考資料
PERU
ジャガイモ

1972 リマ・ポテト研究所10年記念 1982
ペルー 1982/12/27 発行

DANMARK
デンマークに移入されたジャガイモ

1492 コロンブス新大陸発見500年 1992
デンマーク 1992/5/7 発行
ジャガイモの花

ペルー 2001/8/24 発行

ANGOLA
ジャガイモの花

アンゴラ 2000 発行
ESPANA
スペインに移入されたジャガイモ

スペイン 1989 発行

ジャガイモ:〜:南米アンデス山脈の高地原産
 Potato
  学名:Solanum tuberosum
   ナス目ナス科ナス属ジャガイモ種
   Solanales Solanaceae Solanum tuberosum
ジャガイモは、ナス科ナス属の植物。地下茎を食品として利用する。ジャガイモは、地下の茎の部分(塊茎)を食用にする。加熱調理して食べられるほかに、デンプン原料としても利用される。比較的保存がきく食材であるが、温度が高く暗いところに保存すると発芽しやすい。芽には毒性成分ソラニンが多く含まれ中毒の元になる。ソラニンなどは加熱による分解が少ないため、対策としては芋を日光にあてず、暗所で保存し、芽を(緑色になった場合は皮も)丁寧に取り除く。ソラニンなどは水溶性のため、皮をむいて茹でたり水にさらすことである程度除くことはできるが、粉ふきいもで中毒した例が報告されているように、除ききれない場合がある。果実は芽ほどではないにせよ、塊茎と比べソラニンの含有量は高く食用に向かない。

南米アンデス山脈の高地が原産といわれ、インカ帝国の食の基盤がジャガイモとトウモロコシで、ペルー南部にあるチチカカ湖の畔が発祥とされる。16世紀、スペイン人によりヨーロッパにもたらされた。このとき運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒が当たったため「悪魔の植物」と呼ばれた。日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。当時は観賞用として栽培されたといわれている。日本では、男爵薯、メークインなどの品種が広く栽培されている。北海道が最大の生産地で、夏の終わりから秋にかけて収穫される。九州では冬に植え付けて春に出荷する。

痩せた土壌でも栽培しやすく、ビタミンやデンプンが豊富に含まれている上に、茹でる等の簡単な調理で食べられ、加熱してもビタミンが壊れにくいジャガイモは、江戸時代に幾度となく発生した飢饉の際に、サツマイモと同じく主食の米等の穀物の代用品として食べられ、ジャガイモによって飢餓から救われたという記録が残っている。このために「お助けイモ」と呼ばれたことがある。英語の”potato”の語源は、タイノ族の言葉でさつまいもを意味する”batata”がスペインのスペイン語の”patata”に変化したものによる。

具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士達によってもたらされたものであろうと推測付けられている。さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない。いずれにせよ16世紀末から17世紀にかけては植物学者による菜園栽培が主で、さらにジャガイモは18世紀にはアイルランド移民の手によりアメリカへ渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの貴重な食料源となった。寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから鳥害にも影響されないジャガイモは庶民の食料として爆発的な普及を見せた。アダム・スミスは「国富論」おいて「小麦の3倍の生産量がある」と評価しており、瞬く間に麦、米、トウモロコシに並ぶ「世界四大作物」としてその地位を確立した。

16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく、黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは聖書に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。 しかし、ヨーロッパで栽培される主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。とくに冷涼で農業に不適とされたアイルランドや北ドイツから東欧、北欧では食文化を変えるほど普及した。また西洋のみならずアメリカ合衆国など北米地域や日本、などアジア地域にも普及し、ジャガイモが飢餓から救った人口は計り知れないといわれる。

1563か1565年にホーキンス船長ジャガイモをイングランドとアイルランドに輸入した。また、1580年にはドレーク船長がスペイン船からの戦利品としてイギリスに持ち帰ったともいわれている。そして、別説では1586年にノース・カロライナの「ロアノーク入植地」の生存者がドレーク船長の遠征艦隊に分乗して救助され帰国した時に、ジャガイモ葉タバコがイギリスに伝来したとされている。

参考:〜
ジャガイモ飢饉(じゃがいもききん)
 Potato Famine

ジャガイモ飢饉をこちらでお楽しみください。

・こちらでインカ帝国をお楽しみください。
・こちらでチチカカ湖をお楽しみください。

参考HP:〜
ペルーの地図
チチカカ湖の地図(標高:3,812mのペルーとボリビア国境に有)
ペルーの地図 (日本語、GoogleMap)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     10/1/10、13/9/25、2017/2/20、令和 R.2/2/22 (2020)
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