★アメリカ ファニング船長
1798
ファニング島などを発見
大航海物語★

Kiribati

ファニング と ベッツィ号
キリバス 2002/3/25 発行
Girlbert Islandas

ファニング と ベッツィ号
ギルバート諸島 1977/6/1 発行

NEWFOUNDLAND
FIJI
アザラシ (Seal)

ニューファウンドランド
 明治20年 1887 発行
太平洋と世界地図

フィジー 1977/4/12 発行

ファニング船長はアメリカの太平洋探検家で、1797−98年にベッツイ号で太平洋の探検航海をなし、キリバスのファニング島、ワシントン島、パルミナ島、キングマン環礁を発見しました。
エドモンド・ファニング (1769/7/16〜1841/4/23)
 Edmund Fanning

ファニングは米国コネチカット州ストニングトン(Stonington, Connecticut)で生れました。13才でキャビン・ボーイとして船に乗り込み海に出ました。24才で西インドのブリッグ型帆船(West Indian brig)の船長となり、最初の南太平洋航海をしました。ファニング船長は南太平洋でアザラシ(seals)狩をして、その皮を中国へ持って行き、絹・香料・茶(silks, spices, tea)と交易して、ニューヨークで売りさばいて大もうけをしました。

1797〜98年の間はベッツイ号(U.S.S Betsey)で太平洋の探検航海に出帆し、3つの島を発見しました。1798/11/6キリバスのファニング島(Fanning、現タブアエランTabuaeran)、1798/6/12にキリバスのワシントン島(Wasington、現テライナTeraina)、その後にキリバスのパルミナ島(Palmyra)を発見しました。パルミナ島はパルミラ号(U.S.S Palmyr)でソール艦長(Captain Sawle)が1802/11/7に座礁後、上陸したので名づけられました。

1798年にハワイと米領サモアのほぼ中間にあるキングマン環礁(Kingman Reef、北緯6°24′西経162°24′)を発見しました。1853年にキングマン船長(Captain W.E. Kingman)が米領を宣言して、その名が付けられました。

1829年にはウィルクス遠征隊(Wilkes Expedition)の政府・総責任者となりました。1833年に「世界周航記」を出版し、ニューヨークで72才で亡くなりました。

参考HP:〜キリバスの地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2007/3/25
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