★アメリカ
vsイギリス
アメリカ独立戦争
ロングアイランドの戦い
1776
イギリス軍の反撃

大航海物語★
JERJY
ドーベルニュのニューヨーク上陸作戦

アメリカ独立200年記念
英領ジャージー 1976/5/29 発行

ロングアイランドの戦い (1776/8/22〜8/30)
  Battle of Long Island

  別名:ブルックリンの戦い、ブルックリンハイツの戦い
      Battle of Brooklyn、Battle of Brooklyn Heights
  アメリカ大陸軍(10,000)VSイギリス軍(20,000)、イギリス軍の勝利
ロングアイランド(島)の戦いは、1776/8/27に戦闘が開始されました。
現在のニューヨーク市ブルックリンを主戦場にして戦われたアメリカ独立戦争(1775-1783)の主要な戦闘のひとつで、この戦争の中では最大の会戦でした。アメリカ独立宣言(United States Declaration of Independence 1776/7/4)から1ヵ月余り後のことであり、独立国アメリカ合衆国の軍隊が戦った初めての戦闘となりました。

ボストン包囲攻撃戦(Siege of Boston、1775/4/19-1776/3/17)後、1776/3/17にイギリス軍をボストンから追い出した大陸軍総司令官のジョージ・ワシントン将軍(General George Washington、1732-1799)は、当時マンハッタン島(Manhattan Island)の南端部でしかなかったニューヨーク市(New York City)を守るために軍を移動させ、そこに防御陣地を敷き、イギリス軍の攻撃を待ちました。1776/7月に子爵ウィリアム・ハウ将軍(General William Howe, 5th Viscount Howe、1729-1814)の指揮するイギリス軍はマンハッタン島からは港を隔てて数キロ先のスタテン島(Staten Island)に上陸し、そこで1ヵ月半の間ゆっくりとニューヨーク湾の艦船から援軍を受け取り、総勢は32,000人になりました。イギリス海軍がロングアイランド島(Long Island:東西に約190km)最西端のニューヨーク港への入り口を支配していたので、ワシントン将軍は市を守る難しさを察知。マンハッタン島が最初の目標になると考え、自軍の主力をそこへ移動させました。

1776/8/22にイギリス軍はスタテン島からナローズ(The Narrows)海峡を隔てるロングアイランド島の西端に上陸。そこはマンハッタン島に渡るためのイースト川(East River 26km)から南16km以上離れた場所でした。イギリス軍は5日間待機した後、ブルックリン(Brooklyn)のグアナ・ハイツ(Guan Heights)にいた大陸軍の守備隊を攻撃するも、ハウ将軍はアメリカ軍に知られぬ間に、主力を大陸軍の後方に移動させ、その側面を衝きました。米軍は恐慌に陥るも、メリーランド兵(Maryland troops)400人が抵抗して部隊の大半が捕獲されるのを防ぎました。部隊の他の者はブルックリン・ハイツ(Brooklyn Heights)で守る主力部隊の所へ逃げました。イギリス軍は包囲攻撃戦に備えて塹壕を掘るも、ワシントン将軍は29〜30日に掛けての夜に全軍を ニューヨークの古地図、1660
アンドロス総
ガーンジー 1987/7/7 発行
マンハッタン島に退却(移動)させ、しかも如何なる物資も1人の生命も失いませんでした。この後、ワシントン将軍とその大陸軍は幾度か敗北してニューヨーク市から完全に追い出され、ニュージャージー州(New Jersey)を越えてペンシルベニア州(Pennsylvania)迄の退却を余儀なくされました。

イギリス軍はニューヨーク市を占領し、アメリカ独立戦争を終結させた条約のパリ条約(Treaty of Paris 1783)の翌年(1784)にイギリス軍が明け渡す迄、ニューヨーク市とロングアイランド島の主要部分がイギリス軍の支配下となりました。

1775年
4/19、レキシントン・コンコードの戦い後、イギリス軍がボストン市で包囲される
    ボストン包囲攻撃戦(Siege of Boston、1775/4/19-1776/3/17)勃発
5/10、ニューヨーク植民地北部のイギリス軍タイコンデロガ砦を植民地軍が陥落させる
6/14、大陸会議の決議でアメリカ植民地軍が大陸軍(Continental Army)として正式に組織化される
6/15、大陸会議の決議でジョージ・ワシントン将軍が総司令官に指名される
6/17、大陸軍が占領していたバンカーヒルをイギリス軍が攻撃したバンカーヒルの戦いで英軍が辛勝
7/03、総司令官ワシントン将軍がボストンに到着するも、
    ボストン包囲攻撃戦は膠着状態となる
1776年
3/03、タイコンデロガ砦から運ばれてきた59門の大砲と数千の兵士がボストンに到着
3/04、夜にワシントン将軍がボストンを見下ろすドチェスター高地(Dorchester Heights)に大砲を設置
    その大砲がボストン港のイギリス艦隊に脅威を与える
    イギリス軍はもはやボストン市を維持不能となる
3/17、イギリス軍ハウ将軍が艦船でボストンを放棄してカナダ(ノバスコシア)のハリファックスに退却
    ボストン包囲戦が終り、民兵達が帰郷
4/04、ワシントン将軍がボストンを出発
4/13、ワシントン将軍と19,000人がニューヨーク市に到着
5月初旬、ワシントン将軍が部隊をロングアイランド島へ移動開始
6/09、イギリス艦隊がハリファックス港を出帆、ニューヨーク市に向う

・イギリス軍の到着
6/28、ワシントン将軍が、イギリス艦隊がハリファックス港を出帆した知らせを受取る
6/29、スタテン島の米国兵がイギリス艦隊を視認、ワシントン将軍に信号で知らせる
    数時間後にイギリス艦隊45隻がニューヨーク湾に投錨
7/01、リチャード・ハウ提督の艦隊130隻がスタテン島沖に投錨
    ニューヨーク市民はイギリスの艦隊を目撃してパニック(恐慌)に陥り、警報が発せられる
7/02、イギリス軍がスタテン島への上陸を開始
    この島に駐屯していた大陸軍の正規兵は逃亡
7/06、大陸会議が4日前に独立決議案を採択したという報せがニューヨーク市に届く
7/09、夕方の6時にワシントン将軍が数個旅団を市の会議場に集め、アメリカ独立宣言を朗読させる
    と、朗読が終わった時に群衆がロウワー・マンハッタンのブロードウェイ南端にある小さな公園
    ボウリング・グリーン(Bowling Green)に殺到してイギリス国王ジョージ3世((George III, 1738-
    1820)の鉛製金メッキの騎馬像を引き倒す
7/12、イギリス艦フェニックス号とローズ号の2隻がアメリカ側の補給線を絶ち、王党派の支援を奨励
    するため、ニューヨーク港からハドソン川河口に向うと、ジョージ砦、レッドフック、ガバナーズ島
    のアメリカ軍砲台が発砲、イギリス艦も市内に向って応戦。これら艦船はニュージャージーの海
    岸に沿って航行を続けてハドソン川に入り、ワシントン砦の下を抜けて夕闇が訪れるまでにハド
    ソン川で最も広い部分のタリータウン(Tarrytown)に到着
7/13、ハウ将軍の使者が米側にワシントン宛ての親書を手交しょうとするも、米側は受け取らず
7/16、ハウ将軍は再び同じ事を試みるも、再度拒絶される
7/20、ハウ将軍の使者でハウ副官ジェイムズ・パターソン大佐(Colonel James Patterson)が、ワシント
    ン将軍に面談するも、物別れとなる
    イギリスの艦船は続々と到着し続ける
8/01、イギリス艦45隻が到着して、ヘンリー・クリントン将軍(General Henry Clinton、1730-1795)、侯爵
    チャールズ・コーンウォリス将軍(General Charles Cornwallis, 1st Marquess Cornwallis、1738-
    1805)との兵3,000人が上陸
8/12、イギリス兵3,000人とドイツのヘッセン・カッセル(Hessen-Kassel)の傭兵部隊8,000人が到着
    イギリス艦隊は73隻の戦闘艦を含む総数400隻以上となり、
    スタテン島の兵力は総勢32,000人となる

・イギリス軍のロングアイランド上陸
8/22、イギリス軍はスタテン島とロングアイランド島を
    隔てるナローズ海峡(The Narrows)を渡って、
    ロングアイランド島西端に上陸すべく、
午前5時10分、イギリス軍の前衛隊4,000人がスタテン
    島からロングアイランド上陸に向う
午前8時、4,000人全員が抵抗も無くグレイブスエンド湾
    の岸(Gravesend, Brooklyn)に上陸。そこに駐屯
    していた米軍ペンシルベニア・ライフル隊は上陸
    を阻止できずに後退
正午、15,000人の軍隊が40門の大砲と共にこの海岸に
    上陸を完了。数百人の王党派がイギリス軍を迎
    えに出てきたので、前衛隊が島の中を10km進み
    それ以上進まないよう命令されていたので、フラ
    ットブッシュ(Flatbush, Brooklyn)の集落で宿営
    地のキャンプを設営
イギリス軍の上陸作戦

ジャージー 1976/5/29 発行
同日、ワシントン将軍はイギリス軍8,000〜9,000人が上陸したとの報告を受け取り、予想していた陽動行動であると確信したので、ブルックリンには1,500人の増援を送っただけで、ロングアイランドの部隊は総勢6,000人になりました。

8/25、ロングアイランドのイギリス軍に5,000人のドイツ人傭兵部隊が加わり、総勢は20,000人となる
    イギリス軍の上陸直後の数日間は大陸軍狙撃兵との小競り合いが起る

・イギリス軍の夜間行軍
8/26、夜9時に宿営地の火を燃やしたままにしたイギリス軍が指揮官だけしか知らない隠密攻撃作戦
    を開始。その長さ3km以上に伸びた縦隊10,000人が、王党派の農夫達の案内で間道のジャマイ
    カ・パス(Jamaica Pass)を通過、北東へとニューロッツ(Newlottes)の集落まで進み、そこから北
    のブルックリンハイツ(Brooklyn Height)への道を塞いでいたグアナハイツ(Guana Heights 標高
    45m)に向う。ジャマイカ・パスから数キロの距離にあるハワードの酒場に達して直ぐ、イギリス兵
    をアメリカ人だと思いこんでいたこの道の守備兵のアメリカ民兵士官5人は銃を発砲することもな
    く捕虜になる。イギリス軍は明け方までに通過を終え、兵は高い草の間に寝て休む
    午前9時、攻撃続行の合図で、イギリス軍の大砲音2発が鳴り響く
・戦い
8/26、午後11時、最初の銃声がブルックリンのレッドライオンイン(Red Lion Inn, Long Island)で鳴り響く
    イギリス軍と大陸軍1,600人が約180m離れて対戦
8/27、午前1時頃、ドイツ人傭兵部隊が大陸軍の前線に砲撃を開始
    午前9時の合図で、ドイツ人傭兵部隊が正面での前進を開始
    大陸軍とイギリス軍の間に大きな被害が生まれ、両軍の兵士の中には恐怖で逃亡者も出る
    大陸軍は白兵戦での大混乱の中でブルックリンハイツに向けて大半の兵が脱出
    イギリス軍主力が側面を衝いて大陸軍が崩壊し、包囲される

・ワシントン将軍が撤退に成功
ワシントン将軍とその軍隊はブルックリンハイツで囲まれ、背後はイースト川となりました。その日が暮れると、イギリス軍は塹壕を掘り始め、ゆっくり大陸軍の防衛線に接近しました。
8/28、ワシントン将軍は小競り合いが続いていた防衛線の外を偵察
    午後に雨が降り始め、ワシントン将軍とその砲兵隊は夜間に入っ
    てもイギリス軍に対する砲撃を行い、雨が降り続く中で、マンハッ
    タン島との間のキングス橋(現:ブロンクス)にあらゆる平底船や、
    スループ船が送られる
軍隊を脱出させるワシントン将軍

USA 1951 発行
8/29、午後4時、ワシントン将軍が作戦会議を開き、ペンシルベニア部隊が後衛を務め前線を死守
    する間に、残り全軍がマンハッタン島に撤退するよう決定
午後09時、病気の者と負傷した兵士が脱出に備えてブルックリン渡しの方へ移動を開始
午後11時、多くの部隊が脱出すると、さらに次の部隊も前線から後退し、渡し場まで行軍、荷車の音は
    消され、兵士は話をすることを禁じられ、マサチューセッツ部隊の後衛は宿営地の焚き火を燃や
    し続け、イギリス軍を欺いて何も起こっていないように思わせ続ける
8/31、夜明けが近付き霧が出て、イギリス軍には脱出が分からないようになる
    イギリス軍の偵察隊が、あたりの捜索を始める
    午前7時、最後まで残っていたワシントン将軍が最後の船に乗船
    大陸軍の最後の部隊がマンハッタン島に上陸
    総勢9,000人の軍隊が一人の命も失わずに脱出を果たしたと伝えられています

・その後
08/30、イギリス軍はワシントン将軍の軍隊が消え去って驚愕しながら、大陸軍の砦を占領
     この戦闘勝利の報せがロンドンに到着すると、多くのお祭騒ぎが起こり、市中の鐘が鳴らされ
     窓には蝋燭がともされ、国王ジョージ3世はハウ将軍にバス勲章を授与
09/15、イギリス軍は次の半月間、攻撃もせずに静かに過ごすも、マンハッタン島のキップス湾に軍隊
     を上陸させ、速やかにニューヨーク市を占領
09/21、ニューヨーク市内で原因不明の大火が起り、市の大半を消失
09/16、大陸軍がマンハッタ島のハーレムハイツの戦い(Battle of Harlem Heights)で勝利を収める
10/28、大陸軍がニューヨークのホワイトプレインズの戦い(Battle of White Plains)で大敗を喫する
11/16、大陸軍がワシントン砦を失い、ニューヨーク湾の支配権は完全にイギリス軍のものとなり、
     ワシントン将軍はニュージャージー州を越えてペンシルベニア州まで撤退して行きました。

こちらで
フィリップ・ドーヴェルニュ提督
ロングアイランド戦い
ジャージー島の戦い
ポルトプラヤの海戦
パリ条約
キブロンの戦い
エリー湖の戦い
ワーテルローの戦い
をお楽しみください。

参考HP:〜
ロングアイランド島の地図(Long Island、4郡(County)区分地図、Brooklyn=Kings County)
ニューヨーク市の地図(New York City、5区(Borough)区分地図)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     13/11/5
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Spice
無断転載禁止