★イギリス トーマス・ゲイツ卿
1610
ジェイムス・タウン再建
大航海物語★

BERMUDA
ゲイツ & ソマーズ
プリマスを出帆する船団
1609 バーミューダ375年記念1984
バーミューダ 1984 発行

ジェームス・タウン    シー・ヴェンチャー号の航海地図    プリマス イギリスを出帆する船団
北アメリカ プリマス港
カリブ海 バ|ミ
ュ|ダ島
シー・ヴェンチャー号はバーミューダ島で遭難・沈没
1609 バーミューダ島375年記念 1984

バーミューダ 1984 発行

ゲイツはヴァージニア会社に指名されて、新大陸のヴァージニア植民地ジェイムス・タウンへの移住者と共に植民地の建設のために新大陸へとイギリスを出帆しましたが、途中のカリブ海でハリケーンに襲われて、バーミューダ島へ漂着しました。そこに植民地を建設しながら、船を建造して出帆、ヴァージニアに到着しました。そして荒れ果てていたジェイムス・タウンを再建しました。
トーマス・ゲイツ卿 (1585〜1621)
 Sir Thomas Gates

イングランド生れのゲイツは、王立ヴァージニア殖民会社から新大陸のヴァージニア植民地ジェイムス・タウンの建設指揮官(総督)に指名され、1609年にジェイムス・タウンへ、ヴァージニア会社支援船隊の旗艦”シー・ヴェンチャー号”(船隊司令官ジョージ・ソマーズ提督)に乗船して、イングランドのプリマス港を出帆しました。支援船隊には新移住者と支援必需物資が満載されていましたが、大西洋を横断して、カリブ海に来ると折悪しく激しいハリケーンに襲われました。ヴァージニア会社のジョージ・ソマーズ提督は必死で嵐と戦いましたが、未知の島の珊瑚礁で”シー・ヴェンチャー号”は難破してしまいました。そこがバミューダ島の東の珊瑚礁の岩礁だと分かり、生存者150人が上陸しました。

上陸後の10ヵ月間で苦労に苦労を重ねて植民地を作りながら、ジェイムス・タウンへ行けるだけの頑丈な船を2隻建造しました。ゲイツとソマーズの派閥が形成され、どちらが指揮官かとの論争が始まりましたが、海上ではソマーズの指揮のもと、ジェイムス・タウンに到着するとゲイツ総督の指揮に服すこととなりました。デリヴェランス号(Deliverance)、ペイシェント号(Patience)の2隻が完成したので、1610年にジェイムス・タウンへと出帆しました。

彼らはイングランドへの報告のために2人をバーミューダ島に残しました。1612年にヴァージニア会社はバーミューダ島をその管理下に統合しました。その後、バーミューダ島は”ソマーズ島”と公認されました。ゲイツの名は”シー・ヴェンチャー号”が遭難した場所を”ゲイツ湾”(Gates Bay)として残されました。最初のバーミューダ砦は1612年と1615年に修復再建されて、”ゲイツ砦”(Fort Gates)と名づけられました。

ジェイムス・タウンに到着すると、500人居た移住者が、たったの60人となっていました。移住地はとても話にならない酷さだったので、ほとんどの人がイングランドへ戻ってしまっていました。ちょうどその直後に到着した支援船隊のお蔭で、移住地は再建へと一息つきました。ゲイツの施作は秘書の作家で弁護士のストラチェイ(William Strachey 1572-1621)によって”シー・ヴェンチャー号の遭難”(Shipwreck of the Sea Venture)として記録、発表されました。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。           2006/10/30、13/6/6

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