トーマス・ゲイツ卿
Sir Thomas Gates (1585〜1621)
イングランド生れのゲイツ卿は王立ヴァージニア殖民会社から新大陸のヴァージニア植民地ジェイムス・タウンの建設指揮官(副総督1610、1611-1613)に指名され、1609年にジェイムス・タウンへ、ヴァージニア会社支援船隊(船隊司令官ソマーズ提督)の旗艦”シー・ヴェンチャー号(Sea Venture, 20Gns)”に乗船して、イングランドのプリマス港(#1@6)を出帆しました。支援船隊には新移住者と支援必需物資が満載されていましたが、大西洋を横断して、カリブ海に来ると折悪しく激しいハリケーンに襲われました。ヴァージニア会社のソマーズ提督は必死で嵐と戦いましたが、未知の島の珊瑚礁で”シー・ヴェンチャー号”は難破してしまいました。そこがバーミューダ島の東の珊瑚礁の岩礁だと分かり、生存者150人が上陸しました。
上陸後の10ヵ月間で苦労に苦労を重ねて入植地を建設しながら、ジェイムス・タウンへ行けるだけの頑丈な船を2隻建造しました。ゲイツ卿とソマーズ提督の派閥が形成され、どちらが指揮官かとの論争が始まりましたが、海上ではソマーズ提督の指揮のもと、ジェイムス・タウンに到着すると総督ゲイツ卿の指揮に服すこととなりました。
新造船
・デリヴェランス号(Deliverance)
・ペイシェント号(Patience)
の2隻が完成したので、1610年にジェイムス・タウンへと出帆しました。
彼らはイングランドへの報告のために2人をバーミューダ島に残しました。1612年にヴァージニア会社はバーミューダ島をその管理下に統合しました。その後、バーミューダ島は”ソマーズ島”(Somers
Island)と公認されました。ゲイツ卿の名は”シー・ヴェンチャー号”が遭難した場所を”ゲイツ湾”(Gates
Bay)として残されました。最初のバーミューダ砦は1612年と1615年に修復再建されて、”ゲイツ砦”(Fort
Gates)と名づけられました。
ジェイムス・タウンに到着すると、500人居た移住者が、たったの60人となっていました。移住地はとても話にならない酷さだったので、ほとんどの人がイングランドへ戻ってしまっていました。ちょうどその直後に到着した支援船隊のお蔭で、移住地は再建へと一息つきました。ゲイツ卿の施作は秘書の作家で弁護士のストラチェイ(William
Strachey 1572-1621)によって”シー・ヴェンチャー号の遭難”(Shipwreck of the Sea Venture)として記録、発表されました。※1585/6月にドレーク遠征艦隊がロアノーク島でジェイムス・タウンの移住者を帰国させていました。
参考:〜
・シー・ベンチャー号の喪失
(Lost of Sea Venture(SV号)1609/7/25)
1609/6/2にシー・ベンチャー号は7隻の艦隊(小船2隻を曳航)の旗艦として、乗組員と移住者500〜600人を乗せ米国てバージニア州(VA)ジェームズ・タウンへとプリマス(#1@6)を出帆。1609/7/24に艦隊は激しい嵐ハリケーンに遭遇し、各船は離散しました。SV号は3日間嵐に耐えましたが、同規模の船はこのような天候にも耐えるも、SV号は新造船であったため致命的な欠陥を抱えていました。船体材が固まっていなかったのです。船体材の間からコーキング材(のり?)が剥がれ落ち、船は急速に浸水し始め、 |
シー・ヴェンチャー号の難破

バーミューダ 1984 発行 |
排水作業にあたるも、船倉の水位は上昇し続けました。船の浮力を高めるために大砲を投棄(1612年に難破船から2門を回収)。嵐の中、サマーズ提督は全員が自ら舵を取りました。7/25朝、陸地を発見した時には船倉の水位は約2.7mまで上昇し、乗組員と乗客は疲労困憊してました。サマーズ提督は船の沈没を防ぐため、船をバミューダ諸島と思われる岩礁に乗り上げました。これで乗組員150人と犬1匹が上陸することができました。
・シー・ベンチャー号の建造
(Construction of Sea Venture, 進水1609)
船舶の不足に対処するため、英国サフォーク州オールドバラ(Aldeburgh,
#1A17)で、イギリス初の移民専用船としてシー・ベンチャー号を建造。建造費1,500ポンド(x@10万円=1.5億円?)で、同時代の船とは主に船内構造が異なっていました。大砲は、当時一般的だった船底ではなく、主甲板に設置されました。そのため、船は二重木造船を必要とせず、イギリスで建造された最初の単木構造の武装商船でした。船倉は覆われ、乗客のために家具が備え付けられて乗客用の設備が整っていました。船は1609年に進水し、ジェーム・ズタウンへの航海が処女航海でした。
シー・ベンチャー号の装備:〜(Sea Venture,
1609) |
シー・ベンチャー号
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・帆船型 |
ガレオン船 |
・マスト |
3本 |
・排水量 |
300トン |
・後組員 |
150人 |
・進 水 |
オールドバラ、1609年 |
・最 後 |
バミューダ諸島、難破、1609/7/25 |
・武 装 |
8門 × 9ポンド (4.1 kg) デミ・カルバリン砲(9-pounder
Demi-Culverin)
8門 × 5ポンド (2.3 kg) セーカー砲(5-pounder
Saker)
4門 × 3ポンド (1.4 kg) ファルコン砲(3-pounder
Falcon)
4門 ×火縄銃(Arquebuse)
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<英国バージニア植民地の総督列伝>(1585-1759) |
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イギリスがバージニアを植民地化しようとした最初の試みは、ロアノークの「失われた植民地」でした。 |
・ |
ウォルター・ローリー卿 |
Sir Walter Raleigh(Virginia) |
1585-1590 |
バージニア総督 |
・ |
ラルフ・レーン卿 |
Sir Ralph Lane(Roanoke) |
1585-1586 |
ロアノーク(バージニア) |
・ |
ジョン・ホワイト |
John White(Raleigh) |
1587-1590 |
ローリー(バージニア) |
バージニア・カンパニー・オブ・ロンドン・ガバナーズ(1607-1624)評議会議長 |
・ |
エドワード・M・ウィングフィールド |
Edward Maria Wingfield |
1607 |
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・ |
ジョン・ラトクリフ |
John Ratcliffe |
1608 |
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代 理マシュー・スクリブナー |
Act Gov Matthew Scrivener |
1608 |
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・ |
ジョン・スミス |
John Smith |
1608-1609 |
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・ |
ジョージ・パーシー |
George Percy |
1609-1610 |
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・ |
トマス・ウェスト男爵 |
Thomas West, Bron |
1609- 1618 |
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副総督トーマス・ゲイツ卿 |
Deputy Gov Sir Thomas Gates |
1610/5-6月 |
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・ |
副総督ジョージ・パーシー |
Deputy Gov George Percy |
1611/3-5月 |
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・ |
代 理トーマス・デール卿 |
Act Gov Sir Thomas Dale |
1611/5-8月 |
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・ |
代 理トーマス・ゲイツ卿 |
Act Gov Sir Thomas Gates |
1611-1613 |
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・ |
代 理トーマス・デール卿 |
Act Gov Sir Thomas Dale |
1613-1616 |
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・ |
副総督ジョージ・イヤードリー卿 |
Lt Gov Sir George Yeardley |
1616-1617 |
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・ |
副総督サミュエル・アーガル卿 |
Lt Gov Sir Samuel Argall |
1617-1619 |
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・ |
代 理ナサニエル・パウエル大尉 |
Act Gov Captain Nathaniel Powell |
1619/4 |
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・ |
ジョージ・イヤードリー卿 |
Sir George Yeardley |
1619-1621 |
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・ |
フランシス・ワイアット卿 |
Sir Francis Wyatt |
1621-1624 |
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クラウン・ガバナー (Crown Governors, 1624-1652) |
・ |
フランシス・ワイアット卿 |
Sir Francis Wyatt |
1624-1626 |
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・ |
ジョージ・イヤードリー卿 |
Sir George Yeardley |
1626-1627 |
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・ |
代 理フランシス・ウェスト |
Acting Gov Francis West |
1627-1629 |
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・ |
ジョン・ハーヴェイ卿 |
Sir John Harvey |
1628-1639 |
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・ |
代 理ジョン・ポット |
Acting Gov John Pott |
1629-1630 |
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・ |
代 理ジョン・ウェスト |
Acting Gov John West |
1635-1636 |
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・ |
代 理ジョージ・リード大佐 |
Acting Gov Col. George Reade |
1638-1639 |
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・ |
フランシス・ワイアット卿 |
Sir Francis Wyatt |
1639-1642 |
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・ |
ウィリアム・バークレー卿 |
Sir William Berkeley |
1642-1652 |
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・ |
代 理 リチャード・ケンプ卿 |
Acting Gov Sir Richard Kemp |
1644-1645 |
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連邦と保護領の知事(Commonwealth and Protectorate
Governors, 1652-1660) |
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・ |
リチャード・ベネット |
Richard Bennett |
1652-1655 |
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・ |
エドワード・ディグス |
Edward Digges |
1655-1656 |
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・ |
サミュエル・マシューズ中佐 |
Lt. Col. Samuel Mathews |
1656-1660没 |
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王室総督(Crown Governors, 1660-1775) |
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・ |
ウィリアム・バークレー卿 |
Sir William Berkeley |
1660-1677 |
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・ |
副総督フランシス・モリソン |
Lt Gov. Francis Moryson |
1661-1662 |
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・ |
ハーバート・ジェフリーズ大佐 |
Col. Herbert Jeffreys |
1677-1678 |
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・ |
トマス・コールペパー男爵 |
Thomas Colepeper, Baron |
1677-1683 |
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・ |
副総督サー・ヘンリー・チチェリー |
Lt Gov. Sir Henry Chicheley |
1678-1680 |
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・ |
代 理ニコラス・スペンサー大佐 |
Act Gov. Col. Nicholas Spencer |
1683/9-1684/4 |
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・ |
フランシス・ハワード男爵 |
Francis Howard, Baron |
1684-1692, 不在 |
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・ |
ジョセフ・ブリッジャー将軍 |
Gen. Joseph Bridger |
1684 |
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・ |
議 長ナサニエル・ベーコン |
PoC Nathaniel Bacon |
1688-1690 |
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・ |
副総督フランシス・ニコルソン |
Lt Gov. Francis Nicholson |
1690-1692 |
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・ |
エドマンド・アンドロス卿 |
Sir Edmund Andros |
1692-1698 |
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・ |
ジョージ・ハミルトン伯爵 |
George Hamilton, Earl |
1698-1737、不在 |
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・ |
副総督フランシス・ニコルソン |
Lt Gov. Francis Nicholson |
(1698-1705 |
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・ |
オークニー総督 |
Governor of Orkney |
1698-1737、不在 |
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・ |
副総督エドワード・ノット大佐 |
Lt Gov. Col. Edward Nott |
1705-1706 |
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・ |
代 理エドマンド・ジェニングス |
Act Gov. Edmund Jenings |
1706-1710 |
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・ |
副総督ロバート・ハンター |
Lt Gov. General Robert Hunter |
1707、海上で捕虜、従事できず |
・ |
副総督アレクサンダー・スポッツウッド中佐 |
Lt Gov. Lt. Col. Alexander Spotswood |
1710-1722 |
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・ |
副総督ヒュー・ドライスデール大佐 |
Lt Gov. Col. Hugh Drysdale |
1722-1726 |
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・ |
議長ロバート・"キング"・カーター |
PoC Robert "King" Carter |
1726-1727/9 |
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・ |
副総督サー・ウィリアム・グーチ準男爵 |
Lt Gov. Sir William Gooch, Baronet |
1727-1740 |
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・ |
ウィレム・アン・ファン・ケッペル伯爵 |
Willem Anne van Keppel, Earl |
1737-1754年、不在 |
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・ |
代 理ジェームズ・ブレア |
Act Gov. James Blair |
1740-1741 |
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・ |
副総督サー・ウィリアム・グーチ準男爵 |
Lt Gov. Sir William Gooch, Baronet |
1741-1749 |
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・ |
代 理ジョン・ロビンソン・シニア |
Act Gov. John Robinson Sr. |
1749/8-数ヵ月後没 |
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代 理トマス・リー |
Act Gov. Thomas Lee |
1749-1750 |
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代 理ルイス・バーウェル |
Act Gov. Lewis Burwell |
1750-1751 |
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・ |
副総督ロバート・ディンウィディ |
Lt Gov. Robert Dinwiddie |
1751-1756 |
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ジョン・キャンベル伯爵 |
John Campbell, Earl |
1756-1759 |
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※ |
議 長:評議会議長(PoC:President of the
Council) |
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※ |
副総督:Lt Gov.(Lieutenant Governor) |
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※ |
代 理:Act Gov.(Acting Governor) |
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|
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2006/10/30、2013/6/6、令和7年 2025/10/23
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