United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る イギリスの大航海(Great Adventure Voyage)殖民大航海(IV-8
トーマス・ゲイツ卿
1610
ジェイムス・タウン再建
シーベンチャー号建造遭難 バージニア植民地総督
大航海物語
 イギリス編

BERMUDA
ゲイツ卿 & ソマーズ提督
1609 バーミューダ375年記念1984
バーミューダ 1984 発行

シー・ベンチャー号

バミューダ 1910 発行
シー・ヴェンチャー号の難破

バーミューダ 1984 発行
プリマスを出帆する船団

バーミューダ 1984 発行

航海地図
ジェームス・タウン    シー・ヴェンチャー号の航海地図    プリマス イギリスを出帆する船団
北アメリカ プリマス港
カリブ海 バ|ミ
ュ|ダ島
シー・ヴェンチャー号はバーミューダ島で遭難・沈没
1609 バーミューダ島375年記念 1984

バーミューダ 1984 発行

ゲイツ卿はヴァージニア会社に指名されて、新大陸のヴァージニア植民地ジェイムス・タウンへの移住者と共に植民地の建設のために新大陸へとイギリスを出帆しましたが、途中のカリブ海でハリケーンに襲われて、バーミューダ島へ漂着しました。そこに植民地を建設しながら、船を建造して出帆、ヴァージニアに到着しました。そして荒れ果てていたジェイムス・タウンを再建しました。
トーマス・ゲイツ卿
 Sir Thomas Gates (1585〜1621)
イングランド生れのゲイツ卿は王立ヴァージニア殖民会社から新大陸のヴァージニア植民地ジェイムス・タウンの建設指揮官(副総督1610、1611-1613)に指名され、1609年にジェイムス・タウンへ、ヴァージニア会社支援船隊(船隊司令官ソマーズ提督)の旗艦”シー・ヴェンチャー号(Sea Venture, 20Gns)”に乗船して、イングランドのプリマス港(#1@6)を出帆しました。支援船隊には新移住者と支援必需物資が満載されていましたが、大西洋を横断して、カリブ海に来ると折悪しく激しいハリケーンに襲われました。ヴァージニア会社のソマーズ提督は必死で嵐と戦いましたが、未知の島の珊瑚礁で”シー・ヴェンチャー号”は難破してしまいました。そこがバーミューダ島の東の珊瑚礁の岩礁だと分かり、生存者150人が上陸しました。

上陸後の10ヵ月間で苦労に苦労を重ねて入植地を建設しながら、ジェイムス・タウンへ行けるだけの頑丈な船を2隻建造しました。ゲイツ卿とソマーズ提督の派閥が形成され、どちらが指揮官かとの論争が始まりましたが、海上ではソマーズ提督の指揮のもと、ジェイムス・タウンに到着すると総督ゲイツ卿の指揮に服すこととなりました。
新造船
・デリヴェランス号(Deliverance)
・ペイシェント号(Patience)
の2隻が完成したので、1610年にジェイムス・タウンへと出帆しました。

彼らはイングランドへの報告のために2人をバーミューダ島に残しました。1612年にヴァージニア会社はバーミューダ島をその管理下に統合しました。その後、バーミューダ島は”ソマーズ島”(Somers Island)と公認されました。ゲイツ卿の名は”シー・ヴェンチャー号”が遭難した場所を”ゲイツ湾”(Gates Bay)として残されました。最初のバーミューダ砦は1612年と1615年に修復再建されて、”ゲイツ砦”(Fort Gates)と名づけられました。

ジェイムス・タウンに到着すると、500人居た移住者が、たったの60人となっていました。移住地はとても話にならない酷さだったので、ほとんどの人がイングランドへ戻ってしまっていました。ちょうどその直後に到着した支援船隊のお蔭で、移住地は再建へと一息つきました。ゲイツ卿の施作は秘書の作家で弁護士のストラチェイ(William Strachey 1572-1621)によって”シー・ヴェンチャー号の遭難”(Shipwreck of the Sea Venture)として記録、発表されました。※1585/6月にドレーク遠征艦隊ロアノーク島でジェイムス・タウンの移住者を帰国させていました。

参考:〜
シー・ベンチャー号の喪失
 (Lost of Sea Venture(SV号)1609/7/25)
1609/6/2にシー・ベンチャー号は7隻の艦隊(小船2隻を曳航)の旗艦として、乗組員と移住者500〜600人を乗せ米国てバージニア州(VA)ジェームズ・タウンへとプリマス(#1@6)を出帆。1609/7/24に艦隊は激しい嵐ハリケーンに遭遇し、各船は離散しました。SV号は3日間嵐に耐えましたが、同規模の船はこのような天候にも耐えるも、SV号は新造船であったため致命的な欠陥を抱えていました。船体材が固まっていなかったのです。船体材の間からコーキング材(のり?)が剥がれ落ち、船は急速に浸水し始め、
シー・ヴェンチャー号の難破

バーミューダ 1984 発行
排水作業にあたるも、船倉の水位は上昇し続けました。船の浮力を高めるために大砲を投棄(1612年に難破船から2門を回収)。嵐の中、サマーズ提督は全員が自ら舵を取りました。7/25朝、陸地を発見した時には船倉の水位は約2.7mまで上昇し、乗組員と乗客は疲労困憊してました。サマーズ提督は船の沈没を防ぐため、船をバミューダ諸島と思われる岩礁に乗り上げました。これで乗組員150人と犬1匹が上陸することができました。

シー・ベンチャー号の建造
 (Construction of Sea Venture, 進水1609)
船舶の不足に対処するため、英国サフォーク州オールドバラ(Aldeburgh, #1A17)で、イギリス初の移民専用船としてシー・ベンチャー号を建造。建造費1,500ポンド(x@10万円=1.5億円?)で、同時代の船とは主に船内構造が異なっていました。大砲は、当時一般的だった船底ではなく、主甲板に設置されました。そのため、船は二重木造船を必要とせず、イギリスで建造された最初の単木構造の武装商船でした。船倉は覆われ、乗客のために家具が備え付けられて乗客用の設備が整っていました。船は1609年に進水し、ジェーム・ズタウンへの航海が処女航海でした。

シー・ベンチャー号の装備:〜(Sea Venture, 1609) シー・ベンチャー号
・帆船型 ガレオン船
・マスト 3本
・排水量 300トン
・後組員 150人
・進 水 オールドバラ、1609年
・最 後 バミューダ諸島、難破、1609/7/25
・武 装 8門 × 9ポンド (4.1 kg) デミ・カルバリン砲(9-pounder Demi-Culverin)
8門 × 5ポンド (2.3 kg) セーカー砲(5-pounder Saker)
4門 × 3ポンド (1.4 kg) ファルコン砲(3-pounder Falcon)
4門 ×火縄銃(Arquebuse)

英国バージニア植民地の総督列伝>(1585-1759)
イギリスがバージニアを植民地化しようとした最初の試みは、ロアノークの「失われた植民地」でした。
ウォルター・ローリー卿 Sir Walter Raleigh(Virginia) 1585-1590 バージニア総督
ラルフ・レーン卿 Sir Ralph Lane(Roanoke) 1585-1586 ロアノーク(バージニア)
ジョン・ホワイト John White(Raleigh) 1587-1590 ローリー(バージニア)
バージニア・カンパニー・オブ・ロンドン・ガバナーズ(1607-1624)評議会議長
エドワード・M・ウィングフィールド Edward Maria Wingfield 1607
ジョン・ラトクリフ John Ratcliffe 1608
代 理マシュー・スクリブナー Act Gov Matthew Scrivener 1608
ジョン・スミス John Smith 1608-1609
ジョージ・パーシー George Percy 1609-1610
トマス・ウェスト男爵 Thomas West, Bron 1609- 1618
副総督トーマス・ゲイツ卿 Deputy Gov Sir Thomas Gates 1610/5-6月
副総督ジョージ・パーシー Deputy Gov George Percy 1611/3-5月
代 理トーマス・デール卿 Act Gov Sir Thomas Dale 1611/5-8月
代 理トーマス・ゲイツ卿 Act Gov Sir Thomas Gates 1611-1613
代 理トーマス・デール卿 Act Gov Sir Thomas Dale 1613-1616
副総督ジョージ・イヤードリー卿 Lt Gov Sir George Yeardley 1616-1617
副総督サミュエル・アーガル卿 Lt Gov Sir Samuel Argall 1617-1619
代 理ナサニエル・パウエル大尉 Act Gov Captain Nathaniel Powell 1619/4
ジョージ・イヤードリー卿 Sir George Yeardley 1619-1621
フランシス・ワイアット卿 Sir Francis Wyatt 1621-1624
クラウン・ガバナー (Crown Governors, 1624-1652)
フランシス・ワイアット卿 Sir Francis Wyatt 1624-1626
ジョージ・イヤードリー卿 Sir George Yeardley 1626-1627
代 理フランシス・ウェスト Acting Gov Francis West 1627-1629
ジョン・ハーヴェイ卿 Sir John Harvey 1628-1639
代 理ジョン・ポット Acting Gov John Pott 1629-1630
代 理ジョン・ウェスト Acting Gov John West 1635-1636
代 理ジョージ・リード大佐 Acting Gov Col. George Reade 1638-1639
フランシス・ワイアット卿 Sir Francis Wyatt 1639-1642
ウィリアム・バークレー卿 Sir William Berkeley 1642-1652
代 理 リチャード・ケンプ卿 Acting Gov Sir Richard Kemp 1644-1645
連邦と保護領の知事(Commonwealth and Protectorate Governors, 1652-1660)
リチャード・ベネット Richard Bennett 1652-1655
エドワード・ディグス Edward Digges 1655-1656
サミュエル・マシューズ中佐 Lt. Col. Samuel Mathews 1656-1660没
王室総督(Crown Governors, 1660-1775)
ウィリアム・バークレー卿 Sir William Berkeley 1660-1677
副総督フランシス・モリソン Lt Gov. Francis Moryson 1661-1662
ハーバート・ジェフリーズ大佐 Col. Herbert Jeffreys 1677-1678
トマス・コールペパー男爵 Thomas Colepeper, Baron 1677-1683
副総督サー・ヘンリー・チチェリー Lt Gov. Sir Henry Chicheley 1678-1680
代 理ニコラス・スペンサー大佐 Act Gov. Col. Nicholas Spencer 1683/9-1684/4
フランシス・ハワード男爵 Francis Howard, Baron 1684-1692, 不在
ジョセフ・ブリッジャー将軍 Gen. Joseph Bridger 1684
議 長ナサニエル・ベーコン PoC Nathaniel Bacon 1688-1690
副総督フランシス・ニコルソン Lt Gov. Francis Nicholson 1690-1692
エドマンド・アンドロス卿 Sir Edmund Andros 1692-1698
ジョージ・ハミルトン伯爵 George Hamilton, Earl 1698-1737、不在
副総督フランシス・ニコルソン Lt Gov. Francis Nicholson (1698-1705
オークニー総督 Governor of Orkney 1698-1737、不在
副総督エドワード・ノット大佐 Lt Gov. Col. Edward Nott 1705-1706
代 理エドマンド・ジェニングス Act Gov. Edmund Jenings 1706-1710
副総督ロバート・ハンター Lt Gov. General Robert Hunter 1707、海上で捕虜、従事できず
副総督アレクサンダー・スポッツウッド中佐 Lt Gov. Lt. Col. Alexander Spotswood 1710-1722
副総督ヒュー・ドライスデール大佐 Lt Gov. Col. Hugh Drysdale 1722-1726
議長ロバート・"キング"・カーター PoC Robert "King" Carter 1726-1727/9
副総督サー・ウィリアム・グーチ準男爵 Lt Gov. Sir William Gooch, Baronet 1727-1740
ウィレム・アン・ファン・ケッペル伯爵 Willem Anne van Keppel, Earl 1737-1754年、不在
代 理ジェームズ・ブレア Act Gov. James Blair 1740-1741
副総督サー・ウィリアム・グーチ準男爵 Lt Gov. Sir William Gooch, Baronet 1741-1749
代 理ジョン・ロビンソン・シニア Act Gov. John Robinson Sr. 1749/8-数ヵ月後没
代 理トマス・リー Act Gov. Thomas Lee 1749-1750
代 理ルイス・バーウェル Act Gov. Lewis Burwell 1750-1751
副総督ロバート・ディンウィディ Lt Gov. Robert Dinwiddie 1751-1756
ジョン・キャンベル伯爵 John Campbell, Earl 1756-1759

議 長:評議会議長(PoC:President of the Council)
副総督:Lt Gov.(Lieutenant Governor)
代 理:Act Gov.(Acting Governor)


・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2006/10/30、2013/6/6、令和7年 2025/10/23
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Spice
無断転載禁止