United Kingdom ![]() 国連 1983 発行 |
切手で綴る イギリスの大航海(Great Exploration Voyage)探検大航海(V-21) サミュエル・ホィットミー牧師 1863 サモアでキリスト教を布教 |
大航海物語 イギリス編★ |
ホィットミー牧師 ![]() |
ジョン・ウィリアムス3世号 Jhon Willams III,1870 ![]() |
| 1870 ロンドンミッショナリー100年記念 1970 ギルバート・エリス諸島 発行 |
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ギルバート・エリス諸島南部の地図
ギルバート・エリス諸島 1970 発行 |
FIJI 太平洋と世界地図 ![]() フィジー 1977/4/12 発行 |
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| 上の地図:現キリバス(Republic of Kiribati)のベル島(BERU)、オノトア島(ONOTOA)、 タマナ島(TAMANA)、アロラエ島(ARORAE)、当時は英領ギルバート・エリス諸島 |
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イングランド生れのホィットミー牧師はロンドン宣教師協会から太平洋のど真ん中のサモア方面へ派遣されて、長期に渡ってキリスト教の布教に従事し、聖書や物語などの現地語翻訳に尽くしました。サモア方面で初めて布教して現地で犠牲となったウィリアムズ牧師の終焉の地などへも布教をなし、サモアに住んでいたスチーブンソンの現地語教師ともなりました。 |
| サミュエル・ジェームス・ホィットミー牧師 Rev. Samuel James Whitmee LMS (1838/5/26〜1925) 生地:イングランドのベドフォード州スタグスデン生(Stagsden, #1A13) 没地:ロンドンのバーネット特別区(London Borough of Barnet, #1H96)87才没 LMS:ロンドン宣教師協会(London Missionary Society 1795-1966)はバプテスト教会派で、 1966年に”Colonial Missionary Society”と合併、”Commonwealth Missionary Society”となる。 バプテスト教会派はイギリスのキリスト教プロテスタントの一教派で米国に伝わり、 個人の良心の自由を大事にしているので他教派と違い選択の幅がある宗派。 Rev:師(レヴェレンド:Reverend) 1838/5/26にホィットミー牧師はイングランドのバッキンガム州(#1B19)近くスタグスデン村で生れ、ドーセット州プール(Poole, #1@5)とウェスト・ヨークシャー州リード(Leeds, #1D37)で学び、1863/2/5にリードのパラデ教会(Parade Church)で牧師の叙階を受けました。サモア(Samoa)への派遣を指名され、1863/2/11に24才で従兄妹のメアリー(Mary Jane 1838/12/16生24才〜1864没)と結婚しました。 1863/3/16にイギリスを出帆。1863/11/29にサモアに到着、アメリカ領サモアのトゥトゥイラ島(Tutuila)南西部レオネ村(Leone)への派遣を指名され、1863/12/16にレオネ村に着きました。1864/7/16にメアリー夫人(26才)はそこで亡くなりました。1864/10月にサモア諸島ウポル島(Upolu)レウルモエガ村(Leulumoega)に移り、アナ地域(Aana)で布教しました。1865年に牧師ミルズ師(Rev. J.M.Mills)未亡人マーサ(Martha Crosbie Mills 旧姓:Turner〜1880没)と再婚しました。キリスト教文学のサモア語翻訳に尽力しました。1879年にトケラウ(Tokelau)とギルバートエリス諸島(Ellice and Gilbert Islands)を訪問し、かつて現地人に殺害されて食われて犠牲になり殉教者となったウィリアム牧師(John Williams)の居たウポル島アピア(Apia)を1879/9/20に出帆しました。 その後にオーストラリアのシドニー(Sydney)へ行き、1879/12/20に到着。1871/3/18にシドニーからサモアへ戻りました。1876/7/31にイギリスへ向けて出帆、1877/6/7にファーロ−号(furlough)でイングランド着。1878/2/25にミッショナリーと再契約。1879年にアイルランドのダブリンの聖ヨーク教会(York St. Ch., Dublin)でパストー(Pastor:教職者)になりました。1880/2/16にダブリンで婦人が亡くなりました。ブリストルのオーレイ教会(Arley Chapel, Bristol, #1@2)でもパストーになりました。 1891年にサモア派遣を要請され、サモア諸島のウポル島アピア行きが決定。1891/11/21出帆。1891/12/26にアピア島到着。1893/11/28にアピアを、サモア代表団(Samoan Dist. Com)としてギルバート諸島へと出帆。1894/1/10にシドニー着。1894/1/22にシドニー出帆、イギリスへ戻る途中でニュージーランドとサモアを訪問。1894/5/12に55才でイギリスに到着、帰国。ロンドンのバーネットに引退しました。 帰国後、多くの標本を大英博物館(British Museum)とキューガーデン(Kew Gardens)に寄贈。ポリネシアに関する本「ポリネシアでの19年間」(Nineteen years in Polynesia 1861)を出版。またウポル島ではロバート・ルイス・スティーヴンソン(Robert Louis Stevenson)の良きサモア語の教師でもありました。 ・参考HP〜 ・イングランドのベドフォード州の場所地図 ・米領サモア諸島の地図 ・サモア諸島の場所地図 ・ツツイラ島の地図 ・上記々述はこちらの文献などを参照させてもらいました。 12/2/10、令和7年 2025/12/24 |