France

国連 1980 発行
切手で綴る オセアニア諸国(Oceanian Countries)太平洋の島国
フランス領ポリネシア
French overseas collectivity in the southern Pacific Ocean


大航海物語
  地図編

POLYNESE FRANCAISE
フランス領ポリネシアの広域地図

ニューカレドニア 2005/6/13 発行
RF POSTAGE AERIENNE
航海日誌 ラパ島の地図

1791年ラパ島を発見
フランス領ポリネシア 1987/6/15 発行

ァンク|ヴ
ァ|船長





ワシントン諸島




ポリネジアン



Polynesie Francaise
北部マルケサス諸島のワシントン諸島

ポリネシア 2006 発行
ホ|プ号



1791 イングラハム船長のワシントン諸島(Washington、Ua Huka)発見215年記念 2006

フランス領ポリネシア
 Polynesie francaise (French Polynesia)

総面積は4,167ku(石川県とほぼ同じ)で太平洋上の2,500,000kuの範囲にある。総人口:245405人(2002):ポリネシア人83%、ヨーロッパ人12%、東アジア人5%。全人口の69%がタヒチ島。首都:タヒチ島パペーテ都市圏(人口:127635人)、1番切手:フランス切手に”ETABSSEMENIS DEL'OCEANIA”と下段に記載で1892(-1907)年発行。フランス領ポリネシアは南太平洋にあるフランスの海外共同体(overseas collectivity、海外準県)で、フランス領ポリネシアに含まれる島はソシエテ諸島マルケサス諸島トゥアモツ諸島トゥブアイ諸島ガンビエ諸島クリッパートン島など。ソシエテ諸島のタヒチ島は、リゾート地として最も有名な島で、フランス領ポリネシアの中心地。タヒチの面積は1608Kuの火山島でオロへナ山(2237m)が最高峰、人口も最大。コプラ、砂糖、真珠母貝、バニラ、果汁、などを産出。

・仏領ポリネシア略年表:〜:
1521、トゥアモツ諸島のディサポントメント諸島・プカプカ環礁のマゼラン発見説が有
1595、スペイン人のメンダーニャがマルケサス諸島の4島発見
1606、ポルトガルのキロスがスペイン船でトゥアモトゥ諸島のハオ島に到達
1616、オランダのルマールが西回りスパイス諸島航路探検航海の途上にホーン号で寄航
1616、トゥアモトゥ諸島ランギロア環礁をオランダのスハウテンが発見
1642、トゥアモトゥ諸島アクタエオン諸島マリア島をタスマンがバタヴィア総督の妻の名に因んで命名
1705、ダンピール私掠船団のクリッパートン船長がクリッパートン島を発見
1722、トゥアモトゥ諸島パリサー諸島アルトゥア環礁をオランダのロッヘフェーンが発見
1722、ソシエテ諸島ボラボラ島をオランダのロッヘフェーンが発見
1765、イギリスのバイロン艦長がテポト(北)環礁を発見
1767、スワロー号のカートレット艦がアヌアヌラロ環礁発見
1767、ドルフィン号(フルノー副官)がジョージ王諸島発見
1769、イギリスのサミュエル・ウォリスタヒチ島発見
1769、クック船長が「金星の太陽面通過調査」をタヒチ島で実施
1774、キャプテン・クックが望見・発見し、ニューカレドニア(New Caledonia)と命名
1778、ラ・ペルーズが南太平洋(オセアニア)方面の探検航海中に調査
1786、フランスのブーゲンビルが寄航
1788、ブライ艦長が来島、その後バウンティ号で反乱を起こされる
1788、タヒチ島はポマレ王朝によって支配
1789、バウンティ号の反乱者クリスチャン副長他7人が原住民を連れてタヒチ島を脱出
1791、ラパ島をヴァンクーバーが発見、オパロ島(Oparo)と命名
1791、米のイングラハム船長がマルケサス諸島のワシントン諸島を発見
1793、デュントレカストウ提督ラ・ペルーズ捜索の途上ニューカレドニア島で亡くなる
1801、 イギリスのジョージ・バスが食糧買い付けにソシエテ諸島に寄港
1804、 ロシア最初の世界1周航海でクルーゼンシュテルン提督が寄港
1816、ロシアのコツェブー船長がトゥアモツ諸島ティケイ環礁に来島
1817、イギリスのジョン・ウィリアムズ牧師がライアテア島へ伝道に来島
1820、トゥアモツ諸島マタイヴァ環礁をベリングスハウゼンが南氷洋への探検の途上に発見
1823、フランスのデュペリー船長がトゥアモツ諸島のレアオ環礁に来島
1839、アメリカのウィルクス探検艦隊が来島
1826、デュルヴィル提督が世界1周航海の途上、ロイヤルティ諸島を探検調査
1841、ロバート・モーガン船長の”ル・カムデン号”が最初の”白檀”貿易船として出帆
    白檀貿易の衰退後、奴隷貿易(ブラックバーディング)が横行
1842、女王ポマレ4世がフランスの圧力に屈しタヒチ島とモーレア島を
    フランスの保護領となる条約に署名
1849、カッター号の船員がポウマ族 (Pouma) に殺される食人事件発生
1853、ニューカレドニア島がフランス領
1864、ニューカレドニア島がフランスの流刑植民地となり、22,000人を送り込んで1922年に終了
1880、フランスの本格的なタヒチ島への植民が行われた。
1892、1番切手発行
1945、8/15:大日本帝国・無条件降伏(9/2:第2次世界大戦終結
1947/8/7、ノールウェイのヘイエルダールが帆走筏「コンチキ号」でカヤオ港からラロイア環礁に到達
1949、フランス海外領土に昇格し、
1957、大幅な自治権を獲得して、フランス領ポリネシアとなった
    ムルロア環礁などでは、フランスによる核実験が1996年まで行われていた。
20世紀後半には独立闘争で島が揺れ、1998年のヌーメア協定で将来に関する合意がなされる
2014年以降に行われる国民投票によってフランスにとどまるか独立国になるかを決定する
フランスによる核実験がもたらした放射性物質による汚染がいまだ深刻であると言われている。

フランス領ポリネシアに含まれる島々:〜
ソシエテ諸島(Society Islands)〜ウィンドワード諸島とリーワード諸島が有。ソシエテ諸島は1843年フランスの保護国、1880年植民地。面積:1,590ku、人口:227,807人(2007)。最大都市:タヒチ島パペーテ。1769年にクック船長がロンドン王立協会(The Royal Society of London)にちなんで名付ける
・ウィンドワード諸島:〜南東部にある
 ・マイアオ島(Maiao island )〜8.8ku
 ・タヒチ島
   1842/9/9フランスのソーラス(Abel Aubert Dupetit Thouars 1793-1864)艦隊が来島
 ・マヘティア島(Mehetia island、2.3ku)
   1772/11/6スペインのボネチェアがDomingo de Bonechea 1713-1775)"San Cristobal"と呼ぶ
   1767サミュエル・ウォリス船長が望見
 ・モーレア島(Moorea island、134ku)〜1835年ダーウィンが来島
 ・テティアロア環礁(Tetiaroa atoll)
   1788/10から1789/4迄バウンティ号が隣のタヒチ島に滞在して、乗組員が来島
   米映画俳優マーロン・ブランドが居住した島
・リーワード諸島:〜北西部にある
 ・フアヒネ諸島(Huahine island)〜74.8ku
 ・ライアテア島(Raiatea island)〜167.7ku、1817年にジョン・ウィリアムズ牧師が伝道に来島
 ・タハア島(Tahaa island)〜別名ヴァニラ島"Vanilla Island"、仏領ポリネシアの70-80%を生産
 ・ボラボラ島(Bora Bora island)
   1722オランダのロッヘフェーン船長が発見、1769クック船長望見、1777上陸、1842ソーラスが来島
 ・マウピティ環礁島(Maupiti atoll)〜1722年にロッヘフェーン来島
 ・トゥパイ環礁島(Tupai atoll)〜11ku
  (Maupihaa, Mopelia atoll、2.6ku)〜 1767年ウォリスが(Fenua Ura)と(Motu One)を回って来島
 ・モツオネ環礁島(Motu One atoll)〜1824年コツェブー来島、ベリングスハウゼン島と命名
参考HP:〜ソシエテ諸島

マルケサス諸島(Marquesas Islands マルキーズ諸島)、14の火山島で、1595/7/21メンダーニャが来航し、1774年にクックがタフアタ島に、1813年に米のポーター船長(David Porter 1780-1843がヌクヒヴァ島に、その他が来航、1842年にフランス領。それ以降、ヨーロッパ人の捕鯨の漁夫による暴力や、彼らが持ち込んだ病気などにより人口が激減。
・北部マルケサス諸島
 ・エイアオ島(Eiao island 、43.8 ku、8s:140.7w)〜1791年に米のイングラハム船長が発見
 ・ハツツ島(Hatutu island、7.92s:140.57w)〜6.4ku
 ・モツイチ島(Motu Iti、8.40.48s:140.37w)〜海鳥が生息
 ・モツオア島(Motu Oa)〜 Ua Puの南東1kmにある小島
 ・モツ・オネ島島(Motu One、7.85s:140.38w)〜1813年米のポーター船長が来島
 ・ヌクヒバ島(Nuku Hiva、8.52s:140.06w)〜
   1813年米のポーター船長が来島、ハーマン・メルヴィルの小説「タイピー」の舞台になった島
 ・ウアフカ島(Ua Huka、8.54s:139.33w)〜1791年米のイングラハム船長が発見、ワシントン諸島と命名
 ・ウアプ島(Ua Pu、9.25s:140.05w)〜1595/7/21メンダーニャが望見
・南部マルケサス諸島
 ・フツヒヴァ島(Fatu Hiva、8.52s:140.06w)〜85ku、スペイン人がマゼラン島(Magdalene Island)呼ぶ
 ・フツフク島(Fatu Huku、9.25.48s:138.55.48w)〜small island、361mの台地あり
 ・ヒバオア島(Hiva Oa、9.45s:139.00w)〜ゴーギャンが亡くなった島
 ・モホタニ島(Moho Tani、10.00s:138.50w)〜15ku
 ・モツナオ島(Motu Nao、10.22.12s:138.24.00w)〜最高点4mで高い波に洗われる
 ・タフアタ島(Tahuata、 9.56s:139.06w)〜1595メンダーニャ、1774クック、1842ソーラスが来島
 ・テリヒ島(Terihi)〜モホタニ島から1kmにある無人の小島、岩だらけ
・海山
 ・クラーク・バンク(Clark Bank)
 ・ヒナクラ・バンク(Hinakura Bank)
 ・ローソン・バンク(Lawson Bank)
・参考HP:〜マルケサス諸島

トゥアモツ諸島(Tuamotu Archipelago)、北西から南東方向へ
 ・マタイヴァ環礁〜1820/7にロシアのベリングスハウゼンが発見、空港有
 ・ティケハウ環礁
   1804にロシア最初の世界1周航海でクルーゼンシュテルン提督が来島
   1816/4/25ロシアのコツェブー再発見、
   1987ジャック=イヴ・クストーが来島
 ・マカテア島
   1722オランダのがロッヘフェーン発見、1908年から1966年までリン鉱産出、
   マカテア島とナウル島キリバスのバナバ島(オーシャン島)とが太平洋の三大リン鉱生産地だった
 ・ランギロア環礁
   陸地面積79平方kmを含む総面積:1763kuで、琵琶湖の面積の2.6倍
   世界で二番目に大きな環礁、第1位:マーシャル諸島クェゼリン環礁
   1616オランダのスハウテンルマールの一行が発見
 ・キング・ジョージ諸島(King George Islands)、1767ドルフィン号が発見・名付ける
 ・アヘ環礁(Ahe)〜1616スハウテンルマール、1841/1/6ウィルクス"Peacock Island"と呼ぶ
 ・マニヒ環礁(Manihi, or Paeua)〜1616スハウテンルマール、1765バイロン、黒真珠の産地
 ・タカロア環礁(Takaroa)〜1616スハウテンルマール"Sondergrond Island"、黒真珠の産地
 ・タカポト環礁(Takapoto)〜1616ルマール、1839ウィルクス来島
 ・ティケイ環礁(Tikei island)
   1722にロッヘフェーン"Carlshoff"呼ぶ
   1816ロシアのコツェブー(Otto von Kotzebue 1787-1846)"Romanzov"呼ぶ
 ・ラロイア環礁〜1947/8/7にヘイエルダールのコンチキ号が座礁

・参考HP:〜キング・ジョージ諸島

 ・パリサー諸島(Palliser Islands)
  ・アルトゥア環礁(Arutua atoll)
   1722ロッヘフェーン、その後イースター島を望見
   1826ビーチェイ(Frederick Beechey 1796-1856)"Cockburn Island"と呼ぶ
  ・カウクラ環礁(Kaukura atoll)〜1722ロッヘフェーン来島
  ・アパタキ環礁(Apataki atoll)〜1722ロッヘフェーンと1774クック船長が望見
  ・アラキタ環礁(Aratika atoll)〜"Carlshoff Island"と呼ばれ、 1839/9/3ウィルクス来島
  ・ファカラヴァ環礁(Fakarava atoll)〜1820/7/7ベリングスハウゼン"Wittgenstein"と呼ぶ
  ・ヴァマタイ(Mataiva atoll)〜1820/7/30ベリングスハウゼン"Lazarev"と呼ぶ
  ・ティケハウ(Tikehau atoll)〜1815コツェブー(Krusenstern Island)、1839/9/9ウィルクス来島
  ・トアウ環礁(Toau atoll)〜1774/4にクック船長"Elizabeth"と呼ぶ
  ・マケタエ珊瑚礁島(Makatea coral island)〜1722にロッヘフェーン"Aurora"と呼ぶ
・参考HP:〜パリサー諸島

 ・ラエフスキー諸島(Raeffsky Islands)
  ・アナア環礁(Anaa atoll)
   1769クック船長”Chain Island”と呼ぶ
   1772/11/1スペインのボネチェアが"Isla de Todos los Santos"と呼ぶ
  ・ファアイテ環礁(Faaite atoll)
   1802ターンブル(John Turnbull)来島
   1820ベリングスハウゼン”Miloradovich”と呼ぶ
  ・カティウ環礁(Katiu atoll)〜1820ベリングスハウゼン"Saken"と呼ぶ
  ・マケモ環礁(Makemo atoll)
   1803/3/10英商人バイヤーズ(John Buyers Margaret brig)が”Phillips Island”と呼ぶ
  ・マルテア(北)環礁(Marutea atoll)〜1773年クック船長”Furneaux Island”と呼ぶ
  ・モトゥトゥンガ環礁(Motutunga Atoll)
   1773クック船長”Adventure”と呼ぶ、1774ボネチェア望見”San Blas”と呼ぶ
  ・ララカ環礁(Raraka atoll)
   1831アイルランドの船長(Captain Ireland)が記録、1839ウィルクス来島
  ・ラロイア環礁(Raroia atoll)
   1605キロス、1820ベリングスハウゼン”Barclay de Tolly”と呼ぶ、
   1947コンチキ号(Kon-Tiki)が101日かかって南米から到着
  ・タハネア環礁(Tahanea Atoll)
   1774ボネチェア"San Julian"と呼ぶ、1820ベリングスハウゼン"Chichagov"と呼ぶ
  ・タクメ環礁(Takume atoll)〜1820ベリングスハウゼン"Volonsky"と呼ぶ
  ・テポト(南)環礁(Tepoto Atoll、South)〜1768ブーゲンビル、1820ベリングスハウゼン来島
  ・ハライキ環礁(Haraiki atoll)〜1772/10/31ボネチェア”San Quintin”と呼ぶ
  ・トゥアナケ環礁(Tuanake atoll )〜1820ベリングスハウゼン来島
  ・ヒティ環礁(Hiti atoll)〜1820ベリングスハウゼン来島
  ・タエンガ環礁(Taenga atoll)
   1803/3/10英商人バイヤーズ "Holts Island"と呼ぶ、1820ベリングスハウゼン"Yermolov"と呼ぶ
  ・ニヒル環礁(Nihiru atoll)〜1820ベリングスハウゼン"Nigeri"と呼ぶ
・参考HP:〜ラエフスキー諸島

 ・ディサポントメント諸島〜テポト54、ナプカ254、プカプカ197の環礁等があって、マゼラン命名説有
  ・テポト(北)(Tepoto North)環礁〜1765バイロンが発見
  ・ナプカ環礁(Napuka)〜1765バイロン、1839ウィルクス"Wytoohee"と呼ぶ
  ・プカプカ環礁(Puka-Puka)〜1521マゼラン来島、
                   1616/4/10スハウテンルマール"Honden Island"(Dog Island)と呼ぶ
・参考HP:〜ディスアポイントメント諸島

 ・グロスター公爵諸島(Duke of Gloucester Islands)
  ・アヌアヌラロ環礁(Anuanuraro atoll )〜1767スワロー号カートレット艦長が発見
  ・アヌアヌルンガ環礁(Anuanurunga atoll)〜1767ートレット艦長が発見"Four Crowns"と呼ぶ
  ・ヘレヘレトゥエ環礁(Hereheretue atoll)
  ・ヌクティピピ環礁(Nukutepipi atoll)
    1767/6/12カートレット艦長発見"the southernmost island"呼ぶ
    1803/3/6ターンブル(John Turnbull)マーガレット号(Margaret brig)"Margaret island"呼ぶ
    1841/1/6ウィルクス探検艦隊のリゴールド(Ringgold)が"Nukutipipi"と命名
・参考HP:〜グロスター公爵諸島

 ・アクタエオン諸島(Fenau)
  ・テナラロ環礁(Tenararo)
  ・ヴァハンガ環礁(Vahanga)
  ・テナルンガ環礁(Tenarunga)
  ・マトゥレイヴァヴァオ環礁(Matureivavao)〜1605/2/5キロスが発見
 ・参考HP:〜アクタエオン諸島(Fenau)
  ・マルテア(南)環礁
  ・マリア島(東)
    タスマニア島オーストラリア)東沖 4kmに有、1642タスマンが発見し
    オランダ東インド会社バタヴィア総督ヴァン・ディーメンの
    妻マリア(Maria van Diemen (nee van Aelst)にちなんで命名
    アボリジニによる元々の名前は”Toarra-Marra-Monah”
 ・参考HP:〜アクタエオン諸島(Fenau)

中央地域(central area)
 ・アマヌ環礁(Amanu atoll)〜1606/2/12キロス、1820ベリングスハウゼン"Moller"と呼ぶ
 ・ハオ環礁(Hao atoll)〜1768年ブーゲンビル”Harp Island”、1820ベリングスハウゼン
 ・ヒクエル環礁(Hikueru atolls)〜1768ブーゲンビル、1774ボネチェア望見"San Juan"と呼ぶ
  (Makatea island)〜1722年にロッヘフェーンが来島
 ・マロカウ環礁(Marokau atoll)〜1768ブーゲンビル
 ・プカルア環礁(Pukarua atoll)〜1797ウィルソン船長(James Wilson)占領"Searle Island"と呼ぶ
 ・レイトル環礁(Reitoru atoll)〜1768ブーゲンビル、1769クック船長"Bird Island"と呼ぶ
 ・ヴァヒタヒ環礁(Vahitahi)〜1768ブーゲンビル”Les Quatre Facardins”、1769クック”Lagoon Island”呼ぶ
 ・ヌクタヴァケ環礁(Nukutavake Island)
     1767サミュエル・ウォリスQueen Charlotte Island”ココヤシ繁茂
    1826ビーチェイ船長(Frederick Beechey 1796-1856)無人島の荒地
北部地域(north-eastern area)
 ・ファンガタウ環礁(Fangatau)〜1820/7/10ベリングスハウゼン"Arakcheev”と呼ぶ
 ・ファカヒナ環礁(Fakahina)〜1824コツェブー来島
 ・タカコト環礁(Tatakoto)〜1774/10/29ボネチェア"San Narciso"と呼ぶ
 ・レアオ環礁(Reao)
    1823フランスのデュペリー(Louis Isidore Duperrey 1786-1865)
    "Clermont Tonnerre"と呼ぶ、1839/8/13ウィルクス"Minerva"と呼ぶ
南東地域(south-eastern area)
 ・テマタンギ環礁(Tematangi)
    1792/4/5ブライ艦長がプロビデンス号(Providence)で寄航・無人島
    1826年ビーチェイ船長が住民を望見
    1857年ジュリア号(schooner、Julia)船長が海岸に武装原住民を望見
 ・ヴァナヴァナ環礁(Vanavana)〜1826年ビーチェイ船長が"Barrow Island"と呼ぶ
 ・トゥレイア環礁(Tureia)〜1791年エドワーズ艦長バウンティ号反乱者捜索上陸"Carysfort"と呼ぶ。

 ・ファンガタウファ環礁
  ・ファンガタウファ環礁(Fangataufa)
    1826ビーチェイ船長、フランスの核実験場、1966年から1996年までフランスの核実験場
  ・ムルロア環礁(Moruroa)
    1767カートレット艦長が発見して、
    オスナバー島"Bishop of Osnaburgh Island"と命名、数日後にピトケーン島を発見
    フランスの核実験場で、1966年から1996年までに193回の核実験が行われた。
その他(Other atoll)
 ・ニアウ環礁
 ・カウエヒ環礁
 ・タイアロ環礁
 ・レカレカ環礁(テフアタ環礁)
 ・テココタ環礁
 ・タウエレ環礁
 ・ラヴァヘレ環礁
 ・ネンゴネンゴ環礁
 ・マヌハンギ環礁
 ・アキアキ環礁
 ・パラオア環礁
 ・アフヌイ環礁
 ・ヴァイラアテア環礁
 ・ピナキ環礁
・参考HP:〜トゥアモツ諸島

ガンビエ諸島(Gambier Islands)〜フランスの核実験場
  ・モラネ環礁(Morane)〜1832米の捕鯨船キャリー船長(Nathaniel Cary)が"Barstow's Island"と呼ぶ
  ・マンガレヴァ環礁(Mangareva Atoll):〜
   ・マンガレヴァ島(Mangareva Island)
     1686海賊デイヴィス(Edward Davis)の来島有
     1797にウィルソン船長(James Wilson、Duff号)が
     ガンビール提督(James Gambier)に因んで「ガンビエ島」と命名
   ・タラヴァイ島(Taravai Island)
   ・アガカウイタイ島(Agakauitai)
   ・アウケナ島(Aukena)
   ・アカマル島(Akamaru)
   ・カマカ島(Kamaka)
    ・参考HP:〜マンガレヴァ環礁
  ・テモエ島(Temoe atoll)
    1686海賊デイヴィス(Edward Davis)の来島有
    1797ウィルソン船長(James Wilson、Duff号)が"Crescent Island"と呼ぶ。
・参考HP:〜ガンビエ諸島(Gambier)

トゥブアイ諸島(Tubuai(仏:オーストラル諸島:Austral)Islands)〜1881年フランス領
   ・参考HP:〜トゥブアイ諸島
 ・マリア島(Maria)〜1824捕鯨船マリア号(whaler Maria)が命名
 ・ルルツ島(Rurutu)〜7−9月はザトウクジラのフォエール・ウオッチング有
 ・リマタラ島(Rimatara)〜1811ヘンリー船長(Samuel Pinder Henry)が発見
 ・トゥブアイ島(Tubuai)〜1881にフランス領
 ・ライババエ島(Raivavae)〜1880にフランス領
 ・ラパ島(Rapa Iti)〜1791ヴァンクーヴァー船長が発見
   ・参考HP:〜ラパ島
 ・マロチリ岩礁(Marotiri)
   ・参考HP:〜マロチリ岩礁&バス岩礁

クリッパートン島(Ile de la Passion、Clipperton Island)〜
クリッパートン島は、太平洋のメキシコ沖に浮かぶフランス属領の絶海の孤島で無人島。
最初の上陸記録は1521年、1705年に海賊ジョン・クリッパートン(John Clipperton ?-1722)が上陸して現在の名前になった。1836年にスペイン海軍が同島を発見したが、特に実効支配を行わなかったため、1858年にフランスがハワイ政府に対し領有を宣言したことによりフランス領。

こちらで
ニューカレドニア島
をお楽しみください。

参考HP:〜
ニューカレドニア島の地図
仏領ポリネシア諸島の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。    08/11/1
スタンプ・メイツ
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