★スペイン
ルイス・ド・トーレス
1492
コロンブスの第1回航海、タバコを発見

大航海物語★
タバコ葉の束 SIERA LEONE
原住民、タバコ、トーレス

Luis de Torres 1453−1522
コロンブスの新大陸発見 500年 記念
シェラレオーネ 1992 発行 (200%)
ト|レス
Jamaica
コロンブスの第1回航海地図

往路の航海地図
ジャマイカ 1992 発行
TURKYIE
タバコの葉

トルコ 1965 発行

サンタ・マリア号

キューバ 1982/10/1 発行
サンタ・マリア号を解体して砦を築く

バハマ 1992 発行

ルイス・ド・トーレスはキリスト教に転向したユダヤ人で、ヘブライ語などの「12の言語」を話せたので、コロンブスの1492年の第1回航海に雇われて通訳として同行し、新世界に渡った最初のユダヤ人となりました。

ルイス・ド・トーレス (1453〜1493)
 Luis de Torres

ルイス・ド・トーレスはユダヤ人レヴィイ(Levy Haivri)の息子としてスペインのアンダルシアに住んでいました。トーレスはヘブライ語、スペイン語、アラム語(Aramaic)、アラビヤ語などの「12の言語」を話せて、スペインのマルシア県(Murcia)役所で通訳をしていました。「ユダヤ人排除勅令」(Alhambra Decree)が1492/3/31に発布されると、ユダヤ教からカトリックに改宗(コンベルソ、Converso)していました。ちょうどその頃、クリストファー・コロンブスの「新世界への探検大航海」の話を聞いて、イスラエルの失われた10支族(Ten Lost Tribes)を探すために、コロンブスの航海に応募して通訳として雇われました。

1492/1/2の「グラナダの陥落」によりイスラム教徒がスペインから一掃され、レコンキスタ(Reconquista、国土回復運動)が終了し、コロンブスとスペイン国王との航海実施の合意が成立、「提督」や「副王にして総督」と言う地位が与えられ、コロンブスは航海の準備に取り掛かりました。トーレスはコロンブスと共に通訳としてサンタ・マリア号に乗船、1492/8/3にサンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号の3隻と乗組員120人と共に、スペインのパロス・デ・ラ・フロンテラ港から黄金の国「ジパング」や香料(スパイス)の産地「インド」への航海に出帆しました。カナリア諸島に停泊した後、9/6にゴメラ島を離れ、ほぼ北緯28度線上を一路西へと航海し、苦難の連続の航海の途中、乗組員が反乱寸前になるという極限状態を乗り切り、1492/10/12にグァナハニ島(バハマ諸島中の現在のワットリング島)に到達しました。コロンブスはインドの一角に到着したと確信していたので、神への感謝の意を込めて、この島を「サン・サルバドル」(聖なる救済者)と命名しました。

そして上陸した一行は島の原住民のアラワク族(Arawak)が、見たところ「特有の良い香りのする乾いた葉っぱ」をうやうやしく差し出しました。これこそが”タバコの葉”だったのですが、コロンブスは興味を示さず直ぐに捨ててしまいました。その後、島の人から海の向こうの南の方に、もっと大きな島があることを聞きました。

1492/11/2にキューバに着くとそこをアジアだと思ったコロンブスはトーレスにロドリゴ・ト・ヘレスと一緒に奥地の探検を命じました。彼らはマルコ・ポーロの「東方見聞録」にある”カーン大王”(Great Khan)に親善使節としてコンタクトをとってくることを目指して出発しましたが、都は発見できず、彼等は原住民の部落を見つけて、4日後に戻ってきました。

そして、原住民が「葉っぱを乾かして、茎のパイプに入れ、火をつけ、煙を吸っていた」と報告しました。トーレスらはタバコ(tobacco)に出会った最初のヨーロッパ人となりました。
タバコ

トルコ 1965 発行

その後、付近を探検、調査している時、サンタ・マリア号は1492/12/24の夜にイスパニョーラ島で座礁し沈没してしまいました。そのため船に乗り切れなくなって、残留を申し出た乗組員39人のために、サンタ・マリア号の木材でイスパニョーラ島に「ナビダー(La Navidad)の砦」を築きました。ルイス・ド・トーレスはコロンブスが出帆した時に、ナビダー砦に他の38人と共に残留しました。コロンブスは1493/1/14にピンタ号、ニーニャ号の2隻でイスパニョ−ラ島から帰路につき、1493/3/15にスペインのパロス・デ・ラ・フロンテラ港に凱旋しました。

完全な成功と思われた第1回航海にひかれて、コロンブスの第2回航海(1493/9/25出発)には17隻に1500人が競って参加しました。だが、現地に到着すると、イスパニョーラ島の「ナビダーの砦」は破壊され、砦の39人は全滅していました。それは、誘拐してきた原住民の女の取り合いで内部抗争が起こった殺し合いや、カトリック教の風習の強制による原住民との宗教対立や、女を取り戻しに来た原住民との戦闘などで全滅したと思われました。ルイス・ド・トーレスも巻き添えになって、40才で亡くなったものと断定されました。

1508/9/22にスペイン・アンダルシアのウェルバ県モグアー村(Moguer)に住んでいたトーレス未亡人カタリナ・サンチェス(Catalina Sanchez)のもとに、新大陸から運ばれてくる財宝の分与を受取ることを許す許可状がもたらされました。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。  08/2/28

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