Pirates of Caribbian  
Jolly Roger

フランソワ・ロロノア船長
1666
バッカニーア海賊、マラカイボを襲撃

大航海物語
カリブ海
St.Christopher Nevis Anguilla
ロロノア船長
カリブ海を航行する海賊(私掠)船
セントクリストファーネヴィスアンギラ 1970 発行

ジョリーロジャー旗と海賊船の襲撃

セント・ルシア 2007 発行
海賊船がくるぞ〜ぅ!

ガーンジー 1990 発行

海賊船

タンザニア 1994 発行
海賊の島 「トルトゥーガ」

ハイチ 1995 発行
トルトゥーガ島
   (現トルチュ島)

←ハイチ
 (イスパニョーラ島)



キューバ島→

ジャマイカ島→

メキシコ→
グァテマラ→
エルサルバドル→
ホンジュラス→
ニカラガ・グラナダ→
コスタリカ→
ダリエン湾
パナマ・ポルトベロ→
カリブ海沿岸の地図
←イスパニョーラ島
←プエルトリコ島





←ヴェネズエラ湾
←カルタヘナ(赤丸)
マラカイボ
←南米大陸
(赤丸) ジャマイカ 1992 発行
ロロノア船長はフランスで生まれ、年季奉公に大西洋を越えてカリブ海西インドへ渡り、そこから逃げて海賊になったと伝えられていますが、定かな事は不明で、伝説の海賊船長として多くの書物に登場しています。
フランソワ・ロロノア船長 (1635〜1667) (or ロロネー 1630〜1671説有)
 Francois l'Olonnais  
(本名=ジャン・ダヴィ・ノー Jean-David Nau)
ロロノア船長はフランス・ヴァンデ県(Vendee)のレ・サーブル・ドロンヌ(Les Sables d'Olonne)で生まれたといわれています。最下層の家に生まれたロロノア船長は1650年代に15才で年季奉公でカリブ海の西インド諸島に大西洋を越えて大航海して渡りました。1650年の早い時期にマルチニーク島(Martineqe)での年季奉公から脱走して様々な島を渡り歩き、イスパニョーラ島サントドミンゴ(Santo Domingo)で海賊団に加わりました。

1653年頃にメキシコのユカタン半島北海岸のカンペチェ(Campeche)近くで彼が乗組んでいた海賊船が難破した時、追い討ちをかけるようにスペイン軍の攻撃にあいました。ほとんどの乗組員は殺されましたが、ロロノア船長は他人の血を自分自身に塗りつけて死体の間に隠れて生き残りました。スペイン人が去った後で、彼は一部の奴隷に助けられてトルトゥーガ島(Isla Tortuga、エスパニョーラ島のハイチ北西沖にある亀の形をした島でフランス領有以後の名称はトルチュ島 Ile de la Tortue、人口22080人1982年、かつて海賊が栄えた島として有名)へと逃れました。カトラス(短剣)を使うのを得意とした彼は、その後、その武芸と度胸で海賊共の首領にのし上がって船長になりました。 海賊島・トルトゥーガ島

ハイチ 1961/4/4 発行
トルトゥ|ガ


ハイチ

ロロノア船長の主な海賊大航海:〜:トルトゥーガ(現トルチュ)島から、
1660年頃〜キューバのハバナ襲撃
1666年頃〜ヴェネズエラのマラカイボ襲撃
1666年頃〜ヴェネズエラのジブラルタル襲撃
1667年頃〜ヴェネズエラのカベヨ襲撃
1667年頃〜カリブ海ダリエン湾岸の襲撃

ロロノア船長と乗組員はキューバ島ハバナ(Havana)の町を襲撃して町の人を人質にとって身代金をスペインのハバナ総督に要求。ハバナ総督はロロノア船長の一味を捕らえて殺そうと戦艦を送りましたが、ロロノア船長はその船を捕らえ、1人を除き乗組員を皆殺しにし、生き残った1人に伝言をハバナに届けさせました。その伝言で、ロロノア船長は「今後ともスペイン人から金銀財宝を分捕ってやる」と宣言しました。

1666年にロロノア船長はベネズエラのマラカイボ(Maracaibo)を襲撃・占領するために、8隻の海賊船団で700人の乗組員と共にトルトゥーガ島を出帆。途中で銀貨(約2億4000万円)を積んだスペイン・ガレオン船に出会い、それを捕らえた後、マラカイボへと再び出航。
ディズニーが描く海賊の略奪

タークス・カイコス諸島 1985/10/4 発行

街への入口は砦に守られていて堅固であると思われたため、彼はその防備のない陸地寄りから接近。その時に多くの住民は逃げて金や財宝を隠したため、海賊たちは街の人々を追跡して捕え、彼らが財産のありかを明かすまで拷問にかけ、言わなかった人は殺害しました。さらに海賊たちは砦の大砲を分捕って、すぐに逃げれるように街の城壁を破壊。結局彼らは2週間にわたってマラカイボを占領、掠奪しつくし、銀貨2万枚をはじめとする多くの財宝を奪いました。

その後、まもなくマラカイボ湖の南にあるジブラルタル(Gibraltar)を目指した海賊たちは、500人ものジブラルタル駐屯スペイン軍を壊滅させ、身代金目当てに都市を占領しました。身代金が支払われたにもかかわらず、ロロノア船長達は町を略奪し続け、多くの宝石、銀製食器、絹を分捕りました。ジブラルタルの損害は壊滅的で
マラカイボ

ヴェネズエラ 1971 発行
1680年まで回復できなかったといわれています。このマカライボ・ジブラルタルの襲撃で一気に名を上げたロロノア船長は、ヨーロッパ人に「ロロノア船長に会うくらいなら死んだ方がましだ」(Flail of the Spaniards)とまで言われました。しかし、彼も彼の部下もトルトゥーガ島では気前良く金をばらまいたので、大変な人気者になりました。

ヴェネズエラのカベヨ港(Puerto Cabello)襲撃の時はスペイン軍に待ち伏せされましたが、九死に一生を得て逃れました。しかし、1667年頃にニカラグア沿岸(Nicaragua)を襲撃した時、ダリエン湾のホンジュラス海岸近くの砂州に船が乗り上げ上陸しましたが、部下からはぐれた彼は現地のインディオと争いとなり、彼らに一斉にとびかかられて捕まり殺され食われてしまいました。

ロロノア船長は性格は非常に残忍で冷酷であり、捕虜は一切取らず、捕まえた敵は全て皆殺しにし、また襲った地域の住民は、虐殺・拷問・強姦・暴行など悪事の限りを尽くしたとされる悪逆非道のかぎりをつくした悪漢海賊だったと伝えられています。

参考HP〜
ヴァンデ県の場所地図
中央アメリカの地図
トルトーガ島の場所地図(日本語、トルチュ島)
カンペチェ州の場所地図
カンペチェの場所地図(Campeche)
ベネズエラの場所地図
マラカイボの場所地図
ダリエン湾の場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       08/8/15、9/15追加、12/8/6

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