France

国連 1980 発行
 切手で綴る カリブ海の島国シリーズ No.21(French Islands)
マルチニーク島
Martinique、overseas department of France

大航海物語
  地図編

Saint Lucia
グアドループ諸島付近の地図
MARTINIQUE
マルチニーク島

マルチニーク 1947 発行





グアドループ島→

 レ・サント島→





セントルシア 1982/4/13 発行 (画:200%)
グアドループ諸島
←デシラード島
←プチ・テール諸島
←マリーガラント島


ドミニカ島

マルチニーク島

セントルシア島

GUADELOUPE
自由フランス軍
アフリカのチャドからライン河へ進撃

Normandie
マルチニーク 1946 発行
ダイヤモンド・ ロック
マルチニーク島南、そそり立つ175mの岩


Rocher du Diamant
フランス(マルチニーク)1970 発行

マルチニーク島
 Martinique Island

 フランスの海外県(Martinique、overseas department of France)
・面積:1,128ku(日本の佐渡島854+小豆島153+壱岐島134=1,141kkuより少し小)
・人口:381,427人(1999)、407,000人(2011)
・県都:フォール・ド・フランス(Fort de France)
・通貨:ユーロ (EUR)
・1番切手:1886-1947年発行

マルチニーク島はカリブ海に浮かぶ西インド諸島のなかのウィンドワード諸島に属し、世界に5つあるフランスの海外県の1つで、1502年のコロンブス第4回探検航海にて発見され「世界で最も美しい場所」とコロンブスが呼び、カリブ族の言葉のマディニーナ(Madinina、花の島)、またはマチニーノ(Matinino、女の島)から「マルチニーク」と名前をつけました。

・マルチニーク島の略史:〜
1502 コロンブスが第四次航海で発見するも金や銀を産出せず
カリブ人の頑強な抵抗をで暫くヨーロッパ人の侵入を退ける
1635 イギリス人が入植、
続いてセント・キッツ島を拠点にしたフランスのブラン・デスナンビュックが上陸、主導権を握り
フランスが植民、黒人奴隷によるサトウキビ栽培で発展
1658 フランス軍が抵抗する島民を虐殺、島民は絶滅
1724 カリブの海賊ネッド・ロー船長が裁判で絞首刑となり吊るされたといわる
1762 七年戦争でのマルティニークの戦いでイギリスが占領
1763 パリ条約でマルチニーク島はカナダと引き換えにフランスに返還される
1780 アメリカ独立戦争が始まると、英仏の間でマルティニーク島の海戦が勃発
1789 フランス革命が勃発
1791 ハイチのサン・ドマングでのルーヴェルチュールによる黒人大暴動に続いてマルティニークでも黒人奴隷は自由を求めて反乱を起こすも、間もなく王党派のグラン・ブラン(大白人)によって奴隷反乱は鎮圧され、王党派は共和制フランス(第一共和政)を裏切ってイギリスに帰属
1794 イギリス軍が占領
1802 アミアンの和約でフランスに返還される
1805 /5/12、ヴィルヌーヴ艦隊が到着、ダイヤモンドロックの戦い勃発
1902 プレー山大爆発、県都サン・ピエールで住民3万人死亡
県都がフォール・ド・フランスに移転
1946 フランス海外県となりました。

山がちな火山島で、島の北部に活火山プレー山(又はペレ山、Mount Pelee, 1397m)有、1902年にプレー山大爆発、火砕流で当時の県都サン・ピエールで住民3万人死亡、街は壊滅して県都がフォール・ド・フランスに移転。

・ダイアモンド・ロック島
 (仏:Rocher du Diamant)
 (英:Diamond Rock)
ダイアモンドロック島は、高さ175mの玄武岩の岩礁島で、マルチニーク島の県都フォール・ド・フランス前面のフォールドフランス湾からずっと南にあるダイアモンド岬(Pointe Diamant)の南約3kmにあります。
ダイヤモンド・ ロック島
島の名前は、その側面が1日の特定の時間に宝石をイメージする投影反射することから付けられました。ダイヤモンドロック島はセントルシア海峡の北端にある戦略的な場所だったので、ダイアモンド・ロック島を確保すると、マルティニーク島とその南隣のセントルシアの間の航行を阻止することができるので、1805年にダイヤモンドロックの戦いが勃発。

・ダイヤモンドロックの戦い
 (Battle of Diamond Rock, 1805/5/31〜6/2)フランス勝利
戦略的に重要なダイアモンド・ロック島はイギリス軍が1年以上前に占領して、1804/1月にサミュエル・フッド提督の命令で要塞化して、イギリス駐屯軍は崖上に置いた大砲でフォールドフランス湾に入ろうとする船舶に発砲し、フォールドフランス港への航行を妨害していました。
イギリス・フランスの艦隊

セントルシア 1982/4/13 発行
それをイギリス軍から奪還しようとしたフランスが大規模なフランスとスペインの合同艦隊を派遣して、1805/5/12にヴィルヌーヴ艦隊がイギリス艦隊を西方航路防衛に引き付けるため到着。1805/5/31にイギリが占拠していたダイヤモンドロックを攻撃してダイヤモンドロックの戦いが勃発。すでに水が不足していた防御側イギリス軍は数日間ロックに留まるも、はしごを持ってこなかったフランス軍はほとんど前進できませんでした。イギリス軍は水と弾薬の両方が不足しているも、数日砲火にさらされた後、最終的に降伏。ダイヤモンドロックはフランスに戻りました。イギリス海軍の司令官は、帰国後に軍法会議の裁判にかけられるも、無罪となり名誉は回復されました。

・マルティニーク島の海戦
 (Sea Battle of Martinique, 1780/4/17)、フランスの戦術的勝利
マルティニーク島の海戦は、アメリカ独立戦争(1775-1783)の一環で、マルティニーク島付近の沖海上でイギリス海軍とフランス海軍の間で行われた海戦。英海軍が仏海軍を追撃するも、イギリスのロドニー提督の命令の不徹底が原因で取り逃がす結果となる。なお、
 ・マルティニーク島の海戦(1780)の概要こちら、艦隊編成はこちら
 ・マルティニークの戦い(1762)はこちら

<フランス海外県>
 (Overseas departments (regions) of France)
・グアドループ (1946年以降)
・マルティニーク (1946年以降)
・フランス領ギアナ (1946年以降)
レユニオン (1946年以降)
マヨット (2011年以降)

<フランス海外準県>
 (Administrative divisions of France)
・フランス領ポリネシア(2003年以降)
サンピエール・ミクロン(2003年以降)
ウォリス・フツナ(2003年以降: 海外準県)
・サン・マルタン島(2003年以降)
・サン・バルテルミー島(2003年以降)

<フランス特別共同体>
  (Special Collectivity of France)
ニューカレドニア(Nouvelle-Caledonie)

<フランス海外領土>
 (Overseas of France)
・フランス領南方・南極地域 (1956年以降)
 ・アムステルダム島(L'ile Amsterdam)
 ・ケルゲレン諸島 (les iles Kerguelen)
 ・クローゼー諸島(Iles Crozet)
 ・アデリーランド(Terre Adelie)ジオロジー群島
 ・サンポール島(Ile Saint-Paul)インド洋南部アムステルダム島の約85km南西
 ・フランス領インド洋無人島群
  ・ガイザーバンク (Banc du Geyser)マダガスカル及びコモロも領有権を主張
  ・バサス・ダ・インディア (Bassas da India) マダガスカル及びコモロも領有権を主張
  ・ユローパ島 (Ile Europa)モザンビーク海峡南部にある無人島
  ・グロリオソ諸島(Iles Glorieuses)マダガスカル島北西、マダガスカル領有権を主張
  ・フアンデノヴァ島(Ile Juan de Nova)モザンビーク海峡、マダガスカルも領有権主張
  ・トロメリン島(Ile Tromelin)マダガスカル島の東、モーリシャスも領有権を主張
クリッパートン島 (絶海の孤島)。

参考HP:〜
マルチニーク島の地図
マルチニーク島の地図(詳細地図)
ダイアモンド・ロックの絵画(ダイヤモンドロックの戦い、1805/6/2)
フランス海外準県の場所地図(French republic+EEZ without Antarctica地図)

こちらで
・フランス領グアドループ島
・フランス領サン・マルタン島
・フランス領サンバルテルミ島
・オランダ領アンチール諸島
世界遺産
ボールズ・ピラミッド(551m)
法隆寺 (日本)
ヌビア遺跡エジプト
パルテノン神殿ギリシャ
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   08/10/12令和 R.3/8/15(2021)
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